原罪の少女(2/3)
沈みゆく夕日と。
それに代わるように、輝ける光の輪が姫乃を照らす。
それはまるで、天使の輪のように。姫乃タワーの上空には、明らかなる超常現象が発生していた。
異常は、タワーだけではない。姫乃という街全体を包み込むように。街を守護する防壁に、見慣れない光のようなものが迸っている。
長きに渡る沈黙を終え。その儀式は、ようやく世界へと。世界を在るべき形に戻すべく、起動する。
そのはず、だったのだが。
『エラー、エラー。範囲内に規定量の遺物が確認できません。繰り返します、範囲内に――』
タワーの頂上部分に、機械音声が鳴り響く。儀式を停止させる、イレギュラーの手が。
その音を聞いて、悪魔の少女、アスタは笑みを浮かべる。
「僕たちだって、無策で今日を迎えるほど能天気じゃない。騎士団、そしてリタにも内緒で、色々と手を打ってあるんだよ」
「ふーん」
対する黒羽えるは、軽めの反応を。
まるで、意に介していないかのように。
「それって、あれかな? ロンギヌス、紅月龍一さんに協力してもらって、遺物を他の場所に転移させたとか」
「……君って、どこまで読んでるの?」
「別に。ただ、あらゆる可能性を考慮してるだけだよ」
黒羽えるは、何も特別なことはしていない。特別な力も持っていない。未来を読んだり、時間を弄ったり、他者に協力を得たり。
ただ、誰よりも考えてきただけ。
「誤解しないでほしいな。わたしがこんな大掛かりな儀式を起こせたのも、あなた達を巻き込むことが出来たのも。全部、この”姫乃”という土地のおかげなんだよ」
「姫乃のおかげ?」
「そう。なぜかというと、この街はかの天才、ニャルラトホテプが世に残した、”最後の作品”だから」
姫乃タワーの頭上に輝く、光の輪。街全体を巡る強大な魔力。
儀式が特別なのではない。この街が、儀式を特別にしている。
「死亡説の流れている天才、ニャルラトホテプ。かの悪魔が世にもたらした発明は数多くあるけど、その中でもこの街は、とびっきりに優れてる。なにせ、わたし一人の力で、こんな儀式を行えるんだから」
この街に暮らす人々の中で、どれだけの者が気づいているのだろう。
自分たちを守護する姫乃という土地の、真の姿を。
「外部からの転移を阻害する特殊なフィールド。エリア内で活動する全ての魔力を感知するセンサー。物理的防御としても機能する周囲の外壁。どれも優れたテクノロジーだけど、それはこの街のシステムのほんの一部に過ぎない」
ただ1人。
黒羽えるという少女だけが、この街の真の姿に気づいていた。
「多分、完成を前にして、開発者のニャルラトホテプが居なくなちゃったせいかな? この街のシステムの大部分が封印されていて、本来なら管理者であるはずの紅月龍一でさえ、それを紐解く権限を有してない。だから、わたしみたいな人間に悪用されちゃうんだよ」
今やこの姫乃は、黒羽えるの手中にある。
ゆえに、この街を基盤とするソロモンの夜は、まるで万能のプログラムのように機能する。
『フェイルオーバー。設定された時刻より、あらゆる空間転移の履歴を算出。探知可能な領域より、逆転移を実施します』
システムに呼応するかのように、光の輪が輝き。
大いなる力が発動。
雷鳴のような音とともに、2つの物体が姫乃タワーへと出現した。
現れたのは、2つの小さな箱。
そのうちの1つが、黒羽の手元へとやってくる。
「まぁ、確認する必要はないけど。一応、ね」
そう言って、黒羽が箱を開けると。
そこには無数の指輪。遺物が収納されていた。
「……嘘だ」
信じられない現象に、アスタは愕然とする。
「まぁ、賢明な判断だと思うよ。もし、わたしがそっち側だったとしても、多分似たようなことを考えるから」
その瞳は、憐れむように。
けれども黒羽は、容赦しない。
「片方の箱は魔界へ、もう片方は衛星軌道上に。確かに、それだけ離れた場所に移動させれば、儀式の対象から除外できると考えるよね。でも、残念。この街のシステムは優秀だから。物の出入りなんかは、いくらでも痕跡を追えちゃうんだ」
この儀式、ソロモンの夜は止められない。どんな手を使っても、どんなルール違反を犯しても。
すでに、”王手”がかけられているのだから。
「特に、転移は一番の悪手だよ。転移を掌握しているのは、こっち側なんだから」
黒羽はスマートフォンを取り出すと。画面に映る一覧の中から、1つの名前を選択。
強制コマンドを入力する。
「こんなことだって出来る」
狙われたのは、ジョナサン・グレニスター。
「ランダムエンチャント。ループ、ゼロカウント」
黒羽がそう唱えた瞬間。
ジョナサンの姿が、跡形もなく消失した。
「――ジョン!!」
アスタが声を上げる。
何も出来ないほど、それは一瞬の出来事で。
すると、先程まで彼がいた場所へ。
再び、ジョナサンの姿が出現する。
「なっ」
本人も、自分の身に何が起きているのか理解できていない様子で。
