アルバイト③
「間に合ったか」
「悪ぃな、ディルク」
「いや、こいつ相手じゃ仕方ねぇよ」
一撃で仕留められず、ライゼルトが頭を掻きながら詫びている。だが、このマリスタザリア相手では良くやれた方だ。
「オポッサムだったか。姿が変わると鼠と区別がつかん」
外敵を騙すために、オポッサムは死んだ振りをする。その際異臭を放ち、全力で死体の真似をするのだ。これはマリスタザリア化した際の特徴としても強く現れる。”悪意”の質さえ伴えば、攻撃を一度無効化させたかのような完璧な擬死行動を取ることも可能だ。本当に一度死んだ後生き返っている、という説もある。
小さく、力も弱い。速さもなく、ライゼルトなら問題なく狩れる相手だが――このオポッサムのマリスタザリアは、大勢の冒険者の命を奪ってきた。”悪意”の質も高い。いくらライゼルトと言えども、この擬死行動には気付けなかったのだろう。
「いやぁ、助かったっす。ディルク隊長」
「毎回言ってんだろ、馬鹿ジーモン! 死亡確認するまで不用意な行動すんな!」
「ぅっす」
ジーモンと呼ばれた男も選任冒険者だ。軽い言動が目立つが、支援役としての腕前は一流で、仲間からの信頼も厚い。場を盛り上げるムードメーカーでもあるのだが、戦場の空気が緩むと、ディルクは頭を抱えている。
そのディルクは、選任冒険者になれる逸材だが、望んで防衛班に隊長として所属している。コルメンスが革命軍のリーダーをやっていた頃からの付き合いで、王都防衛の指揮全般を担っている。
「まァ、俺が一撃で殺せんかったからだ。そう攻めてやるな」
「だがな……」
「怪我はねぇか」
「そりゃもう、隊長が守ってくれましたからね!」
怒られた事も忘れ、ジーモンはけろっとした様子だ。憎めない者ではあるのだが、その軽さ故にディルクとしては心配が尽きない。
「そうか。そんじゃ、途中の町で酒でも飲むか」
「良いっすねぇ。途中って事は、あれっすね。ぶどう酒が有名な――」
「あんさんの奢りでな。ちったァ反省しろ」
「へ」
ライゼルトがジーモンの肩に手を置き、にやりと笑む。固まったジーモンのもう片方に、ディルクの手が置かれた。
「俺も偶には付き合うか。怒鳴ってばっかってのも後味が悪いってもんだ」
「俺等も良いっすよね」
「おう。全員で飲んだ方が上手ぇだろ」
ジーモンを置いて、冒険者達は歩き出す。
「そういや、何でお前が居るんだ」
「ああ。そろそろ祭りだろ」
「そういやそうか。そんじゃ、経路の確認か」
「そういうこった。明日は西の確認だ」
ある祭りが、近日始まる。その為に周辺の安全な経路を確認している最中らしい。
「大変そうだな。俺もやるか? 安全確認の後はいつも通りアレだろ」
「いや。お前はいつも通りで頼む」
「ライゼさんが居ないと、化け物退治ばっかでこっちの身が保ちませんよ」
最近の王都は、マリスタザリアが増えていっている。出ない日など無く、敵の強さも上がっている。
「そうか。まァ、魔法を使う奴も出たらしいしな」
「んな!?」
「まじっすか……」
「戻ったか」
「情報は共有しとかないといけないっすからね」
戻って来たジーモンと共に、ここ数日の情報を共有していく。魔法を使った個体と、それがどのように討伐されたか。話題は自然と、”巫女”になっていった。
「あー。巫女様達見てみたかったなぁ」
「何だ。あんさん見てねぇのか」
「俺もねぇな。美人なんだろ?」
「天使ってのは誇張じゃねぇぞ。俺も度肝を抜かれた」
ライゼルトが腕を組み、頷いている。そのライゼルトを、周りは驚いた顔で見ていた。
「あん?」
「まさか、アンネさんにゾッコンのお前がそんな事を言うなんてな」
「アンネちゃんの方が良いに――いや、そういう問題じゃねぇな。見りゃ分かる」
「だからー、見たいって話をしてるんじゃないっすかー」
感情抜きに見惚れる存在が居ると、ライゼルトを含む王都の者達は知った。まさかその天上の者が、メイド服を着て接客をしているとは思いもしなかっただろうが。
「だがま、美人どうこうより、強さだな」
