原罪の少女(3/3)
「ちっ、こいつは骨が折れそうだ」
姫乃の上空。
薄暗い空に、強く輝きを放つ光の輪。
それに対し、善人は無数の白銀の槍を射出するも。
どれほどの強度なのか。ジョナサンたちを蹴散らしたその攻撃でさえ、光の輪には通用しない。
上空で、善人が単独、光の輪の破壊を目指す中。
姫乃タワーの最上階では。
「……」
「……」
怒れる魔王。ドロシー・バルバトスが、巨大な剣を黒羽えるに向けていた。
殺意が、もはや目に見えるような。その圧倒的なプレッシャーに、黒羽は呼吸すらままならない。
「輝夜は、どこ。どこに隠したの?」
「……お、落ち着いて。わた、わたしを殺しても、紅月さんは戻ってこないから。むしろ、わたしも彼女が居なくなった原因を知らないから」
浴びせられるプレッシャー。けれども、いま手を止めたら、暴走するシステムによって全ての遺物保有者が強制的に転移されてしまう。
ゆえに、手だけは止めない。
「今わたしを殺すと、かろうじて踏みとどまってるみんなが、あの光の輪に吸収されちゃう。だからお願い。せめて、殺すのは全てが終わった後にして」
「……」
恐れているのは、死そのものではない。暴走するシステムによる、未曾有の大惨事。それを止めようとする意志が、ドロシーの殺意を上回る。
周囲を見渡せば、宙に浮かび上がるジョナサンと。それを必死に引き留めようとする悪魔たち。
空では、善人が光の輪に対して熾烈な攻撃を続けていた。
それらの要素を、頭の中で整理して。
ようやくドロシーは、剣をおろした。
「……あの子の魔力。遺物との繋がりが感じられないの」
ドロシーを突き動かしていたのは、それだけの単純な理由。
「紅月さんが忽然と姿を消したのは、こっちでも把握してる。おかげで、色々とてんやわんやになってるから」
「そう」
「彼女が、どのタイミングで居なくなったのかは知らないけど。少なくとも、この街のシステムには彼女が転移を行った痕跡が残ってない。つまり、なにか超物理的な現象が起こったのか。あるいは、わたし達には認識できないほど、高度な力が働いたのか」
それを、見ていないのだから。いいや、たとえ見ていたとしても、おそらく理解は出来なかったであろう。
それほどの奇跡が、輝夜とリタの身に起こったのだから。
「他の連中は、下で風船ごっこしてて役に立たないし。どうやら、動けるのはわたしだけのようね」
「――いいや、わたし達もいる」
そう言って、姫乃タワーに現れたのは。
真紅のドレスに身を包んだ美女、魔王グレモリーと。
その契約者である少女、アリサ・エクスタインであった。
「うぅ……凄い魔力ばっかで、吐きそう」
「アリサ、凛としろ。今やお前も当事者だ」
魔王と、それを使役する少女という意味では、輝夜とドロシーの関係に似ているが。
どうやらこの2人の場合、主従関係のバランスがちぐはぐな様子。
「バルタ騎士団。あなた達は、全員遺物保有者のはず。なのにどうして、」
「動けるのか、だな?」
「え、ええ」
今現在、遺物を保有する者たちは、ほぼ例外なく、光の輪の引力によって吸収の危機にあるはず。
なにせ、紅月龍一でさえ、タワーのそばで風船のように弟子に引っ張られているのだから。
しかしアリサは、善人と同じように平然としていた。
「アリサの持つ遺物は、聖剣と呼ばれる特別な代物だ。太古の昔、当時の騎士たちによって幾重にも力を束ねられている」
アリサは、剣の形をしたネックレスを取り出すと。
光と共に、その形が変化。
輝ける聖剣として、その真なる姿を解放する。
「よかった。多分だけど、力は使えそう」
