葛藤④
港が見えてきました。こんな時でなければ……初めて見る海と、潮の香りに驚くところですが――。
『あれ、は――鮫?』
港という事で、魚介類のマリスタザリアが出る可能性は考えていました。ですが……よりにもよって、サメなんて。
ギザギザの歯は、一度食いつくと絶対に離れる事はありません。その噛み付きは……鉄すらも簡単に食い千切ります。鮫肌は触れるだけで人の身体を細切れに出来てしまうでしょう。
(それにこの個体――”悪意”が多すぎます)
手足が生えるだけでなく、拳がギザギザになっています。陸上での活動が出来るようになっているのです。
(なのに、殺意が高いですっ)
変質に”悪意”を使いすぎているはずなのに、こんなにも強い殺意を持っているなんて、このサメに入った”悪意”が膨大であった証です。
「――!!」
サメが、先行チームの方に攻撃をしようとしています。大丈夫です、私が行って、攻撃を受け止めます。ですからリッカさまはその隙に――。
「リッカさま……っ!?」
リッカさまが……一も二もなくサメの前に躍り出て――心臓部に、突きを放ちました。リッカさまの多彩な斬撃の中で、唯一行われていなかった、攻撃です。
『っ浅い……!!!』
見事な突きでしたが、心臓に届いていません。鮫肌は硬度を増すだけでなく丸みを帯びていました。剣が、少し滑ったように見えたのです。突き刺さりはしましたが、リッカさまは剣が抜けずにその場に止まってしまっています。
「キ、シャァッッ!」
敵が、拳を振り下ろしています。元々サメだったのに、長い手足です。あの拳はリッカさまだけでなく、後ろの冒険者にも届き得ます。
「――っ」
リッカさまは回避をしながら、座り込んでいる冒険者を蹴飛ばしました。そうしなければ、あの人は死んでいたでしょう。
ですが代わりに――リッカさまの腕、が。
「っ――。ぅくっ……!」
敵の拳が今度は、リッカさまのこめかみ辺りに迫っています。あんな拳を受けては――っ!
(”盾”を張ろうにも、リッカさまがあんなにも肉薄したままでは……っ! ”アレ”を――!!)
「光の炎、光の」
「――っ」
詠唱しようとしましたが、リッカさまの行動の方が、速かったようです。
(あれは、鞘……?)
鞘で殴り――確かに殴りましたが、殴ったのは、剣の方です。どれ程強い衝撃があったのかは分かりませんが、サメの身体を裂き、剣の奪還に成功しています。
「――シッ!」
「グォ゛ア゛ア゛アア!!」
斬った勢いを減少させるどころか更に加速して――リッカさまはサメの首を、刎ねました。
「ハァッ……つぅ……」
リッカさまが、腕を押さえて膝をつきました。深々と――骨に到達しているかもしれない、重傷です。蹴り飛ばされた冒険者の方も怪我をしていますが、掠り傷です。つまり、防御に適した方達だったという事です。防御をしながら情報を集め、後続の冒険者と連携する為の方達。先行チームという名目は伊達ではありません。生き残る為に最善を尽くせる方達でした。
「お、おい大丈夫か……?」
(赤い巫女様って、こんなに強いのかよ……)
「だ、大丈夫。です」
「大丈夫ではございません!!!」
倒せた事も、怪我人だけで済んだ事も、今はどうでも良いです。私は……周囲の警戒すら放り出して、リッカさまに詰め寄りました。
何故……何故、あれ程言ったのに……!!
「ア、アリスさ」
「すぐに手当てをしますっ!」
「う……」
私は多分、初めて……リッカさまに対して、激怒をしています。牧場の時とは比べ物になりません。私は、貴女さまを……叱らなければ……っ。
「どうして、無茶を、したんですか」
感情的になってしまっています。感情に任せて怒気をぶつけてしまいそうです。でも、私は……負い目との葛藤に、苛まれています。
『アリスさんが、泣い――』
「ご、ごめん。でもあのままだとあの人が」
「そのための、私のはずです。私の”盾”でよかったはずです。どうして、あんなことっ!!?」
あの人達は――今、哨戒してくれている先行チームの方達は、足止めのプロです。あの鋭利な歯や拳の棘を前にしても、掠り傷で済んでいるのが証拠です。それに、私が後ろの方を守る役目のはずです。何で、先行してしまったのですか……!
