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少年の追憶*其の五


  * * * * *



 葵と出逢ってからこれまでと、ついでに一昨日夜のやらかしまで鮮明に思い出し、光は改めて、彼女がいかに素晴らしい女人かを再認する。女性としての魅力に溢れているのは言うまでもないが、男性と合わせて考えても、あれほどの人品骨柄優れた〝人〟には滅多にお目にかかれないだろう。

 そんな至上のひとと巡り逢い、縁あって夫婦となれた自分は、世界一の果報者に違いない――。


「若様のやらかしは許して頂けたようですし、ご夫婦としての契りも無事に結べたわけですから、これで心置きなく一人前の男として――」

「うん? 結んでないよ?」

「はい?」


 幸せを噛み締めていたところに惟光の言葉が入ってきて、どうやら勘違いさせたようだと訂正を入れる。せっかくの葵の心遣いを誤解されるわけにはいかない。

 光の言葉を聞いた惟光は、「何言ってんだコイツ」の疑問を分かり易く表情に乗せた。面従腹背が当然の宮中において、思ったことが全部顔に出る惟光はある意味最も安心して付き合える相手で、それもあって光は彼を重用している。……貴族としてどうかとは、ちょっと思うけれど。


「え? 若様、姫君にお許し頂けたのですよね?」

「あぁ、そうだ」

「で、姫君とのあれこれを回想して、見たことのないニヤけ面をしていらしたのですよね?」

「私はいったい、どんな顔をしていたのかな……」

「あの顔で、契りを結んでないとかあります?」

「あの顔かどの顔か知らないけれど、〝契り〟が肌を重ねることを意味しているなら、結んでいないよ。昨夜は、葵の隣で眠っただけだ」

「えぇー……何でまた。若様に限って、やり方が分からないわけもないでしょうし」

「もちろん、一通りは知っているけどね。他ならない葵から、『今はやめておこう』と言われたんだ」

「え。それ、本当に姫君からお許し頂けてます?」

「失礼な。葵はそんな陰険ではないよ」


 昨夜、御帳台の内での会話を、光は分かり易く要約して惟光に話して聞かせた。葵が光の立場と性質を案じ、「恋愛にかまけて宮中でのお役目が疎かにならないよう、まずは仕事を覚えて一人前になるのを優先させるべき」と助言してくれたのだと聞かされた惟光は、感心して何度も頷いている。


「若様から繰り返し繰り返し、耳にタコができるほど聞かされて参りましたが……誠にご聡明でお気遣いできる方なのですね、左大臣家の姫君様は」

「タコができるほどうるさくして悪かったね。だが、私の言ったとおりだろう?」

「はい。若様のご気性まで考慮されて、お立場を揺るぎないものとされるようご注進なさるとは、並の方ではございません」

「葵の気持ちに報いるため、日々のお役目を真面目にこなして、一日も早く一人前にならなければ。周囲からも頼られ、一目置かれる存在になってこそ、葵の伴侶として相応しい男といえよう」

「左様ですね。左大臣様も、婿君がご立派であれば、鼻も高いことでしょうし」

「あぁ。今は私が左府殿に守られている立場だが、宮中で並び立つ者が居ないほどとなれば、お力となれることも増えよう。そうなってはじめて、私は葵の夫として、彼女を生涯守り抜く男として、誰に憚ることもなく堂々とできる」


 惟光と視線を合わせ、光は力強く頷き合った。――宮中の勢力争いの最中、〝源氏の君〟が〝並び立つ者が居ないほどの地位〟を望むことは、必然的に右大臣方と対立する道を歩む羽目になるのだが、思い詰めたら愚直に一途な気質の彼は、その辺のことを範疇に入れていない。


「さて――気持ちを新たにしたところで、そろそろ出仕の時間だな」

「あ、本当ですね。車の手配をしてきます」

「あぁ、頼む」


 心から望む女性を妻とした若き〝光君〟は、やる気に満ち溢れたまま、意気揚々と宮中へ――元服と同時に賜った官職、〝左近衛中将(さこのえのちゅうじょう)〟の執政室へと赴き。


「お初にお目にかかります、中将殿。蔵人少将の任を賜っている、藤原左大臣家の暁と申します。この度は、妹をお気に召して頂けたとのことで、内々のことではございますが、御礼を申し上げに参りました」


 初出仕ということでかなり早い時間に出てきた、その光にも劣らぬ時間帯に出向いてきた美丈夫に、深々と首を垂れられた。顔を合わせることこそ初だが、宮中で、内裏で暮らしていて、その名を知らぬ者は居ないだろう――左大臣家の嫡子、葵の兄である、彼に。


「お顔を上げてください。姫君の兄であるあなたは、義理とはいえ私にとっても兄君です。こちらこそ、どうか親しくさせてください」

「ありがたいお言葉にございます。源氏の君をお迎えできたことは、我が家にとっても誉れ。末長く、ご縁が続くことを願っております」

「もちろんですとも。姫君以外の妻など、望むべくもない。葵こそ、私にとって唯一にして最愛のひとなのですから」


 心の底から返すと、思わずといった風に顔を上げた彼から、どこか探るような瞳で見つめられた。


「……あの、何か?」

「いえ。――中将殿のお心遣いを、大変嬉しく思います」

「どうぞ、光と。義兄(あに)であるあなたに畏まられるのは、私も座りが悪いです」

「この上ない栄誉に感謝いたします。私のことも、お心易くお呼びください」

「では、お言葉に甘えて。――暁殿」


 ……もしかしたら、暁は光のことを信用できないのかもしれない。葵は、左大臣家の姫として非の打ち所がないだけでなく、あれほど優れた人柄で、尚且つ他に例を見ない『異能』の持ち主ですらあるのだ。

 左大臣家の嫡子であれば当然、彼女の素晴らしさと特異性については、光以上に理解しているだろう。あらゆる意味で人並みではない葵を託す〝夫〟として、今の光は力不足甚だしいと、厳しい目を向けるのも頷ける。

 しかし。だから認められない、では困るのだ。左大臣が決めたこの婚姻に、嫡子の彼が表立って反対の意を示すことはできないにしても、兄に祝福されないままでは、葵が気に病むことだろう。葵に心置きなく光の手を取ってもらうため、彼女の周囲にいる人物全員に認められるのは、必要最低条件である。


「どうぞ、ご安心ください。――と、今はまだ言い切れませんが」

「は、い?」

「そうお待たせすることなく、必ずなりますから。妹君――葵を守るに、不足ない男へ」

「んん……? えぇと、はい」

「葵は、あれほど素晴らしい姫なのです。彼女の夫として、今の私を不安視されるのは、むしろ当たり前のこと。私自身が誰よりも、足りていない己を実感しております」

「……」

「ですので、どうか見ていてください。一人前の男となり、葵に相応しいと認めて頂けるよう、日々精進して参ります」


 心の底から真摯に決意を告げた光を前に、暁はしばし、沈黙し――。


「――光君」

「はい!」

「妹を、葵を、よろしく頼みます」




(なんか葵の現状認識とびっくりするぐらい食い違ってるし、嫌われてる気配とか微塵もないし、何が何だかよく分からんが、引くほど真剣に葵を守ろうとしてくれてるみたいだからまぁいいか)


 葵の『託宣』と話が違い過ぎて混乱した挙句に宇宙を背負い、最終的に思考放棄して丸投げただけとは夢にも思わない暁の言葉に、「必ずや!」と堂々宣言するのであった。


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