15 攘夷派浪士
「新八さん」
裏口の所で、景紀は虚空へと声をかけた。
「ほいな」
どこか気の抜けた声と共に、朝比奈新八が料亭の敷地の暗がりから現れた。腰には刀を差している。
「人数は?」
「六人やな。帯刀した浪士らしいのが一人と、あとは壮士(暴力的な政治活動を行う者たちの総称)らしいのが五人。まあ、浪士の方はそれなりに武術の心得がありそうやけど、壮士の方は見るからにこういう事には素人や。単に腕っ節が強いだけの乱暴者の類やな」
将家の隠密、その中でも特殊技能を修めていた家系の新八が言うと、かなりの説得力があった。恐らく、彼の見立てで間違いないだろう。こうした“裏”の案件については、むしろ景紀は冬花よりも信頼を置いている。
「出来れば浪士は生け捕りにしたいな。壮士の方は、少し脅かせば逃げていくだろう。まあ、それでも一人くらいは捕まえておけ。斬奸状とか持っているかもしれないからな」
「担当は?」
冬花が訊いてきた。
「新八さんは壮士連中を頼む。俺と冬花は浪士風の奴をやる」
「了解」
「判ったわ」
三人は互いに頷き合って、店の裏口からそっと通りに出る。足音が響かないように慎重に、塀沿いを進んで店の表門側へと回った。
「ほな、僕は連中の後ろに回るわ」
そう言って、新八だけが別の路地に向かう。相手が余程訓練された隠密でもない限り、気付かれぬように背後をとることなど彼にはたやすいだろう。
新八が別の建物の塀の影に消えるのを見届けてから、景紀は店の塀の影から表通りの方をそっと覗いた。
「ああ、確かにあからさまだな」
ガス灯の明かりに照らされた通りに、明らかに挙動不審な男が数名、立っていた。
「将家の隠密にしては、お粗末ね」冬花が相手の姿を見て酷評した。「本当に、ただの牢人と壮士じゃない」
「ただ、浪士風の男は体幹がしっかりしている。隠密には向いていないんだろうが、それなりに腕は立ちそうだ」
もっとも、それが通行人たちの間で浮いている理由の一つなのだろうが、と景紀は胸の内で呟いた。
「術はどこまで使う?」
冬花が、陰陽師としての力をどこまで使役していいのか、景紀に尋ねる。
「出来れば必要最低限で頼む。長尾家の連中が、冬花の能力を試すために自作自演をしていないとも限らない」
それは、不審人物たちについて何も知らないと言った長尾憲隆の言葉をまったく信用していない景紀の心の現われであった。
「判ったわ。なるべく、身体強化の術式だけを使うようにする」
「すまんが、それで頼む」
やがて、店の表門から二台の馬車が出ていく。結城家と長尾家の家紋付きの馬車であるが、当の本人たちは乗り込んでいない。
だが、馬車の窓を覆う幔幕に阻まれて、外側からはそのことが判らない。
と、不審な男たちが動いた。帯刀した男が細い路地に消え、他の壮士風の男たちもいくつかの路地に向かっていく。
馬車が通れない細い道を縫って、先回りするつもりだろう。
「うちの方角だな」
嗤うように、景紀は呟いた。彼らの消えた路地は、結城家屋敷の方角へと続いているのだ。交差点で馬車が止まった瞬間など、道中のどこかで襲撃するつもりだったのかもしれない。
「行くぞ」
景紀は素早く塀の影から躍り出た。冬花がそれに続き、浪士らしき男が消えた路地へと侵入。
「先回りしておくわ」
「頼む」
隣を駆ける冬花が、速度を上げて景紀を追い越す。呪術で己の身体能力を強化しているのだ。そのまま軽業師のように道沿いの塀を足場にして跳躍していき、白い髪を揺らす姿が景紀の視界から消えた。
◇◇◇
冬花は塀や屋根を足場にして跳躍を繰り返していく。
眼下に、街灯の明かりもない細い路地を駆けている男がいた。先ほど、店の前で見かけた浪士風の男である。
