浄化の世界⑥
「次は俺の番だ、小娘。ライゼはどこに居る」
常に刀を肩に背負い、少し猫背で辺りに睨みを利かせている痩身の大男が、リッカさまに話しかけました。粗暴に見えて、順番待ちをしてくれていたようです。見た目と雰囲気は獣のようで何処か軽薄そうですが、その内に秘めた想いは熱いのかもしれません。
「ごめんなさい。今はダメです。ライゼさん手が離せません」
『ライゼさんと確執があるみたいだし、今会わせるのは避けるべき。私も時間が惜しいから、自分の都合を優先させて貰う』
普段であれば、師弟の出会いを優先させるリッカさまですが、今回は事情が違います。ライゼさんとこの人は何やら確執を抱えている様子。もし出会えば、リッカさまの刀作りどころではなくなるでしょう。それを避けるのなら、会わせないのが一番なのです。
「四日後なら暇ができるでしょうから、その時にお願いします」
「……チッ。餓鬼はやり辛ぇ、四日後だな」
(訳のわからねぇ技、持ってるみてぇだしな。コイツも剣士か?)
「はい」
リッカさまを餓鬼、とは。見る目がありませんね。ライゼさんは観察眼を鍛えさせなかったのでしょうか。
(この人の場合、他人に興味がないだけのようですが)
リッカさまの顔すら見ていませんでした。この人にとってリッカさまとは、赤い小さい女という認識でしかないようです。
その方が私の都合に合っているので、何も言いませんけど――人との交流が出来てない人ですね。私が言えた義理ではないと思いますが。
『ライゼさん関係かぁ。また会う事になりそ。そういえば朝会った子も、また会うって言ってたなぁ』
”魔女”と思われる少女ですね。もし協力関係を築けるのなら、これ以上ない程の戦力でしょう。私達に足りないのは多数を相手にした時の殲滅力ですが、あの子ならそれが可能です。
「アリスさん、いこっか」
「はいっ」
この話も、明日です。兎にも角にも休息です。買い物の必要はなさそうですし、宿に直行しましょう。お手伝いは……夕方からならば、息抜き程度なら出来そうです。浄化もありそうですし、時間を貰いましょう。
「よく来てくれた。感謝する」
「頭なんて下げないで下さイ。女王様に怒られまス」
出されたお茶菓子を食べながら、フードを被った少女がコルメンスに軽口を叩いている。
「あぁ、エルヴィエール女王には感謝せねば……」
(まぁ、許可を貰った訳ではないんですけどね。勝手に出てきたので、むしろ怒られるでしょう。私が)
コルメンスは共和国女王エルヴィエールを想い、感謝を述べる。何処か懐かしむような、想いを馳せるような。少女から見ればそれは――イヤラシイ表情だったようだ。
「またエルヴィエールって呼んでまス。女王様に言っちゃいますネ」
「あぁ、エルヴィ女王だった。すまない。どうしても国王になる前の癖が抜けなくてね」
少女が本気で”伝言”を掛けようとしたからだろう。コルメンスは慌てて少女を止める。その様子が余りにも滑稽だったのか、少女は呆れたように嘆息した。
「こんな男のどこがいいんでしょうネ。女王様ハ」
(コルメンス陛下がお姉ちゃんを想って鼻を伸ばしていた。と……これだと喜びそうですね。コルメンス陛下が美人を想って鼻を伸ばしていたって所ですか)
少女がメモを取り、立ち上がる。今日は挨拶をしに来ただけらしい。
「さテ、挨拶は終わりましタ。今日は帰りまス。あとその喋り方似合ってないでス」
(さて、残りの時間は何をしましょうか。巫女さん達の噂を聞いて回るのも良さそうですが)
フードから覗く深い海の色をした瞳が、キラリと光った。少女が発した魔力に、コルメンスが息を飲む。
(と。少し高揚してしまいました)
「あァ、そういえバ。ここに来る前に巫女さんたちに会いましタ」
少女――レティシアは、アルレスィアとリツカを思い出している。
「なんというカ。巫女さんもすごい魔力でしたけド、赤いお姉さんは魔力だけじゃなク、何かを感じましたネ」
「似合ってない……。あぁ、リツカ様だね。彼女は武術というのをやっていてね。体一つでマリスタザリアを投げることが出来るらしい。アンネの話では、相手の力を使って投げる、ということだが」
慣れないながらも、威厳を出す為に一生懸命口調を整えていたコルメンスだが、レティシアからすれば笑ってしまうくらい似合っていなかったようだ。
レティシアが感じたリツカの凄味を、コルメンスが説明している。ライゼルトと似たような雰囲気をしているリツカだが、リツカから感じた圧はライゼルトを越えていた。
一歩踏み込まれただけで、後ずさってしまうくらいの――凄味なのだから。
「アルレスィア様だけでなく、リツカ様も居られるのは心強い。だが、敵は強大だ。きみも手伝ってあげてくれ」
「えェ、最初からそのつもりで来てまス。ご安心ヲ」
レティシアは共和国の為に王国にやって来た。だが、王国の為というのも嘘ではないのだ。
「まァ、確認はしますけどネ」
レティシアはコルメンスに表情を見られないように部屋から足早に離れていく。コルメンスとエルヴィエールの仲を、レティシアが誰よりも按じているのだ。それが表情に出ないよう、フードを更に深く被る。
共和国内に燻る不安因子である元老院が、ここに来て活発になっているという情報もある。それにプラスしての魔王。レティシアからすれば、邪魔者が増えたという事だ。コルメンスが死ぬかもしれない程の異常事態に、レティシアは王国にやって来たと言っても良い。
(あんなのでも、何れは”兄”になるかもしれないんですから)
肩を竦め、レティシアは王宮を出る。
共和国にはエルヴィエールという、世界で最も信頼出来る”姉”が居る。しかし王国では? アンネリスや英雄ライゼルトは居るが、内政面はどうか。魔王という得体の知れない人外の者は?