再び消え、現れ。
消えて、現れて、消えて、現れてを繰り返す。
「ちょっと、何が起こってるの?」
「ふふ、ちょっとしたイタズラだよ」
黒羽が再びスマホを操作すると。
ジョナサンの転移ループは終了した。
「見ての通り、この街には力がある。そしてわたしは、その運営システムを掌握してる。潤沢なエネルギーを利用すれば、他人への強制的な転移すら可能だからね」
「これが全部、街の機能だって?」
「まぁ、確かに本来の使い方じゃないけど。ほんの少し仕組みを弄くれば、いくらでも応用が利くから。もしもあなた達が、この街の外に逃げたとしても、儀式からは逃れられない」
黒羽が今行ったのは、単なるデモンストレーション。
すでにその機能は、儀式そのものにプログラムされていた。
「王手をかけたのは、あなた達。あなた達がこの街に来なければ、儀式は永遠に起動しなかったのにね」
ソロモンの夜の起動には、一定量の遺物が必要となる。輝夜やバルタの騎士たちの持つ遺物も相当な量だが。それでも、儀式の起動には僅かながら足りていなかった。
けれども、ジョナサンたちがやって来たことで、条件は揃ってしまった。
すでに、終わりは始まっていた。
「わたし達が、こうやって無駄話をしてても、儀式には何一つ影響しない。完全にプログラム化されて、どんなイレギュラーも許さない」
黒羽えるにとって、これは全て無意味なこと。
大切なプロセスでも、最後の戦いでもない。
ただのエピローグ。
あまりにも長過ぎた時間の。
ただのプロローグ。
本来、在るべき物語の――
『エラー、エラー。範囲内に規定量の遺物が確認できません。繰り返します、範囲内に――』
「……うん?」
再び流れ出す、システム音声。
それに黒羽は、疑問符を。
『スキャン範囲を、地球全域、及び魔界まで拡大します』
異常を修正するべく、天上の光の輪が輝きを増す。
儀式は絶対に止まらない。
だがしかし、
『エラー、エラー。特定ターゲット、紅月輝夜の存在が確認できません。ターゲットの現在位置、及び保有する遺物が見当たりません。このままでは、プログラムの起動が不可能です』
「んん!?!?」
エラーを吐き出し続けるシステムに対して、黒羽は戸惑いの表情を隠せない。
「どういうこと? 紅月さんが、存在しない? この地球上に?」
遺物を隠すだろうとは、黒羽もあらかじめ予想はしていた。
物理的に遠い場所、魔界という別の領域。それに加えて、探知されないように様々な隠蔽工作を行うだろうと。
だがしかし、それを暴くだけの力が、この姫乃という街には存在する。
たとえ月の裏側まで逃げたとしても。ニャルラトホテプの残したテクノロジーなら、それを捉えきれると。
『出力最大。地球圏、及び存在の予想される”あらゆる異界”へのスキャンを実施。……失敗。対象の反応を確認できず』
けれども、現に今。
システムを持ってしても、捕捉不可能なイレギュラーが発生していた。
「完全に消えるなんて、有り得ない。……まさか、太陽にでも突っ込んだ? 確かに太陽の熱量なら、遺物を存在ごと抹消できる可能性が。…………いや、いくら彼女でも、それは流石に」
予想外の展開に、黒羽は頭を抱える。
姫乃のシステムでも行方を追えないのであれば、もはや手の施しようがない。
「まいったなぁ。まさかあなたが、一番のイレギュラーだったなんて」
儀式を中断された。
長年に渡って練ってきた計画を邪魔されたというのに。
黒羽の表情には、どこか嬉しさのようなものが滲んでいた。
「なんで、止めちゃうかな。わたしで、終わりにしないといけないのに。間違った世界を、正しい形に戻さないといけないのに」
左目から、涙が溢れる。
それは一体、誰の感情なのか。
「不可能を可能にできるなら。いっそのこと、わたしのことも……」
淡い願いを、つい口に。
そんなさなか、
姫乃タワーの上空。輝ける光輪は、今まで通り。
いや、今まで以上に力を増して。
【縺、繧峨∪縺ェ縺�∵怙蠕後∪縺ァ繧�l】
小さなノイズが、システムを駆け巡る。
『データの破損を確認。復元を実行します』
それは内部にて、人知れず。
『――了承』
歪んだ儀式が、動き出そうとしていた。
◇
戦いの手を止めて。
花輪善人と、ジョナサン・グレニスターの一派がタワー最上階へと集結する。
争う意味が消えたのだと、黒羽やアスタの様子が物語っていた。
「紅月輝夜。まさか、あえて作戦から除外してた彼女が、儀式を止めることになるなんて」
儀式の止まった理由を黒羽から聞いたのか。
アスタがそうつぶやく。
「それで、これからどうする?」
「うーん。相変わらず、リタや他のメンバーとは連絡が出来ないし。このまま彼女を監視しながら、待つって感じかな」
戦いは終わった。
破滅をもたらす儀式は止まったのだから。
誰もがそう認識する。
ジョナサンも、アスタも。仕掛け人である黒羽でさえも。
