貴女さま
A,C, 27/02/25
すぐに理解しました。この方こそ……待ち望んでいた方なのだと。なんて、綺麗な……深い赤の髪が、湖に降り注ぐ陽光によって光輝しているかのように……何よりその、赤が、綺麗……。
ですが、まずは――。
「光よ、私の想いで輝き示せ。剰余なる生気を抑え整えよ」
恐らく、突然流れ始めた魔力に体を蝕まれていたのでしょう。苦しんでいました。その、苦悶の表情を見たくないと強く想った私は……流れるように、魔力を整える魔法を行使出来ました。
こんな魔法、一度も使った事無いのに、です。
(私は一体、どうしたのでしょう。こんなにも簡単に、強く想える……)
自分の事も気になりますが、それ以上に……”巫女”さまの、この様子は一体どういう事でしょう。ゆっくりと周囲を確認した後、私をじっと見詰めています。
その姿は……そう、ですね。困惑している、ようです。
『アルレスィア、とりあえず――』
「――?」
”巫女”さまの困惑、と思われる言葉に、私は息を呑みました。
本当に……今まで聞いた音のどれよりも……私の耳を震わせて……。
「っ」
私はハッとして、”巫女”さまの困惑に答えようとしました。
「私はアルレスィアと申します。こちらの世界の巫女」
「……?」
ああ、私としたことが……言語が違うのでした。
『はは。焦りすぎだよ、アルレスィア』
「それも全ては、いきなりすぎるからです」
『いやぁ……それは、まぁ、ね? とりあえず、翻訳を始めるとしよう』
言葉の問題がある事は分かっていました。それすれも忘れ話しかけてしまった事に、少し恥ずかしさを覚えます。
”巫女”さまの困惑がどんどん高まってしまっています。視線だけですが、アルツィアさまに早く翻訳して欲しいと訴えてみます。
『準備してたんだけど、えっと――これか』
「これで、伝わりますか?」
伝わったはずですけれど、”巫女”さまは少し頬を染めて目をぱちぱちとさせています。驚かせてしまった、でしょうか。
まず魔法から説明を……? いえ、まずはこちらに慣れて頂く必要があります。ゆっくり、状況を説明しましょう。
(この日の為に用意していた説明……忘れて、しまいました……)
余りにも衝撃的な邂逅に、私の頭は真っ白になっています。いえ、決して髪の事を言っているのではなくですね。思考や記憶がごちゃごちゃと言いますか……。
『く、くくく……はははっ。落ち着くんだ、アルレスィア』
「……っ」
いけません。先ほどから、私が私でないように、うろたえてしまっています。
「な、なんで急に……!?」
「……っ。アルツィアさまに、お願いしたのです。伝わっているようで安心しました」
驚いた顔すら、何て愛らしい……。思わず、声が裏返りそうになりました。
「え、えっと……すみません。聞き取れなくて……」
『私の名前には力がある。きっと、こちらに馴染んでいないこの子にはまだ聞き取れないんだ』
ですから、そういった事は始めに……。
いきなりでしたし、”巫女”さまについて知る事は約束の外でしたし仕方ないとはいえ……。”巫女”さまの顔が顰められてしまったではありませんか……。
「アルツィアさまとは、貴女さまの世界で言う神さまでございます。どうぞ、神さまとお呼びくださいませ」
「神さま、ですか?」
「はいっ」
向こうの世界では、神とは象徴的な存在というのは知っています。しかしこちらの世界では現実に存在しているのです。それを伝えたかったのですが……”巫女”さまは、私の言葉を信じてくれたようです。
人とは違う存在である私。同じ”巫女”とはいえ、この方にとってはまだ、私は赤の、他人で……向こうの世界の常識でしか、私を量れないはずなのです。
(赤の他人という言葉で、何故こんなにも動揺を……)
とにかく……私という存在は、この方にとってはまだ、不審者のはずです。なのに――。
「……」
