少年の追憶*其の四
「主上、源氏の君。このお話は、他言無用で願えますか」
言葉をまとめるべく沈黙し、しばらくしてから口を開いた左大臣の口調は、光が想定していた以上に重々しかった。これは只事ではないと、父帝と二人、少し姿勢を正して頷く。
「あぁ、もちろんだとも」
「当然のことです」
「ありがとうございます。――他所の方に話すのは初めてですが、葵は、相当に変わった『異能』の持ち主なのです」
語られた打ち明け話に、父帝と二人、目を丸くする。『異能』とは、皇家の血縁者を中心に発露する、人智を超えた力の総称だ。その能力は様々で、京を跋扈し人々に悪さをする物の怪を操ったり払ったり、それらから人々を守る結界を作ったり、他者の魂に関与したりするという。『異能』は得た人間それぞれで違う力を発露するため、変わったものがあっても不思議はないが。
「『異能』とは……姫君は桜の娘、皇家の血を色濃く引いているわけだから、発露しても不思議はないが。よくぞこれまで、隠し通せたものだな」
「幸い、目立つ類のものではございませんでしたので。娘の『異能』は何と言いますか……少し変わった未来視のようなもの、なのです」
「ほぉ?」
「先ほど申しましたように、葵はごく小さい頃、生死を彷徨う大病をいたしまして。奇跡的に生還し、回復した頃からでしたか――我々の知らぬ『物事の未来』を見通す力を得たのです」
「『物事の未来』とな?」
「身近にありふれた品々を思いもよらぬ方策で加工し、全く別の、役立つ物質へ生まれ変わらせたり、斬新な手法で新しい香を開発したり……今の時代にあっては混乱を招くであろう〝道具〟を生み出したりと、数え上げれば枚挙に暇がありませぬ。娘が言うには、身近なものに触れると、それらの加工方法や組み合わせるべきものが〝思い浮かぶ〟のだそうで」
「なんと」
父帝の驚愕も無理はない。光とて、今上帝の息子として皇家の歴史や成り立ちを学ぶ中で『異能』についての講義も受けてきたが、聞いた限りでは変わり種の中でもとびきりである。
「側から見ればそれこそ、物の怪に憑かれたのではと疑いたくなるような行動を前触れなく起こすのです。古参の女房たちは理解しておりますが、それでも間近で見ればついつい口を出したくなってしまうもの。しかしそれでは、あの子も周囲に気を遣って、『異能』で得た知恵を思う存分使えません」
「なるほど。ゆえに、『外へ出せない』か」
「左様にございます。幸い、我が邸であれば、側仕えの女房がごく少数でも、娘に不自由はありません。葵の側付きは乳母と乳姉妹の女房二人に任せ、他の者は少し離れた、あの子の姿が見えないところに控えて、細々した内向きの用を担っております」
左大臣の説明に、光の鼓動は早くなる。
公卿家の姫であれば、そう頻繁に外出できるわけもない。もちろん、通常であればそうだ。
しかし。今、彼が語ったように、〝葵姫〟の日常がおよそ一般的な姫君の常識とかけ離れたものであるなら。姫の側に普段、最側近である女房二人しか控えていないのなら。その女房たちと、外出のために必要な協力者さえ抱き込めば、本来ならば気軽に外出できない身分であっても、毎日の後宮通いは充分に可能だ。彼女の受けてきた教育そのものは高貴な女人に与えられるものだろうから、ふとした仕草に隠しきれない上流貴族の気配が漂うことも、むしろ道理といえる。
何より――。
「『異能』のこともあってか、ところどころでありきたりな型には収まらぬ娘ではありますが。そういった風変わりな面も不思議と魅力的な、私どもの愛する姫にございます。――なればこそ、葵には女御や国母といった判で押したような幸福ではなく、世間とは少々ずれていようとも彼女自身で探し当てる幸せが似合うと、私は考えているのですよ」
左大臣の語る、その為人が。光の知る〝葵〟と重なって、仕方がない。
(葵――本当に、あなたはそこにいるの?)
確かめたい。今すぐにでも。
確かめて、見つけ出せたなら――今度こそ絶対に、もう二度と、離れはしない。
「ゆえに、胸の内をありのまま申し上げるなら……娘が申すとおり、源氏の君がお気に召さねば、無理に妻となさる必要はないと存じます。元服の儀にて私が君の加冠役を務め、娘が添臥となることで、婿入りが果たされずとも我が家が源氏の君の後見であることは世間に知らしめることが叶うでしょうから」
「ううむ……そのような事情があるならば、左府と姫君の考えも尤もではあるが。『異能』についての知識も充分にある光と縁づくことは、そちらにとっても良いことと思うがな」
「主上のお心遣い、誠に勿体ないことです。ですが、源氏の君との婚姻につきましても、あの様子からしますと娘は何かを〝視た〟のやもしれません。ここは『異能』の『託宣』に従い、源氏の君にお任せいただけませんか」
父と左大臣の間で、話がするするまとまっていく。要約すると、〝左大臣家の葵姫と結婚するかどうかは、直接会ってから光が決める〟ということか。
それを言い出したのが、本当に光の知る〝葵〟なら――婚姻という、人生において大きな節目の一つが、極力光本人の意思に沿うものであるようにという、いかにも彼女らしい思いやりが感じられた。
「ふぅむ……光よ、そなたはそれで構わぬか?」
そんなの――愛おしく想う以外の、心向きがあり得ようか。
「はい、父上。私に異存はございません。――左府殿、どうぞよろしくお願いいたします」
御簾越しの左大臣へ、光は深々と頭を下げて。
これまでとは打って変わり、光は自身の元服の日を、指折り数えて待ち望んだ。
そして――。
「あぁ、やはりあなただ、葵。逢いたかった――!」
元服の儀の夜、案内された寝所で二年ぶりに再会した葵を前に理性が弾け飛び、盛大にやらかしたのである。




