冒険者⑨
王都まで戻ってこれました。が……。
「……!?」
「え、は?」
皆一様に、リッカさまを見て固まってしまっています。血塗れで帰ってくれば……そうなります、ね。とはいえ、隠せるシーツや替えの服は宿の方ですし……。
『何で皆見てるんだろ?』
リッカさまは……自身が血塗れという事を忘れてしまっている、ようです。それは、リッカさまの経験ではありえない事が起きているからでしょう。
怪我をすれば、痛いのです。これだけの血を流してしまっては、歩くことすらままならない程に。ですが、私の”治癒”で、向こうの世界ではありえない速度で治りました。故にリッカさまは――怪我をしたという”恐怖”を、早々に閉じ込める事に成功しています。
(そして少し時間が経ち、男性のマリスタザリア化について考えたりしたので……意識から、抜けてしまっているのです)
この王都でリッカさまは、私の供として認識されてしまっています。なので、私を守っての怪我、と思ってくれているはずです。私闘での怪我とは、思われないはず……です。
牧場で何が起きたのか、噂になるのに時間は掛からないでしょう。とりあえず、リッカさまの着替えを優先させます。どんなに頑張っても、噂の拡大を止める術はありませんから。
「リッカさま、まずはすぐに、宿にいきましょう」
「うん? 分かった、よ」
『急ぎの用事かな。宿は今日までだし、宿探し急がないとだけど、それかも』
周囲の視線が気になります。これ以上リッカさまを晒し者になんてしたくないので、急ぎましょう。
「おかえりなさいませ、アルレスィア様、ロクハナさ……ロクハナ様!?」
「只今戻りました。どうかしましたか?」
宿に到着すると、受付の方が出迎えてくれました。どうやらこの方が支配人だったようで、他の従業員の方とは服装が違います。リッカさまが首を傾げる姿を見て、驚愕から呆然へと表情が移っていますね。
「どうかではございません! 病院へはいかれたのですか!?」
『…………あっ。私、そういえば血が……』
「あっ、いえ大丈夫です。アリスさんが治療してくれたので」
リッカさまはぽんっと思い出し、慌てて訂正していました。
『アリスさんが綺麗に治してくれたから、忘れちゃってた。血自体は……見慣れてる、けど……これ、怪我なんだよ、ね。こんなに流れるくらい、深く……』
怪我での傷をリッカさまは、作った事がないはずです。怪我をするような行動を取っていなかったはずですし、そもそもリッカさまの身体能力で、運動による怪我なんてまず無いのですから。
『でも……うん。だいじょうぶ、だいじょうぶ……。怪我は覚悟の上。アリスさんの障害を排除出来たんだから、大丈夫』
再燃した”恐怖”を、リッカさまは押さえ込んでいきます。
(……)
この血を私は、”拒絶”出来ました。服にべっとりと着いていようとも、私の”拒絶”は血だけを取り除く事が可能です。ですが…………。
(そう、想えないのです)
”拒絶”とは、私が不要と判断した物を遠ざける魔法です。敵の攻撃、侵入、”悪意”と悪意。そして、汚れ等です。
(汚れとは、想えないのです)
リッカさまの血。それは、私の為に流された物です。それだけでなく、リッカさまの一部なのです。それを、私は……”拒絶”出来ません。その血痕が、リッカさまの”恐怖”を刺激すると分かっています。ですが、私はリッカさまを”拒絶”したくないのです。
リッカさまの”恐怖”を考慮すれば、自分を曲げて血を”拒絶”するべきだったのでしょう……。ですが”恐怖”よりも、私を守れたという事実の方が、大きいはずですから。
(怪我は治します。ですが、貴女さまの戦いを、覚悟を、想いを”拒絶”しません)
貴女さまが流した血を。貴女さまが守る事が出来たという証を。私は目に焼き付けたいのです。貴女さまが流した血は私の――罪なのですから……。
(アンネちゃんとお茶すんには、どうすりゃ良いんだ……?)
