貴女さま③
いつも”神林”を出る時は憂鬱さを感じるのですが、今日に限って言えばそんな事はありません。
むしろ、スキップしそうな程です。
だから、私は――いつもより強い”森の歓迎”に、今やっと気付いたのです。
「……?」
「リッカさま。お気づきかと思いますが、もう少しです」
集落の入り口付近で、リッカさまは少し首を傾げました。
ここまでの道のりで分かった事の一つとして、リッカさまは凄く、すごーく”森”が好きだと言う事です。
それは”神の森”であり、”神林”もそうなのでしょう。”神の森”よりも荘厳な”神林”に圧倒され、自身の”巫女”としての資質にまで言及し、力不足と怠慢を嘆いた方です。
アルツィアさまの反応も納得という物でしょう。きっと毎日、出来るだけ多くの時間を”神の森”で過ごしていたであろうリッカさまが、”巫女”として怠慢である訳がないのですから。
そんなリッカさまは、植物についての造詣が深いのかもしれません。研ぎ澄まされた感覚も相まって、”森”という物を全身で感じられるのかもしれません……。
森の歩き方が熟練者の物でしたし、移り変わる森の表情を楽しんでいました。その表情の優しさといったら、アルツィアさまも裸足で逃げ出します。
そんなリッカさまだから、”森”も大歓迎なのでしょう、ね。
『リツカは優しいよ。何れきみも分かる』
「……」
アルツィアさまの言葉に、返事が出来ませんでした。もっとリッカさまを知りたいという気持ちが強くなったのもありますけれど、何より……自分の知らないリッカさま、というのが、悔しい? よく分からない感情が湧き上がったのです。
(少し複雑な心境が更なる混迷へと入り込みましたけど……先ほどから感じる胸の痛みは一体……)
”巫女”としての資質で少し……アレを思い出してしまいました。いくら年頃の乙女とはいえ、少々昂ぶりすぎです。まずはリッカさまに集中しましょう。乙女の昂ぶりとは別に、胸の鼓動は早くなる一方ですが、こちらの方が幾分かマシです。
「えっと。この香りは、なんていう木を燃やしてるんですか?」
「―――はぃ、ツァルナの木のことですね。集落周辺に生えています。この季節にはおいしい果実を実らせるのですよ。見に行きましょうか」
薪は”神林”外縁部もしくは、少し離れた場所にある森から頂いています。今日はどうやら外縁部の、ツァルナを燃やしているようです。何か特別な日以外は燃やさないはずなのですが、誰かが間違えたのかもしれません。
リッカさまは、ツァルナの香りを気に入ってくれたようです。その事が、純粋に嬉しいのです。
何しろツァルナは、私の、香りですから。
(リッカさまからも、何かの植物の匂いがするような?)
い、いけません。他者の香りを深々と嗅ぐなんて……。
でも、凄く良い香り……。
「アリスさん、ちょっと――」
「ぇ」
私の腰を引き寄せたリッカさまは、私のおでこに手を当てました。凄く真剣な表情は、猫のような目も相まって凄く、格好良くて……燃えるような瞳から目が離せません。
「熱はないようですけど……」
どうやら、私の顔が赤くなっていたのを見たリッカさまは、私が風邪を引いたと思ってしまったようです。
実際はドキドキしていただけなのですけど、その心配で更に体の熱が上がってしまいます。勘違いを助長させてしまうので、話題を切り替えます!
「わ、私は大丈夫です。それよりもツァルナを見ましょう。この時間だと、良い物が見れますよ」
まだ日は落ちていませんが、もう少しで夕刻です。その時間になると、ツァルナの赤い実がまるで、ルビーのような輝きを見せるんです。
この場所にあるツァルナは、それが特に綺麗なんですよ。
「それは明日でも……。今はアリスさんの体調のほうが気になりますよ」
「―――はひ」
おでこにあった手が私の頬に滑り落ち、撫でました。
私の感情は極限にまで昂ぶり、そのまま押し倒しそうな衝動を生み出しました。
でもやっぱり私は、冷静になってしまうのです。
そしてリッカさまは、分かっていました。この不思議な体験は一日で終わるものでは無いと。
別の世界に飛ばされたにも関わらず、リッカさまは冷静に事を見ています。
ただ私は、リッカさまと明日も居られるという言葉に酔ってしまっているのでしょう。
思考は別の方へ暴走してしまいました。
「素敵……王子様みたい……」
私から手を離し、リッカさまは周囲を見ています。その視線がツァルナの方を見ていますから、きっと気になるのでしょう。本当は見たいはずです。
でも、私を優先してくれています。その姿が本当に、王子様みたいで……。
いつだったか、アルツィアさまが言っていた……あの言葉を思い出すのです。
『アルレスィア』
「分かっています。リッカさまはまだ濡れていて……」
ああ、やはりその服は……そのまま集落に入るのは、危険です。でも毛布なんて持ってませんし……湖から出てくるのなら、そう言っておいて欲しかったです!
