一歩②
リッカさまが冒険者の視線に居心地を悪そうにしています。いやらしい視線ではないので、逆に困っているのでしょう。もしそういった感情だったなら、睨めば終わりなのですが。
「リッカさま。どうなさいました?」
こういうのは気にしないのが一番ですよ。
「んと、ね。あの……何か用事でも?」
「い、いや、なんでもねぇ、です。赤い巫女さん」
敵意や不信感ではないので、リッカさまは尋ねる事にしたようです。若い冒険者が答えていますが、どうやらこの方……リッカさまに気があるようです。
「そうですか? 顔が赤いようですが」
リッカさまが、鈍感で良かった。他者の恋愛事情を察する事は出来るのですが、自身となると別です。万が一……奥が一にも、リッカさまが恋愛に興味を持ってしまったら……。
「剣士娘、俺にはなんかないんか?」
「ちゃんと、アリスさんを止めたじゃないですか」
『アリスさんが人を傷つけるはずがないでしょう』
ごめんなさいリッカさま。貴女さまが止めなければ、かなり本気でライゼさんに攻撃を加えようとしました。
「元はと言えば、あんさんがちゃんと説明せんかったからだろ!」
「痛かったのは、事実ですし。初めてだったんですよ。男の人からやられたの」
リッカさまが、お腹を擦っています。正確には横腹辺り、外腹斜筋ですが……その仕草と発言は危険すぎます。
「なぁ、巫女っ娘。剣士娘の無自覚は治ったんじゃないんか?」
ライゼさん、その顔、どういう感情ですか? もしリッカさまにそういった感情を向けているのでしたら、先程の続きをする事になりますが。
「自覚したのは、自身の容姿についてだけで、他人からどう思われてるかは、まだ自覚が足りないのではないかと。それか、本当に分かってないかのどちらかです」
どちらも、ですね。他人に無関心という訳ではありませんが、リッカさまは余りにも視線に曝される事が多かったものですから、基本的に無視をしているのです。
「なぁ、剣士娘」
「何です?」
「少し、あんさんのことを話そう」
ライゼさん……リッカさまに話すつもりみたいですね。必要な事ですから、傍観します。ですが少しでも踏み込めば、止めますよ。
「あんさん、宿の休憩所で短ぇスカート着てたが、もうちょい気をつけて歩け」
説明というより、警告ですね。男性の全てがそうとは言いませんが、リッカさま目当てで宿の休憩所に来ている方、これから来くるであろう方は見える見えないとかは関係ないのです。スカートがひらひらするだけで熱狂するのですから。
「見えてないはずですけど。一応、元の世界の学校でスカートは着慣れてますし」
「いやな、男はそういうんじゃ」
『見えてないのなら、良いんじゃ?』
この辺りの、リッカさまの無防備な所は私でも完全に把握出来ていません。多分、リッカさまにとって男性が脅威になりえないからだと、思うのですが。
「なんでそんなに男に詳しくねぇんだ……?」
「? 男はケダモノで狼で、簡単に襲ってくるから気をつけろ。ですよね。良く視線は感じていますけど、男って皆そうなんでしょう?」
分かってはいましたが……、ここまで男性に対しての知識が偏っていたとは……。
「極端すぎんだろ!? 何か、不良なら全員監査対象か!」
『ライゼさんも最初は警戒対象でしたけど』
「いえ、ちゃんと悪意の有無も見るので、監査対象は増減しますよ」
リッカさまの心を見てしまった時、リッカさまの中にあった男性との交流は、父と道場の門下生、そしてリッカさまにちょっかいをかけていた不良達くらいでした。まさかそれが全てだったとは思いませんでしたが……。
「はァ……じゃあ、何でそんなに男の接触が少ない。下手したら巫女っ娘より少ねぇんじゃねーか」
そう、ですね。集落には男性が多く居ましたし、恐怖を受けた経験もあります。それに、私はしっかりと勉強を施されています。旅が前提でしたから、知識が偏っていたり不足していては問題が起きてしまいます。
「学校は全部、女子高でした。女の子だけの学校です。幼稚園、小学校、中学校、高校全部ですね」
『そういえば、先生も男の人が居なかったような』
「親馬鹿すぎんか、それ」
