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10 二人の少女

 障子を透かして差し込む朝日に気付いて、宵は目を覚ました。

 寝起きのぼうっとした頭で、しばらく天井の木目を見つめていた。鷹前の居城とも、皇都の佐薙家屋敷とも違う木目。

 ああ、自分は結城家の人間となったのだな、とぼんやりとそう思った。


「……起きたか?」


 唐突に横からかかる男の声。不覚にも、宵は一瞬だけびくりと身をすくませてしまった。


「どこか具合の悪いところはないか?」


 今までまったく気付いていなかったが、景紀はすでに起きていたようで、上体を起こして宵のことを見下ろしていた。

 彼の存在に気付いた宵は、反射的に顔を赤らめて布団で顔の下半分を覆ってしまった。

 床入りの儀では、婚儀を済ませた男女が実際に夫婦となったことを、立会人が確認することになっている。これは、後々になって婚姻を無効・破棄されないためであり、特に婚姻が家同士の同盟を意味する将家においては欠かすことの出来ない儀式といえた。


「いえ、特には……」


 昨夜のことを思い出して、宵は瞳を景紀から横にずらしながら答えた。

 衣を脱ぐときの心細さと不安と羞恥と恐怖は、まだ彼女の頭の片隅に残っていた。すでに痛みは引いているはずなのだが、意識してしまうと下腹部がもやもやするような気がする。

 だが、体調そのものに異変はない。

 それに、多少の羞恥心は残っているが、目の前の男性に対する嫌悪感はない。景紀がずっとこちらを気遣ってくれていた所為もあるのだろう。将家の姫として一つの役割を果たせたのだと、ささやかな達成感すらあった。


「……大丈夫だと思います。景紀様」


「ならいいんだが……」


 景紀は少し戸惑っているようだった。彼も昨夜のような行為は初めてだったのだろう。そのことに妙に安堵している自分がいることに、宵は気付いた。

 少なくとも、彼が重用している陰陽師の少女、冬花という人物とは()()()()関係にないということになる。では、彼とその少女とはどのような関係なのだろうか?

 宵は少しばかり、興味が湧いてきた。


「それじゃ、宵も将家の姫だから判っていると思うが、これから俺とお前が夫婦となったことを、正式に家臣たちに布告しなければならない。朝食を終えたら正装に着替えて、大広間に行くぞ」


「かしこまりました」


  ◇◇◇


 宵にとって、大勢の家臣に一斉に傅かれるという体験は初めてのことといってよかった。

 結城家家臣を代表して、筆頭家老だという益永忠胤という人物が景紀と宵に対して祝辞を述べ、主家のますますの繁栄を祈る言葉で締め括った。

 それに対して景紀が答礼を述べ、家臣団の結城家へのますますの忠勤と職務への精励を期待する旨を伝える。

 儀式は予定調和的に進んでいき、佐薙家側の人間もいないので、景紀に対して何らかの直訴が起こる気配もなかった。

 宵は居並ぶ家臣団の列の後方、用人たちの列の後方に、昨日の婚儀の場では見なかった白い特徴的な髪をした少女の姿を見つけた。恐らく、彼女が噂に聞いていた結城家の陰陽師、葛葉冬花という少女だろう。

 どことなく真面目そうな印象を受ける、凜とした顔立ちの少女だった。鎧と兜を着ければ、軍記物の中に出てくる凜々しい女武者と遜色ないだろう。

 周囲の者たちにそうと気付かれないように、宵は冬花を観察するような視線を送る。

 佐薙家の口さがない者の中には、彼女を景紀の愛妾と呼ぶ者もいた。ただ、昨夜の景紀の言葉を聞く限りでは、そうした単純な関係ではなさそうである。この場でも、葛葉家の当主でも後継者でもない彼女が家臣団の列の後方に配置されていることからも判るとおり、結城家という単位で彼女を見れば、用人の娘といった程度の扱いなのだろう。

 それでいて、白髪の陰陽師の少女は景紀の呪術的警護および補佐官として重用されているという。

 広間の配置を見る限りでは、主君からの寵愛を良いことに専横を振るおうとするような輩ではないことは確かだろう。そして、もしそうした人間であれば景紀は絶対に重用しない。逆に彼の人間不信が加速していくだけだろう。

 そう考えれば、葛葉冬花という少女は理性的で頭脳明晰、景紀への揺るぎない忠誠心を持った少女と判断出来る。そしてその忠誠心も、盲目的な忠誠では、やはり景紀が重用することはないだろう。