やがて男は、皇都内に巡らされた物資を船で運ぶための水路沿いの道に差し掛かった。道を挟んで水路の反対側には蔵が並んでおり、そのために夜の人通りは皆無だった。
冬花は着物の袖の内側に手を入れ、呪符を取り出す。両手の親指から小指までの間に挟んだそれを、相手の針路上に投げつけた。
霊力をまとった八枚の呪符が矢のように飛んでいき、路地を走る男の足下に刺さって青白い鬼火を出現させる。
「っ!?」
自らの行く手を塞ぐように現れた鬼火に、浪士の足が止まった。
冬花は相手の正面にすとんと降り立って、刀を抜く。
「何だ、小娘」
突然現れた白髪の少女剣士を威圧するように、その浪士はドスの利いた声で誰何した。
「それはこちらが聞きたいわね」冬花は油断なく刀を構えながら尋ねた。「あなた、何の目的があってあの店を監視していたの? 素直に答えてもらえると、若様を煩わせる手間が省けていいんだけど」
見れば、浪士は三十代前半といった容姿。しかし、着物は薄汚れており、髪もあまり手入れをしていないようでボサついている。
仕えるべき主家を失って長いのだろう。
そのために、こうした密偵じみた行為で金を稼いでいるのかもしれない。
「なるほど。娘、貴様、結城の軟弱な小倅が飼っているという“混じり物”か」
侮蔑も露わに、男が言う。
その瞬間、冬花は地面を踏み抜くような勢いで突きを放っていた。だが、相手も即座に反応して刀を抜いていた。
月明かりだけが照らす、暗い道に響き渡る金属音。
二つの白刃が激突し、火花が散る。
冬花の目の前に、少し苦い表情を浮かべる男の顔があった。自分のことを、ただの小娘だとでも思って油断していたのだろう。
「私のことはいくら侮辱してもいい」顔から表情を消し、声からも抑揚を消し去って冬花は言う。「だが、若様を侮辱することは許さない」
冬花の刀が、相手の刀を押していた。そのことに、男の表情が苦いものから屈辱的なものへと変化する。
「くっ……!」
男は刀身を翻して冬花の刀を弾き、一旦、距離を取ろうと後ろに跳ぼうとした、その刹那。
「―――言っておくが、俺も冬花を侮辱する奴は許さんぞ」
ぞっとする冷たい声音と共に、殺気。
男は咄嗟に身を捻って背後から振り下ろされた白刃を躱す。前髪が何本か、はらりと宙を舞った。
そこにいたのは、刀を構えた一人の少年。
「……馬車は、囮だったか」悔しげに、男は呻く。「結城の軟弱者が。少しは知恵が働くというわけか」
「俺が軟弱者、ねぇ」
景紀の声には、自身が嘲られていることをどこか面白がるような皮肉な響きがあった。その態度に、男は苛立ったように言葉を放つ。
「西洋の蛮人どもを討ち滅ぼす気概を持たぬ武家の棟梁など、軟弱者以外の何ものでもなかろうが」
「あんた、攘夷なんてのを本気で信じているのか?」
景紀の声には、このやり取りに嫌気が差したような投げやりな調子だった。会話の噛み合わない人間との話し合いほど、精神的に疲れるものはない。
「我々武士の力を結集すれば、夷狄を攘うことなど造作もない。それを、貴様らのような軟弱な将家が阻んでいるのだ」
「ああ、はいはい。御託はいいよ」
この水路沿いの細い道で一演説ぶちそうな攘夷派浪士を、景紀は心底どうでもよさそうな口調で制した。
攘夷派浪士の中には、戦争が起こることによって自らに活躍の場が与えられるだろうと考えている輩がいる。そうした連中に付き合うだけ、無駄なのだ。
「俺は今、苛立っているんだ。お前、俺のシキガミを侮辱しただろ?」
「混じり物を混じり物と呼んで、何が悪い」
刹那、景紀の白刃が煌めいた。
「小僧が……!」
