師匠
A,C, 27/03/05
日が変わってすぐの王都北に、一隻の船が停まった。豪奢なそれは、一目で高貴な者が乗っていると分かるものだが、深夜という事で騒ぎになっていない。
「あ……?」
(珍しいな)
線が細いながらも長身の、黒髪の男だけがその船を見ている。歳は二十辺りだが、何処かライゼルトに似ているという印象だ。その男もまた、リツカの身長と同じくらい長い剣を肩に担いでいる。
船自体は珍しい物ではなく、王国にも多くの船が存在している。だがその船は珍しい紋章と装飾が施されているのだ。見る人が見れば、それがどういった意味を持つのか分かるのだが、男に分かるのはその船がどこに所属しているのか程度のものだった。
(共和国、だったか。このご時勢に旅行たァ、金持ちは暢気だな)
ハッと鼻で笑い、男は王都に入って行こうとする。
「止まれ。名と入国目的を話してもらう」
「あ? ああ。ほらよ」
剣を携えているからではなく、男の人相が余りにも鋭すぎたからだろう。検問官は少し警戒心を強くして男に話しかけた。
(これは、東の……)
「許可する。お手数をおかけした」
だが、男が書類を見せると簡単に通行を許した。
「ギルドってのは、何処にあるんだ」
「南の大通りだ。南門に一番近い、でかい建物。常駐している職員が居るから、何時に行っても良いぞ」
「ああ。助かる」
男の纏う空気は異質だ。アルレスィアやリツカの様な、凛とした静謐さではない。ライゼルトのような研ぎ澄まされた剣のような闘気でもない。視線は鋭く、目の下に薄っすらと隈があり、どこか前傾の姿勢。その風貌は荒々しい剣士というよりは――獣だ。
(特別許可証。マリスタザリアの討伐により、街や人を救った者だけが得られる権利の一つ。あの剣、何処かで見たが……まさかな)
正規の試験を熱望したアルレスィアとリツカは知らない事だが、マリスタザリア被害から人を救うと、冒険者への推薦込みの王都への入国許可証が貰える。あの男は、何処かの街を救ったという事だ。
「見るからに野蛮な人が居ますネ」
(む……今日は、深夜なのに希望者が多いな……。今度は子供、か。異国の者のようだが)
既に見えなくなった男の背中にため息を投げかけたのは、少女だ。歳は十二程。フード付きのマントを羽織り、容姿の殆どは見えない。だが、松明に照らされた少女の肌は褐色であり、瞳は深い海の色をしていた。
「身分証か許可証はお有りか」
「こちらでス」
少女が取り出したのは身分証のようだ。受け取った検問官は読んでいくが――段々と、表情が強張っていく。
「ま、まさか……」
「お忍びですのデ、誰にも言わないで頂けると嬉しいでス」
「しかし、陛下に報告はしなければ……いけませんので」
敬語に変わっていった検問官に、周囲の希望者達も首を傾げる。船に乗って来た事からお金持ちではあるのだろう。しかし北の検問官は滅多な事では態度を変えないと、常連達は知っている。
「自分で行きますヨ。直接挨拶をしたいですシ」
「そ、そういう事でしたら」
どうやらこの少女は、望めば簡単にコルメンスと会えるような身分のようだ。
「船の停泊許可も貰いたいのですガ、よろしいですカ」
「はい。こちらで手続きをしておきましょう」
「ありがとうございまス。後、ここに来る途中でマリスタザリアを倒したんですけド」
「失礼とは思いますが、証人か証拠はおありでしょうか」
「助けた商人があちらに居ますのデ、連れてきましょウ」
少女が手続きを進めている。選任試験はマリスタザリア一頭の討伐が必要不可欠なのだが、事前に倒し、それを証明出来れば条件はクリアとなる。
「では、ギルドの方でもう一度説明をお願いします」
「はイ」
「場所は分かりますか?」
「王都の地図は頭に入れて来てるので大丈夫ですヨ」
少女がフードを少し上げ、王都の中を見ている。自身の頭の中にある地図と照らし合わせているのだろう。
「では通りますヨ」
「助けていただき、ありがとうございました……」
