巡り廻り
感想等、ありがとうございます。
時折、わたしは夢を見る。
過去の記憶。目にした光景や、耳にした言葉。
でも、それはわたしの記憶ではない。
遠い、遠い昔。
この星の支配者が、2度変わる前のこと。
1人の少年が、草原にて世界を見渡していた。
小さな国の、小さな人間。それゆえ、目の届く範囲などたかが知れており、100人にも満たない人の営みが見えるだけ。
見えるのは、石を運ぶ男たち。女や子供は、水と食物を練っている。
昨日も今日も明日も、このまま変わらない日々が続いていく。
少年には、それが分かっていた。
自らも身に着ける布の服や、寝床である石の建物。
人の造りし物は有るが、未だに多くが自然に敵わない。
食って、生きるために、人々は晴れや雨に一喜一憂するだろう。
激しい嵐には、為す術もなく荒らされてしまうだろう。
獰猛な獣は、生活を脅かす敵となり得る。
少年は見る、遙か先の未来を。
今より何百年も先、人々がより栄え、自然にも打ち勝つ日を。
けれどもそれは、今ではない。この繁栄の速度では、いくつもの世代を経なければならない。
天と地の狭間で、少年は悟る。
自らに課せられた、星からの使命を。
――ソロモンさま。こんなところで何を?
それは、夜明け前。
この星に革新が起こる、黄金の時代の始まり。
◆◇ 巡り廻り ◇◆
宝具の輝きが、姫乃の空を微かに照らし。
それと同時に、紅月輝夜の契約悪魔たちは、一斉に遺物とのリンクが途切れた。
「ッ」
紅月龍一、ウルフという猛者を、たった1人で抑えていたドロシーも、その異変には驚きを隠しきれず。
同時に降り注ぐ、”月からの圧”に、魔王である彼女の肉体も悲鳴を上げる。
すると、
『異常を検知。バルバトス様の生命維持のため、BAパッケージを起動します』
そんな音声が聞こえた後。
ドロシーの身体を、膨大な血と魔力が覆い。
彼女専用に調節された、地上戦闘用の血の鎧、BAパッケージが展開される。
「……」
突如起動した、特注の戦闘ドレス。
ドレシーはそれに驚きつつも、何よりも気になるのは”直前の感覚”。
自身に流れる魔力を感じて、実感する。
自らの主、輝夜との繋がりが切れていることに。
「BAパッケージ? てことはあいつ、今から本気出すのか?」
「……いいや、違う」
ウルフの言葉を、龍一は冷静に否定する。
そもそも、BAパッケージというのは、悪魔が月の呪いを遮るために開発した、地上戦闘用のシステムである。人間よりも月の呪いの影響を受けやすい悪魔は、そもそも生身の状態ではまともに活動することすらできない。
けれどもそれは、一般的な悪魔の話。
遺物、王の指輪によって地上に召喚された悪魔は、遺物の効果によって月の呪いを無力化できる。
よって、結局は防護服でしかないBAパッケージを、わざわざ展開する必要はない。
ドロシーは、冷静に。
武器である大剣を収め、攻撃的な魔力を沈める。
「輝夜の身に、何か起きたみたい。ここは戦いを止めましょう」
あくまでも、両者は異なる信念のために、その力を衝突させていたに過ぎない。
異常事態が起これば、もはや戦う意味はない。
両者互いに、輝夜の味方なのだから。
◇
場所は変わって、姫乃の河川敷。
ここでは、”混乱するバルタ騎士団”と、残る輝夜の契約悪魔たちが戦闘を繰り広げていた。
「うおぉぉ!! テメェら!! 本心じゃねぇんだが、あいつのために死んでくれ!!」
「おいおいマスター。いい感じにイカれてんじゃねーか!!」
混乱の原因となっているのは、バルタの騎士が1人、マドレーヌ・クライン。
彼女と、その契約悪魔であるウヴァルは、あろうことか敵側につき、仲間であるはずのバルタの騎士に攻撃を仕掛けていた。
「マドレーヌちゃん!? どうして。こんなタイミングで裏切るなんて」
