79 帯城軍乱
後世、「帯城軍乱」、「帯城兵乱」、「帯城事変」、「帯城兵変」など、複数の呼称で呼ばれることになる陽鮮王国王都・帯城とその周辺で発生した一連の事件の切っ掛けは、何ら計画に基づいたものではなかった。
十九日に発生した敦義門事件において捕らえられた守備兵の助命と釈放を求める兵卒たちが集まり、帯城府に直訴のために向かい出したのが、その始まりであった。
帯城を守備する兵士たちを攘夷派が唆したという説もあるが、はっきりしない。
帯城府(市庁に相当)は帯城判尹(市長に相当)が長を務める地方行政組織であるが、王都の首長であるだけのその地位は高く、大過なくその任を全うした暁には、陽鮮における臣下の最高職である領議政(宰相に相当)に任命されるのが慣習となっていた。
そして当然ながら、帯城判尹は王都の治安維持もその職掌である。そのため、秋津人正使を斬り付けた兵士の身柄は帯城府捕盗庁(王都の警察組織)が抑えていたのである。
なお、陽鮮における軍隊は、中央軍(王都防衛軍)と地方軍である兵営(陸軍)と水営(水軍)に分かれていた。
中央軍はさらに訓練営、龍虎営、禁衙営、御営営、総戎営の「五営」と呼ばれる五部隊に分けられている。一部隊につき、将軍やその他各級指揮官の下に約三〇〇〇名の兵士が所属している。
しかし、軍とはいえ近代的な徴兵制度の整えられていない陽鮮の軍は、兵卒の多くは輪番制で徴集された青年たちであった。帯城防衛を担う五営の兵卒も、王都の土木人足や周辺の農民など、貧民を中心に編成されたものであった。その上、陽鮮では儒教思想に基づいて文官が優遇されていたために、兵士たちの扱いは劣悪であった。
俸給である米の支払いが滞ることもしばしばであり、支払われたとしても役人が米を横領してしまうため劣悪な屑米や腐米、さらには糠や砂でかさ増しされたものなどを手にすることになる。そのため、兵士たちの間には普段から役人たちに対する不満が溜まっていたのである。
そうした中で、仲間の一人が帯城府捕盗庁に捕縛され、秋津人の前で処刑されるという噂が立った。
兵士たちの間に蔓延していた役人連中への不満は攘夷思想と結びついて、これを切っ掛けに大規模な直訴運動へと繋がってしまったのである。
そして、捕盗庁は横暴であるとして、夷狄を斬った仲間の助命と釈放を求め、帯城府へ兵卒が押しかけることになった。
王都・帯城の人口はこの時期、二十万人以上に達していた。しかし一方で、捕盗庁の人員は、捕盗将一人、従事官三人、部将四人、無料部将二十六人、仮設部将十二人、書員四人に軍士五、六〇人と、到底、首都の治安維持を万全にするだけの人数ではなかったのである。
このため、早期に運動を鎮圧する必要があると考えた捕盗庁は、運動の首謀者は捕らえ次第、即刻死刑に処すと発表し、兵士たちに恐怖心を植え付けて解散させることを目論んだ。
しかし、これは逆効果であった。
かえって追い詰められたと感じた兵士たちはさらに多くの仲間を集めて帯城府を襲い、正使を斬り付けた兵士以外にも、役人に反発して捕らえられていた囚人たちを解放すると共に、帯城府の倉庫を開放して軍や貧民に食糧を分け与えた。
ここまでが、七月二十日の夜までに発生した出来事である。
これによって城門は閉ざされ、帯城城外に建てられている倭館、そして京畿監営は王宮との連絡手段を失ってしまった。
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「現状、帯城の城門は閉ざされて、暴動を起こした兵士たちは帯城府の周辺で一夜を過ごそうとしているのか、野営の準備を始めているわ」
城内に飛ばした式が得た情報を、冬花は景紀に報告した。
先ほど、京畿監営からも使者がやって来て、城内で異変が発生したらしいことを伝えてきた。しかし、不確かな部分がまだ多いものの、使者のもたらした情報よりも冬花が得た情報の方がまだ具体性があった。
「これを国王は鎮圧出来るのか、出来ないのか。それによって、俺たちの対応も決まるな」