助けられた商人が少女にお礼を言っている。もし少女が船で通り掛からなければ、商人達は死んでいた。少女は先程の男と同様、単独でマリスタザリアを倒したのだ。
「今度から護衛を連れて行くのをお勧めしまス。王都の冒険者は優秀って話ですからネ」
「はい。そうさせて頂きます……」
少女が王都に入って行くのを、商人達が見送る。フードからチラりと見えた少女の顔は、まだまだ幼さが残っているが美少女といえるものだった。だが、商人達はそんな少女の容姿よりも、戦闘を思い出していた。
襲い掛かってきたマリスタザリアを、少女は瞬時に凍らせた。それだけで圧倒的な魔法なのだが、少女は更に――その氷を内側から爆発させたのだ。局所的に、周囲に一切の被害を出す事無く、マリスタザリアだけが爆散した。
魔法をそこまで完璧に扱える者は、そう居ない。魔法だけで大型のマリスタザリアを倒せる人間も。
少女は王都に入ってすぐにギルドを目指した。選任冒険者になる事を優先させたのだろう。
「ごめんくださイ」
「はい。何でしょう」
「選任冒険者の申し込みっテ、今でも出来ますカ。北の検問官からこういうのを貰ったんですけド」
「拝見します」
少女の渡した書類を読んでいく職員の顔が、検問官と同様の変化をしていく。
「確認ですが……レティシア・エム・クラフト様は、あの……?」
「はイ。共和国の”魔女”でス」
(じょ……女王陛下の……妹君が選任に!? しかも、王都の……!?)
少女の名前はレティシア・エム・クラフト。共和国だけでなく王国、ひいては世界各国の権力者達がその名を警戒している。この少女一人居るだけで、共和国へ攻め入る事は出来ないとまで言われている――”魔女”だ。
(私じゃ対応出来ない……)
「た、担当をお呼びします!」
「分かりましタ」
欠伸をしながら、レティシアは待合室の椅子に座った。
(確か、アンネさんがギルドで働いてるんでしたね。きっとアンネさんが呼ばれるでしょう。それを狙っての事ですし、成功といった所ですね)
レティシアはアンネリスを知っているようだ。その逆も当て嵌まるのだろう。お互い知っている方が話が早いからと、アンネリスを最初から呼ぶつもりだったのだ。
(あの野蛮さんが居ませんね。あの人は寝てから登録するのでしょうか)
自分より先に王都に入ったはずの長身の男が居ない事に、レティシアは興味なさげに首を傾げている。暇だから少し考えてみた、程度のものだ。
「レティシア様?」
「ン。”伝言”だけでしたガ、お久しぶりでス、アンネさン」
「はい。お元気そうで何よりです」
「風邪知らずですヨ。コルメンス陛下はどうですカ」
「いつもの様に、ご自身で全てやろうとしております」
「まだそんな事してるんですカ。いい加減、国民達が認めてるって事を自覚すべきですヨ。もう成り立ての時とは違うんですかラ」
「もともとの性分もあるのでしょうが、何処かで簒奪者という事に引け目を感じているようで……」
コルメンスの、全てを自分でやろうとする性格の源流は、革命にまで遡る。当時の政権を打倒し、新な王となった。力尽くだったからこそ、皆の意見を曲げてしまったのではないかという疑問になっている。。それが、自分だけでしなければいけないという、贖罪ともいえる行為に繋がっているのだ。
だがそれは、コルメンスの思い違いだ。最初から認められて王となっている。だから、王国が異常を来たしている今は、王として落ち着いた姿を見せた方が良いとレティシアは考えている。
ただの十二程度の少女と思うことなかれ。レティシアは人並み外れた才能の持ち主だ。魔法が優れているというだけで、世界は恐れない。
「それハ、共和国の私が正せそうにないですネ。元老院の所為であんな教科書が出てしまいましたシ」
「いえ、すぐに出版中止にしていただけましたから、王都ではそこまで問題になっておりません」
「それならば良いんですけド。お姉ちゃ――女王陛下も気にしてましたからネ」
レティシアが何かをはぐらかすように肩を竦めている。アンネリスはそれに気付かない振りをした。
「それじゃア、選任についてですけド」
