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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十二章 皇都内乱編

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222 最初の接触

 皇都と総野国の国境となっている伊奈川を越えた景紀は、全騎の渡河を確認すると迅速に西進を再開した。

 日の出前の十八日〇五三〇時過ぎに伊奈川を渡河すると、そのまま総野往還を進んだのである。

 そして、皇都最東の伊奈川を渡河してからおよそ四〇分で、景紀率いる先遣部隊は荒川にかかる橋を確保することに成功した。

 時刻は〇六一〇時過ぎであり、ようやく朝日が眩しく上り始める頃であった。

 これで、最後に響谷川にかかる橋を確保すれば、皇都中心部への進撃路は完全に開かれることになる。

 しかし、最後の響谷川は流石に反乱軍側も無防備にはしていないだろう。また、伊奈川にかかる橋を守備・警備するために一部の将兵を橋に残してきており、さらに主要な交差点を確保するための兵力も残してこざるを得なかった。そのため、志野原進発時には五〇〇名ほどであった先遣隊は、荒川の橋を確保した時点で三〇〇名ほどに減少していた。

 これら橋や交差点を保持するために残してきた兵力は、敵部隊の進撃を阻止するためというよりも、むしろ避難民に橋や街道を使わせないようにするためのものであった。

 ここで荒川にかかる橋の保持するためにさらに兵力を分割すれば、響谷川を渡河するときには先遣隊の兵力は一〇〇を切ってしまうだろう。

 やむを得ず、景紀はここで一度、皇都への進撃を停止することにした。後続する島田富造少将麾下主力部隊の到着を待とうとしたのである。

 景紀は荒川を西に越えたところにある京総線の機関車工場と機関車庫を占拠すると、そこに臨時の指揮所を設けた。


「反乱軍の連中に態勢を整える時間を与えてしまうかもしれないが、やむを得ん」


 少数兵力で宮城の門に突入するという手も考えないではなかったが、流石に反乱軍が皇都を占拠している中を突破して宮城に辿り着くことは困難であると認識していた。

 また、旅団将兵たちは昨日の非常呼集がかかってから不眠不休の者も多く、彼らの疲労を無視して進撃を続けることも難しかった。一度進撃を停止して、大休止と騎兵第一旅団主力および輜重段列の到着を待って万全の態勢を整えてから、響谷川を越えた方が確実であった。

 それに万が一、響谷川の橋を確保出来なかったとしても、軍事的にそれほど大きな問題は生じない。響谷川は皇都と彩州との国境で荒川から分岐した河川であり、いざとなれば景紀たちがすでに徴発を命じていた川蒸気などの舟艇を響谷川に引き入れて渡河することも可能であった。

 そして、河越方面から飛び立った翼龍が黎明を期して皇都に伝単(ビラ)を散布する手筈になっている。反乱軍を批難し、下士卒に兵営への帰還を促す内容が書かれた伝単がどれほどの効果を持つかは判らないが、ある程度、上官の命令で蹶起に参加せざるを得なかった下士官・兵卒たちを動揺させることが可能だろうとは考えていた。

 そのため、響谷川を渡河して皇都中心部に向かうのは、伝単の効果が現れ始めるまで待ってからでも遅くないと景紀は判断していた。

 しかし一方で、彼がまったく無為に時間を浪費していたわけではない。

 騎兵第一旅団については総野往還を進撃して先遣隊に合流することを命じる一方、騎兵第二旅団に対しては総野往還を北側に迂回して、皇都北部に存在する田隅(たずみ)操車場の確保を命じていたのである。

 田隅は東北や結城家領各地(総野国を除く)からの官営鉄道の路線が集結する場所であり、ここを確保出来れば結城家領各地から迅速に兵力を皇都に引き入れることが可能となるのだ。

 さらに景紀は同じく先遣隊に加わっていた朝康に命じて、響谷川方面への斥候を命じていた。少なくとも、響谷川周辺の反乱軍の兵力配置を探ろうとしたのである。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 皇都は人口の密集する都市だけあって、街並みはかなり入り組んでいる。

 下町区画は道が東西南北直角に交わる碁盤の目状の街並みが造られていたが、それでも細い道が幾本も走り、土地勘のない者は迷いやすかった。

 ただ、騎兵第一、第二旅団の将兵たちは休暇で皇都に出掛ける者も多く(下町を抜けた先に遊郭街である葦原がある)、流石に下町住民ほどとはいかないが、それなりに土地勘のある者は多かった。

