イケメンと遭遇する
不定期更新です。
中村七菜香、二十四歳は著述家を生業としている。
いや、正確には食えていないので、生業とは言えないのかもしれない。
冷蔵庫を開けるとそこには、もやしと牛乳、半額の食パンしかないのだ。
現在、仕事がほとんどなく、極貧の生活を強いられている。
「ああ、悔しい! 今日は卵が百六十八円の日だったのに!」
菜々緒は、経年劣化で毛羽立ち茶色くなった畳を拳でたたく。
最後のワンパックを五十代と思しき主婦に奪われてしまったのだ。
無念である。
本来ならば、菜々緒はLINEにスーパーの広告が入った時点で開店前から並んでいたはず。
それなのに妙なところで執筆ブーストがかかってしまい、久しぶりの安売りの卵を逃してしまったのだ。
とどのつまり、死活問題に直面中。
「マジで、タンパク質欲しい。そうだ! ドンキーへ行こう」
作家から自称作家になりつつある菜々緒は、ナチュラルダメージの入ったジーンズとよれよれ半そでのTシャツ姿で運動靴を履き、四畳半のボロいアパートの部屋を出る。
菜々緒の住まいは、弥生荘の204号室。
二階から、鉄さびの浮いた階段をかんかんと降りていく。
菜々緒が作家になった経緯は、一言でいうと気の迷いだ。
ブラックな仕事に嫌気がさした彼女は、とある地方の文学賞に応募した。
とにかく、心の叫びを原稿用紙に書き殴りたかったのだ。
誰かにその心の叫びを聞いて欲しい、
そんな思いで書いた作品がなんと受賞してしまった。
全くのまぐれ、全くの偶然。
ちなみにそれまで小説は書いたことがない。
その後とんとん拍子に受賞作が出版され、菜々緒はあっさりと仕事を捨てた。
そこまでは良かった。
ブラック勤めで、お金の使いどころがなかったから、貯金もあったし、清々していた。
問題はその先で、一年に一回、出版されるかされないかの本。
そして、文学賞を受賞した菜々緒は文学が好きかと問われれば、はっきりNOと答える。
(違うんだ。私はラノベが書きたい)
しかし、ラノベの選考は落ち続け、小さな文学賞はほんのときたま受賞。
もうだめかと思ったその時、地元のタウン誌にめでたく連載を持った。
(ぶっちゃけマジでタウン誌の仕事ありがたい! 編集長ありがとう!)
しかし、仕事がそれ一本で、当然食べていけるわけがなかった。
「いや、違うでしょ! 今はドンキーでタンパク質を買わなくちゃ。安売り卵がなければ、納豆、納豆がなければ豆腐。魚肉ソーセージもおっけー」
お腹がすいた菜々緒はドンキー目がけて、駆け出した。
今度こそ、安売りの食品を「倹約のため」とか言って買っていく、どこかの主婦に奪われてはならない。
菜々緒には養ってくれる者などいないのだから。
菜々緒が道路をやみくもに走っていると、どんと固いものにぶち当たった。
ここしばらくまともなものを食べていない菜々緒は、そのまま吹き飛ばされるようにして尻もちをついた。
「痛っ!」
(食べてないから体力ないんだよね)
感触からいって電柱ではなく、ぶつかったのは人だとわかった。
「おい、どこ見て歩いてる」
男の低い声に顔を上げる。
そこには、背の高い、びっくりするようなイケメンが立っていた。
しかも滅茶苦茶高そうな黒のスーツをびしっと着こなしている。
靴もピッカピカで見るからに高そう。
菜々緒はがっかりして、ため息をついて立ち上がる。
「残念、二次元だったらよかったのに」
そう菜々緒は男女ともに二次元しか愛せない。三次元ではどんなに綺麗でも興味がまったくわかないのだ。
典型的なオタク女子である。
「は?」
男が不審な表情で柳眉を寄せる。
菜々緒はトラブルは嫌だった。
ここら辺は海沿いのちょい田舎なので、普段はマイルドヤンキーしか見ないが、時々やばい半ぐれが東京から群れをなしてやってくることがある。
彼ら時にお洒落だったり、一般人と見分けがつかなかったする。
そのうえ、浜辺でロケット花火を打ち上げたり、イリーガルなパーティをしたりして近所の人によく通報されているのだ。
店が少ない割にはパトカーが出動率が高い地区である。
(やばい。半ぐれかもしれん)
「すみません! すみません!」
かかわりたくないので、菜々緒はすぐに頭を下げた。
(早く、ドンキーに行かなくっちゃ! 待ってて、私の値引き品!)
