アルバイト⑦
「ごめんね、アリスさん。この人とは……戦わないといけない」
「……分かって、おります。リッカさま……。ですけど、無茶だけはしないでください」
「ありがとう、アリスさん。しっかり、見てて。私が守れるかを!」
「――はい、リッカさま」
怪我すらしないと、思っています。そしてリッカさまは私を守りきってくれると信じております。ただ……気懸りは、リッカさまにとってこれが……本気でやる初めての対人戦という事です。
(道場で戦っていた事はあるようですが、リッカさまが本気を出した事はありません)
本気を出せる相手である母親は、リッカさまよりずっと強かった為に戦いになっていなかったそうです。そして門下生はリッカさまの遥か下で、戦いにならなかったと。ですから、本気で戦う……同格との対人戦は初なのです。
(攻撃を当てる事が出来るでしょうか。人を傷つける事が……リッカさまに、出来るでしょうか)
”悪意”があるのなら、リッカさまは攻撃出来ると証明してくれました。ですがこの人は、”悪意”を持っていません。
喧嘩、私闘なんて出来なくて良いと思います。そんなリッカさまが愛おしいです。ですが、私達の旅を思えば、です。今後……人の純粋な悪意に、攻撃出来るでしょうか。
「魔法はなしだ。いいか?」
「もちろんです。全力でいきます」
純粋な戦闘技術を量る為の試合……お互いの想いを証明する為の……。
「いい闘気だ、ほんのちょっとの恐怖を、守るという決意で包み込む。いい心理状況だ」
『……っ』
(っ……)
リッカさまの闘気は充実していっていました。そしていつも通り、どんな攻撃にも対応出来るようにゆったりとした構え。気持ちは昂ぶり、それを守るという強い想いで制御する。いつものリッカさまです。最上級の戦士としての資質です。
ですが……初の対人戦という事で、チラと”恐怖”が見えてしまいました。普段であれば、常人には見つける事すら出来ないリッカさまの”恐怖”が……。
それを指摘された事で、リッカさまの戦闘態勢が崩れてしまったのです。
(幸運だったのは、戦士にとって恐怖は……必要不可欠な物だったという事、ですね)
お陰でライゼルトの評価はうなぎ上りになってしまいました。
「あなたの心は、私には読めないけど……私より数段強いのはわかります」
リッカさまは、普段ならしない会話をする事で、再び戦闘態勢を整え直しました。ライゼルトには、気付かれていないようです。良かった。
(この人は、能力が発動していない私達と同じくらい心を読んできます)
そして自身の感情や心を隠すのが上手い。戦士の資質というのであれば、ライゼルトも……。
(リッカさまの心の内までは見えなかったようですが、能力もなしに……ここまでの観察眼を)
「剣術は……未熟で、勝てないだろうけど。想いでは負けない。私はこの世界での闘いに、遊びで参加してるわけじゃない」
「あぁ、そうだ。戦いは命がけだ。やれることは全部やらんとな。――いくぞ」
リッカさまの剣術が未熟とは、ライゼルトも思っていません。
(リッカさまの目標がお母さまとお祖母さまだから、敷居が高くなっているのです)
ライゼルトが枝を投げました。それが落ちた時――始まりです。
枝が落ち、ライゼルトが突進してきました。人としての速度ではありません。
(リッカさまの活歩よりは、遅いですが……先程のマリスタザリアと同等のっ)
上段からの切り下ろし。リッカさまの頭を狙った物ですが、リッカさまは木刀を横に構え、受け――いえ、刀身を斜めにして、ライゼルトの一撃を流しました。本来起こったであろう衝撃が来なかったライゼルトは、力を抜かれたようで体勢が崩れています。
そして本来起こるはずだった衝撃は、リッカさまに吸収されました。吸収した力を神懸り的な身体操作で回転力に変えたリッカさまは――その勢いのままに斬撃を放ちました。相手の力を利用をするのは、リッカさまの十八番です。
(これが、受け流しかッ! 防御や回避よりずっと厄介だなッ!)
「――シッ!」
『受け、流し、避け。どれが来ても――っ!?』
「甘ぇ!!」
ライゼルトもまた回転し、リッカさまへの横薙ぎを敢行しました。
(リッカさまより――速く当たる!?)