(私が”盾”で受け止めるだけの時間は、あったはずです……っ)
それに、突きは……嫌っていたではありませんか。一撃で終わらせられるのなら、突きは強力な止めとなります。ですが、そうでなければ……剣を奪われ、自由を奪われ、ただただ相手の攻撃を待つ、無防備な状態になると――! だから、突きは確実に決められる時にしか、しないと……。
「リッカさま。まだ……思いつめていたのですね」
リッカさまの心に、響いていないのは分かっていました。ずっと、雑談をしていた事を負い目に感じていた事は分かっていました。焦っていたのは、分かっていました……!
突きに込められた想いには……早く戦闘を終わらせようという意志だけがありました。普段の、苛烈でありながら冷静な戦い運びではなかったのです。理詰めの如く相手の思考を読み、行動を制御し、一撃を確実に叩き込む、鮮やかさが……今回は、ありませんでした。
「どうして、ご自身をもっとっ――どうしてっ!!」
ですが、それとこれとは違います。リッカさま。自身の行いに罪を感じていたとしても、あんな行動に出て良いはずがありません。貴女さまのは自己犠牲の中でも、最もやってはいけない、物でした!
「ごめん……でも、私は……私のせいで人が死ぬのは……」
「リッカさまのせいではないはずです!!」
「おいおい……こりゃあ一体どういう状況だ?」
ライゼさんが、到着したようです。私が、リッカさまの想いを批判する訳には……。これ以上の、追求をする権利は、私には……。
「~~~~。少し、頭を冷やしてまいります……。リッカさま、申し訳ございません」
『ぁ…………待っ、て……アリ、スさん…………』
リッカさまが、私に手を伸ばしているのは……分かっていました。でも私は……立ち止まる事が、出来ません。自分でも何がしたいのか、分からないのです。
リッカさまが自己犠牲に走るのは止めたい。でも私が、そうさせてしまった。そんな私がリッカさまを怒る事なんて、出来ない。なのに私は、自身の怒りを制御出来ませんでした。
リッカさまに傷ついて欲しくない。リッカさまには自分だけを大切にして欲しい。リッカさまの想いは守りたい。でもリッカさまが傷つくのは見たくない。リッカさまが私を守ってくれるのは嬉しい。でも私だって、リッカさまを守りたい。
矛盾だらけ、チグハグな心。私の心は今、ぐちゃぐちゃです。私はリッカさまに対し、どのように接すれば良いのか……今になって、分からなくなってしまったのです。
(ここは……)
そんな事を考えていたら、私は……港が一望出来る丘まで、歩いてきてしまったようです。本当ならリッカさまと、観光で来られたかもしれない……海。人生初の海は、思いの外楽しくありません。照りつける太陽。香る潮。聞こえる小波。どれも美しく、世界の広さを実感出来る光景です。
なのに……潮風は、べたつきます。香る潮すらも、今は鼻に付く……。この広大さが今の私には……強い孤独感を与えてくるのです。隣にリッカさまが居ない。それだけで……私は、世界を楽しめません。
(私にとっての、リッカさま)
分かりきっている、自問自答です。私にとってリッカさまとは――――何、でしょう。
大切な人。私の全て。私の想いの体現者。救世主、英雄、勇者。天使様。私だけのお姫様。どれも、私にとってのリッカさまですが、根っこではない気がします。
出会った時から特別な感情がありました。高鳴る胸も、上がる体温も、くらくらする頭も、勝手に触れようとする体も。何もかもが、特別でした。