景紀は貴通から報告を受けた後、ただちに視察団に対して倭館防衛準備を行う旨、命令を下した。
山を背後に持ち、北側に池を持つ帯城郊外の高台の上に立つ倭館は、天然の要害とまではいえないものの、それなりに防御に適した立地である。陽鮮側が外部との接触を防ぐために高く設置されている塀も、防御には有利であった。
しかし一方で、正門の鍵は外側から陽鮮が管理しているなど、防御上、不安な面もある。
これは倭館建設当初から懸念されていたことであり、皇国側は正門内側に城郭建築で見られる枡形を設けることで、秋津側が鍵を管理するもう一つの門を正門の内側に加えていた(ちなみに、館員が朝市に向かうなど日常的に利用する通用門は、正門のように二重にこそなっていないが、やはり枡形に相当する空間が内側に存在している)。
とはいえ、第一の門である正門が突破されやすいことに変わりはなく、しかも倭館は本当の城郭ではないので、あくまで日常的な警備用に門を二重にしてあるに過ぎない。
そのため、正門は突破されることを前提に枡形門を守る形で土嚢や障害物を設置し、通用門にもほぼ同様の措置を施すよう、景紀は若林曹長に命じた。
視察団の兵士だけでなく、外務省警察や若い倭館館員や使節団随員にも、軍が徴用するという形で防衛準備の協力をさせていた。
「とりあえず、今夜は様子見になるだろうけど、問題は熙王子と貞英公主の扱いよ。饗宴の儀を台無しにした所為で館内じゃ反陽鮮感情が高まっているし、どうするのよ」
辟易した調子で、冬花が尋ねる。
王宮に戻る手段がなくなってしまったため、王子・公主一行は倭館で足止めを喰らっている状況である。本来であれば、饗宴の儀終了後は王宮へ帰還する予定であったという。
現在、倭館の深見館長は京畿監営と使者の遣り取りをして、二人の王族の安全も含めた今後の対応について協議を始めている。
しかし、そもそも京畿監営はあくまで京畿道を治める組織であり、外交の権限はない。そのため、後々国王から越権行為で処罰されるのを恐れているのか、京畿監司(県令、府知事に相当)・崔重祥は協議自体に消極的姿勢を示していた。また、貞英公主と熙王子の身柄についても、二人の安全に対して責任を負っているのは礼曹の役人である金光護や護衛の武官たちであるとして、監営で二人の身柄を保護することについても難色を示している。
つまり、京畿監営は終始、責任回避の姿勢で協議に臨んでいるわけである。
結果、礼曹佐郎という地位に就いている金光護が、二人の王族の身の安全に責任を負わねばならないという状況になっていた。彼としては、保身のために責任回避に走る京畿監営と監司・崔重祥を信用出来ないと考えたらしく、状況が落ち着くまで倭館に留まることを主張し、しかも貞英公主がその進言を容れてしまった。
景紀としては、これ以上倭館に面倒事を持ち込まないでくれと言いたい気分であった。
城内の兵卒が暴動を起こした以上、監営の兵士たちも信用出来ないとはいえ、それでも反陽鮮感情が高まっている倭館の中に留まるというのも相当に危険を孕むものだ。
それでも、監営よりは安全と考えたのだろう。
自国の人間よりも、夷狄と断ずる他国人の方がまだ信頼出来るとは、現在の陽鮮の政治的混乱を象徴しているかのようであった。
なお、饗宴の儀を中止させる原因となった陽鮮の老女官たちの身柄は、全員、京畿監営に引き取ってもらっている。彼女たちは、貞英や金光護から不穏分子と見られたのだ。
とはいえ、何ら問題が解決されたわけではない。
「連中がいる分、食糧の消費が増える。守るべき存在も増える。館内の雰囲気は悪くなる。正直、俺としても頭が痛い」
畳の上で胡座をかき、膝に頬杖をついている景紀は、目に見えて苛立っていた。
「そして、間の悪いことに兵部省からの回答だ」
まったくの偶然なのであるが、暴動発生の報と前後して、兵部省からの回答があったのだ。それは、陽鮮の情勢について「隠忍自重ヲ以テ局面ノ推移ヲ注視スルコト万全ノ策ナル」として、軍事視察団は表向きの予定通り、陽鮮側の案内に従って陽鮮の兵備の視察を行うよう、改めて命令するものであった。
