同姓同名連続殺人事件
『ニュース速報です。先ほど宮城県仙台市のゴミ処理施設場にて、先週から行方不明となっていた田中実さんの遺体が発見されました。首には何者かによってロープで絞められた跡が残っていることから、警察は同姓同名連続殺人事件との関連性を含めて捜査を進めている模様です』
テレビに映し出された昼間のワイドショー。アナウンサーが突然入ってきたニュース原稿を淡々と読み上げていく。横に立っていた司会者が同姓同名連続殺人事件について簡単な感想を述べ、さっきまで取り扱っていた新興宗教団体のスキャンダルの話題へ戻っていく。そのニュース速報に対し、警視庁捜査一課の休憩室でテレビを視聴していた俺は、声にならない呻き声を上げる。これでもう75人目ですね。横に座っていた同僚の竹内が疲れ切った声で俺に話しかけてくる。
「犯人のターゲットは田中実という名前の人間だって言うことは日本国民全員が知ってることなんだぞ。それなのに、なんでこうも簡単に殺されちまうんだ」
「昨日見つかった田中実さんに関して言えば、宮城県警の初動が遅れて、注意喚起が通達されていなかったようです。ですが、自分が殺されるかもしれないと分かったところで、殺されずに済んでたかと言われると微妙ですけどね。何せ相手は、手がかり一つ残さず、これだけの人を殺してる謎の犯罪組織なんですから」
竹内の言葉に俺は腕を組み、眉間に皺を寄せた。同姓同名連続殺人事件。一ヶ月という短い期間の間に、70名以上の人間が誰かの手によって殺されるという戦後最大の殺人事件。殺害方法も、殺害場所も、殺害日時もバラバラ。共通していることは一つ。被害者が『田中実』という名前をしているということだけ。
これだけ短い時間にこれだけの人間を一人で殺すのは不可能である以上、組織的な犯行だということは確定している。しかし、それ以外に俺たちがわかっていることはない。全国に張り巡らされた情報網を駆使してもなお、警察は犯罪組織につながる手がかりを何一つ掴めていない。犯人像も、犯行組織の規模も、そして何より、なぜ彼らは『田中実』という名前の人間を殺して回っているのかという動機も。
「対策本部でも色々議論されてますが、どうして田中実という名前の人間が殺されてるんでしょう。特別な名前ってわけでもないし、しかも同じような名前の人がうじゃうじゃいるのに」
「ああ、そうだな。それが一番の謎だ。テレビじゃ過去に同姓同名の人間に酷い目に遭わされた人間による復讐だと言ってるが、そんなことは考えられないな。あまりにも手口が巧妙だし、素人がやってるとは到底思えない。それにだ、いくら酷い目に遭わされたからって、同じ名前の人間を皆殺しにしてやろうだなんて普通考えるか?」
「坊主にくけりゃ袈裟まで憎いって言いますしね。それに、普通の思考を持った人間ならそもそもこんな連続殺人事件なんておかしませんよ。だけどまあ、警察も無能じゃないですしね。70人以上の人間を殺しておいて、犯人一人捕まらないなんてありえませんよ。そのうち我々の手によってあっさり捕まるとは思いますけどね」
俺たちが話してる所へ、同じく連続殺人事件対策本部チームに入れられている本庄がやってくる。何を話してるんだ? 本庄の問いかけに、竹内がちょうど同姓同名連続殺人事件の話をしてたんですと答える。すると、本庄はテレビへ視線をちらりと送った後で、顔色一つ変えずに俺たちに告げる。
「この後の対策本部で改めて報告されると思うが、先に教えてやるよ。ついさっき、全国規模で実施されていた調査の報告書が上がって来たんだ。その報告書には、この数年にわたって『田中実』という名前の人間の不審死や事故死が大量に存在していたということが書かれていた。……この意味はもちろんわかるよな?」
俺と竹内が顔を見合わせる。そして、本庄の言っている調査結果の意味を理解した瞬間、俺たちの血の気が引いていく。その不審死と事故死の件数はどれだけあるんだ? 俺が恐る恐る尋ねると、本庄はためらいがちにこう教えてくれた。
