浄化の世界③
「なんでやらないといけないんだよ……」
「まだ言うのかよ! いい加減諦めろ!」
今度は、この国の方ですね。ただ、少し遠くから来たようです。
二人の喧嘩はまだ続いていたようです。お互い頑固というよりも、お互い感情を抑制出来ていない、といった雰囲気です。間違いなく、『感染者』です。
「巫女っ娘」
「――はい」
衝撃はありますし、一応こちらを認識させた後の方が安全なのですが……致し方ありません。二人で喧嘩し続けていて、こちらには一切見向きもしません。やりましょう。
「なんで俺ここに来たんだ……?」
「だから言ってたでしょ!?」
”悪意”は抜けたはずですが、喧嘩は続いています。立場は逆転しましたけど。
選任になりたかったはずの男性は、自分が何故ここに居るかすら分かっていません。多分理解はしているのでしょうけど、自分の感情に着いていけないようです。何故選任になりたいとなったのか、そんな強気になれたのか、分かっていないのです。
そんな姿が、選任になりたくなかった男性を逆撫でしたのでしょう。烈火のごとく怒っています。こちらはある程度理解しているようですが、散々振り回されたのが我慢ならなかったのでしょう。
「わ、わるかったよ。もう帰ろうぜ……」
「全部お前のお金で帰るからな! 後で全部請求するぞ!!」
アンネさんにお願いして、あの方達に何があったのかだけは説明して貰いましょう。そうしないと、二人の仲に亀裂が入ったままになりそうです。
何だかんだと言いながらも、ここまで着いて来てくれた友人なのですから、そんな心配はないのでしょうけど……こちら側の説明責任、という物です。
納得は出来ないでしょうけど、世の中には”治癒”で治らない病もあるという事を知って欲しいと思います。
二人が勢い良く出て行きました。結局こちらに一度も目を向けませんでしたね。
「喧嘩するほど、仲が良いってやつですかね?」
リッカさまがぽつりと声に出し、首を傾げています。
「喧嘩できるほど仲が良い、か。あんさんらはせんのか?」
「……港の時は、したと思いますけど」
リッカさまが、少し罰が悪そうにしています。一応私達も、喧嘩をしました。あれが喧嘩だったのか、私達は分からないのですけど……。
「喧嘩じゃねーぞ。あんさんが巫女っ娘に怒られただけだ」
「うぐぅ……」
「怒ったのは本当です。心配したんですから……」
気にしすぎているリッカさまは心配ですが、しっかりと胸に刻み込んで欲しいです。変に気負う事無く、いつものように最善の一手を取って欲しいと。
「アリスさん……」
そういう場ではないと思いながらも、リッカさまと見つめ合う事を止めることが出来ません。もうライゼさんにはバレている訳ですから、特に隠す必要はないでしょう。
「喧嘩にはなりそうにねぇな」
お互いの心を感じ取れる私達が喧嘩になる事は、殆どありません。なるとしたら……お互いの頑固さ故に、でしょうか。譲れない物が私達にはあり、それは少しだけ――相反しているのですから。
「次呼ぶぞ? いいか」
「――ライゼさん、構えてください」
このまま軽い浄化だけで終わると思いましたが、そうはいかないようです。私達はまだ『感染者』を認識出来ません。ですが、今回は感じ取れました。それはつまり――。
「あぁ……」
(ったく……切り替えが見事すぎる。さっきまでの甘ェ雰囲気は何処行った)
ライゼさんも臨戦態勢を整えました。リッカさまとの触れ合いを続けたいのは山々ですが、時と場合を選ぶくらいの理性は残っています。
「っ――」
『感染者は分からないのに、分かった……。もう、マリスタザリアに、なってる。つまり……私は、今日――』
「リッカさま。捕まえましょう」
既にマリスタザリアになっているという事は――殺すしかありません。ですが、まだ確定していません。であれば、捕らえるべきでしょう。
人から離れてしまった者を、人として葬るのも私達の勤めですが……殺しは最後の手段です。
「今撃てる最高の”光”を当てます」
今日の為に用意していた物があります。多人数を浄化する為に編み出しましたが、その過程で生まれた効果があるのです。
「リッカさまが、人を殺める必要はないのです。私も、居ます」
この光なら浄化出来るかもしれません。もし出来ずとも……その時は、私の覚悟を見て下さい。リッカさま。いつでも”アレ”を、撃てますから。
