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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二章 シキガミの少女と北国の姫編

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32 呪術師たちの闇

注意:本話には拷問描写があります。閲覧に当たってはご注意下さい。

 薄暗く狭い建物の中に、冬花は横たえられていた。

 梵字で描かれた呪術陣の中央で、彼女は手足を鉄の枷と鎖で縛められ、横向きの姿勢で寝かされていた。袖に呪符を仕込んでいた着物は剥ぎ取られ、今、少女がまとっているのは袖なしの肌襦袢のみだった。冷たい床に、剥き出しになった白い腕が床の上に投げ出されている。

 呪術陣が発する淡い光が薄暗い空間をかすかに照らしていた。


「……」


 全身を覆う痛みと、重苦しい倦怠感。体を流れる霊力が、思うようにならない。

 板張りの床の上でずっと下になっている右肩の感覚がなくなりかけていたが、姿勢を変えることすら今の冬花には出来そうもなかった。

 脳裏を占めるのは、ただ自責の念だけだ。

 自分は、主君から宵姫の警護を任されておきながら、それに失敗してしまった。シキガミとしての任を果たせない自分に、どれだけの価値があるというのか。

 そして、あの北国の姫に、自分の本性を見られてしまった。

 “妖との混じり物”と蔑まれる、自分の本来の容姿。

 人にあるはずのない、狐の耳と尾。

 結城家に取り立てられた葛葉家の初代は、妖狐と人との間に生まれた術者であったという。

 十数世代の時を越えて、自らに発現した初代と同じ容姿。

 冬花は、これを誇らしいものだとは到底思えなかった。

 幼い頃、景紀だけは「それも冬花の可愛さの一つだよ」と言ってくれたけれども、自分はこんな容姿は嫌だった。それに、若様の傍にこんな人だか妖だか判らない者がいれば、きっと迷惑をかけてしまう。

 だから冬花は、術で自らの耳と尻尾を封印することにした。

 それなのに、自分はあの姫の前で隠していた本性を晒してしまった。

 あの北国の姫は、自分の容姿を見てどう思うだろうか? 嫌悪するか、忌避するか。それでもなお自分を受入れてくれると考えるには、冬花は自分の本来の容姿を嫌い過ぎていた。

 そして、自分の本来の姿を隠していたことで、主君と宵姫との関係に亀裂が生じてしまうことが、堪らなく嫌であった。

 自分の所為で若様に迷惑がかかる。

 それが、幼い頃から冬花が最も恐れていることなのだ。

 姫様は、無事に逃げられただろうか?