「アリサ、しっかりと剣を握れ。どうやら手加減する気はなさそうだ」
騎士団のリーダー、アリサも動揺を隠せない。
その契約悪魔にして、魔王であるグレモリーも、表面上は冷静ながら、この予想外の展開に対応が遅れていた。
(このままでは、マズいな)
これは、大義のための戦いである。
人と悪魔の世界を壊しかねない儀式、ソロモンの夜を止めるために。
未来を知るという魔女、リタ・ロンギヌスの言葉を信じるならば。ここで儀式を止めなければ、騎士団はおろか、この街に暮らす全ての人々の命が失われてしまう。
そのために、首謀者とされる少女、黒羽えるの排除を行うのが、バルタの騎士に与えられた役割である。
まず、騎士団に立ちはだかったのは、紅月輝夜の契約悪魔たち。
ガラの悪い、男3人衆である。
これだけならば、騎士団にとってさしたる障害ではなかった。こちら側には、現役魔王であるグレモリーに加え、それ以上の魔力を持つウヴァルの存在もある。
魔王バルバトスさえ居なければ、輝夜の契約悪魔たちは大した集団ではない。
そのはず、だったのだが。
――わりーな、テメェら。
戦闘が始まる直前。問題児であるマドレーヌが、突如として敵側に寝返った。
確かにマドレーヌは、この街に来て早々、紅月輝夜を襲撃するという暴挙に出るなど、性格に難を抱えた少女ではある。
だがしかし、まがりなりにも彼女は、アリサをリーダーと認めた、騎士団のれっきとした仲間である。
このような真剣な場において、冗談で裏切るようなバカではない。
――マスターが裏切るなら、俺も張り切らねぇとなぁ。
契約悪魔であるウヴァルは、戦えれば何でも良いという単純な性格である。
マドレーヌとウヴァル。魔王級の戦力が、突如として敵側に寝返ったことで、戦いは最悪の形で幕を開けた。
紅月輝夜の契約悪魔と、裏切ったマドレーヌたち。
敵の数は、合わせて5人。
対するこちらは、残った4人の騎士と、その契約悪魔たち。
単純に、戦力としては8人となる。
だがしかし、突然の寝返りによる衝撃と、マドレーヌ相手に本気では戦えないという状況から、戦力は拮抗。
むしろ精神面では、数で勝るこちら側が押され気味であった。
(……魔女からの念話によれば、他所でも問題が起きているはず。このままでは、黒羽えるの排除が間に合わない)
まるで、こちらの動きを見透かすかのように、同時多発的に妨害が行われている。
未来を知る魔女。リタすらも手玉に取る、敵側の動き。
それにどう対処するべきか。
悩むグレモリーであったが。
――突如として、敵である紅月輝夜の悪魔たちが、その場でもがき苦しみ出した。
微かに漏れる、赤い粒子。
月の呪いによって生じる、肉体と精神の破壊である。
「なっ、何が」
「ぐっ」
「い、いでぇよぉ」
魔王であるドロシーとは違い、彼らは非常用のBAパッケージを所持していなかった。
そもそも、遺物による契約がある以上、無警戒で当然なのだが。
主との繋がりを失い。地上に取り残された彼らは、月の呪いに抗う手段を持たない。
苦しみ、死んでいくのみ。
「……まったく、イレギュラーが過ぎるぞ」
とはいえ、彼らを黙って見殺しにするほど、魔王グレモリーは非情にはなれず。
最悪に備えて用意していた結界魔法を発動。
輝夜の契約悪魔である、カノン、アトム、ゴレムの3人を月の呪いから保護した。
突然のリンク切れを受けて。
流石に3人も、グレモリーたちに逆らうような真似はしない。
「さて。生殺与奪が、こちらの手にある以上。どういう意図で我々の邪魔をするのか、説明してもらえるな?」
こちらの魔法がなければ、カノンたちはこの場で野垂れ死ぬしかない。
ゆえに、もはや勝敗は決したようなものだったのだが。
「アリサちゃん! もう戦いは止めようよ!」
「うるせぇ! 下剋上だコラァ!!」