リッカさまのお母さまの考えを、否定出来ません、ね。アルツィアさまやお母様は、私が過保護と言っていましたが……リッカさまのお母さまに比べたらまだまだ足りていません。
「そうですね。こっちに来て初めて巫女の重要度を聞きましたから、元の世界じゃ、ただの親馬鹿ですね。巫女はただの儀式的なものでしかありませんでしたし。あのままだったら私の代で廃れるかもしれませんね」
余りにもリッカさまが可愛すぎたのでしょう。お母さまの気持ちは良く分かります。リッカさまが男性を連れて来る所……いえ、話すところでも見てしまったものなら、気が気ではありません。
(考えは分かります。ですけど……)
徹底しすぎ、ではないでしょうか。学校から男性教諭を排除するなんて、いくら六花が特別な家であっても…………。
(そういえば、六花は国から……)
一般市民には知らされていませんが、各国の長や特権階級持ち達は、六花を知っているそうです。
詳細までは知りませんが、六花家はかなりの有名人であり、リッカさまの居た”神の森”がある町の中くらいならば、いくらでも融通が利くと聞いています。
ですから、学校から男性を排除するのも可能だったのでしょう。ですがそうなると、町に居た不良達の説明がつきませんね……。不良も排除出来たのではないでしょうか。
(リッカさまが…………向こうに、帰った時、不良の問題が残るのは避けたいです。ですから、この問題も解決策を模索したいところですが……)
アルツィアさまに、駄目元で聞いてみましょう。
「男から遠ざけた上で、男の脅威を教え込まれた訳か。それならもっと過敏になっていいはずだが、あんさん無頓着すぎんか」
睨んだり、直接的な行動には武術で対応します。ですが、普段のリッカさまは本当におっとりとした姿です。男性の脅威を理解していながら、どこか軽視しています。
「私は武術を五歳になった辺りからやってまして。最初の頃は母が付きっ切りで教えてくれました。母を十回に二回投げれるようになった辺りで、やっと門下生を相手にし始めましたけど、それでも母が見てないところでは絶対させてもらえませんでしたし」
夢で知りましたが、五歳の頃には自衛官の父を投げ飛ばす事が出来ていたリッカさまです。門下生達であっても、触れる事すら出来なかったでしょう。
「やっぱり親馬鹿じゃねぇか……。で?」
「はい。十一歳で母に勝てるようになるまで、ずっと母同伴でした。学校の送り迎え、散歩買い物。外に出る時は全部です」
『まぁ……お母さんは、わざと負けてくれたんだろうけど……』
「リッカさまの、お母様……」
多分、リッカさまが心配といった言い訳をしていたのでしょうけど……一分一秒たりとも、リッカさまから目を離したくなかったはずです。ですが、リッカさまの自由を奪うのは避けたかったのでしょう。”巫女”故に町から出られないのですから、せめて町くらいでは、と。だからわざと負けて、リッカさまの自由を確保する口実にしたのです。
(お母さま……私と、似てますね……。素直になれない所とか、特に)
「ずっと?」
「ええ、ずっとです。おかしいとは思いましたけど」
(もう親馬鹿どころの話じゃねぇぞ。どんだけ溺愛しとんだ……巫女っ娘もそうだが……。まぁ、剣士娘が心配になるってのは分かるがな……。こいつ、体術や剣術含め、体を動かす事に関しちゃ天才的だが……不器用だからなァ……)
ライゼさんが驚くのも無理はありません。でも私は、それがおかしいとは思えないのです。むしろリッカさまの可愛らしさを考えれば、当然とすら思えます。
「それで、巫女になった辺りで、やっと一人でちょっとずつ出れるようになったんですけど。その頃には、色々感じ取れてましたから。町の男性を脅威とは全く思いませんでした」
『それに、十三歳に欲情する人いたら、問題すぎる。犯罪だもん』
確かに犯罪ですが……絶世の美女であるリッカさまの可愛らしさと落ち着いた雰囲気があれば、年齢以上に見られますから……。本当に、もっと気をつけて欲しいのですが……こればっかりは、どうしようもないのです。
「男という生き物を理解する前に、あんさんが強くなったか。それでそんな性格になったんか」