 望みが薄いと判っていながらも、その可能性に縋ってしまう。自分が捕らわれ、宵姫までが捕らわれてしまっては、景紀にどれだけの迷惑をかけるだろう。

 ぎゅっと目を瞑った。

 泣きそうになるのを、必死で堪える。今ここで自分が無様を晒せば、それこそ冬花は自分で自分を許せなくなる。

 例え結城家に仇なす者たちに捕らえられていようとも、自分は景紀のシキガミなのだ。無様に泣いて喚いて、若様の名を汚すわけにはいない。

 それだけが、冬花に残された最後の矜持なのだ。

 それすら失ってしまえば、自分は本当にただの化け物に堕ちてしまう。


「若様……」


 そう口に出すことで、冬花は己を保とうとする。


「―――存外、しぶといものだな」


 不意に、軋む音と共に観音開きの戸が開き、僧服姿の男が建物に入ってきた。先ほど、自分たちに襲撃を仕掛けたあの男だ。


「……」


 体の自由が利かない冬花は、目線だけで彼を見上げる。


「やはり、妖と人の混じり物ということか。妖魔を調伏するための陣に捕らえられておきながら、消耗が少ないのはそのためか」


 冬花が横たえられている呪術陣に近寄り、僧服の男―――丞鎮は彼女を見下ろした。観察するような視線に、温度はない。


「……宵姫様は、どうした?」


「ふん、混じり物の分際で、忠誠心のみは武士並みということか」


 冬花が必死に放った問いかけに、丞鎮は淡々と返す。


「私が用があるのは貴様だ。依頼主の娘など、初めから興味もない」


 それで、冬花はこの僧服の男の正体を悟った。


「お前が、丞鎮か?」


「如何にも」


 つまらなそうに、丞鎮は肯定する。正体を隠すつもりは、そもそもないらしい。


「何が目的だ?」


 凄んで言おうにも、今の冬花には声に力が入らない。問いかけの声は、彼女の意に反して弱々しかった。


「あの結城の小倅の命」


 淡々とした声を聞いたその瞬間、冬花は無理にでも体を動かそうとした。


「うっ……」


 だが、体を締め付けるような圧迫感がのし掛かり、わずかに鎖が音を立てるだけであった。


「やはり、その反応を見るに、あの小僧を守護しているのは貴様だったか」


 納得と共に、丞鎮は呟く。


「何のために、若様を狙う?」


「我が一族の、復讐のために」重く暗い感情を乗せて、丞鎮は答えた。「貴様も葛葉家の人間であるならば、自らの一族の背負う業は知っているはずだ」


 淡々としていた彼の声に、押さえ込んだ激情が覗く。


「……」


「知らぬとは言わさぬ。貴様の祖父が、我が一族にかけた呪いのことを。幼い子供も含め、我が一族を滅ぼそうとしたその罪を」


 糾弾するような男の声に、冬花は納得にも似た感情を覚えた。


「……ああ、あなたは先々代のご当主様を呪殺しようとした呪術師の一族ということ……」


 先々代の当主に対する呪詛が試みられ、それを冬花の祖父が防いだ話は、父から聞かされている。そしてその後、当時の結城公の命によって、呪詛の発生源を逆探知、呪殺を試みた一族すべてに呪詛返しを行ったという話を。

 苛烈な報復だとは思いはするが、呪詛を生業とする呪術師ならば、一族の誰かがその術式を継承するであろう。そうなれば、再び結城家は呪殺の対象となる可能性もあった。

 主家を呪術的に守ることを一族の誇りとする葛葉家にすれば、それは当然の対応であった。

 冬花も、そうした呪術師の暗い側面については理解しているし、嫌悪しつつも景紀を守るためならば自分も躊躇なくそうした手段に手を染めるだろうと思っている。


「今や呪詛に蝕まれた一族の生き残りは、私だけだ。ならば最後に、一矢報いねばなるまい」


「まさか、御館様の病は……?」


「あれは、我が兄が自らの死とともに魂を怨霊と化し、結城景忠に取り付こうとして失敗した際の名残だ」


 無念さを滲ませた声で、怪僧は告げる。


「貴様の父の守護によって兄の魂は浄化されてしまったようだが、結城景忠にはもともと持病があったのだろう。それが、兄の怨霊の影響で重篤化したに違いあるまい。その意味では、兄の死は無駄ではなかったといえるのであろうが」


 ただ一人残された家族の死を悼むかのように、彼は饒舌に喋った。しかし、その声には相変わらず苦渋が滲んでいた。


「であるならば、残るはあの小倅だけだ」


 この怪僧の狙いは、景紀を呪術的に守護する存在である自分の命だ。冬花は即座にそう理解した。

 自分を直接殺さなかったのは、殺された瞬間に発動する呪詛を警戒したのだろう。呪術師たちは、自らが殺された場合、相手も道連れにするような呪詛を体に仕込んでいる者もいる。そうすることで相手を牽制し、自らの身を守っているのだ。

