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20 月明かりの下で

 夜、景紀は屋敷の執務室で書状を広げていた。

 角灯の明かりが照らす室内で、筆で書かれて流麗な文字を読み進めていく。文体は候文で堅苦しいものであったが、一方で文字は差出人の性格を表すような丁寧で柔らかいものであった。

 不意に、執務室の扉が叩かれる。


「宵です」


「入れ」


 一旦、景紀は書状から顔を上げた。カチャリと把手を回す音と共に扉が開き、白い寝間着に身を包んだ宵がやって来る。夜は冷え込んでくる季節なので、肩に一枚上着を羽織っていた。


「そろそろ、お休みにならないのかと思いまして」


 こちらを案じているらしい宵。

 今日は一日皇都を巡った所為で、彼女もかなり疲れているのだろう。しかし一方の景紀が執務室に籠っているので、心配になって様子を見に来たらしい。

 景紀が部屋にある振り子時計を見れば、すでに夜の十時を過ぎていた。


「ああ、この書状への返事を書き終わったらな。宵は先に休んでいていいぞ。今日は疲れただろ?」


「……重要な書状なのですか?」


 一瞬、彼女が否定の言葉を呑み込んだのが、景紀には判った。それでも、景紀に無理をして欲しくないのだろう。重要でない書状ならば返事を書くのは明日にしてはどうかと、言外に言っているのだ。


「いや、兵学寮同期からの書状だ。お互い、皇都にいるのに全然会えていないからな。ちょっとした恨み言と、俺たちの婚儀に対する祝辞、後はまあ、列侯会議に臨むに当たっての情報提供、ってところだな」


「やはり、この時期になると列侯会議が開かれる関係で、そうした書状が届くのですか?」


「ああ、そうだな」少年は頷いた。「この時期は列侯会議が開かれる関係で、あっちこっちから手紙が届く。俺たち六家と繋がりを持ちたい政治家連中、あるいは領民たちからの陳情書、もしくはこいつみたいに政局に関する情報をくれる奴らと、まあ色々だ」


「全国の諸侯が皇都に集まってきておりますから、それだけ駆け引きも活発になるということですね?」


「そう、よく判っているな。そのうち、宵のところにも諸侯たちの妻から茶会の誘いなんかの書簡が届くかもしれん」


「覚悟しておきます」


 まだ十五の小娘と侮られないようにしようと決意したのか、宵の声には覚悟故の堅さが混じっていた。


「まあ、俺がついていけない女性同士の会合の時は、冬花か、益永の奥さんを付き添いにつけるから安心しておけ。今から緊張していても、疲れるだけだぞ?」


「ありがとうございます」


「まあ、俺の本性を早々に見破った宵なら心配ないだろ?」


「それと諸侯の女性陣と上手く付き合っていけるかどうかは別問題な気もしますが?」


 宵は冷静にそう言い、首を傾げた。


「その辺りは冬花なり済に教わればいいさ。まあ、それも明日以降のことだ。もう今日は寝て、疲れた体を休めとけ」


 極力、宵が萎縮するような口調にならないよう注意しながら、景紀は促した。


「……」


 宵は少しだけ躊躇するような素振りを見せたが、ここにいても景紀の気を散らすだけだと感じたのだろう。


「……では、お先に失礼させていただきます。景紀様も、あまり遅くなりませんように」


 そう言って一礼して、宵は執務室の扉の向こうに消えた。小さく音を立てて、扉が閉まる。


「―――んっ」


 また一人になると、景紀は思い切り伸びをした。もう一度時計を確認して、少し遅くになり過ぎたか、と思う。

 とはいえ、届けられた書簡の中に重要なものがないとも限らない。何事もそうだろうが、特に政治の世界で主導権を握れないのは致命的である。如何に景紀であっても、その点で手を抜くつもりはなかった。

 現状でいえば、結城家が佐薙家と婚姻を結んだからか、東北への鉄道敷設計画が進むと思った何人かの豪商からの事業への参入を願い出る内容の書簡が多い。衆民院議員からも、鉄道の路線についての要望が何通か届いている。

 鉄道を管轄する逓信省ではなく、六家へと直接、要望書が届くのが皇国らしい。

 これとは別に、結城家領からの選出議員からの要望書もあった。地租問題や小作問題、労働問題など、領主である結城家にもたらされる要望は様々である。

 景紀に、列侯会議でも問題提起して欲しいと思っているのだろう。


「まあ、今は結城、佐薙、長尾三家の関係をどう整理するかだな」


 それによって、列侯会議の情勢も変わってくる。現状では、対外政策に関して慎重派の結城、長尾、有馬三家が連携を組んでいる状態であるが、下手に結城家が佐薙家と接近すれば長尾家との関係は崩れ、国内での対立が深まってしまう。