己の刀身でそれを受け止めた男が、屈辱に顔を歪めている。年下であるはずの少年と少女によって追い込まれつつあることが、自らの矜持を傷付けているのだろう。
「はぁっ!」
景紀と刀を交える男の背後から、冬花が斬りかかる。
だが、男も中々の手練れであった。
細い道で挟み撃ちにされている状況ながら、冬花の振るった刀を紙一重の差で躱したのだ。
「女如きの剣が、この俺に届くとでも思ったか!」
牢人に落ちたとはいえ武士の矜持があるのか、特に冬花の刀に掛かることだけは断じて許せないようであった。
今度は男が景紀に向かって踏み込み、上段に構えた刀を振り下ろしてくる。景紀が自らの刀身に相手の斬撃を滑らせるようにして受け止め、後方に跳んで距離を取る。
それを、男が追撃した。
どの道、店を監視していた連中の目標は景紀なのだ。だからこそ、男としては目の前にのこのこと現れた結城家の嫡男を討つことを、不利な状況から逃げ出すことよりも優先したのだろう。
だが、景紀には殺されてやるつもりなど毛頭ない。
抜く手も見せず、景紀は左手で懐から回転式拳銃を取り出した。
「っ!?」
咄嗟に、拙いと悟ったのだろう。男は景紀の左腕の外側に逃れようとする。
これは、正しい判断であった。銃を構える腕の外側の逃げることで、撃つ側は脇を締められなくなり射撃時の安定性を失うことになる。つまり、撃った弾が相手に当たりにくくなるのだ。
だがこの瞬間、反射的に正しい判断をしたが故に、男は隙を晒すことになった。
相手は、銃を構える景紀だけではないのだ。
冬花は景紀が銃を構えた瞬間に動き出していた。相手が逃れるであろう、景紀の左腕の外側に。
一瞬で、陰陽師の少女と浪人の男の距離が詰まる。
「っ!?」
男の目が見開かれる。それでも、彼は無理矢理に体を捻って刀を振るい、冬花の斬撃に対抗しようとした。
白刃が交差して、火花が散った。
「なにぃ!?」
だが、男の目はさらに驚愕に見開かれることになる。
自らの刀身に相手の斬撃を滑らせ、瞬間、冬花は体を捩った。横に跳んで、蔵の壁に垂直に着地。足を発条にして、壁を蹴る。
刀を振り抜いた相手の背後に一瞬にして回り込み、着地の衝撃を吸収するために屈んだ姿勢から飛び上がるようにして上に向かって刀を振るう。
男は、刀を戻す暇もなかった。
咄嗟に上体を反らすも、冬花の切っ先が左頬を鋭く抉った。飛び出した血が、少女の刀身を伝う。
「―――さて、“女如きの剣”に斬り付けられた気分はどうかしら?」
意趣返しのつもりなのか、冬花は見下すように相手を見据える。
「小娘がぁ、許さんぞ!」
片手で頬を押さえている男が、怒気も露わに叫んだ。
だが、それをかき消すように銃声が響く。男の体が傾いだ。
「ぐっ……!」
男は苦悶の呻きを上げた。右手に持っていた刀を取り落とす。着物の右肩が、じわじわと赤く染まっていく。
景紀が撃ったのだ。
その隙を逃さず、冬花は着物の袖から新たな呪符を取り出し男に投げつける。二枚の呪符が男の足に張り付き、地面に繋ぎ止めた。
「さて、あんたには色々と聞きたいことがあるんだ」
未だ油断なく銃を構えている景紀が、冷めた口調で言った。冬花を侮辱したことへの怒りが、まだ収まっていないのだ。
「まずはあんたらの雇い主の名前だ。どう考えても、あんたらの個人的感情で俺を狙ったわけじゃないだろう?」
「……」
だが、男は景紀を憎々しげに睨み付けるだけで答えない。景紀は、「はぁ」と小さく面倒そうな溜息をついた。
「冬花、頼めるか?」
「了解」
冬花はさらに二枚の呪符で男の手の動きまで封じてしまう。そして白髪の陰陽師は未だ抜いたままであった刀を鞘に収めると、頬から血を流す浪士の正面に回った。
「さて」
元々赤みがかった琥珀色の少女の瞳が、さらに赤く妖しく光る。