「どうなんだ? 選任になったって聞いたが」
「見た限り、俺より強ぇかもな」
二度目の衝撃に、遂にライゼルト以外は歩みを止めてしまった。
「お前よりって、冗談だろ」
「用事がなけりゃ、巫女っ娘達がこの案件に来てたろうよ。何にしても、自分の目で確かめな。噂だ何だと踊らされんようにな」
「お、おう」
ライゼルトは剣術を修め、この世界の在り様を変えようとした男だ。噂に踊らされる国民性に嫌気が差しているし、どうにかしたいと思っている。
「ん?」
「どうした、ジーモン」
「いや、ライゼさんが来なかったら……巫女様達を見れたって事っすよね」
「ああ」
「ああ、じゃないっすよー」
ジーモンの、本気の落胆に全員呆れているようだ。
「巫女様を見れないどころか、奢らないといけないなんて……」
叫びはしなかったが、ジーモンは項垂れて動かなくなった。しかし、そういった事は日常茶飯事なのか――ライゼルト達は無視して歩を進める。時刻は丁度、十二時を越えた辺りだった。
慣れてきたので十人に増やしてみましたが、まだまだ増やせそうです。使えば使うほど、調子が良くなってきます。”光”と”拒絶”の訓練にもなりそうですね。
(それに、問題なく”想えて”いるようで安心です)
皆の”悪意”も、順調に浄化出来ています。ここに並んでいる人の半数以上は『感染者』のようですね。
「申し訳ございません。一度休息を入れてもよろしいでしょうか」
「は、はい」
順調ではあるのですが、少し喉が渇きました。リッカさまの方も、気になりますし。
(リッカさまも慣れてきたのか、動きに余裕が出てきましたね)
最初に比べて、余裕を持って接客出来ているようです。カフェのバイトも、成功ですね。リッカさまが一生懸命働いている姿は、皆にとっても好印象だったようです。
「リッカさま」
接客で笑みを見せていたリッカさまですが、私が声をかけると……いつものように花が咲きました。この笑顔だけで気力が戻りますが、体は水を欲しています。
「少し、お水をいただけませんか?」
「うん、今もっていくね――――っ」
「どうなさいました? リッカさま」
『汗を少しかいて、頬が染まって……首を傾げて……色気と無邪気のギャップが……っ』
リッカさまが私を、潤んだ、熱を含んだ瞳でじっと見詰めています。水を手渡す距離ではなく……抱き合えるような距離です。こんなリッカさまを見てしまったものですから、私から近づいているものと思っていましたが……リッカさまが、ゆっくりと近づいているようです。
「リッカさ、ま――」
リッカさまが、緊張していって――あっ。緊張しては、ダメですっ!
「っ――!」
『あぁぁぁもうっ! 私のバカっ』
「リ、リッカさまっ!?」
転ける事はありませんでしたが、リッカさまは手に持っていた水を被ってしまいました。
(転けなくて良かっ――っ!?)
「「「――!!」」」
店内の人達が熱狂しています。それも当然でしょう。ですが、まだ見られていません。私が壁になっています……けど、時間稼ぎでしかありません。見ようと思えば見えます!
「リッカさま! お怪我はありませんか? 足を挫いたりは……」
「うん、ありがと。大丈夫だよ」
(と、とにかく、私が抱き締めて隠します。この服、どういう構造をしているのですか!? 何故、透けて……っ!! 巫女のローブも透けますが、ここまでは透けませんよ! こっちの方が分厚いんじゃ!?)
早く裏に下がって、リッカさまを着替えさせないといけません。そしてこの服は私が改修させて頂きますからね!!
「ごめんね、また水入れなおすから」
『ヒールの所為かなぁ。初めて履いたから……これにも、慣れないと……。って、私ぽんこつすぎ……?』
「い、いえ。お気になさらず――」
リッカさまは今、自身がどうなっているのか分かっていないようです。私が抱き締めてますから、見れないでしょうけど…………抱き締め……?
(あ、あわわっ! 私、リッカさまを抱き締めてますっ!)
必要だったとはいえ、人前でこんな、しっかりとっ!
