夕顔救出作戦*其の一
光も交え、暁と恋人のこれからを話し合った、数日後。
手紙を出して訪問の希望を伝えた上で吉日を選び、葵は『夕顔』――夕花の邸を訪れていた。
「お初にお目にかかります。藤原左大臣家の娘、葵と申します。この度は、急な申し出にも拘らず快く迎え入れてくださり、誠にありがとうございました」
「とんでもないことにございます。身分上は私の方から罷りこさねばならぬところ、わざわざのご訪問、申し訳ございません。――先の三位中将が娘、夕花と申します」
女同士ということで、最初から御簾の内に招かれたものの、恐縮しきって葵が入室する前から頭を下げ続けている夕花。周囲の女房も頭を下げてはいるものの、感じる気配は困惑と警戒、ほんの僅かな敵愾心だ。
これはお兄様、真面目に信用されてないな……と、下手を打った暁に内心ため息をつきつつ、葵は綺麗に笑ってみせた。
「さような礼、わたしには無用でございます。夕花様、どうぞ頭をお上げになって」
「で、ですが……」
「夕花様はお兄様の大切なお方ですもの。お義姉様のお一人として親しく寄せ合う仲となれますよう、本日はご挨拶に伺ったのですわ」
女房たちがきょとんとし、夕花もまた、思わずといった風に顔を上げて瞬きする。その容貌は――。
(なるほど、これは悲劇のヒロインだ)
例えるならば……夕闇の中、ほんのり浮かぶ月明かりに照らされて咲く夕顔が宿す、今にも消えそうな美しさ、か。元々の清楚な美貌に加え、彼女の置かれた悲惨な境遇が、〝散り際の美〟と呼ばれる類の美しさを宿させている。人生における悲劇の多くは人を疲弊させ、衰えさせるものではあるが、そういった境遇にあってこそ容貌の良さが増すタイプの人間も一定数いるのだ。分かり易く現代的に言うところの――〝喪服を纏って憔悴している儚げ美人〟的なアレである。
「突然のことで驚かせてしまって、本当に申し訳ありません。お兄様から夕花様のことを打ち明けられ、嬉しくなってしまって。矢も盾もたまらずご挨拶したくなり押しかけてしまいましたが、ご迷惑でしたね」
「いいえ、まさか! お手紙も大変にご丁寧でしたし、本日の訪問も、我々に幸があるよう、吉日までお選び頂けて……格別のお心遣いは感じておりました。ご迷惑など、そんなわけありません」
ふるふる首を横に振る夕花の姿に、やって良かった訪問占いと、密かに胸を撫で下ろす。地味に和風ファンタジーなこの世界、〝ちょっとした違和感はあるけど、概ね平安時代〟なだけに、とにかく慣例で、日にちにも方角にも良し悪しが多い。多いが、そのどれが単なる習慣で、どれがファンタジー的決まりで守るべきなのか、一概には判別できないのだ。『異能』に造詣の深い椿曰く、「人によって怪異や禍事への耐性は違うし、占う者の腕によってどこまで見えるかも違ってくるから、しっかりした力のある者にきちんと占ってもらわねば、実のところあまり意味はないの」らしいが。
巷にゴロゴロいる〝卜占師〟の多くは、毎年年始に宮中の陰陽寮が出した〝日の本にとっての吉方吉日〟を元に、それを何らかの法則に従って個人の場合に当て嵌めなおしているだけだ。法則さえ分かれば誰にでもできる簡単なお仕事で、これを「占う者の腕」とは表現しないはず。となれば、世間一般で行われている〝吉方吉日占い〟の多くは、単なる慣習ということになる。大元を出している宮中の陰陽寮は、聞くところによれば本物揃いらしいので、効果のほどは全くのゼロじゃない、程度か。
(ゼロじゃない程度だから余計、意味が分からなかったのよねー。ちょっとした災難を避ける程度の気持ちで、ここまで大袈裟なことする? って)
そんなわけで普段の葵は外へ出るとき、吉方吉日、ほぼ気にしない。さすがに、かつて椿の話し相手として内裏を正式訪問していたときは占ってもらっていたが、それだって両親がさせていたことだ。椿と会うまで、この世界にファンタジー要素があることすら気付いていなかった葵は、吉方吉日の慣習を「まぁ平安時代だしな」で片付けていた。そんな人間が、個人的なお忍び外出のためにわざわざ占い師を呼ぶわけもなく、それで何の問題もなく生きてきたのだ。椿と出会い、『異能』の知識を得、吉方吉日に意味と効果がある場合もある、と教えてもらって盛大に驚いたくらい、葵は平安あるあるに疎かった。
(まぁ……それでも、慣習は慣習だから。わたしは全く気にしないけど、相手先があるところの慣習って、下手にすっ飛ばすと向こうが『こちらを軽んじているのか』ってキレるケース、結構あるし)
夕花と、周囲の女房の気質をこの目で確かめていない以上、まずは世間の慣習に則るべきと判断したのは、この様子を見る限りどうやら正しかったらしい。……こうして下手に老成した面を見せてしまうから、楓に「姫様はもう少し、年相応を取り繕われるべきかと」と突っ込まれるのだが。
「――格別など、何を仰います。夕花様は、お兄様にとって大切で、特別なお方なのですよ。尊重申し上げるのは、当たり前のことではありませんか」
「とく、べつ……暁様が、私を?」
「もちろんですとも。わたし、あんなお兄様は、初めて見ましたわ」
こうして、〝親しい兄から想いびとの存在を打ち明けられ、深く考えずにウッキウキで挨拶に来た妹〟程度の取り繕いならできるのだから、問題はないだろう。