 景紀から将校斥候を任された朝康もまた、兵学寮の五年間や騎兵第二旅団に配属されていたこともあり、皇都の地理にはそれなりに精通している。

 彼は不意に反乱軍と遭遇する可能性を考え、反乱軍が潜んでいそうな通りに斥候を放ちながら一区画ずつ慎重に進んでいた。


「意外に用心深いのね」


 子供時代から婚約者の猪突猛進傾向を知っている嘉弥は、思わずそう零してしまった。今の彼女は袖を(たすき)で固定して、額に鉢金を巻いている。


「このまま一気に響谷川の橋まで突進するのかと思ったら」


「俺だって、兵学寮でいろいろ学んできたし、匪賊討伐の経験だってあるんだ」朝康がすねたように唇を尖らせた。「偵察の大切さくらいは判っている」


「悪かったわね。変なこと言って」


 子供の頃から朝康を知っているだけに、彼が意外と真面目に隊長を務めていることを嘉弥はどこか微笑ましい気分で受け止めていた。


「……皇都の方は、例の伝単散布が始まっているようね」


 気を取り直して、嘉弥は皇都の西の空を見上げた。恐らくは反乱軍が占拠しているだろう皇都中心部の上空に、無数の翼龍の姿が見える。その翼龍から、伝単と思しきものが紙吹雪のように撒かれていた。

 これで皇都中心部を占拠する反乱軍の士気が低下すると良いのだが、と朝康も嘉弥も思う。

 攘夷派の人間たちはともかく、下士官・兵卒は恐らく上官の命に従っただけだろう。そしてそれは、結城家領軍の下士卒も事情は同じである。

 だからこそ景紀も伝単の散布が一通り終わるまで響谷川への進撃を停止しているのだろう。響谷川を渡れば、恐らく反乱軍が占拠している地域に進んでいくことになる。

 皇軍相撃となれば、皇都もまた甚大な被害を受けるだろう。

 そうなれば、この内乱とも言うべきものに勝利出来たとしても皇都市民の結城家に対する感情は悪化してしまう。

 その点の認識は、朝康も嘉弥も同じであった。


「少佐殿」


 と、斥候に出していた分隊の一つが戻ってきた。


「総野往還に沿って、こちらに進軍してくる部隊があります。小隊規模の騎兵です。軍服からして、近衛騎兵連隊かと」


「連中、もう響谷川のこちら側に来ているのか?」


「はい」


 小隊規模ということは、向こうも斥候だろうか。朝康は考える。そもそも、反乱軍側は志野原の騎兵第一、第二旅団の動向をどこまで把握しているのだろうか。

 少なくとも、今の今まで皇都の部隊との接触はなかった。反乱に加わっている部隊なのか、それとも反乱に加わるのを良しとせずに離脱して結城家の保護を求めようとしている者たちなのか。

 下手に先制攻撃するのも躊躇われる状況であった。

 だが、朝康の逡巡は極めて短かった。


「よし! そいつらの針路を塞ぎにかかるぞ! 全員乗馬!」


 下馬して周囲の警戒に当たっていた者たちが、その声で一斉に馬に飛び乗った。嘉弥もまた武家の娘らしくひらりと軽やかに馬に跨がる。

 朝康に率いられた騎兵はそれまで身を潜めていた裏路地から一気に総野往還へと飛び出した。

 このあたりでは東西に直線的に伸びている総野往還に出れば、皇都中心部の方面からやって来た近衛騎兵たちの集団はすぐに視認出来た。

 突然、路地から飛び出してきた騎兵の集団に驚いたのか、近衛騎兵たちの動きが止まる。朝康は躊躇わず彼らに接近した。


「こちらは騎兵第二旅団所属、小山朝康少佐である! 皇都で変事が起こったと聞き、皇主陛下をお守りすべく参上仕った次第である!」


「ちょっ!?」


 突然名乗りを上げた朝康に、思わず嘉弥がぎょっとした表情を見せる。だが、近衛騎兵の集団の中からも一人の人間が進み出てきた。


「近衛騎兵連所属、井川晴正大尉であります!」


 朝康よりも階級が下の相手が敬礼すると、朝康も答礼した。互いが手を下ろすと、井川大尉と名乗った将校はどこか傲然たる調子で口を開いた。


「皇都で起こった変事は奸臣・佞臣を芟除(さんじょ)すべく蹶起したことによるもの故、皇主陛下の御身については御安心いたされたい。そして我らは騎兵第一、第二旅団に対して、蹶起部隊への恭順を求めるための使者として志野原に赴く途上である。すでに皇都鎮台司令官・刑部宮熙融王殿下におかせられては、蹶起の趣意をお聞き届けあそばされ、令旨(りょうじ)を下された。まもなく伊丹・一色両公爵閣下によって、蹶起の趣意は上聞に達せられることであろう」