レティシアの中で今の王国は、魔境となっている。そこに顕れた”巫女”と呼ばれる伝説。更に異世界からの”巫女”。不確定要素というのなら、その二人もだ。
「巫女さん達の実力は計り知れない、という事は分かりました。さてはて中身はどうでしょう。朝の邂逅で少しは、信頼出来そうと思いましたが」
魔力の底が見えない二人。アルレスィアの魔力は澱みなく、レティシアが話しかけた瞬間から何時でも魔法を撃てるように準備されていた。それは”魔女”から見ても凄烈な制御だったのだ。
「私を子供と侮らない、容赦のない魔法準備でしたね。高評価です」
対してリツカは、警戒心の欠片もなく話しかけてきた。アルレスィアを高評価とするなら、リツカは落第だが――。
「赤い巫女さんは、のほほんとしてましたね。ただ、ガワだけですが」
レティシアはリツカを見ていた。所作と、瞳の奥に灯っていた炎を。
「普通の人は誤魔化せても、私は誤魔化されませんよ。赤い巫女さんは私の同類です」
レティシアの青い瞳が、リツカと同様の光を灯す。それは――覚悟の光。
「守りたい者を守るためならば、何でもする。そのために力をつける事に、行動する事に、容赦も躊躇もない。本物の覚悟です」
レティシアの中でリツカの評価が上がっていく。アルレスィアが昔やってしまった過大評価に近づきつつあるが――。
「まぁ、今はこれくらいですね。後は本人に会ってからです」
アルレスィアとレティシアの差は、リツカへの想いの差だ。
レティシアはリツカを同類とし、信頼出来るかもしれないという段階で止まっている。だがアルレスィアは――リツカこそ自身の想い人と信じて疑わず、行動の全てが輝いて見えてしまっていた。それだけでなく、大切な存在として戦いから遠ざけようともしていた。その矛盾が、アルレスィアの心に荒波を立てていたのだ。
「何にしても、二人共信頼出来そうです。何より私を子供と侮ってなかったのが良いです。完全に同等の戦士として見てくれていました。それだけで好感触というもの」
レティシアの足取りが軽くなる。その生い立ちゆえに、侮られる事が多かったレティシア。まだまだ十二歳という年齢も相まって、元老院含め、レティシアの敵は多かった。
しかし”巫女”二人に侮りは無い。子供だからと無条件で信じるのではなく、自身の考えで思考している。敵なら倒し、仲間なら信頼関係を築く。その段階を踏めるだけで、レティシアは活き活きとしている。
「さて、何をしましょうかね。噂好きな王都ですし、巫女さん達の噂を集めるのも良いでしょうけど――噂より先に自身の目と耳で確かめたいですね」
レティシアはぐっと伸びをして、北に向かう。そちらに宿を取っている。近場に古本屋があるという理由だけで宿を選んだからだろう。ただ泊まるだけの場所だ。
「ん? あれは――ディルクさんと、野蛮そうな人。それと、昨日の任務で護衛した商人の、クリストフさん、でしたっけ」
三人の男が、レティシアとは違う方向とはいえ北に向かっていた。
「あちらは、酒場があったはずですが。昼間からですか」
やれやれと呆れながらも、頭の中では思考を続けていた。
「まぁ、あの祭り用の話し合いでしょうけどね」
そう結論付けたようだが、特に興味を示す事無くレティシアは宿に戻って行った。
「だからって酒場はないでしょう」
呆れている事に、変わりは無かったようだ。
「いやぁ、毎年の事ですがディルクさん。今回もよろしくお願いしますよ」
「ああ、任せてくださいよ。クリストフさん。今回はいつもより護衛が強力だからな」
「それは、そちらの?」
「ああ、そうだ。先に自己紹介しとけ」
「……ウィンツェッツ。先日選任になったばっかだが、よろしく頼む」
「ええ。こちらこそ。私は商業ギルドのクリストフです」
顔合わせも兼ねているようで、自己紹介を進めている。