 主君に対して苦言すら呈することが出来る、本当の意味での忠臣なのかもしれない。

 だとしたら景紀の言う通り、仲良くなることはさほど難しいことではないだろう。正直、宵はこれまで同年代の遊び相手というものに恵まれなかった。

 景紀に重用される冬花という少女に嫉妬を抱くよりも、むしろ宵としては良き友人となりたいという思いの方が強い。

 この場が終わったら、早速、景紀に彼女の紹介をしてもらおうと思った。


  ◇◇◇


 家臣団を集めての婚礼布告が終わると、宵は景紀に屋敷の中を案内されることになった。

 六家だけあり、結城家の屋敷は皇都の華族屋敷の中でも広大な方に分類される。恐らく、敷地面積だけで佐薙家の皇都屋敷の二倍から三倍の広さがあるだろう。

 最初に案内されたのは、当主の執務室。今は景紀の執務室となっている部屋だった。

 恐らくはこの部屋を作った当時の当主の趣味なのだろうが、執務室は洋間となっていた。舶来品の調度品や絨毯が敷かれた瀟洒な部屋であった。


「素敵な部屋ですね」


 宵は素直な感想を口にした。


「まあ、作った奴の趣味が良いのは確かだな」景紀が応じた。「華美にならず、それでいて当主の威厳が感じられる造りになっている。椅子に座っている奴本人に威厳があるかどうかはともかくとして」


「それはいささか捻くれ過ぎでは?」


「俺はまだ十七の若輩者だ。家臣がどこまで本気で俺に従っているのか、いささか疑問を抱かざるを得ないさ」


 人間不信が過ぎるのか、自己評価が低いのか、宵としては判断に困るところだった。

 少なくとも、自分の夫となった少年は無能ではない。だが、少年は自分の能力を信じるということにすら、懐疑的なのかもしれない。

 いささか度が過ぎているように感じないでもないが、歴史上、自らの能力を過信して破滅した人間は多い。これは国家にもいえることであろうが。

 その意味では、景紀のような性格で丁度良いといえるのかもしれない。


「ところで、先ほど広間で見た白い髪の方。あの方が、冬花様ですか?」


「ああ、そうだ」少しだけ、景紀の言葉に警戒感が混じっていた。「気になるのか?」


「ええ、これからこの家で過ごすことになるのですし」


 彼は冬花という少女の容姿を、自分が気にすることを懸念しているのだろうか? だが、宵は彼女の容姿を見ても、特に何とも思っていない。むしろ、新雪のような白い髪を綺麗だとすら思う。


「まあ、それもそうだな」


 宵の反応を見て、景紀も心配するよりは直接会わせた方がいいと感じたのだろう。卓上の呼び鈴を鳴らした。

 しばらくすると、部屋の扉が軽く叩かれる。


「冬花、参りました」


 凜とした、少女の声が聞こえた。


「入っていいぞ」


「失礼いたします」


 そう言って入ってきたのは、先ほど、広間でも見た白髪の少女であった。華奢な体に丈の短い着物を纏った、陰陽師というよりは女剣士といった凛とした雰囲気をまとう人物。実際、冬花と呼ばれた少女は腰に刀を差していた。


「すまん、冬花。新八さんも呼んできてくれるか」


「かしこまりました」


 一礼して、白髪の少女が扉の向こうに消えた。しばらくの間、その扉を見つめていた宵は景紀に視線を向ける。


「彼女の口調、普段、あなたに接する時は、あのようなものではないのでは?」


 その指摘に、景紀は瞠目したようだった。


「……よく判ったな」


「いえ、カマを掛けてみただけです」宵はそこで、淡く悪戯っぽい笑みを浮かべた。「当主代理の座を窮屈に感じる景紀様でしたら、きっと、身近な人間に堅苦しく接されるのはお嫌だと思いましたので」


「はははっ、お前って本当に面白いな」


 楽しそうに、景紀が笑い声を上げた。

 と、再び扉が叩かれる。


「失礼いたします。朝比奈殿をお連れしました」


 家臣としての態度のまま、白髪の少女が入室する。その後ろに続いていたのは、宵が先ほどの広間では見かけなかった青年であった。景紀よりも背が高い。景紀と冬花の会話を聞く限り、この人物の名は朝比奈新八というようだ。