少し考え事をしているようですが、祈るように手を組んだ私をじっと眺め、理解を示してくれています。なんて、純粋で、真っ直ぐな方なのでしょう……。
出会ってすぐだというのに、私はこの方に対し、信頼と敬意を持ちつつあります。
それと同時に、その純粋さに危惧を抱いてしまうのです。純粋ゆえに、何にでも染まるのではないのか、と……。
だからという訳ではありませんが、私はこの方の質問に、嘘偽りなく答えることを決めました。
決めましたが、そんな当たり前な決意表明を抱いている場合ではありませんでした。
”巫女”さまはまだ湖の中です。このままでは風邪を引いてしまいます。手を伸ばし、出るのを手伝うことにしました。
差し伸ばした私の手が少し震えているように見えます……。緊張、しているのですね……。
「へくしっ」
「あら……申し訳ありません。すぐに火を用意したいのですが、ここで焚くことはできないのです。少し離れたところに私たちの集落があります。そこに急ぎましょう」
「いえ、私の不注意で……」
既に寒さを感じているようです。アルツィアさまがこんな連れて来方をするとは思いませんでした。
”巫女”さまが申し訳なさそうにしていますが、私達の準備不足である事は言うまでもありません……。
「――私以外の人が湖から出てきませんでしたか!?」
「い、いえ。貴女さま以外は――」
切羽詰った様子の”巫女”さまに面くらいながら答えましたが、きっとそれはアルツィアさまです。当のアルツィアさまは先ほどから、私達の様子を見ながら笑い転げているので、ご心配なさらずとも――。
「あっ――!」
”巫女”さまが湖に駆け出しました。もしかしなくても、アルツィアさまが見えていない様です。こんなにも急いで救出に行こうとしているのですから。
「お、お待ち下さい! ご安心を。貴女さま以外、こちらに来ておりません!」
アルツィアさまは元々こちらに住んでいますから――って、思わず抱きついてしまいました。線が細いと思っていましたが、痩せているのではなく、鍛えられています。オルテさんや集落の守護者達の筋肉と違い、柔らかくしなやかな……ではなく! 止まってくれたようで、安心しました。
「あ、あの。もう、大丈夫ですから……」
「は、はい。また飛び込んでしまったら、風邪を引いてしまいます」
「ありがとうございます。心配、してくれて。このままだと貴女まで濡れてしまいますから……」
「はい……。お気遣い、ありがとうございます」
少し名残惜しさを感じながら、私は離れました。”巫女”さまの耳が少し赤いようですが、いきなり抱きついて怒ったという訳ではなさそうです。良かった……。
「それでは、集落へ向かいましょう。その間に、今の状況を説明いたします」
「はい。よろしく、お願いします」
まずは安心させましょう。私はまだ、自分を紹介していません。
「私の名前はアルレスィア・ソレ・クレイドルと申します。”巫女”をやらせて頂いております。アルレスィアが名、クレイドルが姓となります。”ソレ”とは、この国における”巫女”が受け継ぐ称号のようなものです。どうぞ、ご自由ににおよび下さい」
考えていた自己紹介は、口から出る事はありませんでした。何故”ソレ”について話したのか、自分でも……いえ、私は薄々気付いています。
この方にとっての私は……”ソレ”じゃないと、思いたかったのです。
「巫女、ですか?」
何となく、アルツィアさまの反応で気付いていましたが、”巫女”さまは何一つ聞かされずに、無理矢理連れて来られたようです。思わずアルツィアさまを睨んでしまいそうになりますが……。
(何で、その方の傍に居るのですか。しかも肩に手を置いて……私だって、したい――)
こほんっ。アルツィアさまを睨んでも、アルツィアさまが見えていない”巫女”さまには、自分が睨まれたと感じる事でしょう。我慢するしかありません。
「はい。アルツィアさまのお言葉を皆に伝えたり、皆のお言葉をアルツィアさまにお届けしたり、アルツィアさまから役割、使命を与えられた者になります」