「……頼りないが。こいつは騎士団の”最大戦力”だ。本来は切り札として秘匿する予定だったが、どうやらその余裕は無さそうだ」
上空の光の輪を見つめながら、グレモリーはそうつぶやく。
アリサも、多少の怯えはあるようだが。力を行使する覚悟は出来ていた。
「なら、話は簡単ね。わたし達が全員で攻撃して、あの輪っかをブチ壊す。そうすれば、きっと輝夜も帰ってくるわ」
ドロシーはそう結論づけるも。
黒羽が待ったをかける。
「ちょっと待って。あの光の輪は、どんな物理攻撃でも破壊不可能なように設計されてる。それに現に今、花輪くんがずっと攻撃してるけど、まるでびくともしてないでしょ?」
「……確かに。あれほどの魔力量で、僅かな損傷すら確認できんとは。我々が攻撃に加わったとしても、焼け石に水か」
「そう。しかも、あれは遺物を吸収しようとしてる最中なんだよ。花輪くんやエクスタインさんは、たまたま影響を受けてないようだけど。何かのきっかけで吸収されたら、命の保証はできない」
黒羽とグレモリーは、そう冷静に判断するも。
ドロシーは、まっすぐと光の輪を見つめている。
「そうかしら。みんなのちからを、あわせれば? ちからはなんばいにも、とか。よく言うじゃない」
「そんな棒読みの言葉を聞かされても、何の説得力もないぞ」
「うん。そんなウォーズマン理論じゃ、あの光の輪は壊せない」
「むぅ」
ドロシーは引き下がるしかなかった。
「わたしが設定したせいでもあるけど。あの光の輪は、地下のジェネレーターから、最優先でエネルギー供給を受けるようになってる。たとえ、世界中から核攻撃を受けたとしても、あれは無傷で耐える」
「ならば、地下の発電設備を止められないのか? それが全ての土台になっているのだろう」
「それは、わたしには難しい。この街の電力を賄ってるのは、”AMコア”っていう未知なるテクノロジーなの。多分、開発者はニャルラトホテプ。彼女本人じゃないと、あのジェネレーターは止められない」
これは黒羽の計画というより、この街の構造上の問題であろう。
天才的な頭脳を有する彼女を持ってしても、手出しの出来ない領域はあった。
「なら破壊すればいい。電力が失われれば、この街の防衛機能もダウンするだろうが、アレが暴走するよりはマシだろう」
「それは絶対にダメ。わたしも、ジェネレーターの仕組みを完全には理解してないけど。あれは、原子炉を鼻で笑えるほどのパワーを有してる。この街全体に広がるラインと、防壁の構造、それと地下のエネルギー反応から察するに。……無理に破壊したら、姫乃を含めた周囲一帯に致死量のガンマ線が放射される」
「そうか。……それは、確かに不味いな」
街の地下に、そんな代物が存在している。
それを今まで、微塵も知らなかったという事実に、グレモリーは戦慄する。
彼女たちが、そんな話をしていると。
「――あぁ、もう。意味のないお喋りは大嫌い」
タワー全体が、激しく揺れるほど。
強烈な魔力の高まりが。
ドロシーの体より溢れ出す。
血染めの鎧を、内側から食い破るように。
隠されていた悪魔の尻尾が解放される。
「……尾が、七本? そんな悪魔が存在するなど、聞いたことが」
全力を解放するドロシーの姿に、グレモリーは驚きを隠せない。
仮にも、同じ魔王というカテゴリーではあるが。
魔王バルバトスの持つ魔力は、まるで桁違いであった。
「100%、フルパワーを叩き込むわ。それでもダメだったら、まぁ。……もう一回、フルパワーで攻撃してみる」
小難しい思考など不要とばかりに。
ただ一点、壊すべき対象を睨みつける。
「グレモリー、わたしの足場を作って。こんな脆い場所じゃ、全力で踏み込めない」