その瞳に見つめられた男の目から正気が失われかけた刹那―――。
「っ!?」
冬花の顔に緊張が走った。
咄嗟に景紀の方に跳び、彼に覆いかぶさるようにして地面に引き倒す。勢いのまま、二人は地面を転がった。
直後に、地面に何かが突き刺さる音。
冬花がそちらを見れば、地面に彼女のものでない呪符が突き刺さっていた。同時に、浪士を拘束していた四枚の呪符が唐突に燃え上がって灰となる。
浪士は、縛めの解かれた瞬間を逃さなかった。
彼は一瞬だけ冬花に殺意の籠った視線を向けると、無事な左手で落とした刀を確保して遁走したのである。
「……」
冬花は上体を起こして周囲の気配を油断なく確認する。
明らかに、今の攻撃は呪術師によるものだ。
それが拘束された浪士を助けたということは、店の周りをうろついていた浪士も含めた六人と、姿の見えない呪術師には何らかの繋がりがあるのかもしれない。
だが、相手術者の気配は探れない。術者自身も、すでに去ってしまったようだった。
「……ごめんなさい、景紀。怪我、なかった?」
先に起き上がった冬花が、起き上がろうとした景紀の手を引っ張る。
「いや、助かった」
服に付いた土埃を払いながら、やれやれといった感じに景紀が答えた。
「すまん。俺の方も、呪術師の存在までは考慮に入れてなかった。この間、どこかの術者が式を飛ばしていたっていうのにな」
自身の迂闊さに、景紀は自嘲気味に溜息を漏らした。
「だがまあ、冬花がいてくれて助かった。ありがとな」
何の衒いもなくそう言われて、冬花の頬に薄く朱が差す。だけれども、自分の中に生じた嬉しさと気恥ずかしさを素直に認めてしまうのも、なんだか恰好が付かない。
だから陰陽師の少女は、少しだけ誇らしげな笑みで景紀に応じた。
「当然よ。私は、あなたのシキガミなんだから」
◇◇◇
「んで、新八さんの方も、攘夷思想にかぶれた連中ってこと以外、大した情報はなしか」
「そうやな」
新八と合流した景紀と冬花は、情報を交換し合う。斬奸状を持ってはいたが、そこから判ったのは、この男たちが攘夷派であるということだけだった。
路地裏で新八に気絶させられたまま塀にもたれている壮士を見下ろしながら、景紀は少し考える素振りを見せる。
「……こいつらが攘夷派であるとはいえ、現状、依頼主が判らない以上、伊丹や一色の脅しや牽制と断定するわけにはいかないな」
「でも、限りなく怪しいんじゃない?」冬花が言う。「今日、景紀と長尾公が会合する情報を得て、素早く監視と襲撃の人間を手配出来る手際の良さから考えると、その辺にいる攘夷派浪士たち単独の企みとは思えないわ」
「だな」景紀は頷いた。「だが、いずれにしたって何の証拠もない上、呪術師の存在もある。伊丹公ら攘夷派将家の差し金か、あるいは長尾公が冬花の能力を把握するために仕組んだ自作自演か。あまり先入観で物事を判断しようとすると、思わぬ落とし穴に嵌まる危険性もある。何処かしらの組織的犯行であることは間違いないだろうが、当面は情報収集だ」
「判ったわ。私も、出来る限り術者の探知に努めるわ」
「ほな、僕も皇都に来ている食い詰め者な牢人連中に紛れて情報を探ってみるわ」
「ああ、頼んだ」
二人の言葉に満足げな頷きを返した景紀は、長尾公の待つ料亭へと踵を返す。その両脇を固めるように、冬花と新八が立つ。
「ところで景紀、一つだけ訊いていいかしら?」
「何だ?」
「依頼主はともかく、景紀を狙う理由は何だと考えているの? それによって、警戒の仕方も変わってくると思うけど」
「そんなの、理由なんて一つだけだろ?」
当然のことのように、景紀は言った。声には皮肉も諧謔もない。
「俺が、六家の人間だからだ」