 特に領地を巡る六家同士の対立となれば、事態は深刻である。

 そこにだけは導かないよう、景紀としても慎重な対応が求められる。

 最善は、佐薙家の反発を抑えつつ、結城家がかの家の領国支配に影響力を及ぼせるようになることだろう。

 佐薙家の領国支配への影響力強化については、下手に結城家と長尾家が提携すると佐薙家とその家臣団の反発を買うだけだろうから、この点については結城家と長尾家が過度に接近しているという印象を与えるわけにはいかない。

 しかし一方で、来年度予算案の問題については長尾家との繋がりを重視しなければいけない。佐薙家も領内の振興のために民権派議員との接触を深めているという現状を勘案すれば、予算問題については三家で連携することも可能だろう。

 とはいえ、その匙加減が難しいところであった。

 また、同時に伊丹、一色両家と攘夷派の動きにも警戒しなければならない。軍事偏重の来年度予算案を潰した報復として、攘夷派を使嗾しての騒擾事件の誘発や、倒閣運動を行って政局を混乱させるといった手段を取ってくることも考えられる。

 先日の攘夷派による襲撃事件を考えれば、警戒してもし過ぎることはないだろう。

 景紀は机の上に広げた書状にもう一度、目を通した。


『―――伊丹一色両公ニ(おい)()()尚来年度予算案ニ付未練有之(これあり)候様被見受(みうけられ)(あいだ)両公公家(くげ)議員()ノ工作種々行ヘル趣モ有之候。尚警戒ヲ要スト愚考仕候ニ付、一筆申添候。余ハ拝眉ノ節ニ譲候。早々敬具。貴通(たかみち)


 手紙の末尾は、伊丹・一色両公爵が列侯会議の中でも特に公家議員に対して取り込み工作を行っているらしい現状が示されていた。


「こういう時、持つべき者は話の判る同期生だな」


 少年は少しだけ意地の悪い笑みを浮かべる。手紙の主たる兵学寮同期生は、今、景紀が欲している情報を正確に把握してくれているのだ。

 それにしても、「余ハ拝眉ノ節ニ譲候」か。遠回しに、久々に会おうと言ってきているのだ。

 さて、返事はどう書くか―――。


「……とりあえず、明日でいいか」


 宵にもああ言ったことでもあるし、今日はここで切り上げていいだろう。朝一で使者を走らせなければならないほど、重大な内容の書簡はなかったのだから。

 景紀はもう一度伸びをすると、広げた手紙と筆、硯を片付け始めた。


  ◇◇◇


 すとん、と着物の袖をふわりと浮かせながら冬花は屋敷の屋根に降り立った。


「……」


 夜の帳に包まれた屋敷の周囲に、少女は険しい視線を送る。

 結城家皇都屋敷は現在、冬花の構築した結界によって守護されている。葛葉家当主である父は、療養のため領地に下がった結城景忠公に付き従い、皇都にはいない。恐らくは、景忠公の傍で平癒祈願でも行っていることだろう。

 だからこそ、父に代わって冬花は皇都で主家を守らなければならない。弟の鉄之介はまだ術者として未熟であるし、何よりも景紀への心情的な反発を持っている。いずれ弟が葛葉家を継ぐにしても、今はまだ主家のことを任せられなかった。

 今、彼女が維持する屋敷の結界、それに触れるか触れないかといった距離で、こちらを観察する視線があった。

 結界に触れていないため、探知用の術式には反応していない。昼間から視線に気付いていたからこそ、そして彼女の生まれつきの体質があったからこそ、探知出来たのだ。

 やはり数日前と同じく、どこかの術者が景紀を監視していたらしい。昼間、呉服店を出たあたりから()けられていた。

 逆探知を試みたのだが、上手くいっていない。

 景紀が宵姫を皇都見物に連れ出したのは単純に宵姫の気晴らしや自分たち四人の関係性を深めるという思いがあってのことなのだろうが、自らが囮になって冬花に逆探知をさせるという目的もあったのだ。

 その意図を、陰陽師の少女は十分に理解していた。

 だからこそ、主君からの期待に応えられなかった自分が悔しかった。

 結界の外を飛び回っている監視用の式は、結界の突破を試みているのか、あるいはこちらを牽制しようとしているのか、いずれにせよ、結城家に仇なす存在であることには違いない。