「はい。マリスタザリア一頭を討伐していただけましたので、レティシア様も選任冒険者合格で良いかと。説明は、必要でしょうか」
「知ってるので大丈夫ですヨ」
「ありがとうございます。では、証書をお渡ししますので――」
すでに選任冒険者について調べ切っていたレティシアには説明は必要なかったようで、話はとんとん拍子に進んで行っていた。だが――ギルドの”警報”が鳴り響き、話は中止となった。
「これは」
「早速で申し訳ございません、レティシア様」
「なるほド。通報のアラームでしたカ。どちらに向かえば良いですカ?」
「少々お待ちを」
(巫女さんと赤い巫女さんについて聞いておきたかったんですけド、帰ってからですネ)
この”警報”は、マリスタザリア出現を知らせる物だ。通報は全てギルドに集められる。対応出来る者がその通報を取る事になっている。
「西に二キロ程です。大型みたいですが」
「まぁ一人で大丈夫ですヨ」
「一応、私の担当している方達をお呼びしておきますか?」
(アンネさんの担当は確か、ライゼルト・レイメイと巫女二人でしたね。どちらも実力を知っておきたい方ですが――)
大型のマリスタザリア程度ならば、レティシア一人で片がつく。しかし、最近マリスタザリアが強くなっている事も知っている。ここは慎重になりつつ、気になる三人の実力を見ておきたいと考えているようだが、別の考えも過っている。
「いエ、今回は一人で良いですヨ」
(それくらい一人で倒せないと、両者に嘗められてしまいますからね)
レティシアもまた、生い立ちが特殊だ。故に他人に弱味を見せる事を嫌う。
「私の担当はアンネさんって事で良いんですよネ」
「はい」
「分かりましタ。では行ってきまス」
アンネリスが担当となれば、この先いくらでも実力を見る事が出来る。そう考えたレティシアはギルドを後にし、西の門から外に出て行った。
(しかし、何故レティシア様が此処に……。エルヴィエール様が許すはずが……)
レティシアは何も、個人的な旅行で来ている訳でもなければ、話題の人物達を見物しに来た訳でもない。彼女もまた信念を持ち、自身の想いを遂げる為に立ち上がった者なのだ。
(エルヴィエール様にご報告を……いえ、まずは陛下に、ですね。多分レティシア様の独断でしょうし……)
度々出てくるエルヴィエールとは、共和国の女王エルヴィエール・フラン・ペルティエの事だ。太陽と称される絶世の美女、共和国を立て直した女王として有名だ。だが、一部ではこう言われている。
――妹が好き過ぎる、と。
(さて、早速情報部の報告通りですね。まさかこんなにも短い時間で二体も)
手をぷらぷらとさせているレティシアを、マリスタザリアを通報した者達が見ている。
「あ、の」
「ン。もう居ないみたいですシ、大丈夫ですヨ」
血に塗れた氷を粉々に粉砕し、レティシアは魔力を抑えた。通報から十分と経っていないが、もう倒してしまったようだ。先手必勝。凍らせ、爆発させる。確殺の魔法連携で処理した。
(もうそろそろ限界ですね。時期に私の魔法は通じなくなるでしょう)
そして今回の戦いで、自身の魔法が通じなくなる未来を見たようだ。その予想は正しい。ただのマリスタザリアならばレティシアでも問題ないが、マリスタザリアの成長が著しい。
(やはり、頼みの綱はライゼルトと巫女二人ですね。まずは信頼出来る人なのか確かめないと)
何れ自身は、サポートに徹する事になる。レティシアはそう予測を立てた。
(この異常事態が王国だけで終わるはずがありません。魔王が居るのは間違いないのです。誰かの思惑があるのなら、それは共和国にも何れ向くと考えるのは自然。全ては共和国を守るためです)
長期的な視点で、レティシアは考える。魔王の思惑が何であれ、共和国にも影響が出るはずと。だからこそ――王国だけが異常事態に陥っている内に解決させたいと、共和国からたった一人、王都までやって来たのだ。
「どちらに向かわれるんですカ」
「西の精鉱所まで、です」
「ふむ。では送りましょウ」