そんな中、
「なぁ、黒羽。あの光の輪っかは、いつになったら消えるんだ?」
空を見上げて、善人がつぶやく。
この儀式を象徴する、姫乃タワー上空の光の輪。
それが未だに、形を保っているのだから。
「……儀式の失敗は、予想してなかったけど。あのヘイローは、目的を失ったら自然と消滅するはず。儀式が完了するまでは、単なるエネルギーの塊でしかないから」
「そうか」
全て消えて、元通り。
そのはず、なのだが。
「その割には、あいつかなり元気じゃないか?」
「え?」
その言葉に、黒羽は空を見上げて。
理解不能な光景に、言葉を失う。
光の輪は、なおも上空に健在で。
中心には、ブラックホールのような深い闇が発生していた。
「いったい、なにが」
黒羽はスマホを取り出して、システムの現状を確認する。
「新たなるプランの立案? プログラムが、勝手に? 現時点での強制接収コマンドを実行?」
あり得ないことが起きている。
必要条件を満たしていないはずなのに。システムが勝手に判断し、儀式の再起動を行っていた。
「成功確率、34%って。話になる水準じゃない。プログラムを停止させないと」
看過できない現象に、強制終了をかける黒羽であったが。
『却下します。あなたに、本プラグラムへの命令権はありません』
「ちょっと。こんな時に限って、律儀に機能しないでよ」
用意周到な計画。自分自身でさえ、儀式を止められないように。
掌握していたはずのシステムが、黒羽の手から離れ始める。
儀式は、最終局面へ。
「ちょっと、ジョン! 浮いてるって!」
「……なんだ、これは」
ジョナサンの体が、宙に浮かび始める。
まるで、何かに引かれるように。
「ダメ、ヘイローが遺物の吸収を初めた。全部飲み込もうとしてる」
光の輪の中心。
漆黒の闇が、遺物を取り込むべく動き出す。
無論、対象はジョナサンだけではない。
この街に存在する、全ての遺物保有者が、その引力に引き付けられる。
「あれに吸収されないように、みんな引っ張って! 転移による一発アウトは、わたしの方で食い止めるから」
システムは、完全に牙を剥いた。
空間転移という最悪の手段を行使されないよう、黒羽はシステム妨害へと行動を移す。
こんな形での儀式の完遂は、黒羽の望むものではない。
「おい、黒羽。仮に、あの輪っかに遺物が吸収されると、最終的にどうなるんだ?」
善人が尋ねる。
「そう、だね。現状の確率からして、ほぼ間違いなく結合は失敗するから。まぁ、諸々合わせて、この街が跡形もなく吹き飛ぶかも」
「冗談だろ」
「……本当、そうだよね。こうならないよう、しっかりとプログラムしたはずなのに。いくらイレギュラーが起きたからって、その条件を無視するなんて」
あり得ないこと。イレギュラーとは、こうも重なるものなのか。
黒羽は必死にシステムを取り返そうとするも、強固なプロテクトによって阻まれてしまい。
そのそばでは、空に連れて行かれそうなジョナサンを、契約悪魔たちが総出で食い止めていた。
「ヤバいヤバいヤバい! みんな踏ん張って!」
「くっ。自分ではどうしようもないのが、こうも辛いとは」
所持している遺物が多いせいか。
レヴィ、アスタ、アラクネが必死に引っ張って、ようやくという形で。
見かねたアミーも、ジョナサンの救援に入っていた。
同様の現象が、おそらく姫乃の各地で起きているのだろう。
それほどまでに、光の輪の力は強大であった。
しかし、そんな中。
「……えっと。花輪くんは、大丈夫なの?」
「うん? あぁ、そうだな。俺は問題ない」
善人は、ジョナサンとは打って変わり、平然とした様子で地面に立っていた。
彼の指には、紛れもなく王の指輪が存在するのだが。
引き付けられる気配すら感じられない。
「まぁ、俺の指輪はそんなに大きくないからな。輝夜サンのイヤリングだったら、多分ヤバかったぜ」
「えーっと、うん。そういう問題、なのかな」
何か、間違っているような気がするが。
この非常事態では、黒羽も意識が及ばず。
「そもそも、あの輪っかを破壊すれば、全部解決するんじゃないのか?」
善人は空を見上げ、そう言葉を放つ。
けれども、世の中そう上手くはいかない。
「あのヘイローは、理論上どんな物理攻撃でも破壊できない。そういうふうに、わたしが設計したから」
全てを仕組んだがゆえに、理解が出来ている。
どんなに圧倒的な力。たとえ、核ミサイルの直撃を受けようとも、絶対に壊れないように光の輪は設計されている。
「――だが、世の中に絶対は無いだろう?」
それでもなお、善人は不敵に笑う。
その身に、魔力を。美しき天使の翼が、彼の左肩に具現化する。
「俺が、全部ぶっ潰す」
これが、正しい行いである。
人として、1人の男として。
もしも、この場に彼女がいれば、きっと同じような言葉を発しただろう。
そう信じているから。
片翼の天使は、空を目指して飛翔した。




