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俺の前に立つ一人の少女が、今まで出会ったどの魔物よりも恐ろしく感じた。リズレッドが慌てて仲裁に入ろうとするのを、手でぴしゃりと止めると、シャナはゆっくりと膝を折り、俺の目線と水平に向き合う。
「……正直、ちゃんと話して欲しかったです」
「あ……う……」
「……でも、この方法しかなかったっていうのも、理解できるんです」
「す、すみませ……」
「……だから、これでおあいこです」
次の瞬間、視界が飛んだ。
遅れて、シャナが俺の頬をはたいたのだとわかった。非力な彼女の風貌からは想像もつかないほど強く、叩かれた頬がじんじんと痛んだ。だが不思議と心は、それと反比例するように軽くなった。
「……ふう」
シャナは先ほどまでの冷然とした様相から一転し、何かから解放されたように肩を撫で下ろした。俺はそこで、彼女も葛藤と戦っていたのだとやっとわかった。
自分の腕を無断で切り落とされて、怒りが湧かない人などいるはずがない。だがその行為が、自分を救ったのだとも理解している。彼女はその二つの感情に折り合いをつけるために、俺をはたいたのだ。
腕一本の代償がこの程度など、とてもではないが俺では真似できない。シャナの器の大きさに俺は感心した。
そしてもう一つの発見があった。叩かれた瞬間、心が少しだけ軽くなったのだ。他人を傷つけておいてなんの罰も受けないのは、罰を受けるよりも余程罰が悪いことなのだと、改めて気づかされた。
「ごめんなさい、力いっぱい叩いちゃって」
「こっちこそ、こんな方法でしか助けられなくて……ごめん」
「ふふ、もう済んだことよ」
欠損した腕を摩りながら、そう言ってくれる彼女に、俺は精一杯の誠意で返すことしかできなかった。
「この城は、必ず解放する」
「ええ、期待してるわ。ええと……」
「あ、ラビです。ラビ・ホワイト」
「ありがとう。私の名前はシャナ・フィンテール。改めまして、この度は危ない所を救っていただき、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げるシャナに、俺も礼で返した。
「でも、まさかリズが人間の男の人と一緒に来るとは思わなかったわ。よっぽどあなたのことを気に入ったのね」
その言葉を聞き、リズレッドは批判の声を上げるが、
「わ、私は別に……っ!」
「もう。リズ。こういう場面では、素直になるものよ?」
「うぐ……っ」
あっさりと沈黙させられてしまった。おっとりとした雰囲気のシャナだが、どうやら彼女のほうが一枚上手のようで、これがいつもの二人の関係なのかと、思わず笑ってしまう。
「ラ、ラビ! なにを笑っている!?」
「くくく……いや、なにも?」
この惨状で、彼女たちが再開できたのは奇跡に近い。もしかすると本当に女神様の加護なのかもしれないと思い、心の中で、先ほどの見当違いの非礼を詫びた。
「お姉ちゃん、もう大丈夫?」
場が和やかになったのを察し、後ろで隠れていたメルキオールが、おずおずと姿を表した。
「メルキオール……うん、ありがとう。二人を呼んできてくれて、助かったわ」
「へへ」
彼の頭を撫でるシャナ。そこ光景は、まるで本当の姉弟のようで、殺伐としたこの廃城で、初めて見た温かいものだった。
「君がいなければ、私はまた過ちを犯すところだったな」
二人を眺めるリズレッドが呟いた。
俺はそれに対し「俺がいて良かったろ?」と軽口で応えると、彼女に脇を小突かれた。
エルダー城の三階にある倉庫の中で、最後になるであろう休息は、こうして暖かな空気によって締めくくられた。
《エルダー城・四階》
夜の闇はさらに深まり、栄華を誇ったエルフの城は、廃墟の風貌をさらに際立たせていた。時刻は深夜の零時。更けるほど活性化するゾンビたちを相手取りながら、俺とリズレッドは目的地である玉座の間の正面に到達していた。というよりも、四階に上るとすぐに大きな扉が俺たちを出迎えてくれたのだ。城の構造上、上へ行けば行くほど面積が狭くなることの恩恵だった。
石床には金の装飾がほどこされた豪華な赤絨毯が敷かれており、壁に設置されたランプはひとつひとつが匠の業を思わせるほど意匠に富んでいた。まさしくエルダーを統べる王がここにいることを表徴するような威容に、思わず敬意が湧く。
シャナとメルキオールはそのまま倉庫に隠れているように指示した。あそこは入り組んだ先に備え付けられた倉庫のようで、自我なく彷徨うゾンビには、早々発見される恐れはなさそうだったからだ。
《プレイヤーの長時間ログインによる疲労の増大を確認しました。適切な休憩を取り、楽しくゲームをプレイしましょう》
不意に目の前にイエローのメッセージウィンドウが表示された。まだ強制ログアウトには至らないものの、何度も宣告されると今度は赤のウィンドウが現れ、俺は現実の世界に無理やり引き戻されることになる。
(時間がないな)
危機感が募った。
このウィンドウがいつまでイエローを示してくれるか、俺にはわからない。だが今日は十二時少し前にログインしてから、一度ログアウトして飯を補給したのを最後に、現時刻の零時までずっとプレイし続けている。いつこの半警戒色が、完全な警戒色に変わってもおかしくなかった。
もしこの扉の先で何かあったら、そしてそのタイミングでレッドウィンドウを喰らったら、俺はリズレッドを残したまま、一人だけ安全な世界に戻ることになる。そしてペナルティで一日ログインできない間に、最悪の形で全ては終わるだろう。そんなことになれば、俺は自分が許せない。
そのままイエローウィンドウを無視して通り抜けると、大扉の前で寂寞として立つリズレッドに声をかけた。