まさか……いえ、違いますね。魔法を使ってないのですから、男のライゼルトの方が力は上――っ。
「つ――っ……」
木刀を地面に突き刺すように構え直したリッカさまに、ライゼルトの木剣が襲い掛かりました。木と木がぶつかる鈍い音が聞こえたかと思えば、リッカさまが数メートル吹き飛ばされてしまったのです。
「リッ――っ」
大丈夫、です。リッカさまの手は痺れてしまいましたが、戦闘は可能です。ですが、リッカさまが防御をしなければいけない、なんて……っ。
「ふぅ……」
「――。ハァっ……はっ……」
戦闘続行出来るとは思いますが、疲れに差が出ています。これが、達人同士の立会いというものでしょうか。たった数度の打ち合いでしかありませんでしたが、幾重にも見えない攻撃が行き交っていたように感じます。
(相手の上を行く為に、幻想の攻撃を数十と飛ばしていたのでしょう……っ)
ライゼルトは、一撃で倒せないどころか反撃を繰り出してきたリッカさまに驚愕と感嘆の笑みを浮かべていますが……私からすれば、リッカさまに防御を選択させ、肩で息をさせたライゼルトという英雄の実力に驚きが隠せません。
「……どの世界でも行き着くとこは同じか。自分よりでけぇヤツ。硬ぇヤツ相手には、これだな」
戦士と呼ばれる方達で、リッカさまより小さい方、力が弱い方は殆どいません。身体能力では遥かに勝っていても、体格的に押されてしまう場合があるリッカさまにとって……回転斬りは苦肉の策です。
その苦肉の策は、必殺の一撃に昇華出来ていますが、ライゼルトから見れば粗が見えるのでしょうか。剣士にしか分からない、微妙な粗が。
「あんさんも回って斬るが、そりゃ独学だろう。今までの化けもん相手なら、問題ないだろうが……俺には通用せん。何より――」
「これから先、マリスタザリアが本能の赴くままとは限らない。ですか」
すでにリッカさまの動きに対応出来そうな個体が出ています。”悪意”の質も上がっていますし、いずれリッカさまと渡り合う敵も……。そうなった時、リッカさまに回転するだけの余裕があるのか、ですか。リッカさまはしっかりと自覚しています。だからこそ……朝の鍛錬を再開させたのですから。
「そういうことだ、あんさんが未熟なのはよう分かった。しかし、あんさんの世界がどうかは知らんが、同年代では敵なしだったろう」
(未熟とはいえ、そりゃ技の出来の話だ。年齢を考えりゃ末恐ろしい。俺も結構ギリギリだったしな。このままやりゃどっちかが怪我をする)
リッカさまの技術が未熟とは思えません。ただし、ライゼルトの方が上なのでしょう。魔法込みなら、リッカさまは誰にも負けないと思っています。ただし……。
『筋力、か……。私はもう、肉体的な成長は出来ないのかも……。だから技術を上げるしかないけど、一人じゃ限界がある』
男女では……肉体的な性能に差があります。絶対的に、筋力が足りません。剣を振る力、脚力。無尽蔵ともいえるリッカさまのスタミナだって……です。
「俺の攻撃を避けれた奴は、この世界には一人も居らんかった。受け止め、怪我をせんかったヤツも。唯一の弟子ですら、な」
筋力はありませんが、リッカさまには柔軟性があります。しなやかな筋肉は、全ての衝撃を受け流す事が出来ます。回避にしても、リッカさまの関節は水のように柔らかいのです。
(リッカさまはそこに、筋力が加わればと、思っている訳ですが……)
「弟子、一応いたんですね」
「ああ、今はどっかいったがな。馬鹿だから。アイツ」
まるで、親のような顔をしていますね。その弟子という人は、ライゼルトにとって……子のような存在なのでしょうか。
「続きを、と思ったが、そろそろ帰らんといかんな。アンネちゃんも待っとるだろう」
(もうちっと戦いたかったが、また機会があんだろ)
『……負け、た。アリスさんの為に、負けられなかったのに……』
「勝負は引き分けだな。どっちが勝つかなんて、最後までわからん」
「……ありがとうございました」
「ああ、ありがとうよ。ロクハナ嬢」
(……)
情け、ではないのでしょう。実際勝負は最後までわかりません。ですが……リッカさまは、情けをかけられたと思ってしまったようです。
(リッカさまには、戦いの結末が見えてしまっていますから……)
既に体力が落ちたリッカさまは、しのぎつつ一撃を入れる機を窺うしかありません。ですがライゼルトは、最後まで全力を出し続けられるでしょう。そうなれば……試合という形式上、リッカさまの負けに……なります。
