師匠⑤
商業通りを歩くのは二度目ですね。先日行った雑貨屋は、王都で一番のお店という触れ込み通り間違いありませんでした。
「こんなに近くにあったんだ」
「そうですね、もうちょっと歩いてくればよかったですね」
雑貨店からほんの東に少し進んだ先から、強い花の香りがしてきました。本当に一歩といったところで、花屋を逃していたようですね。勿体無い事をしました。
「あ、ここだね!」
漸く、リッカさまの心が安らぐ場所を見つける事が出来ました。個人のお店みたいですが、品揃えの良さ、展示の仕方、どれも高い水準です。リッカさまも満足できる場所のはずです。
「えぇ、いい香りがしてきました」
『アリスさんも嬉しそう。やっぱり、恋しいのかな。森が』
確かに、そろそろあの……”神林”の空気が恋しいです。私の故郷。そして揺り篭ですから。でも一番は――貴女さまの、喜ぶ顔を見られるからです。
「さぁ、リッカさま。少しの間ですが、楽しみましょう?」
「うんっ」
買う訳ではないので、中まで入るのは憚られますが、店先に並んでいるものを愛でる位は出来るはずです。
「この花は、なんでしょう」
店先に早速、”神林”には無い花が咲いていました。アルツィアさまの髪に似た色をした、コップのような形をしたお花です。香りが強く、ぴんと伸びた姿は何処か、アルツィアさまに似てますね。もし赤ければ、リッカさまのような、凛とした御姿と重なったのですが。
「チューリップに似てるけど、なんだろう」
「チューリップ、ですか。この世界にはないですね」
チューリップ、というお花が向こうにはあるようです。ですがその花はこちらにはありません。サクラと呼ばれる、リッカさまの好きな花も見てみたいのですが……。
「そうなんだ……でも、綺麗だね」
「はい、とっても」
植物図鑑を見直すべきですね。向こうの世界と同様に、こちらにも花言葉が存在します。リッカさまとそれを語り合うのは、楽しそうです。
(ん? 店先が何か賑やか――って、巫女様……?)
と、店主の女性がこちらに気付いてしまったようです。お店の前が、いつもとは違う賑わいを見せていたら、出て来てしまいますよね。
(核樹や”神林”の逸話もあるし、お花好きってのは理解出来るんだけど、まさかこんな店に興味を持ってくれるなんてねぇ)
女性が営むお花屋さん。個人店……宿の、バイト。そう、ですね。ここなら、もしかしたら――。
「花言葉とか、あるのかな?」
「はい。例えば、リッカさまの好きなアルスクゥラは信頼。ツァルナは信愛ですね」
「親愛じゃなくて、信愛なんだ」
「アルツィアさまへの供物でしたから、信仰の意味も込められているのです」
『やっぱりアリスさんには、す……好きなの、バレちゃってる』
もちろんです、リッカさま。アルスクゥラやツァルナを気に入り、また見たいと思っている事もしっかりですっ。
「神さまへの想いなら、親愛でも良かったかも?」
「ふふ。その方が、アルツィアさまも喜びそうですね」
『私がツァルナが好きなの……アリスさんの香りと重なるからっていうのは、バレて……ない、よね?』
申し訳ございません。リッカさま。そちらもばっちりと……。ですが、その……嬉しすぎるので、心に秘めているだけです。もしこれを表に出されてしまうと、私はもう、人前とか関係なくなってしまいます。
「もっと、花言葉知りたいなぁ」
ぽつりと、リッカさまが呟きました。その呟きはまるで――それが許されない、と想っているかのような……。
「でしたら、勉強ですね。図鑑を見ながら、言葉も一緒に覚えていきましょうっ」
「うんっ。時間が、あったら」
「はいっ」
時間は作る物なのです。リッカさま。必ず貴女さまの為に、お花と触れ合う時間を作りましょう。私の決意は、固まりました。早速今夜、アンネさんと協議いたします。
時間を忘れ、色々なお花を見ていきました。主にリッカさまの知らないものですが、私も図鑑でしか知らないので、実物は違った物に見えてしまいます。特に香りが加わると、印象がぐっと変わってくるのです。
「そろそろ、行こうか」
もうあたりが、赤みを帯びていました。少々、長く居座りすぎましたね。これ以上はお店に迷惑になってしまうかもしれないので、名残惜しいですがそろそろ行くべきでしょう。
「はい。また、来ましょう」
「うんっ。ありがとう、アリスさん」
「ふふ。はいっ」
リッカさまとの、お花見? 凄く良かったです。また一緒に出来たら、良いですね。今度は時間を一切気にせず、じっくりと。
「……」
広場に戻る途中どんどんと、リッカさまは思い詰めた表情になっていきました。どうしてその表情になってしまったのか、私には、分かってしまいます。
「アリスさん、ごめんね」
歩調を落とし、リッカさまは私の目を見ています。リッカさまの瞳には、後悔と慙愧がありました。
「せっかく、初めて海にいけたのに。私があんな風になっちゃったから」
『アリスさん……初めての、海だったのに……』
リッカさま……。それはリッカさまも、同じです。リッカさまだって、初めての海だったはずです。私がもっと、ちゃんとリッカさまと話していれば……。
「リッカさま。もう言いました。怒ってないと」
ですがもう、後悔に意味はありません。ですから――リッカさまの手を強く握り、私は力強く告げるのです。
「次は、平和になって行きましょう。私のスープと、リッカさまも何かを作って。二人で、一緒に」
しれっと、リッカさまの手料理を求めてしまいます。でも、リッカさまの手料理欲しいのです。それに……今度は二人きりで、行きたいのです。デ、デート、というのでしょう?