「うん。まずは捕まえるね。でも、もしものときは……」
『私は遊びで、剣っていう……殺しの武器を持った訳じゃ、ないから』
最悪の事態を想定するのは、当然の準備です。ですが……リッカさまにその剣を持たせたのは私なのです。ですからまずは、私が――。
「私に、任せて」
『剣を取ったときから、決めていた。アリスさんに殺しなんて……っさせない』
リッカさま……。ですが、私は貴女さまに、殺人だけは……っ。
「まて、『感染者』の浄化ってなぁ、あんさんらにしか出来んのか」
「はい。だからこれは”巫女”として、私が」
リッカさまが、ライゼさんの質問に答えています。その声は平坦な物でしたが……奥底に眠る、”ある感情”が滲み出てきそうに、なっていました。
「”巫女”以外の者が出来る対処法は、殺しだけです」
「じゃあ、王国に引き渡すぞ」
「まだ罪を犯してないかもしれません。そんな人を」
ライゼさんの提案に対するリッカさまの反論も尤もです。罪を犯した訳でもない人を、法で裁く事は出来ません。王国の司法機関に渡した所で……”悪意”を持ったまま釈放になるでしょう。根本的な解決になりません。
浄化か、死か。『感染者』の対処を早急に進めて貰ったのは、この二択しかないからなのです。
もし王国の司法が私達の言葉を信じ、量刑を決めてくれたと仮定します。どんなに年月を置こうとも、”悪意”は増大し続けます。私達の浄化が効かないのであれば、それはもう……死刑のみなのです。
「そうだが。あんさんらによる浄化が無理なら、何れは人に仇なす存在へと確実になるだろう。そんなやつを野放しにはさせん。王国も同じ考えのはずだ」
コルメンス陛下はそうだと思います。ですが、三権分立である事を考えれば、司法はコルメンス陛下の意向で動きません。
「あんさんらが罪を背負う必要はない。そのために、アンネちゃんが担当についとる」
今思う事ではないと思いますが……ライゼさんはやはり、あちら側の人間でした。私達に声を掛けたのも、自身の興味だけではなかったという事です。
「お二人よ、背負い込みすぎるな。言ったはずだぞ、頼れ」
それで話は終わりと、ライゼさんは扉に視線を戻しました。その目には、殺意が込められています。もしもの時は自分がやると、告げているのです。
「――わかり、ました。捕らえます」
リッカさまもその覚悟に、目を伏せました。私達は、殺人を行う事を運命付けられています。魔王は人なのですから。
ですが、今はライゼさんに甘えても、良いのでしょう。リッカさまが、私が、全てをやらなくても……良い、のでしょうか。
「少し時間がかかります。二人共……お願いします」
ライゼさんへの感謝と、リッカさまへの想いを込め、私は魔力を高めていきます。ライゼさんの覚悟はありがたいですが、ここは私の覚悟を見て下さい。
全ての人間の”悪意”を浄化してみせるという、私の覚悟を。リッカさまの想う私が、本当の私であると証明させて下さい。
「っ――! ライゼさん!」
「あぁ、様子がおかし」
リッカさまの警告に、ライゼさんが怪訝な表情を浮かべました。ですがライゼさんが言い切る前に――扉が吹き飛ぶように開き、何かが飛び込んで来たのです。
(あれは――候補者を招きいれていた、男性職員の……っ)
「っ! 剣士娘!」
ライゼさんが飛び込んできた職員を受け止めました。あちらは大丈夫です。では、職員を吹き飛ばした者は何処に――。
『集中して』
リッカさまが私の前に立ち、目を閉じました。集中力が高まり、それに呼応するようにリッカさまの魔力が部屋を覆っていったのです。
「私に……強さを!」
”強化”を発動させた直後、リッカさまは震脚を行いました。消えたように動いたリッカさまは、私の背後に移動したのです。
震脚によって生まれた衝撃は、リッカさまの足裏から足首、膝、股関節へと流れていきます。それを、リッカさまは――もう片方の足へと流したのです。
鞭のようにしなったリッカさまの脚は、空気を弾けさせながら向かってきています。私の――影の中から飛び出して来た、男に。
『こんな、魔法もあるのっ!?』
「ガッ!」
衝撃音と、木の枝が折れるような音が部屋に響いたかと思うと、襲撃者は壁に叩き付けられていました。結構な硬さがあったようですが、凹んでいます。