(この感情……冷え切ってしまった頭で考えると……簡単、ですね)
私はきっと――欲情、しているのです。本でしか知らない、アルツィアさまから聞いた事しか知らない、体の現象。私はリッカさまともっと、触れ合いたいと思っています。
でもそれは、友情でも親愛でもありません。
(ああ、私は……)
リッカさまを――愛して、いるのですね。どうしようもなく、私は……リッカさまを欲しているのです、ね。
(でも、もう手遅れです)
私には負い目があります。リッカさまに、癒えない傷を与えてしまいました。先程だって、リッカさまの心を傷つけてしまいました。リッカさまから逃げてしまいました。
また、私は……リッカさまから逃げてしまいました。
「馬鹿……」
私、何をしているのでしょう。私……リッカさまに合わせる顔が、ありません……。謝って赦される、問題ではないでしょう。リッカさまが私に、行かないで欲しいと……声に出せない程に絶望しながら、手を伸ばしていたのに……っ。
(苦しい……)
気付いてしまった、想い……が、こんなにも、私の胸を抉ります。何度か感じた事がある痛みですが、今は……激痛でしかありません。このまま胸を掻き毟り、心臓を握り潰したいくらい、痛い……。
二度と成就しない想いなのです。例え――こんな都合の良い想像する事すら、自分が嫌になりますが……リッカさまの隣に再び立つ事が出来ても……成就しないのです。
同性だから、とか……そんな問題ではありません。私達は違う世界に生きる者です。リッカさまは向こうの”巫女”。何れ帰ります……。リッカさまに想いを伝えても、同じ時を生きられない……。
それに、私はリッカさまを地獄に突き落とした……罪が――。
『それは逃げじゃないかな?』
聞こえもしない、アルツィアさまの声が聞こえます。この声が、私の妄想なのは考えるまでもありません。
『きみは逃げてるだけだ。また、リツカから逃げているだけ』
また……私が逃げたのは、リッカさまの”恐怖”を見た時です。その深さと激痛、どこまでも続く哀情に、私は下がってしまいました。でもそれは、リッカさまの”恐怖”ではなく……それに気付かずにリッカさまを地獄に落とした事から、逃げたかった、のです。私は自分の罪から、逃げたかったのです。
『まだきみは、リツカの想いを聞いていないじゃないか』
私には能力があります。リッカさまの心は、全て見えて――。
『本当にそうかな。きみはまだまだリツカを知らないじゃないか』
……。
『きみがリツカを愛しているように、リツカもまた、きみに対して特別な想いがあるのは知っている。でもそれが何なのかまでは知らない』
それ、は。
『きみは、リツカから逃げているだけだ。きみが変えようとしている、国民達の本質と一緒だ』
アルツィア、さま……。
『さぁ、しっかりと向き合うんだ』
後ろに、リッカさまが来ていました。考えていたのと……リッカさまの表情が今どんな風になっているのか、見るのが怖くて……私は目を、閉じたままに、なってしまいました。
私達は、お互いの気持ちがどこか……分かります。能力とかなしに、どこか通じ合っています。だから……少しだけ、言葉が足りなかったのでしょうか。まだまだ私達は……理解して、いなかったのでしょうか。
リッカさまは、息を荒くして――先程までなかった傷が、出来ています。目を閉じていても、分かります。何があったですか……? 何故また、傷ついているのですか……? 戦いが――まさか、ライゼさんと……?