 そして、自らの命を代償とする呪詛の解除は、相当に厄介だった。互いの霊力量や技量によほどの差がない限り、解呪は不可能である。

 それに、冬花は妖との混じりものである。直接殺して、呪詛に加えて妖の祟りまで掛けられては、この男の目指している景紀殺害という目的が達せられない。

 だから、この怪僧は自分を衰弱死させることで、間接的に殺そうとしているのだろう。

 しかし、如何に妖狐の血を色濃く継承しているとはいえ、冬花に流れる血の大半は人間のものである。対妖魔の術式の威力は、半減してしまうだろう。

 だから、冬花は今も意識を失わずにいられる。


「とはいえ、このままでは貴様を殺すのに数日は掛かろう」


 そう言って、丞鎮は開いたままになっている建物の戸口の方を見た。

 冬花が視線で追えば、そこには腰に刀を差した牢人風の男がいた。扉に寄りかかるようにして、立っている。

 そして、その男に冬花は見覚えがあった。長尾公との会合があった夜、自分が頬を切り付けたあの攘夷派浪士だ。


「直接は殺すなよ、玄斎」丞鎮は淡々と攘夷派浪士に言った。「痛めつけ、消耗を早めさせるだけでいい」


 その言葉を聞いて、冬花は体を強ばらせた。だが、意地で震えを抑える。

 そして、同時に思った。この僧服の男は、なるべく冬花から呪詛を受ける可能性を低くしたいのだ。例え、この攘夷派浪士が加減を誤って自分を殺してしまったとしても、呪詛にかかるのは浪士だけ。そう考えているに違いない。


「無様な恰好だな、小娘」


 鎖に縛められて横たわっている冬花を見下ろして、攘夷派浪士―――伊東玄斎は言う。


「その頬もね」


 冬花が嘲るように言った瞬間、彼女の腹部に玄斎のつま先がめり込んでいた。


「ぐぅ……」


 冬花は思わず痛みに体を折ってしまった。


「その陣から出すなよ」後ろで見ていた丞鎮が、淡々と指摘する。「下手に回復されても困る」


「ちっ」


 玄斎は不機嫌そうに舌打ちをした。

 この少女を蹴り飛ばして呪術陣から出してしまうと、それだけ対妖魔の術式の効果範囲から外れてしまう。丞鎮はそれを危惧していたのだ。


「おい、混じり物」


 すると、玄斎は呪術陣の傍にしゃがみ込んだ。冬花は目線に力を込めて、せめてもの抵抗とする。


「言葉には気を付けろ。女らしく従順にしていれば、多少は手加減してやろう」


「私は、若様のシキガミだ」今の自分が出せる限りの強い声で、冬花は断言した。「若様を侮辱した奴に従う義理などない」


「ふん、馬鹿な娘だ。わざわざ苦しむ方を選んだか」


 そう言いながら、玄斎は投げ出された少女の右手首を掴んだ。


「―――っ」


 何をされるのか、冬花は瞬時に理解した。反射的に腕を引こうとする。だが、それだけの力が、腕に入らない。指も、力なく弛緩したままだ。

 男が、冬花の右手の人差し指を握った。

 冬花は目をぎゅっと瞑り、奥歯を硬く噛みしめた。


「ふん」


 その反応を満足そうに確認して鼻を鳴らし、玄斎は少女の指を握る手に力を込めた。


「っぅ―――!」


 小枝が折れるような、音が響いた。

 意地で、冬花は悲鳴を上げなかった。だが、それでも駆け巡る激痛に体は反応してしまう。耐えようとする意志とは反対に足が暴れ、鎖がじゃらじゃらと音を立てる。


「流石に一本だけでは、駄目か」少し落胆したように、玄斎は言った。「どれ、二本目だ」


「っぁ―――!」


 瞑っていた目を大きく見開くほどに、二度目の激痛が走る。堪らずに口を開けてしまったが、それでも冬花は悲鳴を上げなかった。






「なかなかしぶといな」


 玄斎の声には、かすかな不満と苛立ちがあった。


「これでもなお、悲鳴を上げんとは」


 彼に見下ろされる冬花の指は、すべてがあらぬ方向に折られていた。それでもなお、少女は悲鳴を上げなかったのだ。

 だが、目尻には涙が浮かび、食いしばった歯の間からは荒い息が漏れている。

 その様子を、丞鎮はやはりつまらなそうな目線で見下ろしていた。冬花を痛めつけることで屈辱を晴らそうとしている玄斎と違い、彼にとってこの拷問は単なる作業でしかないのだろう。


「……混じり物、死にたくなければ、結城の小倅に掛けた守護を解け」


 重く低く、建物の中に怪僧の声が響く。


「こと、わる……」


 呻くように、冬花は言った。


「私は、死んでも若様を守る……」


 景紀のシキガミであることが、自分の存在意義だ。それを違えることなど、出来はしない。例え殺されたとしても、その命を代償に景紀を呪詛から守護する術式は強化する。そういう術式を、冬花は己に掛けていた。