「……」


 刀印を結んだ冬花は、その手でスッと空を切る。式の気配が消滅し、視線も消える。

 相手の術式で操られている式を消滅させてしまえば当然、逆探知も出来なくなるが、とりあえず監視の目を潰すことが先決だろう。やむを得なかった。


「……はぁ」


 自分は景紀のシキガミだというのに、まだまだ陰陽師として未熟であることに溜息が出てくる。

 しかし、だからといって父に頼る気にもなれなかった。景紀のシキガミは自分だけであり、景紀を害する術者は自分の手で成敗しなければならないと考えている。

 それが、冬花のシキガミとしての矜持だった。


「―――どうした、こんなところで溜息なんかついて?」


 不意に響いてきた声に、思わず冬花は肩を跳ねさせてしまった。


「か、景紀!?」


 みっともないところを見られてしまったかと思い、冬花は思わず上ずった声を出してしまう。

 見れば、景紀が屋根によじ登ろうとしていた。「よっと」という小さな掛け声と共に、屋根の上に上がってくる。片手には、角灯を持っていた。

 着流し姿の景紀は器用に屋根の上を歩いて、棟(屋根の頂上の部分のこと)のところに腰掛けた。


「まだ監視の式がいたのか?」


「ええ」冬花は頷いた。「でもごめんなさい。相手の術者までは特定出来なかったわ」


「別に、監視に気付けただけでも上出来だろ?」


 申し訳なさそうに言う白髪の少女に、景紀は軽く笑って気にしていない素振りを見せる。


「まあ、気にするなって。どうせ、しつこく式を放ってくる。いずれ、ボロを出すだろうよ」


「……景紀は、どこの家が術者を傭っていると思う?」


「正直、心当たりがありすぎて、逆に断定出来ないな」


 さもおかしそうに、景紀は言う。完全に皮肉としての発言だろう。


「佐薙の屋敷にも術者らしき坊さんが出入りしているらしいし、疑い出したら切りがない」


 将家、それも六家の一角となれば、確かに頷ける。列侯会議の開催が近付いている今、誰もが結城家当主代理である景紀の行動に注目していることだろう。


「というか、何で私がここにいるって判ったの?」


「いや、冬花のことだからまた真面目くさって屋敷の警戒をしているだろうと思ってな。周囲を見張ろうと思ったら、屋根の上に登るだろ?」


「……何だかからかわれているようで、納得いかないわ」


「おいおい、そこはシキガミの性格を見抜いている主様を褒めるところだろ?」


「『シキガミ』って言っておけば、何でも解決するって思ってないかしら?」


 少しだけ、冬花は拗ねたような声を出してしまう。自分の姿が見えなくて心配で、とか言って欲しかったと、ついつい思ってしまうのだ。

 とはいえ、そう言われたら言われたで、いたたまれない気分になるのだろうが。


「……」


 冬花は少しだけ迷う素振りを見せた後、景紀の背後に回ると覆い被さるような形で少年を背後から抱きすくめた。

 猫が飼い主に甘えるような、どこか稚気の含まれた行為。

 抱きしめた景紀の体は、将家の男性らしく筋張った堅さがあった。


「……おいおい、いつもの凜々しい冬花さんはどこに行ってしまったんだい?」


「いいじゃない、たまには。今日一日、宵姫様が景紀を独占していたんだから、今くらい、私が独占しても文句はないでしょ?」


「随分と我が儘なシキガミだな」


 くすりと笑う景紀に、お返しとばかりに冬花は少年の背に体重をかける。

 体重を掛けられて前のめりになった景紀が姿勢を戻して、また冬花が体重を掛ける。じゃれ合うようにゆらゆらと体を揺らして、二人はそんなことを繰り返す。


「……私、やっぱりちょっと寂しいみたい」


 主君たる少年が他の華族の姫と結ばれることに関して、冬花は納得していた。無論、今でも納得している。

 しかしそれでもやはり、景紀と宵姫の距離が縮まっているのを見ていると胸の内にもやもやとした感情が生まれてくるのだ。

 別に、景紀を独占したいわけでもないし、宵姫に反感を抱いているわけでもない。彼女とは、女性同士で上手くやっていきたいとも思っている。


「……人の心って、ままならないものね」


「まあ、人間は絡繰り人形じゃないしな。俺も、お前が絡繰り人形じゃあつまらない」


「面倒臭い女って思ってない?」