「アリスさん、そろそろ変わろうか。半分くらいでしょ?」
あわわ…………はっ。少し、興奮しすぎていました。確かに順調だったので、予定よりずっと多く浄化出来ました。行列も、大通り一本分くらいでしょうか。五時間近く通してやってもまだ終わりでは、ないのですか。今日中に全員終わるでしょうけど……。
「……このまま、リッカさまが給仕を続けては、男性達からどんな視線を浴びせられる事か……。支配人さんにも、服の素材を変えて貰うようにお願いをしませんと。水を扱うのにこんな薄い素材、ありえません」
今此処でリッカさまも浄化を行えると見せれば、計画通りに出来ます。リッカさまは今、接しやすい方という印象となっているのです。であれば、この印象のまま浄化へと移るべきです。
「わかりました。お願いできますか?」
「ん? うん、任せて!」
では、着替えに参りましょう。リッカさまは”巫女”のローブを、私はリッカさまが選んでくれたスカートが長いメイド服を。
『わぁ。アリスさんのメイド服……。凄く、似合ってる』
着てみると、ようやく分かりました。この服、エプロンが一体型だったのですね。つまりこのエプロンのようなものも服で、ここが透けていた、と……。しかも薄いです。
(確かにこれは、リッカさまが恥ずかしがるのも理解出来ます)
完全に趣味の服です。機能性なんて一切ないです、ね。これがお洒落というものなのでしょうけど……時と場合によるのではないでしょうか。
『可愛いなぁ。調理場担当で良かった。給仕だと人の目に当たりすぎちゃう。この姿……独占したかったり』
急いで戻らないといけませんが……誰も居ませんし、先ほど出来たのですから……もう一度リッカさまを抱き締めても……。
「お――――早―――!!!」
ああ、ダメです。『感染者』の方が暴れだしそうです。
「じゃあ、行こっか」
「はい、リッカお嬢さま」
「あぅ……。もう、アリスさん可愛すぎ」
『もう、アリスさん可愛すぎ』
「ひゃ、はい」
リッカさまに喜んで貰おうと思ったのですが、私の方が悦んでしまいました。もう半分、頑張りましょう。リッカお嬢さま。
「それではアルレスィア様は調理場担当という事で」
「はい」
「メニュー通りが基本ですが、アルレスィア様の得意料理がありましたら、そちらもお願いしたく」
得意となると、スープになるのでしょうか。ですがまずは、メニュー通りに物を作らせて貰いましょう。
「最初はメニュー通りに作ります」
「畏まりました」
裏手から調理場に入り、作業を開始します。表から行こうとしたのですが、リッカさまに止められてしまいました。
「巫女あるれしーあに変わり、ロクハナが努めさせていただきます。未熟ゆえ多少痛みがあるかと思いますがご了承ください」
リッカさまの作業は既に始まっているようです。
(一応杖は傍に置いておきます)
私も調理を始めましょう。手順通り行えば良いようですが、一味加えるのも良いでしょう。既存の物を作るだけでは練習になりません。
「オムレツできました」
「おー……」
(美しい)
料理を出す時は、表に出ないといけません。確かに、いつもより粘つく視線が刺さります。とはいえ、リッカさまに向けられていたものよりはマシ、ですね。
(潜在的な差がありそうです。リッカさまを普通の少女と思って……? いえ、どちらかといえば、異世界という部分に意識が?)
それを解消させるにはもう暫く時間を要するでしょう。ですが、リッカさまは今日此処で”巫女”に――。
「――!」
リッカさまが何人目かの浄化を始めたようで、『感染者』に手を当てています。近いです。相手が少しその気になれば抱き――。
「――」
「あ、あの、アルレスィア様?」
「はい、何でしょう」
「いえ……」
(アルレスィア様、何故向こうを見たまま固まって? 向こうは、ロクハナ様が――何してる、のかな?)
やはり、明日からは私だけで行いましょう。その為に、広範囲の浄化が出来るように想いましょう。早急です。初日に大勢が来てくれて助かりました。明日からは減るでしょう。リッカさまの魔法訓練が出来ないのは心苦しいですが、あの距離は近すぎます。
「あの……次はアラビアータパスタです。アルレスィア様」
「はい」
リッカさまの浄化は順調です。最初の方が穏やかだったお陰ですね。リッカさまの掌底打ちも、何とか受け入れられています。
(ですが近すぎます)
「何か不備がありましたか?」
「支配人」
「はい、何でしょう。アルレスィア様」
「この服について、二、三お聞きしたいことがございます」
(これは、怒っておられます……な)
給仕服はしっかりと改善させてもらいます。一から十まで私が作りますが、文句は言わせませんよ。
(しかし……近すぎます)
リッカさまにあの距離に近づかれたら、理性が溶けてしまいます。”悪意”により理性を壊された方達なら尚更でしょう。
(今回の件で、リッカさまを理解して貰えたと確信しています)
ですが新な問題……いえ、元々あった問題が浮き彫りとなってしまいました。
(リッカさまの、自覚問題です)
男性に対しての、知識不足……。自身の容姿に対しての、認識不足……。これは余りにも複雑に入り組んでいます。リッカさまが他者と交流出来るかもしれないとなったのです。であれば、私はそろそろリッカさまに、自覚を促すべきでしょうか。
(ですが……)
リッカさまは、純真無垢。妖精、天使の如き清らかさです。性知識は、学校で習ったものだけ。友人により少し踏み込んだ知識を得る機会があったようですが、それも極端に偏っています。
(何故そうなったのか。リッカさまの過去からでは視えませんでした)
まずは、それを知る事からですね。それから、考えましょう。決して、決して……今のリッカさまを穢したくないから、という訳ではありません。リッカさまに必要なものなのですから、ちゃんとしないと……。
「アラビアータ、カルボナーラ、シチュー、シーフードパイグラタンです」
「はい」
……やはり、様子見です。私が守れば良いのです。問題はありません。




