冒険者⑩
リッカさまは今、シャワーを浴びています。服だけでなく、肌や髪にもべっとり、でしたから。今のうちに私は”伝言”をしておきましょう。鍛治探しをギルドに依頼しておかないと――。
「――――ぃ――ぁ」
”伝言”しようとした私の耳に、リッカさまの声が聞こえました。熱を持った声にドキリとしましたが、艶かしいのとは少し、違います。
(少し疲労が色濃く出ていたようですし……まさか……?)
何かあったのかもしれません。少し、お邪魔しましょう。
「リッカさま?」
浴室に入ると、リッカさまが浴槽に蹲って、いました。自身の体を抱き締め、痛みに耐えているように――。
「リッカさまっ!?」
「ぅ……つぅ……」
返事すらも出来ないようで、青ざめた表情で私を見上げています。何故、こんなにも衰弱して……っ。これではまるで、あの日の夜みたい――。
「っ……失礼します、リッカさま」
リッカさまを抱え上げ、ベッドに連れて行きます。裸のままですからシーツを掛け、診察に移りました。普段ならリッカさまの裸におたおたとする所ですが……今は浸れる状況ではありません。
(体の中……魔力の通り道がズタズタ、なのでしょうか。魔力の流れがぎこちないように見えます)
しかし一番は……脳、でしょうか。痺れています。まるで脳が直接汗をかいているかのように、困憊しているのです。
「はぁ……はぁっ……」
「リッカさま……」
高熱が出ているようです。まずは解熱を開始しましょう。落ち着いて、一つ一つ解決させます。解熱後、もっと詳しく調べて、体力回復を最優先に……。魔力の流れを整えて……。
原因は、オルイグナスでしょうか。”強化”のオルイグナスは初めてだったはずです。それを実践で使った訳ですが……。リッカさまの膝が、腫れています。あの、常人ならば体が捻じ切れそうな動きを悠々と成し遂げるリッカさまの、膝が……。
(魔法にリスクはありません。ですが、リッカさまの魔法は自身への付与……)
そこで何が起きるか、未知なのです。
治療を終えると、リッカさまは目を覚ましてくれました。一安心です……。ですが、予断を許しません。
「ありがと……アリスさん……」
「こうなった一因は私にもありますから、あまり言いませんが……。ご自身の体を第一に考えてくださいね?」
「わかった……気をつけるね?」
『ちゃんと、言いつけを守れるかは怪しいけど……生きてないと、守れないから……』
リッカさま……。それは、違うのです。生きていないと守れないというのは、正論です。ですが……私は、違うと言いたいです。貴女さまは……死を覚悟しています。その覚悟を持っている貴女さまの言葉は……本音には程遠いと思えるのです。
「――ありがとうございます。リッカさま」
でも、私は……笑顔を、絶やしません。貴女さまをそうさせたのは私です。誰よりも死を嫌い、誰よりも生を尊び、平穏を愛している貴女さまを……戦場に送っているのは私です。
ですから、リッカさま。貴女さまが安心出来るよう。生きるという言葉が嘘にならぬよう。貴女さまの傍で私は、笑顔で居ます。それが私の、偽らざる想いです。この笑顔も、貴女さまへの想いがあるからこそ、真の笑顔となっているのですから。
「ちょっと、眠る……ね……」
「はい、リッカさま。おやすみなさい」
リッカさまが眠るのを待ち、私はリッカさまの服を洗いに向かいました。アルツィアさまの紋章が崩れてはいけませんし、リッカさまの服を洗うのは私でなければいけないのです。洗い方は当然――手洗いです。
しっかりと洗い、血痕と泥を落としました。傷やほつれはありませんし、修繕は必要なさそうです。部屋へ戻りましょう。
「これからもアルレスィア様がお洗いになりますか?」
「はい。そうした方が良さそうです」
魔法で洗えば一瞬でしょうけど、やはり紋章の事が気になります。
宿の方が洗濯をやってくれるという話でしたが、もしもがあってはいけません。一応アルツィアさまの髪で作った糸の予備はありますが、出来るだけ大切にしていきたいですから。
部屋に戻り、一も二もなくリッカさまの傍に向かいます。まだぐっすり眠っていますが――。
『――おと、うさん』
夢を、見ているようです。今回は昔の夢みたいです。
視てはいけないと思いつつも、リッカさまの過去が気になって……視て、しまいました。
内容は、リッカさまがまだ五歳の頃の一幕。リッカさまは道場と呼ばれる場所で修練を行っているようです。母との組手を行っている所に、父がやってきたという所から、夢は始まりました。
父と母は言い争いをしており、リッカさまはその光景をぼーっと眺めていたそうです。その胸中に、両親の喧嘩風景という”恐怖”を感じながら――。
喧嘩の原因は、”巫女”です。リッカさまは生まれた時から、”巫女”になる者として扱われていました。それだけ、リッカさまの威光は神掛かっていたのです。
(私ですら、リッカさまを初めて見た時から……特別な感情に支配されました。ですので、両親からすれば珠玉の瞬間だった事でしょう。恐らく今頃、リッカさまが帰らない事で、大騒ぎに……)
……母と祖母はリッカさまが辛くないように、”巫女”になる前提の生活を送らせていました。剣術や体術といった物を修得させ、”神の森”の範囲から出ないようにさせていたのです。
それも全ては、町から出られないという誓約が苦にならないようにする為です。旅行に一度でも行ってしまうと、出られないとなった時にその思い出が襲い掛かってしまうと考えたのでしょう。