「アリスさん」
名前を、呼んでくれました。その声は……力強く、何かを得たかのようで…………リッカさまは、一歩前に、歩き出しました。
(私は、貴女さまさえ無事で居てくれたら……良かった、のに)
ああ――そう、でした。私は最初から、リッカさまの無事を願っていました。でも、それが出来なかった。私は、状況に流されてしまった。使命とか生まれた意味とか、小難しい事を考えて、自分の感情で考えませんでした。
(私は、リッカさまが好き。愛して、います)
なら、私がするべきは――影から支えるのではなく……共に歩む事、です。
(リッカさま……)
私は、貴女さまと――もし、赦されるのなら……もう一度、貴女さまと一緒に――。
「リッ――」
ごめんなさ――。
「アリスさん。ごめんね」
リッカさまは謝ると、一歩前に進みました。
「私、独りよがりだった。守るって言っておきながら。アリスさんの気持ちを無視してしまった」
無視されたとは、思っておりません。貴女さまが、私を戦わせたくないと、理解していました。そこには……私への想いがあった事も。
「私、身勝手だった。アリスさんが守るって言ってくれたのに、アリスさんから守られるのを拒んでしまった」
それは、思ってしまいました。私はリッカさまを、守りたかったのです。リッカさまへの負い目から……リッカさまの想う通りにしようと、してしまいました。ですがそれは貴女さまへの贖罪ですらなく――楽な方向に、逃げていた、だけでした。
「私、弱いの。アリスさんが守ってくれなかったら、ここには居られなかった。これからも、居られない」
リッカさまの目が、潤んできました。自身の弱さを認めるという”恐怖”を感じながらも、私との間に起きていた意識のズレの方が……苦しいと。
「それなのに、全部を救おうとして。自分を投げ捨ててしまっていた」
貴女さまも、一人の人間です。”巫女”という事を強く意識させてしまったのも私ですが、貴女さまが自己犠牲に走る事は、ありません……。
「アリスさん、ごめん。私、頼って、いいかな……」
一歩ずつ近づきながら、リッカさまは私に……謝罪を、しています。謝罪しなければいけないのは、私なのです。リッカさま……。
「私の守れないものを、守ってくれますか……」
更に一歩、リッカさまは私の元に、来てくれています。
「私を、もう一度守ってくれますか……」
一歩ずつ近づいていましたが、少し離れた場所で、リッカさまは止まってしまいました。
「私に、アリスさんを守らせてくれますか……。っ――」
そして、リッカさまの目から涙が――零れ、落ちました。
「リッカさま」
貴女さまは、強いです。それは戦闘技術だけではなく、心です。下で何が起きたのか、伝わってきました。ライゼさんと決闘し、負け……諭された、のですね。私が、リッカさまにちゃんと伝えなかったのに……リッカさまが、怒られてしまったのです、ね。
リッカさまをそうしたのは私です。分かっています。もう、戻れないのです。でも――もし、今からでも変えられるのなら……。
「私は、リッカさまが私のために命までかけているのを知っていました」
私も一歩ずつ、リッカさまに近づきます。
「だから、私の口から強く言えませんでした」
これは、負い目です。多分今後も、この負い目を払拭する事は出来ません。ですが、それで良いと思っています。私はその負い目を背負ったまま、貴女さまの傍に、居たいです。
「でも、本当は……命を懸けて欲しくありません」
負い目があろうとも、言葉にする事は出来ます。本当に貴女さまを想っているのなら、言うべきだったのです。
「一緒に、歩いていきたいのです。一緒に、生きたいのです」
気付いた想いが、この言葉に熱を与えてしまいます。私は貴女さまと、生きたい。貴女さまの傍で、貴女さまの熱を感じ、貴女さまの笑顔に触れ、貴女さまの優しさに包まれ、貴女さまの心に寄り添いたいのです。
「リッカさま。守らせてください」
今度は、受身の守りではありません。私は何があろうとも、貴女さまを守りたいです。
「リッカさまの守りたいものを、守らせてください」
貴女さまが守りたいと想っている、私も……ちゃんと守ります。自分を犠牲にはしません。ですから、貴女さまも――。
「リッカさまの全てを、守らせてください」
私はリッカさまの目の前に立ち、そして――抱き締めました。
「――はい。アリスさん」
もう曖昧な想いではありません。私は――リッカさまを愛しています。誰よりも……世界の何よりも、私はリッカさまが好きで好きで、たまらないのです。
こんな殺風景な丘であっても、貴女さまと一緒に居るだけで華やぎます。世界は広く、孤独感に苛まれていました。ですが――私はまた貴女さまと、共に居られる。それだけ、世界が暖かく感じます。
(どんなに広くても、貴女さまさえ居てくれたなら)
リッカさま、私は……貴女さまに居て欲しい。もう、隠しません。止まりません。私は……貴女さまを、愛し続けます。貴女さまが向こうに帰っても……貴女さまの為に生きます。私は、貴女さまだけの為に、この身を守ります。
今度は、明確な想いです。負い目も過去も、何も関係ありません。私は貴女さまへの愛だけを抱いて――貴女さまの隣に、居たいです。
リッカさま……いつか、貴女さまの本当を、教えてください。貴女さまの特別な想いも、秘密も、全部。そしていつか……貴女さまと、もっと、深く――。




