毒の花に見惚れる
甲高い女の声が響き渡る。隣の部屋から悲鳴と物音が続き、底が抜けるのではないかと想像してしまうくらいの足音が聞こえてくる。
耳を塞いでいたタオルケットを蹴飛ばし、覚醒して間もない頭を力強く掻いた。
「近所迷惑にも程がある」
床に散らばっていた服を適当にかき集め、ありあわせのコーディネートでサンダルを履く。
かしこまる必要はない。どうせ一度怒鳴りつけたら部屋に戻る予定だ。
ちらりと壁に掛けた時計は朝五時を指している。こんな朝早く叩き起こされ、イラつかない人間がいるだろうか。
隣の住人の“草壁”と名乗ってきた男を思い出す。学生のまま大人になった頼りなさが印象的な男で、もごもごと喋るウザさに軽く睨んでやればそれ以降顔を見せなくなった。本当に気が弱ぇ。
中年のおっさんが朝から騒いでんじゃねぇよ。しかも女を部屋に連れ込んで。
蹴飛ばして玄関扉を開けると、丁度草壁が出てきていたのか、叫びながらこちらへ走り込んできた。
「三島く、」
「うぜぇんだよ!」
反射的に蹴り飛ばす。バネのように来た道へと戻る草壁を見るのは清々しかった。
朝から何騒いでんだよ。言葉を続けようとした時。視線の先に女が立っていることに気付いた。
真夏だというのに重厚なコートを着て、さらに蒸し暑さを助長するかのように黒で統一されたスーツを身に纏っている。
赤く染めているのか。鈍く光る髪色と相まった深紅の瞳が、野性的で狂気的な輝きを放っていて目を逸らせない。
女の瞳が動く。転がっていた草壁からゆっくりと俺に近づいた。
「“これでも”私の客なんだ。丁重に扱ってくれないかな」
女の唇が僅かに歪んだ。笑ったのだと悟った途端、背中から冷や汗が大量に流れる。
同時にもっと虐げてくれないかという、とんでもない願望が頭によぎる。
「君も困ったら連絡してくれて構わないよ。うちは他所より優しいよ」
美しい花がから毒を差し出される。受け取ったあとの最善の解毒方法は誰も知らないだろう。