死合と試合では、勝負の決着は違います。死合ならば、リッカさまの勝ち筋もあります。ですが……リッカさまの体力が著しく下がり、怪我をし続ければ……待ったがかかる。それが、試合です。
リッカさまはその身を削ってでも、勝ちを掴むでしょう。私の為の戦いとなれば、リッカさまに敗北はありません。勝つまで、戦うのですから……。
アンネさんへの報告をしなければいけないので、町民の様子を確認してから王都への帰路に着きます。ライゼルト――ライゼさんも、一緒に帰るようですね。
「しかし、あんさん等は強ぇな。その歳でここまで闘えるのはそう居らん。連携も取れとる。敵は居らんだろう」
「……あなたのほうが強いと思いますけれど?」
リッカさまを負かせておいて、良く言えたものです。
(結局のところ、お互い本気を出す前に終わりましたが……あのまま本気を出すような事になれば、怪我を……)
リッカさまは対人という事で、怪我をさせないように力を抜いていました。それは無意識下です。ライゼさんはそれを、何となく感じ取っていたのでしょう。
(もしかしたら、リッカさまが少女という事で最初から本気を出せなかったのかもしれませんが)
この人に限って、それはないでしょうね。リッカさまの想いと技術を目の当りにしたから、剣士として戦いを申し込んだのですから。
本気を出さなかったのは、怪我を避ける為でしょう。私達は冒険者。私闘で怪我なんてして、明日からの業務に差支えが出てはいけないのです。
「アリスさん、ごめんね? あんなこと言ったのに、勝てなかったよ……」
「リッカさまが謝ることでは……。それに、真剣に戦うリッカさまを、観客として見たのは初めてです……。かっこよかったです」
本当はいつも、観客です。私は何も出来ていません。出来たつもりになっているだけなのです。”拒絶の光”を当てて、リッカさまの手伝いが出来ているつもりになっているだけ、なのです。
でも……命の懸かっていない戦いを見るのは初めてでした。リッカさまの戦う姿を、楽しめた、のも事実です。本当に格好良かった。荒々しく迫り来るライゼさんの剣を完璧なタイミングで受け流し、その勢いのまま反撃。その流れるような動きは、このライゼさんを驚愕させる最高の技術でした。
「あ、ありがと――」
戦っている姿を見られるのは、恥ずかしいのかもしれません。リッカさまは頬を染め、小さい声になって俯いてしまいました。
ですが、その姿もリッカさまなのです。私は、好きですよ。リッカさまの凛々しい御姿も……。出来るなら、向こうの世界にあった……武道大会のような、命の懸からない戦いだけを見ていたいですが……。
「まァ……本当にそう思っただけだ、なかなかに強い化けもんだったしな。あんなに早く討伐してくれて助かった。後ろを守りながらじゃ、無茶もできんかったしな」
見た目は獣でも、あのクマのマリスタザリアは賢かったです。ライゼさんが戦いを始めれば、もしもがあったかもしれませんね。
「アンネさんを知ってるんですか?」
「おぉ、知っとるぞ。なんせ俺の担当だ。あんな美人そうは居らん。もっと親密になりたいんだが……」
そうでしたか。ライゼさんはアンネさんに好意を抱いていたのですか。同じ担当である事は予想していましたが、アンネさんの信頼している冒険者が……この人ですか。鼻の下をだらしなく伸ばし、私達の前で何を惚けているのでしょう。
「……」
「……」
「どうすりゃお茶に誘えるんだろうな。いつも仕事が重なってな。まァ、俺等の仕事を考えりゃ仕方ねぇんだろうが」
私達の呆れが届いているはずですが、一向に止まる気配がありません。仕事に真面目な方ではあるのでしょうが、女癖は悪そうな印象です。
「あんさんらも綺麗だがアン」
「アリスさんに」
「リッカさまに手を出したら」
「本気で戦います」
「覚悟していてください」
(な、なんだ。二人で話しとったんか。上手い事紡ぐもんだな。一人で言ってんのかと思ったぞ)
私達の、息の合った制止で漸く止まりましたが、別の事に驚いていますね。止まってくれたのならそれで良いですけど。
リッカさまに手を出したら覚悟して貰うのは、本気で言っています。アンネさんを好いているようですが、リッカさまの可憐さの前では、理性なんて簡単に壊れてしまうのですから。
「あ、安心しろ。あんさんらに手を出さんとギルドで言ったろ。何より”巫女”に手を出すほど身の程知らずじゃねぇ」