「もう何人か居るんですがね。遅れてるようだ」
「いつもこんな感じなのか」
「いや。いつもはもっと少ないぞ」
「今年は巫女様方がいらっしゃいますからな。いつもよりずっと大勢来場しますよ」
「巫女ねぇ」
ウィンツェッツは先に座り、注文している。礼節を欠いた行動だが、自分の分だけでなく三人分頼んでいるようで、ディルクもクリストフも苦笑いを浮かべている。
「あ? ウィンツェッツ、お前……飲んで良い年齢なのか?」
「酒場で酒を飲まねぇのは失礼だろ」
「まぁ、そうなんだが……」
「ほら。クリストフさんも飲め」
「これはこれは。ご馳走になります」
ウィンツェッツにはぐらかされたディルクは、ため息を吐きながら渋々席についた。
「他の連中ってのは、どんな奴等なんだ。隊長」
「選任チームがもう一つ。残りは冒険者だ」
「チーム?」
「この王都じゃ、選任も冒険者もチームで動くのが原則だ。お前みたいに単独でアレを倒せる方が珍しいんだぞ」
「そうなのか。王都ならもっと強ェ奴が居ると思ったんだが」
戦闘狂の様な発言をするウィンツェッツに、ディルクはため息を吐く。ここ数時間、ウィンツェッツとディルクは共に動いていたが、ライゼルトが頭を抱えた理由が少しだけ判ったと、後にディルクは語っている。
「俺等の話っすか?」
「ああ、そんなとこだ。何してた」
「いやァ、ギルドが襲撃されたってんで、現場に言ってたんすよ。何でも巫女様達が襲われたそうで」
ディルクが言っていた選任と冒険者達が纏めてやってきた。どうやらギルド襲撃の後始末を手伝っていたらしい。先頭の男――ジーモンの目宛は”巫女”だったようだが。
「おいおい……そりゃ、お前」
「みたいっすね。ライ――」
「待て、ジーモン」
何かを察したディルクに、ジーモンが頷いている。この察しの良さが、ジーモンの強みだ。だが、ディルクの慌てた様子には、首を傾げている。
「何すか。隊長」
少し離れた場所で、ディルクはジーモンに話し始めた。
「ライゼの事、ウィンツェッツの前で話すな」
「ん? どういう事っすか」
ジーモンの疑問に、ディルクは話していく。今尚謎の多い、ウィンツェッツとライゼルトの確執を。
「兎に角、暫く様子見だ」
「分かったっす」
「そんで、ギルド襲撃ってのは何だ」
「それがっすね。アンネさんの話じゃ――」
今度はギルド襲撃の件を、ディルクに話していく。不穏な空気を感じ取ったディルクの眉間には皺が深く刻まれていた。
「祭りはどうなるんすかね」
「……やるだろうな」
「マジっすか」
普通であれば、ギルドが襲撃されたという事実だけで祭りの中止は免れないだろう。国内に魔王の魔の手が入ったかもしれないのだから。しかし、ディルクは中止にならないと確信しているようだった。
「まだ予想でしかねぇが、まず間違いなくやる。巫女様が参加する、最初で最後の祭りかもしれねぇんだぞ。マリスタザリアが増えて、荒んでる空気を払拭出来るかもしれない。俺等は祭りの準備をするぞ」
「うっす」
気になって仕方ないだろうが、ジーモンはディルクを信頼している。準備すると隊長であるジーモンが決めたのなら、それに従うだけだ。
「おい」
「何だ、ウィンツェッツ。酒はそれぐらいにしとけよ。お互いの紹介を済ませたら、計画の確認をする」
「それは構わねぇが、巫女について教えろ」
「それも含めて話してやる」
ウィンツェッツから酒瓶を引ったくり、ディルクが話し始める。飲みながらの軽い物のつもりだったが、ギルド襲撃――いや、”巫女”襲撃となれば話は変わってくる。少々気を引き締める必要があると、ディルクは表情を変えた。
良い事もあれば悪い事もあるだろうが、祭り――神誕祭は王都にとって特別な祭り。これを行わないという選択肢はもとより無い。この祭りこそが、現王都の平和の象徴なのだから。