任務から帰って来たライゼルトが、報告する為にギルドへ向かっている。
(ここんとこ毎日化けもんが出とるし、アンネちゃんも俺も休みなんざ殆どねぇからなぁ――って……何だ、ありゃ)
アンネリスをどうやって誘うかを考えながら歩いていたが、ライゼルトの目に――赤い花が写った。そう見えただけだが、少女の鮮烈さが加われば花と誤認しても仕方がない。その赤が――血でなければ、だが。
(何があった。服だけじゃねぇな。髪にも着いとる)
街がやけにざわついている。これは噂が急速に広まっている時のざわめきだ。理由は当然、リツカの件だろう。
(ちょいと噂を聞いていみるか。大丈夫なんか、赤い娘っ子は……。まァ、巫女は”治癒”も凄ぇって話らしいが……)
ギルドに向かうまでの間に、ライゼルトは街の囁きに耳を傾けた。入ってくる断片的な情報は――牧場。血塗れ。投げ。斬った。といったところか。この王都に来てから、一番の大盛り上がりを見せている。話題の中心に居る少女が、それはもう目立つ姿で戻ってくればそうなるが。
(牧場で戦闘があったんか。そんで負傷して、あれか? 斬ったって事ァ、返り血ってのもあんだろうが――頬が基点になっとったな。負傷だろ。にしてもやっぱ、あの娘っ子は剣士だったか。カカカッ)
とりあえず情報を整理し、ライゼルトは一人ニタリと笑う。剣士こそ、ライゼルトが待ち望んだ存在だからだ。
(だが、投げってのァ、なんだ? 聞くか)
「すまん。ちょいと聞きてぇんだが」
「おっ、ライゼさん。どうしたんで」
「牧場で何かあったんか」
「それがですね。牧場で巫女様と赤い人が戦ったそうです。ホルスターンの化け物と」
「ああ、噂になっとるな。酪農家の奴等が発端か?」
「そうですね。熱く語ってたそうですよ。何でも化け物を投げて、地面に叩き付けたとか」
「あん?」
ライゼルトの予想は概ね当たっていたが、投げて地面? と怪訝な表情になってしまう。
「詳しくは聞いてないんですけど、腕を掴んだ? と思ったら、化け物が浮いて、地面に叩きつけられて、地面に大きな穴が空いたって話です」
「ほう――――見てくるか」
ライゼルトは現場に向かう事にしたようだ。酪農家に直接聞いた方が良いと思ったのだろう。余りにも現実離れしすぎていて、誇張と思ったようだ。
「にしても、怪力なんだな。赤い娘っ子は」
「そうですねぇ。血塗れっていうのも、何ていうか」
(まァ、ちょいとおどろおどろしいが。俺も返り血くれぇつけるしなぁ。それに、返り血よりは負傷と考える方が妥当だろ)
近接戦闘をしている以上、返り血は常だ。だが、ライゼルトにしてみれば、返り血という噂が固定になっている事に頭を抱えそうになっている。
目の前の男は既に、リツカは返り血をつけて街に帰って来たものと思い込んでいる。マリスタザリアを投げたという事実が、リツカを凶悪な印象へと変えつつあるのだろう。
(拙いな。確かにキレやすい部分があるみてぇだが、ありゃあの馬鹿が突っかかったからだろ)
しかしこの手の噂に関しては、外野が何を言っても仕方ない。所詮その諫言も、「いや、それは~じゃないのか?」といった、噂を含んでしまっている場合が主だからだ。それは例え、アルレスィアによる訂正でも意味がない。
噂が好きなのに、噂と逸脱した話は信じ難い。そんな世界の在り様に疑問を持つ者は多いが、マリスタザリアが増えてからというもの、娯楽らしい娯楽を楽しむ余裕がないのだ。街中でひっそりと出来る噂が蔓延するのを、人々は止める事が出来なかった。
(あの娘っ子の印象が固まる前に、何かしてやりてぇが)
ライゼルトは既に、リツカに対して一定の評価をつけている。歩き方、剣の携え方、周囲に対しての警戒心や配慮、どれを見ても一流だった。特に、剣を持っている事に違和感がなかった。あの、花の方が似合う少女に対してライゼルトは、剣が似合うと感じたのだ。