 少しだけ、不安が声に出てしまった。自分の存在は、この少年のためにある。少年自身にそれを否定されては、きっと生きていけないだろう。


「まさか」景紀は笑い飛ばすように、軽口を叩いた。「むしろ、冬花の可愛い面を見られて良かったと思ってるくらいだぜ?」


「もう……」


 わざとらしい呆れた声と共に、冬花は少年を抱きすくめる力を強めた。


「まあ、そう拗ねなさんな」


 微笑ましそうにそう言って、景紀が懐から小さな箱を取り出した。「ほれ」といって、彼はその箱を背中に抱きついている冬花に差し出す。


「……私に?」


「この状況でお前以外に渡す相手がいるのか?」


 戸惑い気味の少女に、少年はおかしそうに言う。

 景紀が冬花に物を贈るのは、実は非常に珍しい。彼女は景紀の側近中の側近であるのだが、出身は用人系統の家系である。

 歴史上、将家においては主君に重用される用人と、家老系統の家臣との間で対立が起こることも珍しくなかった。

 加えて、冬花は女性である。下手に家臣の目のある所で物を贈っては、景紀は家臣からの信頼を失うであろうし、冬花にも彼らの反発が集中するだろう。

 それが判っているから景紀は冬花に物を贈るということをあまりしないし、冬花の方も物をねだるような行為はしたことがなかった。


「……」


 景紀に回していた腕を解き、小箱を受け取った冬花は慎重に中を開けてみる。月と角灯の光に照らされて、中に入っているものが露わになった。

 それは、繊細な蒔絵の装飾が施された飾り櫛だった。

 美しい縮緬(ちりめん)の収納袋に入れられた、黒の漆の上に淡い色の花が描かれた櫛。

 花は、椿であった。冬に花開く、幾重にも重なった花弁が特徴の花。


「冬花たちが店の奥に行っている間に、見繕っておいた」


 冬花が宵の付き添いとして店の奥で服の採寸をしていた時、景紀はこっそりとこの櫛を選んでいたらしい。


「冬花は俺のシキガミだから、その、何だ……」


 流石に景紀も、すべてを言うのは気恥ずかしいらしい。

 基本的に、櫛は「苦」「死」と発音が被るため縁起が悪く、贈物としては相応しくないとされる。しかし一方で、男から女へ櫛を贈る場合、「死ぬまで苦楽を共にしよう」という意味にもなる。

 当然、景紀もそれを判った上で櫛を選んだのだろう。


「……まあ、これからもよろしく、ってところだな」


「何とも締まらないわね」小さく笑いながら、冬花は呆れたように言う。「でも、ありがとう」


 そっと、冬花は飾り櫛を箱に戻した。家臣たちの目のあるところでは、そして家族の前ですら、この櫛は使えないだろうが、それでも嬉しかった。

 宵姫がやってきたとしても、自分たちの関係は変わらない。それを、景紀自身が櫛というものを通して冬花に伝えようとしてくれているのだ。

 だから、シキガミたる少女もそれに応えなければならない。

 冬花は足場の悪い屋根の上で器用に姿勢を正し、臣下の礼をとった。


「この葛葉冬花、シキガミとして終生、如何なることがあろうともあなた様のために尽くすと誓いましょう」


「ああ、期待している。俺の、ただ一人のシキガミ」


 幼き日と同じように小指を絡め合う二人の影を、月明かりが優しく照らし出していた。

 これにて、第一章は終わりとなります。

 ここまでのお付き合い、誠にありがとうございました。

 物語的には、まだまだ「世界観と登場人物の紹介編」といったところです。

 一応、異世界戦記小説を目指しているのですが、現在のプロットですと、第二章にて懸案となっている東北問題の解決に道筋を付け、第三章でゴタゴタしている来年度予算問題を片付ける予定のため、当面は内政もの・魔術アクションものになりそうです。


 とはいえ、史実の十九世紀後半の東アジアはまさしく動乱の時代ですから、第四章以降ではそうした国際情勢を描いていく予定です。

 景紀や冬花、宵が、そして彼らの住まう秋津皇国が、どのようにして激動の時代を乗り越えていくのか、これからもお付き合いいただければ幸いに存じます。


 ここまでの内容について、ご意見・ご感想があれば是非ともお寄せ下さい。

 一言でも読者の皆様からのお言葉を頂ければ、それだけで今後の執筆の励みとなります。


 では、第二章でまたお会いいたしましょう。

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