蕃茄と遠雷 〜全ての漢字が『人と人とが支え合って出来ていればいい』と思っている男〜
「この間すげえ良いこと聞いちゃってさぁ」
「何だよ」
放課後。
予報にはなかった突然の雷雨で、教室には傘を忘れた奴らが特に何をする訳でもなくダラダラしていた。窓を叩く雨粒を眺め、さてどうしたものかと俺が考えていると、向こうから吉田が、妙に嬉しそうな顔をして近づいてきた。
「ホラ。『人』って漢字あるじゃん」
そう言うと吉田は、開いていた俺のノートに、勝手に文字を書き始めた。
人
「なぁ松山。『人っていう漢字は……人と人とが支え合って出来てるんだ』ってさ」
吉田が得意げに俺を見上げた。俺は喉から曖昧な音を出して頷いた。どこかで聞いたことのあるセリフだ。しかも、めっちゃ有名なヤツだ。
「何か……感動しちゃうよね。あぁ、人は一人じゃないんだなって。お互いが、お互いにとって大切な存在なんだなって」
「……今さら?」
俺の冷ややかな視線にも気がつかず、吉田は恍惚な表情を浮かべた。
「もっとこう、支え合ってて欲しいよね……」
「は?」
「だから、『人』だけじゃなくてさ。もっと色々な漢字が支え合えば、もっと俺感動できる、世の中の関係も、最高に良くなると思うんだよ」
「どういうこと?」
「例えば……」
吉田は意気揚々とペンを取った。
雷
俺はノートを覗き込んだ。吉田はヘッタクソな字で、俺のノートに『雷』と書いていた。
「例えば、今日の『雷』」
「うん」
「これも何とか……『人』と『人』とが支え合ってないかなあ」
「『支え合ってないかなあ』……って、意味分からんが。あぁ、雷って漢字が『雨』と『田』でできてるってこと?」
「いやいやそうじゃなくて……全部『人』なんだよ」
「全部『人』?」
「つまり、『雨冠』も下の『田んぼ』も、全部『人』で表現できねえかなあって」
「何でだよ。何でそんな、組体操の『サボテン』みたいなことしなきゃいけないんだよ。わざわざ人間で『文字』作らなくったって、『雨』と『田』で良いだろ」
何故『雷』を『人』で支え合おうとするのか分からない。大体『雷』を人で支え合おうとすると、下の『田』の部分の人が大分大変なことになる。『雨』の間の『点々』の担当の人など、宙に浮いているではないか。
「『人』だから良いんだよ。『人』以外のものを、何でもかんでも『人』で支えられると思うのは、それは人間の傲慢だよ」
「あぁっ! 何カッコつけてんだテメーだけ! 狡いぞ!」
「狡いって言われても……」
「俺もなんか、『人と人とが〜』みたいな、カッコいいこと言いたいんだよ! 自分のものにしたいんだよ。お前だけカッコいいこと言うのは狡いよ。なんか考えてくれよ」
「面倒くさい人だなぁ」
吉田が泣き出しそうな顔になったので、俺は仕方なく付き合ってあげることにした。吉田が再びペンを走らせた。
「例えば……『トマト』ってあるじゃん」
「『トマト』?」
「『トマト』って、漢字で書くとこうなんだよ……」
蕃茄
小金瓜
唐柿
赤茄子
珊瑚樹茄子
「多いよ!」
「だってしょうがないだろ、こうなんだから」
「え? これ五つとも全部、『トマト』って読むの?」
「いや、もちろん『トマト』ではあるんだけど。一応全部読み方違うよ」
蕃茄(ばんか
小金瓜(こがねうり
唐柿(とうがき
赤茄子(あかなす
珊瑚樹茄子(さんごじゅなす
「何でだよ! 何だよこのバラッバラで、ややこしい読み方!」
「知らないよ。当て字とかじゃねーの?」
「当て字なの? 適当に読み仮名つけてんのか? 珊瑚樹茄子って……これが『トマト』って分かる人、もう農家だろ」
「色々あんだよ『トマト』にも。産地とかで、読み方違うんだよきっと」
俺は唸った。
「そもそも何で『トマト』を漢字で書こうと思ったんだよ。逆に分かりにくいわ。『オーバーシュート』か」
「良いだろ、そこは別に」
「八百屋に行って、今時『唐柿くださ〜い』なんてヤツいねーよ。唐辛子か柿が出てくるわ。『ちゃんとトマトって言えや!』って怒られるだろ」
散々『トマト』を書き散らした吉田が、ノートから顔を上げた。
「これをさあ……なんとか『人』で支え合えないかな、って」
「もう良いだろ『人』で支え合うのは。この難しい漢字の中に、『人』が入り込む余地ないよ。カタカナですら大変そうなのに……漢字の『トマト』を『人』で支え合うのは、今世紀中には無理だよ」
「『トマトと言う漢字は……!」
突如吉田が俺の耳元で大声を出した。俺は思わず目を閉じた。
「……『蕃』と『茄』が、並んで出来ている』!」
「…………」
「…………」
「……うん。で?」
「……そっから先は、お前の仕事だよ。『蕃』と『茄』が並んでることに、なんかカッコいい説明を付けてくれ」
「いや、そもそも『蕃』と『茄』って何だよ。カッコいいも何も、『蕃』と『茄』が何者なのかがまず分からない。『蕃茄』って、トマトを漢字で書けることの方がカッコいいよ」
「え……?」
「ん?」
吉田がハッとした様子で目を瞬いた。
「カッコいい、かな?」
「ん……? ああ、カッコいいんじゃね? 『蕃茄』って、『トマト』って知ってる人そんなに多くないだろうから、説明できたらカッコいいと思うよ」
「やったッ! 松山、俺たち支え合ったな!」
「お前が寄りかかってきただけだろ!」
俺のノートをトマトまみれにした吉田は、早速別の誰かに『蕃茄』を説明に行った。果たして感心を得られたかどうかは知らないが……窓の外を見ると、雨が上がっていたので、俺はさっさと珊瑚樹茄子することにした。