「そ、そこまでしていただく訳には」
「皆の安全が確保出来るまでが任務ですかラ、気にしないで下さイ」
遠慮している通報者達を引き連れるように、レティシアが歩き出す。有無を言わせない行動に、着いて行くしかなかった。
「っと、少々お待ち下さイ」
レティシアが”伝言”を受け取ったようだ。
《レティシア様、申し訳ございません。今どちらでしょう》
「西のマリスタザリアを倒したのデ、通報者達を目的地まで送っている最中ですヨ」
《でしたら、その護衛は別の方にお願いしますので、そのまま北上してくれませんか》
「もしかしテ」
《マリスタザリアが出てしまいました。小型で、既に冒険者を派遣しておりますが、一応後詰の方を》
(いやいや、やりすぎですよ。魔王とやら……)
レティシアはため息を吐き、少しずつ移動をしながら護衛の冒険者を待っている。
「ども。レティシアさんですか」
「はイ。貴方ハ」
「防衛班のリーダーを務めている、ディルクって者だ。護衛、代わりますんで」
(確か、コルメンス陛下の盟友でしたね。安心出来そうです)
「よろしくお願いしまス。私は北上しますかラ」
「お願いする。連絡じゃ、またオポッサムって話ですんで」
「嬉しい情報でス。苦戦してそうですかラ、急ぐとしまス」
ディルクと交代し、レティシアは走り出す。
(最近の女の子ってのは、全員あんなんなのかね。俺もちんたらしてられないな)
こんな深夜までマリスタザリア討伐を行いながら、中途半端な仕事をせずに全うしている姿は、ディルクを刺激した。仕事に誠実な強者というだけで尊敬出来る。
「すんませんね。こっからは俺が担当しますんで」
「い、いえ。ディルクさんに守っていただけるなんて、光栄です」
「あの、あの子は一体……」
「ああ。共和国の”魔女”様ですよ。あれでも、世界で一番の魔法使いだ」
「あ、あの人が……」
”巫女”と同じくらい有名な、”魔女”という称号。それをアルレスィアとリツカが実感する日は近い。しかし今は――。
「と、失礼」
ディルクが再び”伝言”を受け取る。
「え? 何だって?」
顔を引き攣らせたディルクに、通報者達も不安そうにしている。
「……で、誰が行くんで? ライゼを起こす? あー……アイツ、さっきまで飲んで…………いやいや、レティシアさんはさっき北上したばっか――もう倒した? 仕方ねぇな……」
どうやらまたマリスタザリアが出たらしい。そして誰かに対応してもらおうとしているらしいが――また、レティシアが駆り出されそうになっている事に、ディルクは顔を引き攣らせていた。
とはいえ、寝ているライゼルトや巫女二人を起こすよりは、対応が早い。
(今日王都に来たばっかだろ、あの子……。巫女様達が来て、楽になってたんだが……やっぱり人材不足甚だしいな……)
再び歩き出したが、ディルクの顔が冴えない。その事で通報者達は不安が更に高まっていく。
(せめてもう一人、単独でマリスタザリアを殺せる奴が居れば良いんだが――)
そしてその不安は――マリスタザリアを呼び寄せてしまう。
「お、おい――――ッ!?」
「ひっ」
ディルクが咄嗟に”盾”を構えたが、マリスタザリアは襲ってこない。それどころか、前に倒れこんでしまった。
「何だ……?」
「た、倒したんです、か?」
「いや、俺は――」
「こんな時間まで働いてるのか、選任っていうのは」
闇夜に溶けるように、黒い髪と薄い緑の瞳がギラギラと輝いている。その男の肩に携えられた剣には、血が滴っていた。
(この光景、どっかで――――ああ、ライゼに会った時も、こんな感じだったな。颯爽と現れて、マリスタザリアを両断したんだったか)
ディルクが感慨に耽っている姿に、男は眉を顰める。頭を荒く掻いて、どうすれば良いのか迷っているようだ。ディルクの反応が予想外で、慣れていないのかもしれない。
「っと、助かった。感謝する。お前さんは一体……?」
「ウィンツェッツ。一応、冒険者になるつもりだ。先輩」
ウィンツェッツは気だるげに、しかししっかりと、自身の考えを告げた。




