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「その人は?」

「ああ、すまない。街で話したろう? 私の例の友人だ」

「あ、将来は吟遊詩人になりたいって言ってた」


 その言葉を聞いて、エルフの子がくすりと笑った。


「もう……リズったら……恥ずかしいわ……」


 とてもか細い声だった。今にも消えそうな蝋燭の火を思わせて、背筋に緊張が走った。自分の吐息で、うっかりそれをかき消してしまうような危機感すら覚えた。

 リズレッドはそんな彼女に対して、精一杯元気付けるように、笑いながら応えた。


「いいじゃないか。実際、シャナの歌声は本当に素敵なんだ。ここを出て、早く夢を叶えよう」


 力強く鼓舞するのに対して、シャナと呼ばれた子は、遠くを見るような瞳で天井を見上げていた。

 そして左右に首を振ると、小炎が揺れるような小声で言った。


「ごめんね……もう……無理みたい……」


 わかっていたはずの言葉だった。それを覚悟でここまで来たはずだった。

 だが友人との再開でほころんだリズレッドの心に、絶望が容赦なく染みわたるのが、横にいる俺にも痛いほど伝わってきた。


「リズ……私は……もう……ゾンビに……なる……」


 リズレッドは固まって動かなかった。シャナが次に発する言葉を予期し、それを迎える心の準備を、大急ぎでしている風だった。

 一拍置いたあと、シャナはゆっくりと唇を動かして、その言葉を彼女に叩きつけた。


「だから……おねがい……私を……その前に……ころして……」

「……ッ」


 眉間にしわを寄せて、リズレッドの顔が大きく歪んだ。悲憤や絶望を全て織り交ぜたような表情だった。

 メルキオールも同様に、心配そうに彼女の顔色を伺っている。

 せめて自分が自分でいるうちに、友達に葬って貰いたい。そう思うのは自然なことなのだろう。だが、


「いやだ……殺したくない……殺せない……」

「おねがい……思い出が……のこってるうちに……おねがい……」

「そんな……シャナ……待ってくれ! なにか手があるはずだ……なにか……っ!」


 その願いを叶えられるほど、いまのリズレッドに余裕はなかった。この消え入りそうな蝋燭の火を自分の手で消すことは、ひびの入った硝子のような己の心に、とどめの一撃を刺すことに変わりなかった。


(……俺が、やるしかない)


 昏いものが俺の胸を満たした。それしか手はなかった。シャナの提案が、この状況を収める一番の方法なのは間違いない。エルフとしての尊厳が残っている内に、女神アスタリアのもとに還すのが、彼女にしてやれる唯一の救いなのだ。だがそれができるほどリズレッドの心に余裕はない。ならば、俺が代わりに殺すしかなかった。

 しかしそう思った瞬間、恐るべき恐怖が湧いた。脚が震えて、手にべったりとした冷や汗が、次から次へと噴き出るのがわかった。


(くそ……こんな……俺はリズレッドを助けないといけないのに……)


 この世界に来て俺は、様々な命を奪ってきた。最初はスライムで、次にアモンデルト。今日に至っては数えきれないほどのゾンビを屠った。だがネイティブを斬ったことはなかった。そして気づけば、斬ることができなくなっていた。シャナの首筋に刃を走らせる想像をしただけで、現実で人を殺すのと同様の罪悪感や恐怖に襲われ、吐き気すら覚えた。

 ゲームのNPCにここまで感情移入するのはおかしいと思う奴もいるかもしれない。だが俺はこの世界の住人を、ただの情報の集合体だとは思えなくなっていた。


「……助けよう」


 俺の一言に、この場にいる全員が振り向いた。


「……絶対になにか方法があるはずだ、考えるんだ。リズレッドの友達をこのままゾンビになんてさせないし、ましてや殺すことなんて絶対にできない。だから探すんだ、感染を打ち消す方法を」


 これは逃げなのかもしれない。どうしようもない選択肢を叩きつけられた人間が、現実逃避のために無理やり作り出した、虚構の道なのかもしれない。

 だが俺にはどうしてもできなかった。


「ラビ……」


 だがリズレッドは大きく安堵したような顔で、俺に笑みを向けた。

 そしてシャナは、


「ありがとう……どなたか存じませんが……その御心だけで……十分です……」


 振り絞るような声のあと、ふらふらと立ち上がったかと思うと、そのまま窓に向かった。

 なにかを察したリズレッドが駆け寄ろうとすると、


「こないで!」


 最後の力を出し切るような叫びでそれを遮った。

 懐にしまっていたナイフを自分の首に当てる。リズレッドがぎょっとなって目を丸くした。

 静止する俺たち三人を見つめて、シャナは熱を込もった感謝の言葉を告げてきた。


「リズ……こんなところまで来てくれて……ありがとう……」


 右腕は感染が進行し、所々緑色に変色を始めていた。ナイフで俺たちを牽制しつつ、辛そうに足を引きずり、後ろずさって窓ヘと向かう彼女を、誰も止めることができなかった。

 窓は大きくその口を開き、三階から覗く高所の光景が、否応無く危機感を募らせた。


(飛び降りる気だ……!)


 俺がそれに気づくのと、リズレッドが叫喚を上げるのは同時だった。


「シャナ……やめろ……やめるんだ……!」

「ごめんね……でも……これしかないの……ゾンビになんか……なりたくない……私のまま……死にたい……」


 シャナの瞳から涙が零れた。

 俺はそれを焦慮して傍観することしかできなかった。

 必死に心の中で女神様に願った。この状況を打破する力をくれと。《異級職》の力を、ここで示してくれと。

 ……だが神の奇跡は起きる気配はなく、状況はなに一つ好転しなかった。

 不意に、あの女神様に怒りが湧いた。この国の国教とされて、これだけエルフたちに慕われておきながら、なにも手を差し伸べないあの神に、俺は叫び声さえ上げそうになった。

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