ですが父は、そんな生活を良しとしませんでした。リッカさまにはもっと、色々な世界を見せたいと思っていたのです。リッカさまがこちらに来た時に着ていた服も、町の外にはそういったファッション? があると、興味を持たせる為だったそうです。
(正直、お父さまが見たかっただけではないのかと、私は考えているのですが……)
ですから……”巫女”に反対だからと、修練場に来て止め様としていたのでした。
六花の家では、言い争いになった場合戦いにて決着をつけるという風習があったそうです。ですがその時の戦いでは、リッカさまと父の戦いとなったのです。
納得しない父を納得させるために、リッカさまの特異性を証明しようとしたのです。
結果は……リッカさまの圧勝です。先ほどマリスタザリアに行った”投げ”にて、父は宙を舞いました。地面に背中を強かにぶつけたにも関わらず、父は痛みを感じていませんでした。それこそが、リッカさまの”投げ”が完璧であった事の証左。父は、納得せざるを得なかったのです。リッカさまの特異性は思い過ごしでも何でもなかったのだと……。
この時のリッカさまは、何故父がこんなにも悔しがり、涙を浮かべそうなくらいに落ち込んでいるのか、分からなかったそうです。
ただ、薄々感じていたのです。リッカさまの”恐怖”は……何れ来る、人とは違う生活を強いられる事の予感を――。
「んん……ぁ……」
そこで、リッカさまは目覚めました。
「おはようございます。リッカさま」
「おは、よ。アリスさん」
目覚めたリッカさまの顔色は、悪くありません。薄っすらと頬が朱に染まり、健康的な撫子色のような肌は、健康である事を知らせていました。”治癒”はしっかりと効果を発揮し、リッカさまを治したようです。
「アリスさんが、治療してくれたの?」
意識が朦朧としていたので、浴室で痛み出してからの記憶が曖昧だったのでしょう。それ程の、痛み……だったのです。
「はい、少しだけですけど……。楽になりましたか?」
「うん。綺麗に疲れとれてるよ」
リッカさまが感謝を表すようにニコリと微笑みました。その笑みに、私の肩の力も抜けます。
「リッカさま、また夢を見ていたのですか?」
「そうみたい、昔の夢だったような?」
幼い頃のリッカさま、見たかったです。私は心を読むだけで、映像として見れないのです。リッカさまをそのまま小さくしたような感じなのでしょうか。見たいです。でも見てしまったらきっと、今度こそ抑え切れません。
「……なんか、寝言言っちゃってた?」
「いえ、寝言はありませんでした。ですけど前の時の幸せそうな寝顔と少し違う、幸せそうな顔をしていたもので」
「そんなに顔に出てた?」
少し恥ずかしそうに、リッカさまが頬をむにむにとしています。私も触ってみたいです、ね。柔らかそうな頬……。
「……。前の時もそんなに幸せそうにしてたの?」
ドキリとした表情で、リッカさまはそっと上目遣いに尋ねました。「見られてないよね?」と、言外に告げているような表情です。
前の時は、アイスクリームを二人で……食べさせあう夢でした。リッカさまの、ささやかな願望です。当然覚えていますし、いつかしてみたいという、私の願望でもあります。
「さぁ……秘密、です」
でも、これは秘密です。もっとリッカさまの、緩んだ表情を楽しみたいですから。心置きなく寝て欲しいと思っています。
「私も絶対アリスさんの寝顔、観察するから……」
少し頬を膨らませて、リッカさまは決意を固めていました。私の寝顔、ですか。どのようになっているのでしょう。リッカさまと同じように、夢を見たりして緩んでいるのかもしれません。
「楽しみにしていますね?」
ふふ。それをリッカさまから聞くのも、楽しいかもしれません。少々恥ずかしいですが、既にリッカさまの寝顔を見た私ですから、リッカさまに見られても構いません。
「むぅー……」
『でも、アリスさんは私より早起きだし……昼寝もしそうにない。やっぱり朝早起きするしかないけど……向こうの世界で私は決まった時間にしか起きれなかったし……むむむ……』
「ふふ……」
「? どうしたの? アリスさん」
「いえ、そんなに、私の寝顔を見るために真面目に計画を立てているので……つい」
本当に真剣に、私の寝顔を見る為に考えています。そしてきっと、その為に努力するのでしょう。リッカさまのそういう所、本当に――愛いです。
「だってぇ、私だけ見られてるなんてズルいよぉ……」
リッカさまは再び頬をぷくっと膨らませています。可愛らしい抗議に、思わずその頬を指で押してしまいました。
「ごめんなさい。リッカさま」
「ぅ――。もう」
リッカさまの頬から空気が抜けると、笑顔が咲きました。本当に可愛らしい反応すぎて、そのままベッドに押し倒してしまいそう……。
「さぁ、リッカさま。今日の晩御飯を買いにいきましょう?」
なので、はい。晩御飯の買い物ついでに、宿探しをしましょう。リッカさまの調子も戻ったようですし、体を少し動かしてみるのも良いと思います。
「うん、今日は何にしようか」
「そうですね……。なんにしましょう?」
「市場で見ながら考えよっか」
「はいっ」
市場を見ながら晩御飯を考える。凄く、良いです。姉妹や友人ではなく、まるで――夫婦…………あぅ……。気が早すぎます。気が早……? いえ、早いとかではなく……。
(アルツィアさまが居たら、絶対弄ってきますね、これ……)
今も見ているでしょうから、結局……”神林”に帰った時に弄られるでしょうけど、ね。