アルツィアさまという名を力強く強調します。その真意は伝わっていますよね? 今は私と”巫女”さまが自己紹介をしているのです。ですから、そういった触れ合いは後程――いえ、私が居ない時にして欲しく思います。
そこで、私は再び自らの愚かさにはっとしてしまいます。
「あっ……。申し訳ありません、つい熱くなってしまいました。それにお名前をお呼びする度にノイズが聞こえるのでしたね。私も神さま、とお呼びいたしますね」
自分でも驚くくらい簡単に笑顔になれます。ぎこちなさのない、造ったものではない、ほんとうの――。
「ありがとうございます。えっと、あるれしーあさん……あれ、あるれ、ある……あぅ……」
やはり、発音が難しいようです。アルツィアさまは名前を大事にしていますから、名前の翻訳は切っているのでしょう。それでも殆ど発音出来ているので、何れは完璧なものになると確信出来ます。
そのお陰という訳ではありませんが……。
(か、可愛い……)
きりっとした目に、私と同じ……いえ、少し濃いですが、赤い瞳……。インカローズやスピネルのような、美しさです。どちらかといえばスピネルでしょうか。強い意志を感じます。
髪も、ワインレッドと呼ばれる濃い赤……。こんなにも暖かい赤なのに、”巫女”さまは自身の髪に対して頓着していないように見えます。何より、私の髪を見て、自嘲するような笑みを浮かべました。それはまるで、自身の赤い髪に自信がないような……。
私から見れば、二つの赤が、まるで燃えるかのように煌々としていて、美しく可愛い顔を彩っているように見えます。
私の無色な人生が、一瞬で色付けられ、明るく照らされたような……そんな、鮮烈な、赤。
ころころと変わる表情に合わせて動く唇が――そうじゃないです! えっと、足取りですが、こちらの世界にはない美しさがあります。
なんと言うのでしょう。洗練された、所作というのでしょうか。
鮮烈な美しさを身に纏った”巫女”さまですが、その仕草や心は、無垢な少女そのものです。
出会って十数分、私はこの方に見惚れています。
「両親からは『アリス』と愛称で呼ばれていますので、そちらで呼んでください」
危うくまた、だらしなく頬が緩むところでした。何とか自分を律し、提案出来ました。少し笑みが零れてしまいましたが、何とかなったはず――。
「はぃ。ありす、さん」
我慢していたのに、それを一瞬で崩されてしまいました。”巫女”さまは頬を染め、少し恥ずかしそうにもじもじと私の愛称を呼びました。その姿は可愛らしいものでしたが、私には少し――優艶に見えたのです。
「えっと。じゃあ次は私が……。六花立花です。六花が姓で立花が名前。『ろくはな』はリッカとも読めて、雪の別称になります。えっと、こっちでも雪は降りますよね? 『りつか』は普通はタチバナとかリッカって読むんですけど、私の場合はリツカになります。好きな方で呼んでいただけると嬉しいですっ」
「雪、ですか。聞いた事はありますけれど、実物は見た事が――」
何とか平静を保ちながら、会話が出来ていますが……”巫女”さまの、ポニーテールがぴょんぴょんと跳ねているのをみて、私の言葉も自然と跳ねてしまいます。
「――雪、綺麗なのでしょうね。より見てみたくなりましたっ」
六花とは向こうの世界では雪を表現するそうで、その意味を教えてもらえたからでしょう。暖かく、太陽のような輝きを見せていた”巫女”さまに、雪の印象まで付加されたのです。
相反するイメージですが、太陽に照らされた雪はきっと――この世界の何よりも美しいはずです。
「綺麗な名前なんですね。リッカ、さま」
だから私は初めて、人を愛称で呼べたのでしょう。心臓が余りにも跳ね回るので、少し声が漏れるようになってしまいましたが……『リッカさま』は、喜んでくれているように、見えました。
ブクマ評価ありがとうございます!