そんな気持ちにせかされる。
菜々緒は、しっかり前を見て走り出す。
「おい! ちょっと待て!」
後ろから、男の声が追って来てびっくりた。
「うわっ、顔はよかったけどやばい系の人かな」
ちらりと振り返ると、顔のいい男の横には黒塗りのアルファロメオが止まっていて、中からグラサンの男がでてきた。
「うそ! マジでヤバイ! 帰りは道かえよう」
菜々緒は五月の海沿いの道をドンキーへ向けてひた走った。
◇◇
ドンキーでの戦利品は、魚肉ソーセージに豆腐に納豆。
すべて半額以下の値引き商品。
「ありがとう、神様っているんだ」
菜々緒は素晴らしい戦果にむせびながら、お買い物袋を持って四畳半のアパートへ帰路を急ぐ。
時刻はすでに午後七時近くになっていた。しかし、季節は6月とあって、まだ外は日の名残りがある。
(そう言えば、さっきやばそうな人にぶつかったよね? すっごいイケメンだったけどホストかな?)
慎重な菜々緒は、先ほどと道をかえた。
ちょっと遠回りになるけれど、お屋敷街を通る。
一本道路を違えただけで、庶民の町と高級住宅街わかれるのだ。
ぽつりぽつりと街灯がともっていく。
逢魔が時。
(まるで人生ゲームみたい。私の人生詰んでるけど。でもまたブラック企業で勤めるのはやだなあ。せっかく今のアパート家賃が安いし、しばらくフリーターでもやるか?)
住宅街の中でもひときわ大きいのが、海辺に立つ白い家だ。ステンドグラスが特徴的な豪邸である。
「いつ見ても、綺麗。洋画に出てきそう。いつか住んでみたいな、こんなところ」
人が住んでいるのかいないのか、はたまた金持ちの別荘かはわからないが、
いつもしんとしいて、人の気配はない。
「ちょっと待て、さっきの子じゃないのか?」
薄暗がりから聞こえてきた男の声についうっかり反応して振り返る。
さっきぶつかった、超絶イケメンだ。
「わっ!」
(やだ! スーツ弁償しろとか、クリーニング代払えとか言われたらどうしよう)
逃げようとした瞬間、菜々緒の目の前に先ほどアルファロメオから出てきたグラサン男が菜々緒の前に立つ。
「な、なんですか! お金なら、ありませんよ」
菜々緒は、大声で叫んだ。
「マジか? この子、本当に蓮のこと知らないよ」
「だろ?」
背の高い二人の男たちの会話が、菜々緒を挟んで頭越しに始まる。
「あ、ごめんね、怖がらせちゃって」
そう言ってグラサンの男がにっこり笑う。
うさん臭さ大爆発である。
菜々緒は後ずさりするも、後ろには超絶イケメンがいて逃げられない。
かてて加えて、御屋敷街のせいか、どの家も塀も高く庭も広く菜々緒が騒いだところで、聞こえやしないだろう。
(いや、閑静な街だからこそ! 誰か通報してくれるかも?)
「お前のグラサンが怖いんだろ」
「おっと、失礼」
男はグラサンをとった。瞳はつぶらで、誠実そう。
どう考えてもサングラスをかけない方が感じいい。
超絶イケメンがそばにいるから印象が薄くなりがちだけれど、端整な顔立ちの青年だ。
「ええっと、お嬢さん、僕は鏑木ってものだけど、君は本当にこっちのイケメン見たことない?」
鏑木と名乗った男が、超絶イケメンを指さす。
「ええっと、全くの初対面ですが? 誰です?」
何か因縁でもふっかけられるのではと、菜々緒は身をかたくする。
「さっき、ぶつかっただろ」
「だから、ごめんなさい。でもお金はありません」
菜々緒は心の底から真実を叫ぶ。
「それはみりゃわかるよ」
「じゃあ! なんなんですか!」
なんでぶつかっただけで、こんなにからまれるのか、理不尽すぎる。
すると蓮と呼ばれた超絶イケメンが、軽く目を見開き、口元に薄い笑みを浮かべた。
「俺、生まれて初めて女に邪険に扱われたわ」
「いいんじゃない? この子」
二人とも感心たように、菜々緒をしげしげと見る。
まるで珍獣になったような心地がした。
「さっきから、あなた方、なんなんですか?」
「俺の家は、ここなんだが、家政婦募集している。あんた、職にあぶれてそうだし、どうだ?」
突然、超絶イケメンに言われてびっくりする。
彼が指さす家とは、菜々緒が憧れている海辺にたつ白い豪邸だ。
「え? こんな大きなお屋敷で家政婦ですか? 私、自己紹介もしていませんよ? しかもこんな汚い格好しているのに。自分で言うのもなんですが、そんな奴家に入れて大丈夫なんですか?」
イケメンとグラサン男は目を合わせる。
「絶対、安全だって」
「それはそう」
そこで私はピンときた。
「あ! わかった有名なyoutuberなんですね!」
イケメンが肩をすくめる。
「まいったな。哲也、俺の認知度って、その程度みたい」
「仕方ないよ。蓮は舞台の仕事が多いから」
そんな二人の会話からして芸能関係の人だとわかった。
「へえ、舞台俳優さんなんですか」
道理でイケメンでスタイルがよくて背が高いはずだ。
容姿コンプレックスとかまったくなさそう。
それどころか、モテて困っているんだとか言い出しそうである。
「テレビドラマにも出ているよ?」
鏑木と名乗った方の男が超絶イケメンを指さす。
「うちテレビないんで」
即答する菜々緒に、顔を見合わせる。
「いまいどき家にテレビがないだって」
グラサンの方が言う。
「いや、今時だからテレビがないんだろ?」
イケメンは興味なさそうだ。
「ねえ、君、もしかしてSNSとかもやらないの?」
「興味ないんで」
菜々緒が答えると、男たちが驚愕した。
「何が楽しくて生きているんだ? でも条件にはぴったりだと思わないか? 蓮」
「そうだな。ここで立ち話もなんだし、家に入ろう」
危うく、大きなお屋敷に連れ込まれそうになった菜々緒は、慌てて辞退する。
すると蓮と呼ばれた超絶イケメンが、菜々緒に名刺を渡す。
「これさ、流出したら困るからSNSに流さないでくれ。あとメ〇カリで売ったりとかしないで」
名刺には橘蓮とかいてある。
「橘蓮さんっていうんですか。すごい芸名ですね」
たった二文字の名前が珍しく、思わず名刺に目が引き寄せられる。
「いや、それ本名なんだ」
もっと驚いた。
彼は生まれた時からイケメンで、親は名前までイケメンにしたのだろうか。
(え? 赤ちゃんのイケメンって何? 私、混乱してる?)