それなら構いませんが、警戒はしたままです。王都ではどこか、リッカさまに対しての認識がズレているようですから、それが判明するまでは誰であっても心を許しません。
「一気に好感度下がった気がするが、まぁいい。ロクハナ嬢よ。ほれ」
「いいんですか?」
「構わん、あんさんにならな」
「ありがとうございます」
ライゼさんが、リッカさまに剣を投げ渡しました。鞘に入っているとはいえ、危ないですね……。
『百四十センチ、くらいかな。私の背よりも少し小さいくらい。刃が綺麗で、切れ味を感じる。重いけど、振りやすい。作るなら大太刀かな』
リッカさまの身長は百五十程です。その身体に対して、ライゼさんの剣は大きすぎます。ですがリッカさまにとって、その大きさが良いみたいですね。
「綺麗な刀身です。刀に、近い」
「どうだ、気に入ったか」
『この人なら、もしかしたら――』
「お願いが、あります」
「いいぞ」
「私に剣――え」
「いいと言った。作ってやる」
あの鍛冶屋での一件。この人は知っているのでしょう。斬れる剣を、リッカさまが求めている事を。そして何故それを求めたのかを、理解しているのでしょう。
「ただし、礼はもらうぞ」
『どうしよう。お金なんて無いよ……。ローンとか、ダメかな』
「そうだな、金はギルドので十分だからな」
ライゼさんが、リッカさまの方を見ています。頭から足の下まで、じっと、じっくりと――。
「……ライゼさん? 何を考えているか知りませんけれど、それ以上言うと」
「いや、だから手はださんて。……”巫女”は落ち着いた威厳のある聖人のような少女と聞いていたんだが……これはただの友達思いの少女だな。いや友達思いというより」
(嫉妬――)
「ラ イ ゼ さ ん」
『ライゼさんが何かしたのかな。アリスさんが怒ってるような』
リッカさまに触れる事を、私が許すとでも? ライゼさんが不穏な動きをしなければ、噂通りで居られるんですよ。それと、察したそれは黙っていてください。
「ロクハナ嬢。どうだ、俺の弟子にならんか」
『それも頼もうとしていた事ですけど、剣と何の関係が? 後、ロクハナ嬢が固定になりそうなんですけど……否定した方が良いかな……』
弟子というのならむしろ、お金がかかるのではないでしょうか。剣の代金になるとは思えないのですが。
「今まさに世界が注目する異世界からの”巫女”が俺の弟子になったとなれば、少しは剣術の注目度もあがるだろう。注目されれば、剣術の有用性も知られる。なんせ”巫女”が化けもんと戦うときに使ってんだからな」
「多くの戦う人に剣術知ってもらうことで、犠牲者を減らせるかもしれない。ってことですか」
”巫女”だから、というのはあるかもしれません。ですが一番は……リッカさまのような少女でも、剣を使って倒せるという部分を強調したいのでしょう。
ライゼさんの剣術が浸透しなかったのは、「ライゼさんだから剣で敵を倒せる」という先入観からです。恵まれた体格。百八十を越える細身の大男。ですが細いのは無駄な脂肪がないからです。あの着流しの下には、鉄板の様な筋肉があります。
なので、花の方が似合う可憐な少女であるリッカさまでも出来るのだから、男のお前達も出来るだろう。と、印象付けたいのでしょう。
「そういうことだ。まぁ、有名になりたいっていうのもあるが――なぁに、あんさんの守りたいって想いに中てられただけだ」
「ありがとう、ございます。よろしくお願いします」
剣術の布教は、ライゼさんにとって急務なのです。そして私達は、ライゼさんの想いを知りました。
(一人でも多くの人が、戦いで命を落とさぬように)
せめて自衛が出来るくらいには、剣術や体術を磨いて欲しいのです。
(なので、ええ。はい。リッカさまの弟子入り……私は、異存ありません。リッカさまの成長にとっても必要な事なのですから)
ただし――ライゼさん。不必要にリッカさまに触れるのは厳禁です。
(嫉妬ってより、親馬鹿みてぇだな)
(何か言いましたか)
(コイツ、目で俺を威圧してやがる……)
相手の心情や気配を察せられるのが仇になりましたね。これからも、目を光らせておきますから。
『むぅ……アリスさんとライゼさんが、睨み? 見詰め? うぅぅぅぅ』
ああ……。頬を膨らませて、モヤモヤ感に首を傾げるリッカさまが、本当に……あどけなくて、愛くるしいです。




