不審者②
どんどん温かくなって行く季節になりましたが、まだまだ寒いです。むしろ昨日より寒く感じます。流石に……寝間着にブランケットを羽織っただけでは、この寒さを凌げなかったようです。私もリッカさまのように、少しは体を動かすべきだったでしょうか。
(それにしても、リッカさまは良く……あの薄着で……)
運動する事を考えればあれが最適なのでしょうけど、体が温まるまで辛いはずです。それも、精神鍛錬の一環なのでしょうか。リッカさま自身が、寒いのが平気という事もあるのでしょうけれど。
(風邪にだけは、気をつけて欲しいです……。菌類は”拒絶”し続けているとはいえ、一応でしかありませんから……)
「ん……?」
部屋に戻ると同時に、リッカさまに何かの気配が近づいているのに気付きました。誰でしょう。こんな早朝から、リッカさまに声をかける不届き者は。
(向かうべきでしょうか。”悪意”の可能性も考慮すべきですが……)
人相手なら問題ないと――いえ、まず前提として不審者と決め付けるのは……しかし、リッカさまが緊張しているようです。ただの世間話ならば緊張しません。この相手は確実に、リッカさまを警戒させる程の手練です。それに……今の王都に、リッカさまと世間話をしようとする人なんて……。
(そうなると、あの人しか――)
――リッカさまが、戻ってきているようです。問題なくあしらったのでしょう。”悪意”ではなかったようです。つまり――不審者ですね。
(リッカさまがそういった対応に慣れているとはいえ……)
向こうの世界でも良く、不良と呼ばれる者によく声を掛けられたそうです。ですから、そういった手合への対応も卒なく出来るのです。ただ……。
(慣れるまでに、どれ程の”恐怖”を……。知らない人に、理解し難い感情をぶつけられ、嘗め回すような視線を向けられていたのですから……っ)
不良という輩について、この王都に居ないとは言い切れません。警戒対象ですね。武力行使も厭わないつもりです。こちらでもそんな”恐怖”を味あわせるなんて、我慢なりません。リッカさまに近づこうものなら、容赦しませんから。
リッカさまが帰って来たようです。宿の入り口まで迎えにと思いましたが……ここは、部屋で待つ事にしました。
「おかえりなさいませ、リッカさま」
「ただいま、アリスさん」
『あ、これ凄く……良い。お見送りは寂しさもあったけど、お出迎えは嬉しさばっかりっ! 顔緩んでないかな。汗のにおいとか大丈夫かな……』
もっと、近くに来て欲しいです。リッカさまの香り、好きですから。今すぐ抱き締めてリッカさまを感じたいですが……まずは確認からですね。
「何か変わったことはありませんでしたか?」
『どうしよう……。あの人の目的がまだ分からないし、敵意はなかったから問題はないはずだけど……』
言うかどうか、迷っているようです。敵意はなく、何かしらの会話をしただけのようですね。とはいえ、迷うという事は何か引っ掛りがあるのです。リッカさまと何を話したのか。どのような話しかけ方だったのか。どのような視線と感情を向けたのか。その方には、解って貰う必要がありますので。
『アリスさんに何かあったらいけないし――』
「えっとね、なんか変な男の人に声かけられたかな」
「どこの誰ですか? 見た目と服装はどのような? すぐに行ってまいります」
声を掛けられたのは知っていたというのに、男の人から声を掛けられたと聞いて、私の脳は烈火の如く燃え上がってしまいました。
私に無用な心配を掛けたくなかったのでしょう。ですが、黙っている方が心配を増させてしまいますので、全部、お願いします。
「んー、着流し……一枚の布みたいな服を腰帯で結んだような格好の人。髪は後ろで結んでたかな。長い黒髪で、目は切れ長で……。カッコイイ容姿だったよ」
やはりあの人です。リッカさまのアカムツを持って行った……。気配が希薄な、警戒対象です。しかし、リッカさまの容姿説明に……聞きたくない言葉が混ざっていました。
「カ、カッコイイ……ですか?」
『世間一般では、カッコイイ人って感じだったかな。男の人の容姿なんて気にした事ないから、分からないけど』
カッコイイ…………。お父様やオルテさんがそれに当たるのでしょうが、人の容姿を気にした事が無いのでピンときません……。ただただ心が焦慮していきます。
(私が見惚れたのは、リッカさまだけ、ですし)
アルツィアさま相手でも私は、あんな気持ちになった事ないのです。体の芯から、燃えるような、熱さ……。
(リッカさまから、カッコイイという言葉が……私ではなく、見知らぬ男性を対象に……)
何故か、胸が痛いです。熱いのです。リッカさまを初めて見た時とは違います。椿さんの事を知った時のような、熱さです……。
「……リッカさまは、その方が好みなのですか?」
「んーん、全然。男の人好きになったことないや」
『人を好きになるって、どういう感じなんだろ? アリスさんに対しての感情は……? 椿に感じた物とは……違う、けど』
「そうですか……よかったです。よかった?」
脳を通さず、本能で発した言葉だったからでしょう。自分が何に安堵したのか分かりません。自分で言って自分で首を傾げるなんて、リッカさまから見れば困惑する状況だったでしょう。
「ん、と。ごめんね? なんか混乱させちゃったみたいで。えっとね、変な人に声かけられたから、アリスさんも気をつけてね? って言おうとしたんだ」
『また言葉足らずになっちゃった。気をつけないと』
「そ、そうだったのですね。はい、気をつけます」