正直に言います。この件に関して私は、リッカさまの意識を変えるつもりはありません。極端とはいえ、男性に対して一定の警戒心を持っていますし、知識に関しても一般常識程度はあります。踏み込んだ知識は乏しいですが、問題のない範囲です。
ですからこの、清らかで、侵し難い聖域であるリッカさまを変えたくないのです。
「今でも、そうなんか」
「ええ、街の中で襲われたところで、素手なら誰よりも強い自信ありますよ」
「ああ、納得だな。それは」
技術です。ライゼさんが思っているような、怪力ではありません。やはり魔法の事は教えておくべきですね。”強化”と、魔法を自身にかけられる事を。
(化け物を投げたって本当だったのか……)
(ライゼさんより強いって、冗談なのかと……)
「はぁ……」
怪力娘。リッカさまはそれを嫌っています。ライゼさんが冒険者に話した所為で、変に印象が強くなってしまっていますね。
「でも、相手が武器を持ってたらどうするのですか?」
相手が武器を持っていた場合の対処法を、私は知っています。ですからこの質問は、回りに聞かせるためです。
「うん、武器持ってても、”強化”使えば大丈夫だよ。魔法がなかった時は走って逃げてたし。走力も鍛えてたから」
『私より足が速いのは犬くらいかな』
武術を極めようとも、複数人相手ではもしもがあります。
自身の力を過信しないリッカさまだからこそ、逃げるという選択肢もあったのです。お母さまも、リッカさまを戦わせる為に武術を教えた訳ではありません。教えたのは、選択する技術です。向こうの世界では、その鍛錬は実を結んでいました。
冒険者にも、何となく意図が伝わったようです。何かの魔法で対処していたという事と、圧倒的に不利な場合は逃げるという選択を取るという事が。ですから少しだけ、冒険者の畏れも解消されたように感じます。
「体術か、気になるな。俺の蹴りはどうだった?」
リッカさまが横腹を擦りながら、顔を顰めています。思い出しているのでしょう。ライゼさんに蹴られた痛みを。
「腰の入ったいい蹴りでしたよ。母の蹴りを受け慣れてる私が動き止めちゃいましたし。ライゼさんは要注意ですね」
(いや。俺はあんさんを襲ったりせんぞ――って、コイツの前でそんな事言ったら)
「……」
思わず魔力を練ってしまいました。やっぱり、ライゼさんにはお仕置きが必要でしたね。
「剣士娘、なんでそんなに男に無頓着なんだ。脅威に感じてないにしても明らかに気にしなさすぎだ」
ライゼさんが話を逸らしました。リッカさまの話の腰を折る訳にはいきませんし……逃げ切りましたね。
「……えっと」
『これを言ったら……また、怒られちゃうかも……』
リッカさまが、私を見ています。どうやら私に関係している事のようですが……。
「教えてください、リッカさま」
怒りません。ご安心を。ですから、教えてください。
「私より、アリスさんのほうが危ないって思ってたから。自分より、アリスさん優先で守って……た」
やはり、優先度の話でしたか……。
「リッカさま。私もリッカさまに頼りすぎてましたね。リッカさまが守ってくれる。この言葉がどれほどリッカさまを苦しめたか……」
リッカさまを極力傷つけないように、それでいて想いの全てを達成しようとした時、この言葉で私は……リッカさまを納得させていました。でも、リッカさまは苦しんだのです。
私は、選択を間違えたのです。楽な方法を取り、リッカさまを苦しめてしまいました。リッカさまの為と、自分を納得させ……言葉の楔で縛ってしまったのです。丘の上で、謝るべき事だったのに……リッカさまと仲直り出来た事が嬉しすぎて、今更になってしまいました……。
「ち、違うの! 私、嬉しかった! アリスさんが私を頼ってくれて、信頼してくれて! だから、ね? 守らせて? ……また私が守ってくれるって信頼して?」
丘の事を思い出したリッカさまは、必死に私の袖を掴み、少し潤んだ瞳で私を見上げています。また私が、離れると思ったのかもしれません。
「――。はい、リッカさま。もちろんです。信頼しております、何があろうとも」
リッカさまの、力の篭った手を掴み、手を重ねます。私の信頼に揺らぎはありません。
もう、お互いの認識は擦り合わせています。私はもう逃げません。貴女さまの”恐怖”から、負い目から。貴女さまの傍で、ずっと――共に。




