浄化の世界④
「ハァ……ハァ……」
部屋から出るまでは良かったのですが……疲労が色濃く表れ、肩で息をしてしまいます。言葉を重ね、魔法を繋げる、連続・連鎖を多用する大魔法は、消耗が激しいです。
「大丈夫? アリスさん……」
「はい。でも、もう少し……このまま」
「うん。少し、休んでいてね」
リッカさまが、肩を抱いてくれました。肩で息をしていますが、歩けない、という程でもありません。ですけど……もう少し、このままが良いので……リッカさまに体を預け、甘えてしまいます。
部屋の中で見えた”悪意”は、今まで見た事のない濃さでした。あんな物をまともに受けたら……私達でも、マリスタザリアになっていたでしょう。普段から張っている”拒絶”では足りない量でした。
本来なら、ただの扉程度では何の意味も持たないのですが……どうやら収まったようです。
「私が、先に入るね」
この中で、一番最初にこの部屋に入れるのは……リッカさまだけです。”悪意”への耐性と、襲い掛かってくるかもしれない襲撃者を考えれば、リッカさま以外、ありえません。
なので……リッカさまに張っている”拒絶”を、強めます。流石に体がだるく感じますが、リッカさまを守る為です。
『悪意はもう、ない……かな。襲撃者の男は――倒れてる。動かないけど……まさか、死――』
「剣士娘、待て。俺が」
もし浄化しきれていなければ、次の処置に移らなければいけないからでしょう。ライゼさんがリッカさまを止めましたが――その直後、襲撃者の指がぴくりと動きました。
「う……う……」
じわりじわりと起き上がっています。動きに力はなく、”悪意”も感じません。
(ですが……様子がおかしい事に変わりません)
警戒はしたままです。襲撃者は立ち上がりましたが、歩く事無く再び動きを止めました。ゆっくりと、ライゼさんが近づいていっています。その手に、剣を持ったまま。
「こ、ここは……?」
「ギルド本部だ。あんさん、選任冒険者の受験に来たんだろう」
襲撃者の声に力はありません。寝起きのように見えますが、こん睡状態から戻って来たようにも見えます。
「選任…………? いや……俺は、ただ、この国に商売できただけ……」
尻餅を付き、襲撃者は再び項垂れました。体に力が一切残っていない様です。魔力も殆ど感じられません。本当に……死の淵を彷徨っているような状態です。
「大丈夫か。あんさん、変なところはないか。人を殺したいって衝動とかは」
この男性に”悪意”はないようです。動けないでしょうし、一先ず安心して良いでしょう。ただ、警戒は解けそうにありません。
「分からないが、そういうのはない。頭がぼーっとする、気分が悪い……。酒とか飲んでないのに、飲んだみたいだ」
お酒って、飲むと死に掛けるんですか……? やはりアルコールは毒ですね。でもきっと、気分の悪さや体の痛みは……リッカさまの蹴りで骨が折れているから、かもですね。
「悪いが、あんさんをしばらく拘束させてもらうぞ。あんさん、ギルド本部を襲撃して、職員に手ぇあげちまった」
「な、なんだって!? うっ……」
ライゼさんが手枷を取り出して男性に近づいています。ギルドを襲撃したという事実に男性は驚き顔を上げましたが、気分が悪くなったのか再び俯きました。
その際見えた顔は、死人の様に……真っ青でした。
『……何か、引っ掛るなぁ。ん? 手枷? 木製なんだ』
リッカさまの世界では、手枷は鉄製なのでしょうか。手錠と呼ばれる物があるそうですが、それをイメージしているのかもしれません。
この世界の手枷は、”拘束”系の魔法を持たない人が仕方なく使う物です。この手枷ならばいくらでも脱出出来るので、捕まえたという印象を周囲に与える以外の効果はありません。
リッカさまが男性の反応に違和感を抱いています。私も先ほどから違和感しかありません。何か、いつもと違うのです。
「話はちゃんと聞いてやる。身の安全も保障する。安心しろ」
とりあえず、話は終わりのようです。職員が来る前に、男性の骨折を治しておきましょう。正当防衛ですが、リッカさまは気にしていますから。
男性は別の職員につれていかれました。骨折は治しましたが、歩けそうにないので”運搬”で。
しかし、ちゃんと見た訳ではないので何とも言えませんが……あの男性、足に病気でも持っているのでしょうか。膝周辺は赤黒く、末端に向う程真っ黒に変色していたようです。
元々そうだったのか、『感染』後に無理な動きをした所為なのかは、医者に確認を取るしかありませんが……まず、行商は無理でしょう。これも、違和感の一つです。
倒された職員も骨をいくつか折っていましたけれど、私が治す前にギルド常駐の医者がやってきて治してくれました。正直助かります。杖を持つのも辛いくらいには、消耗していますから……。
「アンネちゃんと合流して、話し合うか」
「はい。少々気になる事が、多すぎますので」
「うん。ちょっと整理しておきたいかも。後、アンネさんが心配ですもんね」
「……」
図星だと、人は黙るものです。必死にならない程度に否定した方が良いですよ。私達相手では無駄と分かっていても、です。
「アリスさん」
「ありがとうございます。リッカさま」
『本当は抱えて行きたいけど……』
(早よ抱えろ。弄り倒してやる)
『…………歩けない程じゃないみたいだし、すぐそこに行くだけなら、大仰すぎる、よね』
リッカさまに支えられたまま、ギルドの一角にある待合所に向います。リッカさまには、私の疲労は完全に見抜かれているようです。
抱えるとなると、その……お姫様抱っこ、ですよね。リッカさまは覚えていないでしょうけど、私はさせて頂きました。あの夜の事は、空に輝く星の位置も、風に揺れる木々の葉一枚一枚すらも覚えています。
(いつかリッカさまに、平和な世でお姫様抱っこ……されたいですね)
待合所にはすでにアンネさんが居ました。ギルド職員の負傷という事で、ライゼさんはアンネさんの事を心配していましたが、私達は無事を確信していました。その辺りは、想い人かどうかの差だと思っています。
いくらギルドの奥の部屋とはいえ、職員が吹き飛ばされて来たにも関わらずギルド内で起きていた感情は騒然ではなく唖然だったのです。つまり、私達の居る場所に直行してきたのだと思いました。
「ありがとうございました。皆様のお陰です」
「仕事だからな。アンネちゃんが気に病むことじゃない。それにしても、三組目までは良かったが、あの自称商人はどうしとったんだ」
どういった経路を辿ってここに来たのかはアンネさんに聞けばすぐです。問題は、あの商人の状態でしょう。
「私たちにも、分かりません。ただ、浄化は出来たと思います」
「私も、悪意はもう感じませんでした。あの体調不良は気になりますけど……」
『私が蹴ったから、かな……? あの人、アリスさん狙いだったから加減出来なかった……』
リッカさまの蹴りは関係ないと、思います。気分が悪くなった一因ではあったかもしれませんが、”悪意”が抜けると多少なりとも脱力感があります。ですが、脱力感どころではありませんでした。あれはもう、生命力たる魔力の殆どが抜けていたのです。
(あの、吹き出た”悪意”……あれに、商人の魔力も入っていた……?)