「この数年で発見された『田中実』という名前の不審死と事故死の件数は全国で672件。つまり、警察が他殺だと認定した75件を加えると、この数年間で奴らは747人の『田中実』さんを殺したということになる」
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同姓同名連続殺人事件がこの一ヶ月で起きていたものではなく、数年にわたって行われていたこと。そして、その被害者の数がとんでもない数字であること。この事実がマスコミを通じて世間へ知れ渡った瞬間、警察関係者および全国の田中実氏に激震が走った。テレビはこのセンシティブな話題を連日のように取り上げ、犯行を野放しにしていた警察に対する激しいバッシングが行われた。
確かにこの数年間もの間、数多くの犠牲者を出してしまった警察の責任は重い。警察および日本政府はこの連続殺人事件を止めるため、総力を挙げ、犯人の確保及び全国の『田中実』氏の保護に当たった。今まで見過ごされていた事件の再検証や遺体発見現場の再調査が全国的に展開され、犯行が行われた街に設置されていた全ての監視カメラの映像が解析された。それと同時にこれ以上の被害者を出さないため、全国の田中実氏に対する警護が講じられることになった。
しかしその一方。数年間の犯行が明るみになったことで、奴等もまた今まで以上に活動を激化させた。月に70名程度の殺人件数が翌月には倍になり、さらにその次の月にはその倍へと増えていった。警察は田中実氏の警護を強化したものの、全国に点在する何千人もの田中実氏すべてを守り切ることは難しかった。警察の網目を掻い潜るように一人、また一人と田中実氏の命が消されていき、警察はその様子を指を咥えて待っていることしかできなかった。
これは単なる殺人事件ではない。国家に対するテロだ。
対策本部の責任者はそう口にした。俺は彼の言う通り、これは連続殺人事件なんてものじゃない。正体不明の殺人集団による大量殺戮。奴らが全国の『田中実』さんを全員殺してしまうのが先か、それとも警察がそれを防ぎ、奴らを捕まえるのが先か。俺たち警察の威信とこの国の治安を懸けた、戦争だった。
俺たち警察はこのテロ行為に対し、総力を挙げて対応に当たっていた。しかし、連日増えていく被害者の数を前に、世間の警察に対するバッシングは強くなっていき、終わりの見えない闘いの中で現場はどんどん疲弊していく。俺もまた一警察として、日本を守る人間として、心身全てを捧げて捜査に取り組んだ。しかし、その中で俺はこの凄惨な事件に対する世間の反応に対して、どこか違和感を覚えているのも事実だった。
田中実っていう名前じゃなくてよかった。
田中実って名前の人、可哀想。
SNSに溢れるそんな言説。俺はその発言を目にするたびに、怒りのあまり我を忘れそうになってしまう。確かに殺されるのは田中実という名前の人間だけ。つまり、自分や自分の知り合いに田中実という人間がいないのであれば、どれだけ事件がむごたらしいものであろうと、自分には全く関係のない話。被害者が増えていく中、テレビではこの事件を取り上げることもだんだん減っていき、ニュースでは選挙のニュースへと話題が完全に移っていく。人の生き死にがかかっている事件の裏で、呑気に当選落選の話をしているということが俺には到底信じられなかった。しかし、こんなことを考えても、今の俺にはどうすることもできない。ただ俺にできることはただ一つ。全力で捜査に取り組み、そしてこの連続殺人事件を解決すること。それだけだった。
*****
「たった今、大分県警から連絡が入った。最後の生存者である田中実さんが亡くなったそうだ。連中に殺されたのではなく、殺されてしまうんじゃないかという恐怖から精神が錯乱し、ビルの窓から飛び降りたそうだ」