「……あっちは、変わらないのか」
紅月輝夜の消失により、契約悪魔たちはその影響を失った。
だがしかし、根本的に別の力で縛られているマドレーヌには、まるで変化は無いようで。
マドレーヌとウヴァルを止めるべく、バルタ騎士団はさらなる足止めを余儀なくされた。
◆
時を同じくして。
姫乃の中心、姫乃タワー。
ロンギヌスの日本支部が存在し、本来であればこの街でも特にセキュリティの高い建物であろう。
だがしかし、今この瞬間においては違うようで。
黒羽えるは、堂々とタワーの中を歩いていた。
彼女の手によって、システムが掌握されているのか。セキュリティは機能しておらず、彼女の意のままに扉が開いていく。
その後ろを、花輪善人とアミーの2人が。人気のない不気味な雰囲気に、困惑している様子だった。
「……ここまで妨害がないなんて。紅月さんは、どんな手品を使ったのかな」
そんな言葉をつぶやきながら、黒羽えるはエレベーターへ。
最上階へのボタンを押した。
「セキュリティを逆手に取って、邪魔者を足止めする予定だったけど。これなら、予定通りに儀式を進められる」
「……」
ソロモンの夜。世界中の遺物保有者を巻き込んだ、大規模な事象。
一通のメールから始まり、多くの争い、多くの人の命すら奪った。
この、たった1人の少女の手によって。
「なぁ、黒羽。このソロモンの夜ってのは、お前1人で計画したのか?」
「そうだね。わたしは、最初から最後まで1人だよ。あなた達がこうやって同行してるのが、一番のイレギュラーかも」
「そいつは悪かったな」
善人とアミーは、黒羽の身を守るのが役割である。
ただ、輝夜に頼まれただけ。他に複雑な理由など存在しない。
「こんな場所まで来て。そんで、儀式とやらをやって。一体何が変わるんだ?」
「さぁ、どうなんだろう」
ソロモンの夜、大いなる儀式。
その果てに何が起きるのか。首謀者である黒羽ですら、正確に把握していなかった。
一階から最上階まで。
エレベーターは静かに、運命を導いていく。
「花輪くんは、生まれ変わりって信じる?」
「……急に、どうしたんだ?」
最上階まで到達。
けれども黒羽は、エレベーターから降りない。
踏み出せば、もう戻れないのだから。
「輪廻転生。同じ魂が、名前を変え、姿を変えて。何度も何度も、生と死を繰り返す」
「異世界転生的な話じゃ、なさそうだな」
「……」
黒羽と善人の対話を、アミーは静かに見届ける。
彼女から”こぼれ落ちる言葉”が、きっと重要なことなのだから。
「この世界はね、大きな循環の輪で成り立ってるんだ。死んだ人間の魂は洗われて、真っ白な新しい生命に。それがきっと、世の中の大半を占めてる。――でも、わたしは違った」
普通の少女として、生きられない理由。
なぜ、彼女はこのような出来事を起こしたのか。
「100万回生きた猫、わたしはあれと同じ。神さまが洗い残した、薄汚いシミ」
「黒羽?」
「でもこれが、きっと最後の人生になる。今日、ここで、2000年の旅路が終わりを迎える」
言葉は、十分過ぎるほどに呟いた。
覚悟はもう出来ている。
ほんの少しの余白を経て、黒羽は一歩を踏み出した。
◇
腕時計の針は、午後6時を刻み、通り過ぎる。
黒羽はもう時計を見ない。
もはや、その必要が無くなった。
「――約束の時間だ。ごめんね、紅月さん。あなたが何をしようとしていたのかは知らないけど。儀式は予定通り、始めさせてもらうね」
時が来たことで、姫乃の街に異変が。
姫乃タワーを中心に、街全体が魔力の膜に覆われる。
これが、儀式の始まり。
世界を変える、大いなる力の誕生。
だがしかし、
「――そうはさせない」
静寂を破って。
姫乃タワー最上部に現れたのは。
無数の剣と、それを操る1人の王。
ジョナサン・グレニスターが、運命の場へと到達した。




