インターネットがなかった頃、僕は
小学校6年生ぐらいの頃だ。
その頃、毎晩のように親父が恐ろしい顔をして、僕のパンツを下ろしにやって来た。
その太くて黒い指で僕のチンポを握り、もう片方の手で強くチンポの皮を剥こうとして来るのだ。
僕はただ恐ろしくて、痛くて、親父が何か言っていたがそんなことはまったく覚えてなくて、ただ恐ろしくて、痛くて、親父のことがそれ以来恐怖の対象となった。
何しろ何をされているのかわからなかったから、注射をされる低学年の子よりも僕は暴れ、泣いて抵抗した。
親父が何度も諦めて、疲れ果てて部屋を出て行ったのを覚えている。
かくして僕は、真性包茎のまま高校生になった。
インターネットはもうこの世にあったかもしれない。でも僕の家にはなかった。そんな頃だから、僕はチンポの真の姿を知らなかった。萎れている時はさなぎのように中に本体を隠していて、先っちょがいつもなんだかべとべとしてて、なめくじのようでもあった。
今では後悔している。しかしどうにかなるものではない。
あの頃インターネットがあったなら、僕はきっと、毎日のように無修正のエロい動画を見て、チンポの真の姿などとっくに知っていたことだろう。
今では後悔している。しかしどうにかなるものでもない。
一つだけ言えること。それは、昔は様々な、人間が隠しておきたいものが隠されていたということだ。
チンポも、マンコも、人間の生きる意味も。
しかしそれでも我々の世界は、いまだに開けっ広げではない。
いまだに、様々なものが隠されているのだ。
なぜ、公衆の面前をチンポを堂々と出して歩く人はいないのだろう?
なぜ、チンポと堂々と書いてもそれほど咎められないのに、マンコは堂々と書けないのだろう?
なぜ、少年に、人間にだけは、すべての動物のなかで唯一、生きる意味があるなどと教えるのだろう?
インターネットで検索してもわからなかった。
誰か教えてほしい。