同姓同名連続殺人事件の対策本部が開かれてちょうど二年が経った日。対策本部長の口から、受け入れ難い事実が伝えられた。会議室に集まった我々の顔はいずれも曇っており、中には自らの無力さを嘆き、項垂れているものも少なくなかった。我々警察の敗北だ。本部長が静かに呟く。
「しかし、やつらがまだ捕まっていない以上、事件はまだ終わりじゃない。数多くの人間を殺した連中を逮捕するという使命が我々にある」
本部長の言っていることは事実だった。しかし、その言葉を受け入れられるほど、我々の気持ちの整理はついていなかった。会議の終了が告げられ、俺は竹内と共に自分のデスクへと戻る。長い間、休日返上で捜査に当たっていた竹内の目は魚のように死んでいて、目元は涙で真っ赤に濡れていた。竹内は何人かの『田中実』氏の警護を担当し、そしてその全員を守りきれなかった。その喪失感と無力感を、俺もまた痛切に感じていた。
5113人。これは連中によって 殺害された全国の田中実さんの人数だ。我々はあらゆる手段を使って捜査を進めたが、結局反抗組織の全貌、そしてその目的すら掴むことはできなかった。この二年間の間に十数人もの実行犯を追い詰めることができたものの、そのいずれもあと一歩のところで自ら命を断ち、結果的に何の情報も得ることはできなかった。彼らの自宅を家宅捜索してみても、ハードとソフトの両面で、ありとあらゆる証拠が隠滅されていた。こんなの素人集団でできるはずはない。家宅捜査に当たった科学捜査班は口を揃えてそう言っていた。
実行犯と呼ばれる彼らの間のつながりを求めようにも、つながりは全くなく、犯行組織へ繋がる糸口を掴むことはできなかった。田中実氏を殺した組織は一体何者なのか、いや、その前になぜ彼らは田中実という名前の人間を全員殺さなければならなかったのか。その謎が解明されることなく、全国の田中実氏は彼らに命を奪われることになった。
「今まで日本で一番数が多い、同姓同名だった田中実っていう人が日本からいなくなっちゃったんですね……」
竹内がぽつりと呟く。俺は頷きながら、今言った竹内の言葉に引っ掛かりを感じて尋ね返す。
「田中実っていうのは日本で一番多い、同姓同名なのか?」
「そうですよ。対策本部の最初の方でそういう報告があったし、テレビでも散々言われてたじゃないですか。結局そこに何の意味もなさそうだっていうことでそれから話題にすらなりませんでしたけど。ああ、そっか。満島さんは途中から対策本部に入ったんでしたっけ?」
どこにその情報があるのかと俺が聞くと、竹内はそこまでは知らないと答える。俺は少しだけ気になり、自分の携帯で調べてみる。田中実という名前をネットで検索すると、連続殺人事件の記事ばかりがヒットしてお目当てのサイトが見つからない。それでも検索ワードを色々変えてようやく、それらしい情報を載せている個人サイトを見つける。
『同姓同名ランキング』
そのサイト名の通り、日本に存在する同姓同名の人物がその数の多さの順に掲載されていた。日本に存在するすべての名前を掲載しています。嘘か本当かはわからないが、そのサイトにはそんな言葉が書かれている。このサイト運営者はどこかの日本の名前に関する研究を行っていたらしく、同姓同名の人がどれだけ存在するかという詳細な数字だけではなく、最後まで確認することができないほどに数多くの名前がそこに掲載されていた。そして、そのサイトの一番上に表示されているのが、『田中実』氏で約5300人。それから、『佐藤清』氏が約4900人、『佐藤正』氏が約4800人と続いていく。
そのサイトを前に、俺の刑事としての直感が何かを訴えかけてくる。俺は少しだけ迷った後で、この個人サイトの運営者へ連絡を取った。運営していたのは関西に住むサラリーマンで、大学院時代に公開して以降、このサイトの存在すら忘れていたらしい。俺はダメもとでここのサイトの詳細なアクセスについて情報をもらえないかと尋ねてみると、その管理者は調べてみると承諾し、それから一週間後、サーバに残っていたアクセスログを送ってくれた。