そう考えるのが、妥当でしょう。
「影に潜む魔法も気になる、少なくとも俺は知らん」
私も知りません。ただ、どういった魔法なのかは判ります。あれは――”闇”の魔法です。
「急ぎ、襲撃犯の身元の調査をし、何が起きたか捜査します」
私達の違和感も、その調査で明らかになるはずです。今は、待ちましょう。
「一つだけ、分かっていることがあります」
アンネさんが私達を見ています。”巫女”の私達を。
「襲撃犯はギルドには目もくれず、皆様……いえ、お二人の待つ部屋へ足を進めていきました。止めに入った職員を掴み、投げ飛ばし、その後は皆様の知っている通りです」
やはり狙いは……”巫女”ですか。しかも私狙いの可能性も……。魔王が認識している”巫女”は、私なのかもしれません。
「……魔王の、差し金ですか?」
「無いとは、言い切れません。ですから、お二人にはより気をつけていただきたいのです」
気をつけると言われても、私では影の中まで感知出来ませんでした。リッカさましか、気付けなかったのです。
「なんにしても、俺も見張る。そしてすぐにでも剣士娘の修行と刀を仕上げよう。いつ何がおきてもいいようにな」
この事件がもし、魔王の手によるものならば…………いえ、確実に魔王と、私は断言します。
アンネさんから魔王が王国に居ると伝えられてすぐの襲撃。それはつまり、魔王が私達を監視している可能性があるという事です。リッカさまと私の”拒絶”に、”遠見”の拒絶も加えます。
そうなってくると問題になるのは……。
(なぜ、わざわざ襲撃したか。ですね)
そのまま大人しくしていれば、まだ可能性でしかありませんでした。ですがあの襲撃で、王国に居る事が確信に近づいたのは言うまでもありません。
あの襲撃には何か……別の? まだ予想の段階です。もう少し、見ましょう。
「工房に行ってくる、武器屋に来れば案内してくれるだろう。後で来い」
ライゼさんの目が更に、鋭くなりました。ライゼさんも見据えているようですね。未だ見えぬ、魔王の姿を。
不気味な存在です。ずっと息を潜め隠れていたかと思えば……こんなにも活発な活動をしているのです。マリスタザリアの急激な進化と今回の襲撃……とか。
「お二人も、今日はお休みください。アルレスィア様の疲れを残すわけにはいきませんから」
「ありがとうございます。そうさせていただきますね。アリスさん、いいよね」
私の体力を心配して、リッカさまがアンネさんの提案を受け入れました。本来であれば、もっと情報を集めたい所ですが……。
「はい。まずは、自分の回復に努めます」
ギルド襲撃なんて大事件が、街の噂にならないはずがありません。もしそうなれば、”悪意”が寄ってくるでしょう。
(それを狙っての襲撃の可能性も……?)
どちらにしろ、その時が来た時に動けないでは、”巫女”失格です。まずは、休息します。
多くを救いたいのなら、私が今すべき事は休息なのですから。
「じゃあ、私がアリスさんの変わりに頑張っ」
「それとこれとは違いますリッカさま」
「うぅ……」
休める時というのであれば、リッカさまも英気を養って下さい。その時が来てしまったら、リッカさまも……戦い詰めになるのですから。
「リッカさまもお疲れなのですから、一緒に休むのです」
リッカさまからすれば、動いたとすら言えないような運動だったと思います。ですが、だからこそ、潜在的な疲労は残すべきではありません。
「は、はひ」
少々、顔を近づけすぎました。休息を取って欲しいのに、緊張させていては世話がありません。
「それでは、本日はありがとうございました」
私達のちょっとした触れ合い。アンネさん、慣れてきてしまったようです。それくらい日常的になってくれた方が、やりやすいです。
この待合所がある一角は、丁度陰になっています。もしリッカさまが、この場で私の抱擁を必要としてくれたなら――周りの視線を”拒絶”するくらい、してみせますからね。
(実際それをすると、私達が居る場所がくり貫かれたように真っ黒になります)
騒ぎになりますから、出来ませんけど……もし望むのなら、します。ですから、私を欲して下さい。