カッコイイというのも、客観的な評価だったようです。良かった……。私を心配する言葉だったのですね。私は簡単に心を許しませんから、ご安心ください。私が出会った瞬間に気を許したリッカさまは本当に、特例中の特例だったのです。
(後――リッカさまの言葉足らずが何故起きるのか、今分かりました)
リッカさまは思考力に優れています。深く広く素早く思考するものですから、どんどん話題が進むのです。それを声にする時、ズレが生じます。話題を冷静に聴いていればリッカさまに着いて行く事は出来ますが、少し油断すると困惑してしまう場面もあります。
ですがそれも、リッカさま自身が想定していない事態なのです。本来そこまで熟考しなくて良いのですが、この世界ではやる事が多く、考えなければいけない事が多いのです。リッカさまは今……一生懸命なのです。
(私がおたおたしては、リッカさまが余計に不安となってしまいます。落ち着いて……落ち着いて。私が支えるのでしょう)
「では、朝ごはんにしましょう。昨日買ったヨーグルトもありますよ」
「わっ。あの、ドルラームっていう?」
「はいっ。栄養価が高く、寒冷地において一番の栄養食だそうです」
お肉も食べるそうですが、最近では専ら毛皮とミルクを取るだけとなっているそうです。
「あ、でも。先にシャワー良いかな?」
「分かりました。ではシャワー後診察をしますので、服を着るのは少し待って下さいね?」
「う、うん」
『ただの診察、診察だから。変な気持ちになっちゃダメっ私っ!』
意識されてしまうと、私も……。診察なのですから、やましい意味はありません。触診しなければいけませんが……今のうちに再度、瞑想しておきましょう。
「は――――ふぅ――――」
瞑想しているのですが……失敗でした。集中すればする程、浴室に居るリッカさまの気配、声、香りが――。
「……っ……っ」
悶えて、理性との狭間で葛藤し続けていると、リッカさまが上がってきました。本当に汗を流すだけだったようです。
「ぁ」
「ぅ」
髪を拭きながら上がって来たので、リッカさまのほぼ全てが見えて、います。
「し、診察っを」
「ぅ、うんっ」
バスローブを着てもらい、ベッドに向かいます。お風呂上りのリッカさま、凄く……妖艶なのです。髪は普段結ばれているのですが、今は下ろされたままです。まだ少し濡れているので、頬や首に張り付いていて……頬は紅潮し、しっとりとした肌はパン生地のような――。
「どう、かな」
「っ!?」
いつの間にかリッカさまはベッドに横になり、私はリッカさまを触診……いえ、触っていました。
「異常は、なさそうですね。とはいえ……血を流しましたし、出来るだけ動かないようにお願いします」
「うん。分かった」
朝の鍛錬を見る限り、貧血はなさそうです。関節の痛みもしっかりと治せているようですし……要観察ですね。現状問題があるとは思えません。
「それでは、着替えてから食事にしましょう」
私も寝間着から着替えます。リッカさまが運動用の服に着替えている間に着替えるべきでしたね。生活を王都用に修正していきましょう。
(リッカさまはもう、一人で着れるようになったのでしょうか。まだでしたら、お手伝いを――)
まだ少し苦戦していましたが、一人で着れる様になっているようです。お手伝いは……必要なさそう、ですね。
(リッカさまの、下着姿……)
向こうの世界の下着とこちらの世界の下着は、微妙に違います。こちらの方が柔らかく、飾り気のない物となってるのです。だからという訳ではありませんが、激しい運動をするようには作られていません。リッカさまに合っていれば良いのですが。
「どうでしょうか」
「うん、大丈夫だよ。むしろこっちの方が動きやすいかも」
下着姿のまま、リッカさまがちょっと跳んでみたりしています。控えめとはいえ、しっかりとした膨らみのある胸が、揺れています。
「……」
注目すべきは……そこではないのです。筋肉の動きに余計な負荷が掛かっていないか、締め付けられて動きの妨げになっていないか、見なければいけません。ほんの僅かでも、リッカさまが動きやすくなれば……怪我をする可能性を減らせるかもしれないのですから。
ですが……。
(改めて見ると……)
しなやかな筋肉の動きです。多くの人を診てきた私ですが、リッカさま以上に綺麗な、体を……見た事がありません。リッカさまの意思で、寸分の狂いも無く動いています。
利き腕や利き足、内臓の偏りや日々の生活で、筋肉のつき方や体の形は変わってしまいます。ですが、何と美しい左右対称なのでしょう。
(彫刻であっても、ここまで綺麗な……)
「……ぅぅ」
私がじっと見ていたからでしょうか。リッカさまが頬を染めもじもじとしていました。その姿でそれは――。
「も、申し訳ございません。着替えを、済ませてしまいましょう」
私も急ぎ服を脱いでいきます。
『あわ……アリスさんの……』
着替えの度にドキドキしていたら、心臓が持ちません。とはいえ……慣れるのでしょうか、この光景に。この視線に。リッカさまがきゅっと、胸の前で手を組み、潤んだ瞳で私を見ているのですよ。凄い衝撃なのです。私はむしろ、良く我慢出来ているなと……思うのです。
「さ、さぁ。朝食にしましょう。後は仕上げだけですから」
「う、うん」
お魚を手早く焼いて、炙りましょう。リッカさまの朝の一時を、私の欲望で無駄にしてはいけません。リッカさまに幸せのスープを飲んで欲しい。私が今一番優先させなければいけない欲は、それなのですから。