現段階では兵を動かすための大義名分がなく、兵部省としても対陽鮮強硬策には消極的なのだろう。
ただ、この通信だけでは外務省の意向や、国内世論の動向は判らない。案外、兵部大臣・坂東友三郎は、六家の次期当主が功に逸って独走することを危惧して、このような通信を寄越したのかもしれない。
そして、請訓を求めた当時と現在では状況は大きく変化し、兵部省からの回答はいささか情勢に合わなくなりつつある。
とはいえ、暴動の行方が見通せない現段階での武力行使は陽鮮ヘの重大な内政干渉となる可能性もあり、判断が難しいところであった。
もちろん、この段階で領事官職務規則に基づく海軍の救援を要請する手もある。
しかし問題は、こちらの手の内に王族の身柄が存在するということである。秋津側の認識では“保護”ということになるのだろうが、見方によっては人質に取っているといえなくもない。二人の身柄を京畿監営に無理にでも預けて自分たちは引き揚げるという選択肢もあるだろう。一方で、それでは混乱の中で陽鮮の王族を見捨てたことになり、国内世論や国際世論を考えた際に拙いことになる。
武士道精神に悖るとの批判さえ出てくるかもしれない。
六家が国策を巡って対立し、結城家が分裂の兆しを見せている今、景紀としてはそうした攻撃材料を他者に与えたくなかった。
それに、今後の対陽鮮外交のことを考えても、皇国が陽鮮王族を守ったという実績は交渉で有利な材料となるだろう。
ここは、二人の王族を保護しつつ、状況が落ち着くのを祈るしかないのだ。
「とりあえず、あのガキどもに不埒なことをする奴が現れないよう、宵と八重を付けている。状況が落ち着くか、本国から新たな命令が届くまで、当面は警戒態勢維持する」
もう一つの問題は斉がどう動くかだな、と景紀は思った。
自分たちは、ほとんど敵地といっていい状況下で孤立している。だからこそ、最低でも冬花と宵、貴通は何とか皇国に連れて帰ると、結城家次期当主たる少年は覚悟を決めていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「姉上、大丈夫ですか?」
幼い弟の熙が、案ずるように姉の顔を覗き込んでくる。
「……ん? ああ、案ずるでない」
その貞英は膝を抱えて所在なさげに座り込んでいた。
「お主は、もう眠るが良い」
倭館の中に一室を与えられ、自分と熙はそこに押し込められている。
とはいえ、秋津皇国の文物に疎い貞英が見ても、それなりに格式の高い部屋であるようだった。しかも、自分と弟には清潔な布団と寝巻を与えられている。決して、粗略に扱われているわけではない。
貞英は弟を布団に入らせて、掛け布団を掛けてやる。
「姉上……」
「お主が心配することなど、何もないのじゃ」
状況は、金光護から聞いている。
城内で兵士たちによる暴動が起きたため城門が閉ざされてしまった、と。
父上はどうなったのだろう、自分はどうすればいいのだろうという、益体もない思考ばかりが頭の中を巡っていく。
結局、交渉再開を目指して自分と熙は倭館を訪れたはずなのに、かえって彼らの対陽鮮感情を悪化させてしまった。
その原因を作った女官たちは、無用の混乱を避けるために京畿監営に身柄を引き取ってもらった。貞英がそうするよう、金光護や倭館館長に頼んだのだ。秋津人が怒りにまかせて彼女たちを害しようとすれば、両国の関係は修復困難なほどに悪化するだろう。
もちろん、それは自分たちにもいえることで、この部屋は他の秋津人たちからは隔離され、部屋の周囲は護衛として同行していた六名の武官たちが控えている。
それが貞英たちの安全を考えた措置だとは判っていても、孤独と不安を感じてしまう。
まだ五歳になる熙は、自分が守らなければならない。
それだけが、今、自分がここにいる意義なのだ。そう思って、泣きたくなる心を抑えようとする。
「……殿下、よろしいですか?」
襖の向こうから、宵の声が聞こえた。
「……ああ」