これに何の意味があるのかなんてわからない。それでも俺は自分の直感を信じて、そのアクセスログの解析を行なった。サイトのアクセス自体はここ最近になって急激に増えているが、それはこの同姓同名連続殺事件で田中実という名前で検索を行なった誰かがたまたまこのサイトを開いただけなのだろう。それでも俺は根気強く過去のアクセスを解析する。すると、ふと、特定の時期にかけて散発的にこのサイトへのアクセスが発生している時期が存在することを発見する。その時期はいずれも、この事件が世間に知れ渡る前。俺の胸の中がかすかにざわつく。俺はサイバー班の協力を得て、そのサイトのアクセス履歴と、実行犯の携帯や彼らの自宅の回線のIPアドレスとの照合を行ってもらった。ドンピシャです。実行犯全員が、この時期にこのサイトへアクセスしていました。俺が協力を依頼した同僚は少しだけ興奮した口調で調査結果を教えてくれた。
俺が発見した実行犯の共通点は対策本部に伝えられ、特定の時期にそのサイトへアクセスを行なったIPアドレスの洗い出しが行われることが決まった。これがうまくいけば、まだ捕まっていない実行犯の炙り出しを行えるかもしれない。今まで守りに回っていた我々捜査本部がその事実に色めき立つのがわかった。
「それにしても、なんで実行犯たちはこのサイトを閲覧してたんでしょうね?」
対策本部終わりの休憩室。竹内がぽつりと呟いた言葉に俺は頷く。俺もまたその点については気になっていた。この共通点を見つけることができたのは幸運だった。だがしかし、なぜそのような共通点があるのかという根本的な理由はわからないまま。すると、竹内の後ろに立っていた本庄が俺たちの話に入ってくる。
「別に理由なんてないさ。単純に自分が殺すターゲットである田中実という名前で検索をかけただけだろうな。ほら、実際この事件が発覚してからそのサイトへのアクセスが増えてるだろ? それと一緒だよ」
「そうですね。あんまり深く考えても仕方ないがします。それに守るべき『田中実』氏を失った我々としては、もう攻めるしかないですからね。犯罪組織を一網打尽にしてからゆっくりと話を聞けばいいんですよ。そのサイトを閲覧していた理由も、そして『田中実』という人物を皆殺しにした理由もね」
俺は二人の言葉にそうだなと相槌を打ちながら、本庄の言葉に引っかかりを感じていた。証拠隠滅のために、徹底して統率されていた彼らが、そんな単純な理由だけでこのサイトを閲覧していたのだろうか? 何の目的もなしに、ただのネットサーフィンでそのサイトを開いただけなのだろうか? それも俺たちが把握していた実行犯が全員? 俺は手元の携帯でもう一度そのサイトを確認してみる。しかし、そこに書かれているのは単なる同姓同名のランキングだけで、何らかの隠れたメッセージがあるとは到底思えなかった。日本に存在するすべての名前を掲載していますという言葉。それから、『田中実』氏が約5300人、『佐藤清』氏が約4900人、『佐藤正』氏が約4800人、そしてランキングが続いていく。それだけのサイト。
俺はもやもやを感じながらも、竹内の言う通り、これ以上考えても仕方ないと思うことにした。俺たちにできることは奴らを逮捕し、犠牲となった『田中実』氏の無念を晴らすこと。それだけだ。それに言い方は悪いかもしれないが。殺害対象となっていた『田中実』氏がいなくなった以上、彼らへの警護に当てていたリソースを全て、捜査へ回すことができる。我々は攻めるしかない。まさに竹内の言う通りだった。
俺たちはそのままどうやって実行犯を追い詰めていくかという議論を始める。俺たちの後ろに置かれたテレビには、ちょうど正午前の昼のニュースが放送されている。画面の中の女性アナウンサーが、まるで他人事のように、たった今届けられたニュースを読み上げていた。
『先ほど新宿区の高架下にて、会社員の佐藤清さんの遺体が発見されました。首にはロープで締め付けられた痕が残っていたことから、警察は他殺の可能性を含め捜査を───────