 要するに、婉曲的な降伏勧告であった。井川大尉は、勝ち誇った表情とともに朝康の反応を見定めようとした。


「そうかよ」


 そして、朝康の返答は簡潔であった。手にしていた騎兵槍で、井川大尉の胸を貫いたのである。


「がっ……!?」


 何が起こったのか一瞬理解出来なかった井川大尉は己の胸に刺さった槍を見、ついで批難するような視線で朝康を見たまま、落馬した。

 突然のことに硬直している近衛騎兵に向け、朝康は叫んだ。


「伊丹正信、一色公直両公爵は六家当主でありながら皇主陛下の大権を私議せんとする、真の奸賊である! かくの如き逆臣に従う者もまた朝敵である! よって皇室第一の藩屏たる我ら結城家はこれより逆賊の討伐に向かうものである! なおも我らの道を阻むのであれば、それは朝敵に与する者と受け取るが、それでよいかっ!?」


 結城家に連なる青年の剣幕に、残った近衛騎兵たちは怯んだようであった。

 下士卒たちはあくまでも上官の命に従っていたまでで、蹶起の大義に殉ずるだけの決意は存在しない。部隊を率いていた将校がいなくなってしまった段階で、彼らの戦意は挫けていた。


「今ここで降れば卿らの罪は問わぬと、小山子爵家次期当主・朝康が保証する!」


 その言葉が、決定打となった。

 近衛騎兵たちは互いに目配せをすると、朝康の部隊に投降する意思を示したのである。彼は投降した者たちに一部の兵を付けて、後送するように命じた。


「まったく、いきなり一人で進み出るから、肝を冷やしたわよ」


 朝康の隣に馬を並べた嘉弥が、若干青い顔でそう言ってきた。将家の姫ではあるが軍人ではない彼女は、これが初めての戦場であった。当然、人が殺される場面に遭遇するのもこれが初めてである。


「別に、上手く行ったんだからいいだろ?」


「ほんと、こっちの気も知りもしないで、無茶するわよ」


「攘夷にかぶれた将校さえどうにかしちまえば、あとはよく判らないままに上官の命令に従っている奴らだけだろうからな。実際、その通りだったろ?」


 悪びれるどころか、むしろ誇らしげな表情さえ浮かべている朝康に、嘉弥は溜息をつく。そして彼女は、落馬したまま絶命している井川大尉の遺体に視線を向けた。


「で、軍記物的にはいいの?」


「いいんだよ」


 あっさりと言い切った朝康に、嘉弥はまた溜息をついた。

 互いに名乗りを上げたところまでは軍記物にある武士の一騎打ちのような雰囲気だったが、その直後に朝康は不意打ち同然に井川大尉を討ち取ったのだ。

 朝康が幼少期から軍記物を愛読していることを知っている嘉弥にしてみれば、何とも言えない気分であった。


「しかしこいつら、まったく周囲の警戒もなしに進んでいたな」


 井川大尉の遺体を見下ろして、朝康は言う。自分たちが近衛であること、そして蹶起の趣意が上聞に達せられようとしていることから、蹶起の成功を確信していたのだろう。

 それが、井川大尉の無防備な態度に繋がっていたのかもしれない。

 そして、皇都周辺の部隊に恭順を促す使者を送り込もうとしていたということは、伊丹・一色両公が権力の掌握を着実に進めつつあることを意味している。

 朝康が討ち取ったこの近衛将校は、まもなく二人が蹶起の趣意を奏上するようなことを言っていた。

 伝単の散布で反乱軍に加わっている下士卒の士気を低下させ部隊から脱落させるつもりが、皇主の詔勅を得てかえって士気を高め反乱軍の団結を強めてしまうかもしれない。

 朝康が先ほど伊丹・一色両公を逆賊と批判したのは、むしろ自分の後ろにいる結城家領軍の下士卒たちに聞かせるためでもあった。


「……面白くなってきたじゃねぇか」


 だが、朝康は自分たち結城家が追い詰められているかもしれないというのに、獰猛な笑みを浮かべていた。

 軍記物に描かれている戦乱の時代さながらの状況に、この青年はかえって奮い立っていたのである。

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