「リッカさま、ご心配をおかけしてもうしわけありません。そうですよね、リッカさまの着替えが先でしたっ」
とりあえず、着替えを優先させましょう。何よりもリッカさまが風邪を引かないように、男性……いえ、他の誰にも今の姿を長く見せないように。
私はもうちょっと見て……いえ、それは……しかし……。
そんな事を考えていたら、リッカさままで頬を赤くしていました。もしかして私の考えがバレて? と思いましたけれど、そうではなさそうです。
もしかしなくても――まさか――。
「リッカさまのほうが風邪を!?」
「――ぁ、はひ」
リッカさまの手を握り、すぐさま体調を診ます。しかし、現状では風邪をひいていないようです。
一応”治癒”すべきでしょうか。
いえ、ここは――。
「悪しき物を拒絶せよ」
これくらいでしょうか。完全に菌を拒絶するのは逆に良くありません。せめて、致命的な物だけは”拒絶”しておきましょう。悪意と感染症の類です。
虫も近づかせません。元々”神林”は受粉が必要ないので虫は居ません。それでも念のためです。
いつもより足取りの軽い帰宅でした。それでも時間で考えると、ずっと長い時間を掛けました。一瞬に見えて、ものすごくゆっくり楽しんだ帰路を終え、到着です。
改めて、リッカさまを歓迎しましょう。
「ようこそ、リッカさま。ここが”神林”集落、神住まう土地を守る者――”巫女”を守ることを望んだ方たちが、住む場所です」
「――これは」
リッカさまは驚いた表情で集落を見ていました。
それもそうかもしれません。リッカさまの世界から見れば、この集落――いえ、世界は凄く原始的です。
魔法で殆ど何でも出来るがゆえに、人類は進化を止めていた期間が長すぎました。
それに対しリッカさまの世界は、常に革新を続けたのでしょう。アルツィアさまから聞いた話では、機械と呼ばれる物で、魔法のような事象を起こせるらしいです。
だから少し恥ずかしいです、ね。
魔法を使う場面を見なければ、凄く原始的な生活ですから。
『リツカは凄く目を輝かせてるけどね』
(え?)
アルツィアさまに言われてリッカさまを見ると、本当に目を輝かせて集落を見ていました。竈や井戸、木と藁の家、道路の舗装なんてされていませんし、何もない集落です。
なのにリッカさまは、子供の様に目を輝かせて喜んでいます。
誇らしい、とは思いません。でも、リッカさまが喜んでくれて嬉しいとは思います。
何故喜んでくれているのか、それはまだ分かりません。でもリッカさまは、この集落でもう少し過ごせそうです、ね。良かった……。場合によっては、何年も――。
「アルレスィア様!」
「オルテさん、ただいま帰りました」
帰りがいつもより早かったからでしょう。オルテさんが急いでやってきました。
一度入れば、何か異常がなければ出てきませんから。昨日の事もあります。
「安心して下さい。何も問題はありません」
「はい……。わかり、ました」
(アルレスィア様の笑みが、いつもより…………いや、いつもが違うのか)
「リッカさま。こちらはオルテさん。この集落の守護長です」
「初めまして、オルテさん。で呼び方はいいのでしょうか……。えっと私は―――」
リッカさまが少し身構えそうになりました。
”神林”にしろ”神の森”にしろ、立ち入り厳禁です。向こうの世界とは違い、こちらはアルツィアさまの存在が公になっています。だから、徹底されているのです。
それに加えて守護長という言葉で、リッカさまは自身を不審者と捉えたようです。だからこそ、いつ拘束されるか分からないと、身構えたのです。
私が紹介した事で問題ないと楽観せずに、状況をありのまま見るという冷徹ともいえる判断力は、頼もしさすら感じてしまいます。
判断の早さと、そこに至るまでの速度が……異常です。本当に平和な世界だったのでしょうか。思わず、アルツィアさまを見てしまいます。
『平和だよ。リツカが何もしなければ、戦う事なく人生を全う出来るくらいね』
(何もしなければ、ですか)
意味深な言い訳が気になりますが、オルテさんが観察するようにリッカさまを見ている方が、気になります。
オルテさんに限って、そんな気持ちを抱いているとは思えませんが、咎めます。
「……彼女は、そういう事なのですね? アルレスィア様」
「はい。そうです。決して怪しい方ではありません。ですから皆様へお伝えください。後ほど集会を開きますので、ご参加をと。私は先に集落の案内を、リッカさまにいたします」
重要な場所を見せたらすぐに浴場へ向かいましょう。案内は、いつでも出来ます。
「始めまして、オルテ・ライズワースです。どうぞ、オルテとお呼びください」
「はい。改めまして、私は六花 立花です。私の事は――リツカとお呼びください」
ほんの少しだけ、リッカさまという呼び方は私だけが良いと思いました。
私がリッカさまと呼ぶ以上、差異があってはいけないと、リッカさまは呼び方を統一するかもと思っていたのです。
でもリッカさまは、そうはしませんでした。
『良かったね、アルレスィア。特別な呼び方だ』
「それは、あの……リッカさまという呼び方は私が勝手に呼んでいるだけで!」
そうです。本来、リツカさまなのです。雪とリッカさまの印象が重なったから、リッカさまと呼んでいるのは、私の勝手なのです。
だから、そうです。と、特別……そんな訳……でも、そうなら、良いなぁって……。
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