「それで、さっきの話に戻るけど、時給二千円で家政婦やらない?」
「え……、時給二千円! 私、家政婦なんてやったことないですよ。なんでそんなにくれるんですか? もう一度いいますけど、私の身元、知らないじゃないですか」
蓮はなるほど頷く。
「あんたが気に入ってた理由だが、一つあんたは俺を知らない。二つ、あんたは金がなくて困ってる。三つ、無職だから時間に融通がきく。四つ、とにかく地味で、みすぼらしい。この四点だ」
この橘という男はとんでもなく失礼な奴だというのは理解した。
しかし、時給二千は魅力だ。だが、まだ飛びつくわけには行かない。
(てか、なんて無職だとばれた?)
「私が無職だとして、橘さんの金品を奪ったり、売り飛ばしたり、盗撮したり、なんて心配はしないんですか?」
「もし、あんたが引き受けてくれるなら、家に入っていいのは俺がいる時で、鍵は絶対に渡さない。それから使っていいのは勝手口だけ。今着ているような小汚い恰好で来る。仕事は掃除と庭の草むしりだから」
(小汚い恰好だと?)
先ほどからかなりな暴言を吐かれているが、悪い話ではない。
「要するに、橘さんは人気俳優で週刊誌に写真を撮られると困るから、私のような芸能人を知らない人間に家政婦をしてほしいのですね」
「そういうことだ。どこかで信用できる家政婦を見つけるまでのつなぎということだ。悪い話ではないと思うが?」
冷静に考えると彼のいう通りいい条件だ。橘蓮はゴシップが怖いのだろう。
「確かに、良いお話ですね。 それで契約期間は?」
菜々緒はサクッと決めにかかる。
「それは新しい身元のしっかりとした家政婦が見つかるまでとしか言いようがない」
ならば、きっと一週間から一か月くらいのものだろうと菜々緒は推測する。
「お金がキャッシュで即日払いなら、お引き受けします」
「わかった。その代わり、だらだらと時間を潰して時給を稼ぐようなことをしたら、即刻首だからな」
蓮はいちいち癇に障る奴だが、顔だけはいい。ただし三次元なのが無念。
「わかりました。いつからですか?」
「とりあえず、今から廊下とリビングと、トイレと風呂掃除して」
さすが芸能人、無茶ぶりが半端ない。
「……私の家、この近くなんで、食品だけ冷蔵庫にしまってきていいですか?」
菜々緒の大切な三日分の相当の食糧が腐ってしまう。
「いいよ。三十分以内に戻ってきて。それから携帯番号教えて」
「え? ラインじゃだめですか?」
「だめ」
その日から、菜々緒は金持ちの家政婦になった。
その後、菜々緒が家で冷蔵庫に食材を閉まっていると、スマホが震えた。みると相手は非通知だ。
なんとなく予感がして菜々緒は電話に出る。
「おい、まだか? とりあえず汗を流したいから、風呂だけでも先に洗ってくれ」
なるほど、電話番号を知られたくないわけかと納得した。
そしてわがまま。
(風呂ぐらい自分でちゃちゃっと洗えばいいのに)
「なんで、私が非通知でも出るってわかってんですか?」
「そういうことろは、ずぼらそうな感じがした。あんたは口は達者でも間抜けそうなタイプだ」
一方的に通話はきられた。
「なんだ、こいつ? マジか」
菜々緒は時給二千円につられてしぶしぶ、蓮の家に向かった。
そして、勝手口から蓮の家に通され、風呂場に案内された菜々緒は叫ぶ。
「なっ! ジェットバスだとっ!」
(確かに人を雇いたくなるよね!)