 冬花がちらりと宵の姿を確認した。その澄んだ赤い瞳を見て、宵は紅玉(ルビー)のようだと思った。やはり、気味悪さは感じない。


「それで、景紀様。どのようなご用件でしょうか?」


 冬花の問いに直接は答えず、景紀が宵の方を見た。どこか面白がるような景紀の表情を見て、宵は彼の意図を察した。


「私の方から、景紀様の側近とされる方に、直接ご挨拶申し上げようと思いまして」


 そう言って、宵は一歩前に出た。冬花という少女は生真面目そうに、その背後にいる新八という青年は面白そうに、宵を見ていた。


「改めて、佐薙成親が娘、宵である。以後、見知りおけ」


 武家の娘らしい、格式張った口調で宵は名乗った。


「はっ!」

 冬花と新八がその場に膝を付き、臣下の礼を取る。


「お二人とも、立って頂いて構いません」


 宵の言葉に、二人が立ち上がる。


「さて、お二人にお願いがあるのですが、普段、景紀様に接されているように、私にも接していただけると助かります」


 その言葉に、白髪の少女が困惑気味の表情になる。そして視線が、助けを求めるように景紀の方を向いた。


「なっ、面白いだろ? 俺の嫁さん」


「……なるほど、そういうことね」


 わずかの間だけ、冬花が頭痛を堪えるように片手で額を押さえた。


「一瞬で、俺とお前の関係を見破られたよ」


「そら、僕としても楽でええな」そう言ったのは、新八だった。「ほな、僕は朝比奈新八。以後よろしく、お姫さん」


 彼はへらりとした笑みを浮かべる。軽薄そうな雰囲気の青年だが、景紀が側近として用いている以上、それなりの能力を持つ人間なのだろうと宵は判断する。


「新八さんは、俺が直接雇っている護衛で、結城家とは関係ない」


「まあ、元は牢人やからな。姫さんの旦那さんには世話になっとるわ」


「朝比奈さん、早速この状況に馴染んでるわね」


 未だどこか納得いかなそうに、そして若干の呆れを込めた声で、冬花が言った。


「冬花様も、私の前だからと遠慮する必要はないのですよ」


 宵がそう言うと、冬花という少女は悩ましげな表情になる。


「……若様、いったい宵姫様に何を吹き込んだのですか?」


 結局、陰陽師の少女は自らの主君へ抗議することに決めたらしい。


「宵は自分で気付いたんだ。俺がバラしたんじゃない」


 一方の景紀は、家臣の抗議などどこ吹く風といったように受け流す。


「宵は中々鋭い奴だ。俺の目的も、俺と冬花との関係も、あっさりと見破りやがった」


「はい。ですので、私の前だからと無理に取り繕わなくて構いません。むしろ、私にも景紀様と同じように気楽に接していただければと思います」


「宵姫様」冬花が不服そうな口調で言った。「あまり景紀様から悪い影響を受けませんように。私としては心配になってしまいます」


 その言葉に、宵はくすりと笑う。


「もう地が出ていますよ。主君の目の前で、主君のことを悪く言う家臣がどこにいますか?」


 宵が指摘すると、冬花はしまったというように顔をしかめた。


「なっ? 鋭い奴だろ?」


 そして景紀がどこか誇らしげに言う。それが、宵には嬉しかった。この人は、自分を必要としてくれている。


「私はすでに結城家の人間であり、景紀様の妻です。であるならば、景紀様の為そうとなさることを支えるまでです。冬花様も、お気持ちは同じなのでは?」


「……」


 あっさりと自身を結城の人間と言い切る宵に対して、冬花は戸惑ったような表情を浮かべていた。恐らく、宵が佐薙家の利益を生むために送り込まれた人間だと思っていたのだろう。

 そして、それは結城家の人間からすれば正しい判断である。だから、宵はたとえ冬花にそう思われていたとしても、別に気にすることではないと思っている。むしろ、あっさりと自分を受け入れてくれた景紀の方が例外的といえるだろう。

 こういう人間が夫であったならば、母も苦しまなかったのかもしれないが……。

 そこに少し、宵は母親に対する申し訳なさを感じてしまう。


「……判りました」


 やがて、冬花自身の中で何らかの区切りがついたらしい。


「この葛葉冬花、宵姫様がそのお覚悟であるならば、景紀様の家臣の一人としてお支えいたします」


 再び臣下の礼をとって、冬花はそう宣言した。


「ええ、これからよろしくお願いいたしますね、冬花様」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文学的な初夜の後の描写ですね。 なんというかそういう営みも書き方に よって、こういう風に表現出来るんですね。 まあ周囲から監視される感じが少し嫌な気もしますが、 これも立場ある者の義務なん…
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