嫌われる絵のその後
絵を描くのをぱたりとやめたのは10数年前のことになる。
何があったのか? 何か決定的なことがあったというわけではない。ただやめた。もういい、と思った。
確かそのころ、金をもらってイラストを商品として描いた。それが多分最後に描いた絵だった。個人的な口利きで貰った仕事。それでなんだか嫌になったんだろうなと思う。
何度もリテイクされたとか、できにケチをつけられたとかそういうことは一切ない。普通に期日までに納品して常識の範囲内での直しがあってお金も貰って、非常にスムーズに終わった。金をもらって絵を描いたのは5年ぶりくらいだった。色々な兼ね合いで、私のような無名の絵描きとしては破格も破格、20ページほどの冊子の全カット作成だったが、10万を超える金額だった。
それでうんざりしたのはある。こんな金を貰えるほどうまくない。昔、登録された絵師ならワンカット3500円からイラストを受けるイラストレーター登録サイトに登録しようとしたことがあるが、審査で落とされた。そんな私がこんな金額で受けていい仕事ではなかった。
今思えば自己嫌悪だったのか。それからすっと絵を描くのをやめた。描きたいとすら思わなくなった。
でも驚いたことに、絵を描いていた時に生まれたキャラクターたちは生き続けていたらしい。
2020年の6月にある漫画を読んで、いきなりその眠っていたキャラクターたちが起き上がり自分たちの物語を語り始めたのだった。それはまるで映画みたいに脳みその中に繰り広げられ、小説にするのに何の苦労もなかった。ひたすら楽しかった。ただここに来てまだ絵を描こうと言う気はなかった。画材もない。書いた小説すら、私のスマホの中にファイルされるだけで、公開するつもりもなかった。
完結した小説が3作、長編で30万字ほど書いたものが一作になった時、スマホが見当たらなくなったことがあった。これはぞっとした。「今スマホをなくしたり壊したら小説も消えてしまう」と実感した。
それでスマホが見つかってから、web小説としてどこかにアップしておこうと考えて、アプリがあって使いやすそうだったある投稿サイトに投稿を始めた。このサイトは小説に表紙を付けることができた。そして表紙がない時に代わりにつくアイコンがどうしても好きになれなかった。このアイコンを自分の小説の横に付けておきたくない。どうしても。どうしてもだ。
しょうがない。自分で描こう。描けるはずだ。もう何年も描いてないからと言って、腕がもげたわけじゃないんだから。
久々に紙に描くと、絶望的だった。恐ろしく下手くそだった。何もかもままならない。脳みその中にある何一つ満足に出力できない。10年以上前の自分がすでにかつて出力している人々を、なぜこうも描けないのか。
でも同時に、そのままならなさ、それでもなお不意に現れる自分以外の意思が働いたような造形、同じようには二度と描けないであろう陰影に、面白さを感じないわけにはいかなかった。
頭の中にあるものと自分の指が出力し得るもののギャップにのたうち回りながら、それが形を成していくのを待たずにはいられなかった。この別な世界にとっぷりと捕まって、海の底でただ向き合っているような感覚を思い出した。
それで、また絵を描いている。
※10何年ぶりに絵を描くのを再開したばかりの頃の絵。2021年2月ごろ。
※2022年4月の絵