私を狙った襲撃者に、リッカさまは……少しだけ手加減、出来なかったようです。
「グッ……」
確実に、腕と肋骨が折れている襲撃者が……立ち上がろうとしています。痛みに悶え、呼吸すらままならないはずの怪我にも関わらず、まだその目には、戦意があるのです。
そんな襲撃者の手首を掴んだリッカさまは、流れるように襲撃者の背後に移動したのです。何やら捻るような手の動きをしていますが――。
「~~~~!」
襲撃者の、声にならない絶叫が部屋に響きます。あれは、手首を……いえ、手首と肘を捻りあげているのですね。あれが、関節技と呼ばれる……制圧術の一つなのでしょう。
「動かないでください。私が力を入れる入れないに関わらず――折れますよ」
もう少し上に捻るだけで、襲撃者の腕は折れます。人の骨を折るという重労働を、リッカさまは力なく行えるのでしょう。それが、関節技の真髄……。相手の行動を封じつつ、絶大な損傷を与える事が可能なのです。
しかも破壊されるのは関節。そこを折られると、意思とは関係なく動かせなくなるのですから。
「ライゼさん、アリスさんを」
「あぁ」
職員を安全な場所に寝かせたライゼさんが、私の前に移動しました。
「……剣士娘。それ後で教えてくれんか」
こんな時に何をお願いしているのでしょう。魔法を必要としない拘束術が気になるのは仕方ないですが……。
「えぇ……っ。構いませんけど、自分で受けたほうが早く理解できますから。やりますよ」
「あぁ、我慢するさ」
身をもって知った技術は、言葉で伝えるよりも脳に刻み込まれます。それは、痛みを伴った実体験としての記憶となるからです。
ですが、理性を失っている獣のような襲撃者が、痛みで動けなくなっています。そんな技を受けて欲しいと言われたライゼさんの表情は、引き攣っていました。
『どんな時でも平常心。余裕を持って……。お母さんの言いつけだけど、私には未だ難しい、かも。この男に対する怒りで、どうにかなりそうだから』
ライゼさんの余裕綽々な態度に、リッカさまは羨望の眼差しを向けています。理想的な精神状況である事に間違いはないのですが……。
リッカさまが、私の為に怒ってくれている事が、こんなにも……嬉しいです。だからこの”光”で、リッカさまの気懸りを払拭してみせましょうっ!!
「光陽よ……・拒絶を纏いし槍よ、悪意を根絶せし光よ……私の強き意志を以って、かの者の闇を討ち……滅ぼせ!」
リッカさまの負担を減らしつつ、全ての者に浄化を届けたい。その想いで生まれた私の”光”。これが今の私が出来る、最高の浄化です――!
『これが――”浄化の世界”。目に刺さるような光じゃなくて……包み込むような、暖かい、光――』
(眩しすぎる。目を開けてられんぞ)
リッカさまとライゼさんで感じ方が違いますが、それは……私はリッカさまに対して一切の敵意を持っていないからです。ライゼさんは、その……リッカさまに尊敬されたり、してますから。
この”浄化の世界”は、対象が多人数であれば一人一人に”光の槍”が飛翔し、対象が一人であれば、その槍全てが一人の悪意を刺します。
密室でしか使えませんが、今の私が出来る……攻撃性を持たない”浄化の光”の最高峰です。
(もしこれでダメならば、”アレ”しか……”アン・ギルィ・トァ・マシュ”を撃つしかありません)
しかしそれを今使えば、今日は一歩も歩けなくなってしまうでしょう。この襲撃者は明らかに異常です。影に潜る魔法なんて、聞いた事も見た事もありません。アルツィアさまから全ての魔法を聞いて知っている私が、知らないのです。
(そんな魔法を使った者を前に、一歩も歩けなくなる魔法を使うのは危険、すぎます……っ)
余力は残しておきたいです。ですから……”アレ”を使わせないで、下さい。
「……」
「…………っ」
「グッガァッガアアアアア」
「!?」
襲撃者が悶え始めました。浄化でこのような症状が出た事はありません。もしかして、何か攻撃をしかけてようとして――。
『嫌な、予感が……っ!』
「っ部屋から出て!」
「あ?」
攻撃ではないようです。リッカさまの言葉に従い、ライゼさんを一睨みして外に向います。リッカさまは――職員を小脇に抱えて扉に飛び込みました。
(襲撃者は――っ!?)
扉が閉まる直前見えた景色は――暗黒だったのです。