 この怪僧は道連れとしての呪詛を警戒しているようだが、自分は死しても主君を守ることを選ぶ。


「……」


 丞鎮はかすかに眉をしかめ、忌々しそうに冬花を見下ろしていた。


「……玄斎、続けろ」


 そして、吐き捨てるようにそう言った。


「貴様の溜飲が下がるまで、好きに痛めつけるといい」


「結城の小倅の方はどうする?」


 確かにこの妖狐の少女を責め苛めば自分の鬱憤は晴れるだろうが、それだけで終わらせるつもりは、伊東玄斎にはなかった。

 彼の目的は、あくまでも攘夷を阻もうとする者たちの排除なのだ。

 結城の小倅を斬るのに失敗したあの夜、出くわしたこの怪僧は玄斎に持ちかけたのだ。共に結城の小倅を始末しようではないか、と。

 丞鎮が雇われているのが民権派議員と繋がりのある佐薙成親というのが気に喰わなかったが、警察などの追っ手から逃れるのには、やはり権力者からの庇護が必要であった。

 だから玄斎は、この怪僧と手を組むことにした。

 そして、佐薙成親が結城の小倅の嫁を誘拐するという決断をした時、玄斎は自分たちと志を同じくする浪士たちに声をかけた。

 宵姫を誘拐し人質とし、攘夷を阻む軟弱者の小倅を誘き出し誅殺しよう、と。

 それに応じた者たちが、今回の襲撃に加わった。


「こちらにこの化生と佐薙の姫がいるのならば、奴はいずれ現れるだろう」


 確信めいた口調で、丞鎮が玄斎の問いに応じた。


「ここ数週間、あの小倅を観察していて、そう確信した。あの小僧は、そういう人間だとな」


「ふん、女に入れ込むとは、軟弱もここに極まれり、だな」


 玄斎は侮蔑も露わに鼻を鳴らした。そして、その女の一人である妖狐の血が混じった少女を見下ろす。


「……」


 涙に濡れながらも、冬花はなおも強い瞳で牢人の男を見返した。


「気に入らんな。女の、それも混じり物の分際で」


 その瞳に苛立たしげな声を返した玄斎は、片足を振り上げて少女の尻から伸びる尻尾を思い切り踏みつけた。


「ぃぎっ……!」


 背中を駆け抜けた痛みと不快な刺激に、冬花は小さく声を上げてしまった。


「ほう、面白い反応だな」


 嗜虐的な笑みを浮かべた玄斎は、ぐりぐりと足で尻尾を弄ぶ。そのたびに、冬花は背を伝う刺激に体を小刻みに痙攣させていた。


「……さて、次は別の趣向でいってみるとするか」


 そう呟いた玄斎は、冬花の腹部に足を掛けて彼女を仰向けに転がした。そして、少女の体に馬乗りになる。


「なあ、混じり物。お前には獣の耳があるのだ。ならば、人間の耳は要らんだろう?」


 刀を抜いた彼は、冬花の右耳たぶを掴むと、そこにそっと刃を押し当てた。


「―――っ!?」


 冬花の顔に、今度こそ隠しきれない恐怖が浮かぶ。


「どうだ、泣いて許しを乞うならば、考え直さんでもないが?」


「だま、れ……」


「どうした、声が震えているぞ?」


 景紀のためにも無様を晒すわけにはいかないという少女の決意は、どうしようもない恐怖に蝕まれていく。


「……若様……」


 ぽつりと、弱々しく、震える声で冬花はその名を呼んだ。それが、この男を喜ばせるだけと判っていながら、自らの主君の存在に縋らざるを得なかった。


「つまらんなぁ、その反応は」


 口元を嗜虐的に歪めた玄斎は、刀を握る手に力を込めた。そして、最後に少女の表情を確認して、刃を滑らせた。


「ぅあ……あああああああああああっ!」


 冬花の口から、堪えきれずに無残な絶叫が迸る。

 酸鼻を極める責め苦は、まだ始まったばかりだった。

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