億劫そうな返事をすると、襖が開いた。白い着流し姿の宵と八重が、部屋に入ってくる。
二人の姿を貞英は目で追っていると、部屋に入ってきた宵が何故か床の間の柱のところに呪符らしきものを貼り付けた。
「通訳代わりと言いますか、それに近い術式を書いた呪符です。呪詛の類ではありませんので、ご安心を」
公主の少女は不思議そうにその行動を眺めていると、宵の方が説明してくれた。
「冬花様……ああ、景紀様に仕える陰陽師の方ですが……その方が作ったものです。呪術師たちが使う呪術通信や念話などの術式を応用したものだそうで、異国の言葉一つ一つを理解出来ずとも、意味だけは判るようになっているとのことですが、如何ですか?」
そこで、黒髪の少女は確認するような視線を貞英に送ってきた。
「……不思議じゃ。秋津語の単語の意味を思い出そうとせずとも、お主の言っていることが理解出来る」
通訳を務めてくれている金光護は倭館館長や京畿監営との協議に出ていて不在であり、陽鮮の公主は必死に頭の中で今まで学んできた秋津語やその文法を思い浮かべようとしていたが、その必要がないほどにこの秋津人の少女の言っている内容が理解出来る。
「ええ、私も殿下の話される陽鮮語の一句一句の意味は理解出来ませんが、何をおっしゃっているのかは自然と理解出来ます」
「それで、お主らがここに来たのは……?」
ちらりと、貞英は宵に続いて入ってきた八重に視線を向ける。視線の先では、少女が軽々とした様子で重ねた布団を抱えていた。
「今夜は、私と八重がお供いたします。武官の方々には、許可を頂いております」
宵がそう言い、八重が慣れた手付きで布団を敷いていく。
「……すまぬ」
彼女たちが何故ここに来たのか、公主たる少女にも判っていた。宵は軍閥の首魁の息子の正室。そんな少女と共に寝ている自分たちを害そうとする人間など、秋津人の側にはそうそういないだろう。夫たる少年の逆鱗に触れれば、即座に処断されるに違いない。
宵か景紀、どちらの判断かは判らないが、その気遣いが今の貞英にはありがたかった。
「眠れないのですね?」
「うむ」
貞英は力なく頷いた。
「宵姫様、布団、とりあえずこんな感じでいいかしら?」
まだ幼い子供である熙王子に配慮したのだろう、八重の声は静かで柔らかかった。布団の中から顔を半分だけ出して不安そうにしている王子の目線に気付くと、安心させるように笑いかけている。
それでも異国の少女が怖いのか、熙王子は布団の中に顔を隠してしまった。
「ええ、ありがとうございます」
ちょっと弱った表情になった八重に、宵は小さな笑みを零した。
二人の陽鮮王族のために用意された布団と並ぶように、八重は布団を敷き、枕を置いていた。
「不敬でしょうが、状況が状況です。何卒、ご容赦下さい」
「構わぬ。贅沢は言うまい」
貞英の声には元気がなく、また布団に入ろうともしない。宵たちが部屋に入ったときのまま、膝を抱えて暗い目をしていた。
そんな公主の様子を見て、宵は少し悩んだ。自分は、故郷の人たちの生活を少しでも良くしたいと思い、景紀に輿入れしたのだ。この公主の無力感は、多少なりとも理解出来る。
しかし、それを口にしたところで表面的な慰めにしかならないだとうとも思う。それに、自分はこの公主に心から同情しているわけではないのだ。
自分は冷たい人間だな、と宵は感じる。
自分はどこか、政治という事柄において人間を目標達成のための一要素としか見ていない面があると思う。景紀に言われた、安易に人を切り捨てようと考えてしまうのも、そうしたことの現れだろう。
この二人の王族は、状況を引っ掻き回す要素でしかない。
そういう風に、宵は貞英を見てしまっているのだ。景紀も王族の来訪をかなり迷惑に感じていたようだが、正直、宵も同感である。
彼女の覚悟は自分と同質のものだとは思うが、そこまでだ。
冬花のように、同年代の同性として積極的に仲良くなろうとは思わない。
景紀に与えられた役目だから、こなしているという面もある。
どうしたものだろうか……。
「寝ないから、いつまでもウジウジ悩むことになるのよ」