「うん。一緒に、平和になったら」
「っ!?」
はわ……。リッカさまが私の腕に顔を埋めて……。赤くなってしまった頬を隠すためでしょうけど、その御姿はその……凄く、周りの注目を集めすぎてしまいますっ。
ですが、ええ。リッカさまが歩きやすいように、広場に向かう足を遅くした方が良いですね。はい。
「で、花を見とって探してなかったと」
「「ごめんなさい」」
すでに広場で待っていたライゼさんに事情を説明しました。ライゼさんはにこやかに聞いていましたが、心中穏やかではなかったようです。この広場で、リッカさまとの鍛錬は噂になっています。それはもう、針の筵の如く視線が刺さっていた事でしょう。
『私の為の鍛錬場探しだったのに……久しぶりに花と触れ合ったから、時間忘れちゃって……』
「まぁ、俺のほうで見つけといた。気にするな。明日はちょい、強めに稽古をつけるがな」
予想通り、ライゼさんには心当たりがあったようですね。まるで、リッカさまに対する罰のように稽古を上乗せしようとしていますが――。
「見つかった、んです?」
「あぁ、アンネちゃんに聞いたらすぐだった。ちょうど休憩中でな。お茶をして――あっ」
ほら。アンネさんに聞いていました。しかもしっかりとお茶をしているではありませんか。私達がしていた事をライゼさんもしていたのでしょう。ならば。
「そうですか、じゃあ、お互い様ですね」
「そうですね、お互い様です」
「なんだその連携は……」
私とリッカさまは一心同体なのです。当然の連携ですよ。
アルレスィアとリツカがライゼルトと別れ、宿のバイトを始めた頃――とある少女が目を覚ました。
「ふぁ……何時――って、寝すぎましたね」
手早く顔を洗い、フード付きのマントを羽織る。そのマントの下は、だぼだぼのキャミソールのような服一着のみ。この寒さでその姿は、周りの人間まで寒くなってしまうくらい薄着だ。
「さて、陛下の所に――いえ、ギルドが先ですね。夜の事もそうですし、マリスタザリアがまた出ているかもしれません」
少女は一人だが、考えを声に出しながら纏めていく。それが癖なのだろう。
「巫女さんと赤い巫女さんの事を聞きたいですし」
最後にフードを深く被り、宿から出て行く。
「さテ、行きますカ」
少女――レティシアは今日から、選任冒険者だ。
ギルドに着いたレティシアは、仕事中のアンネリスの所に一直線に向かった。慌しく”伝言”を受け続けているのを見て、自身が必要と感じたのだろう。
「おはようございまス」
「こんばんは、ですよ。レティシア様」
「先ほど起きたものですかラ。それデ、忙しそうですけド」
「そろそろあのお祭りですから、ギルド全体で対応中です」
(アンネさん働きすぎですね。そういった対応の為にギルドがある訳ですから、アンネさんはもっと根本的な運営を任されてると思うんですが)
寝ていない訳ではないが、寝る間も惜しんでアンネリスは仕事をしている。しかしこの時期は、いつであっても睡眠時間が減るようだ。今回は特に忙しいようだが。
「今回は特に大規模になるでしょうからネ」
「はい。巫女様が参加してくれるのですから。それも二人も」
アルレスィア達が居る事。それによって祭りは普段よりも盛り上がるらしい。
「その巫女さん達の事ですけどネ。話しながら作業って出来ますカ」
「問題なく。ですがその前に――」
「どうやら来てしまったようですネ」
レティシアが立ち上がり、手首を解す。”魔女”である彼女は手首を酷使しないはずだが、事彼女に関しては事情が違う。
(エルヴィエール陛下に聞いた通りみたいですね)
レティシアは”魔女”であると同時に、魔法研究家だ。いかにして魔法の力を強くするか。魔法が上手くなるか。世界の真理ともいえる魔法を解き明かす者だ。
彼女にとって両手というのは、想いを高める装置。ただ心に想うだけで発動出来る魔法を、手を使い発現させるのだ。
照準、威力。どれも想うだけでは弱い。アルレスィアは杖で、リツカは剣で表現するが、レティシアは手を使う。
「相手の情報をお願い出来ますカ」
「東に三キロ。大きなシカのようだったとの事です」
「だったということハ」
「はい。商人達を襲った後、殺さずに何処かへ走り去ったそうです」
「分かりましタ。とりあえず追ってみますカ」
「増援を手配し、レティシア様の命に従う様厳命しておきます」
「ありがとうございまス。でハ」
ギルドから出て行こうとするレティシアの前に、男が二人立ちふさがった。
「あん?」
「失礼。そこを退いてくれますカ」
子供がギルドに居るのが不思議なのか、男の片方、細身の方が怪訝な表情を浮かべた。そういった視線には慣れているのか、レティシアは特に気にせずギルドを出て行く。
(やっぱり冒険者になったんですか。随分と柄が悪いですね)
肩を小さく竦めて離れていく子供に、多少イラつきながらも細身の男はギルドに入って行った。
「アンネさん。レティシアさんが出て行ったが」
男のもう片方、ディルクがアンネリスに話しかける。レティシアが只ならぬ雰囲気だったのを感じ取ったのだろう。
「東でマリスタザリアです」
「またか……。ウィンツェッツと俺も行った方が良いか?」
「いえ。お二人は隊商の計画を進めてください」
「分かった」
ギルドは大忙しだ。しかしアンネリスは、巫女二人を呼ぼうとはしなかった。祭り前の大事な時期に、”巫女”が慌しく動いているのは得策ではない、という配慮なのだろう。
リツカの不器用さを知ってしまったというのも、あるのだろうが。