「……了解した」
圧倒的なまでの力。
もはやそれに頼るしか無い。
グレモリーは、自身に出せる最大級の魔力を持って、ドロシーの本気に耐えられるだけの足場を形成する。
すなわち、本気のバリアを。
「これが、わたしの出せる最大強度だ」
「わかった。じゃあ、遠慮なく踏ませてもらうわ」
半透明の魔力障壁の上に、ドロシーが立つ。
すでにその身は、破裂寸前の魔力爆弾にも見える。
「衝撃に備えなさい」
その一言を最後に。
ドロシーは、全力で空へと跳躍した。
まさに桁違いの魔力。
ただ足場に利用されただけだというのに、グレモリーの魔力障壁に無数のヒビが発生する。
「これが、同じ生物か」
グレモリーが、思わずそうつぶやいてしまうほど。
最強の悪魔、圧倒的暴力。
ドロシー・バルバトスが、地上より発射された。
「ッ、なんだ!?」
上空にいた善人は、刹那に死のビジョンを感じ。
光の輪から距離を取る。
眼下に映るのは、空間が歪むほどの強烈な力の塊。
それが生物であると、認識するのに僅かに時間がかかるほど。
「ありゃ、輝夜サンの」
魔王、ドロシー・バルバトス。
彼女が攻撃に来たのだと、善人も理解する。
凄まじい勢い、凄まじい覇気。
自分が標的ではないと分かっているものの、見ているだけで冷や汗が出る。
「あれが、最強か」
息を呑み、ただ見つめるだけ。
たとえ誰であろうと、それを止めることなど出来はしない。
渾身の力、渾身の魔力を、ドロシーは大剣へと集中させる。
「――ッ」
狙いは1つ。
その瞬間に、全てを込めて。
ドロシーの一撃が、光の輪へと衝突した。
衝撃が、街全体まで広がるほど。
大いなる力に、空間が悲鳴を上げる。
一人の悪魔が、己の全てをかけた一撃。
最強の一振り、だったのだが。
「……なるほど。確かに、死ぬほど硬いわね」
光の輪は、なおも健在。
破壊は叶わず。
文字通り、全てを出し切ったドロシーは、地上へと落下していく。
最強の悪魔、全力の一撃。
それを持ってなお、破壊することの出来ない物体。
目撃した誰もが、その現実に絶望する中。
「ッ」
善人が、全速力で光の輪へと飛翔する。
彼だけが、見逃さなかった。
光の輝きゆえに、ほとんど目に見えないものの。
攻撃がブチ当たったその箇所に、微かなヒビが入ったことに。
ここしかない、この一瞬しか無い。
そう自分を鼓舞するように、善人は全ての魔力を。
右手に持った、光の槍に込めて。
「――これで、終わりだ!!」
希望を、可能性を。
最後の最後に、叩き込んだ。
◆◇
声が聞こえる。
生きようとする声、続こうとする声。
世界の声、人の声が。
「掴んだぞ」
「そう。絶対に離さないで」
身の裂けるような、力の濁流。
決して抗うことの出来ない、世の理。
けれども、”漆黒の刀”はそれを切り裂いて、在るべき場所を目指す。
彼女たち2人を、本来の世界に導くように。
やがて光が、全てを覆い。
2人は、瓦礫の上に立っていた。
「……学校の校舎。そういえば、お前の攻撃で壊れたんだったな」
「後で直すから、勘弁してちょうだい」
魔女の攻撃によって崩れ去った、神楽坂高校の校舎の上。
瓦礫に立ちながら、2人は遙か先の”敵”を見る。
「わたしの知ってる未来と、随分と形状が違うな」
「そうね。でも、街が残ってるってことは、まだ間に合うってこと」
少女は刀を握る。
それが、託された想い、力だから。
「泣くのは終わりよ、輝夜。あなたが、未来を切り開くの」
「……あぁ」
溢れ出る、大粒の涙を拭って。
それでも前を向く。
「やるぞ、リタ」
「ええ、輝夜」
輝夜と、リタ。
遠い夢から、2人は帰還した。