宵が悩んでいると、声は抑えながらも八重が明朗なことを言った。
「どうせ悩んだって解決しない問題なんだから、とっとと寝るに限るわ」
ぽんぽんと、彼女は熙の隣の布団を叩き、貞英に横になるように言う。
別に、八重に悩みがないというわけではないのだろうが、その態度はさっぱりとしていた。この龍王の血を引く少女は自分の悩みと上手く付き合う方法を知っているらしい。
「なんなら、私が呪術で眠らせてあげるわよ」
ここに八重がいてくれて助かったと、宵は思う。自分では、こうも明快な解決策を示すことは出来ないだろう。
そして、そんな八重の言葉に触発されたのか、少し億劫そうな仕草ながらも、貞英が腰を浮かした。
「そうじゃな、これ以上、お主らに迷惑をかけることは出来ぬ」
少し諦観交じりに、貞英は呟いた。そっと、弟と同じように布団の中に入る。
「そうよ、それでいいのよ」
にんまりと八重は笑みを作って、貞英に掛け布団をかけた。が、次の瞬間、その表情が消え去った。
表情が完全に無表情になって、さっと立ち上がる。
「八重さん?」
「陽鮮のお姫様、あんた、お姉ちゃんならちゃんと弟を守るのよ」
宵の声を無視して、八重は緊迫感のある口調で言った。
「冬花さんの張った結界、破られたわ」
宵が貼り付けた冬花の呪符が、いつの間にか剥がれ落ちていた。
◇◇◇
冬花の結界は、倭館敷地内に存在する祠を基点に構築されていた。
東萊倭館に神社があるのと同じように、帯城倭館にも祠という形で神を祀る場所があった。そこを、冬花は倭館を守る結界の基点にしたのである。
少なくとも、景紀が求めた通りの、呪術、物理の双方に対応出来る強固な結界ではあった。
だが、それが破られた。
結界を構築した本人であるため、冬花は陶器やガラスが砕け散るように自らの結界が消滅していくのをはっきりと感じ取っていた。
「私の失態だわ」
結界を再構築すべく、自らへの罵り声を上げながら冬花は祠へと急いだ。
「何が原因だ?」
景紀も脇に刀を下げて冬花に続いていた。
「帯城から戻ってきたうちの使節団か、陽鮮の人たちか、とにかく誰かの服の中に式が仕込まれていたのよ」歯噛みしながら、シキガミの少女は答える。「それが発動して、結界を内部から食い破ったの」
霊力で動かす式とはいえ、発動していなければただの紙切れに過ぎない。だからこそ、冬花の結界をすり抜けて倭館内部に侵入することが出来たのだ。
もちろん、外部から霊力を送り込んで発動させることは、冬花の結界に阻まれて出来ない。恐らく、時限式の式だったのだろう。それが発動し、結界を内部から破壊したのだ。
結界は大まかに分けて、外部からの干渉を防ぐための術式と、内部に封印するための術式の二種類が存在する。冬花が構築したのは、当然ながら前者だった。だからこそ、内部からの破壊工作の前に脆くも消滅してしまったのだ。
本当に迂闊だったと、陰陽師の少女は内心で自分自身を罵倒する。結城家屋敷に張ったような、内部に対しても効力を発揮する結界を張るべきだったのだ。人の出入りがほとんどない倭館だからと、対外的な障壁としての機能に特化させ過ぎてしまっていた。
祠へと辿り着き、深呼吸して荒れる心を鎮めようとする。雑念は、術式の発動を妨げる。
「ふぅ………」
目を閉じ、心を落ち着ける。
そして、祠に向かって柏手を打った。
急いで、結界を再構築しなければならない。
だが、少女の口が呪文を詠唱する寸前、風が不穏に動いた。
「―――っ!?」
「冬花!」
景紀の叫びと、キンと何かを弾く金属音。
シキガミの主たる少年は、祠の前に立つ少女を守るように立っていた。そして、脇に差した刀が鞘から抜かれ、振り抜かれている。
「……てめぇ、俺のシキガミに手ぇ出したな?」
低く剣呑に、夜の暗がりに向かって景紀は言う。
そこにいたのは、黒い布で全身を包んだ人影であった。被り布でよく見えない顔の中で、目だけがぎょろりとこちらを見つめている。
その視線に込められた冷徹な殺意が、冬花と景紀を静かに射貫いていた。