(既にいくつか戦闘を越えとる。あんな逸材が、周りの評価で遠ざけられるんは避けてぇ)
リツカの性格の全てを理解した訳ではない。だが、リツカは明らかに、人を助ける者だと感じた。人の為に己を捧げる覚悟が在る者だと。
(ただの自己犠牲か、献身か、確かめるか)
同じようにみえて、この二つは違う。
(冒険者になろうってんなら、その辺は理解して貰わんとな。自分すら守れん奴に、人は守れん)
死を良しとするのは美談でしかない。後ろに居る者を守りたいならば、死は最も忌避すべき存在なのだ。だからこそライゼルトは、チームを強制にした。守る為に死ねない存在が冒険者だ。
酪農場についたライゼルトは真っ先に現場に向かった。人だかりが出来、今にも死体を燃やしそうだったからだ。
「ちっと待っとくれ!」
「ん?」
声をかけながら走り寄るが、途中途中にある凹みが気になるのか、歩調はそんなに早くない。
「こりゃまた、すげぇな」
(いくら化けもん相手っつっても、こんなに地面がぼこぼこになるもんか? 明らかに化けもん以外の凹みもあるが)
幾千もの戦場を生き延びたライゼルトから見れば、この戦場の異常性にどうしても気付く。
マリスタザリアとの戦いでは、周囲に被害が出るのは常だ。だが、それはあくまで人間の魔法や敵の攻撃による被害だ。地面が足跡のように抉れる事もなければ、焦土になる事も殆どない。
「こりゃ、化けもんが魔法を使ったんか?」
「そう、ですね。そうらしいです。巫女様が居なけりゃ、あの剣士様も危なかったって言ってましたよ」
(危なかった、か。そんな異常事態で怪我はなしか。巫女っ子の魔法か? 剣士娘の方にも何かありそうだが)
チラとしか見ていないが、リツカの怪我は頬の傷くらいで、アルレスィアに至っては汚れ一つなかった。
(化けもんが作った跡から考えるに、明らかに強敵だな。俺も戦った事ァねぇだろ。一撃で――いや、掠り傷ですら重傷になるな。娘っ子なら死ぬ。魔法を使うってのも初めて聞く。良く対応出来たもんだ)
生き残る為の最善を尽くしたのだと、ライゼルトはこの時思ったようだ。
「怪我人は居らんか」
「巫女様が守ってくれましたし、剣士様がすぐに倒してくれましたから」
(そんな相手に、怪我人すらなしか。上々所か完璧。初動から討伐までの動きも心地良いくれぇだな)
「すぐってぇと?」
「五分も掛かってないんじゃないかと」
敵の強さは未曾有だ。それを五分という時点で、巫女二人の実力は王都でも随一。ライゼルトに伍する実力者という事になる。しきりに頷くライゼルトはもはや、巫女二人を良き同僚になると確信しているようだった。
「化けもんを投げたと聞いたが」
「はい、それはもう……! あの巨体が浮いて、地面にズドンですよ!」
(どうやって浮かせたんか、こん人等も知らんようだな。本人に聞くしかねぇか)
その時酪農家達が感じた畏れは興奮となり、熱狂となった。アルレスィアの後ろで静々と感謝を受けていたリツカだが、その物静かな瞳や態度は、厳粛で荘厳なアルレスィアとの相乗効果で神々しさすら纏っていたのだ。
もはや牧場の者達にとってリツカとは、神の化身に等しい。アルレスィアの傍に居たという事から、もしかすれば神の人の姿なのではないかとさえ思ったのだろう。
「死体はまだ残っとるか」
「今から焼く所、です」
ライゼルトはその光景を見た訳ではないし、神の化身とも思ってはいない。マリスタザリアを浮かせたのは”技術”であり、カラクリがあると分かっているのだ。
まだ時間は然程経っていないが、死体からは既に異臭が漂っている。早く燃やしたい所だが、ライゼルトが見たいというのであればと待っている。
(こりゃ……)
腕と首がない死体を見た瞬間、ライゼルトは震えた。それは歓喜だったのか、恐怖だったのか、自身にも分からない。だが、その切断面を見たライゼルトは確かに、目を見開いていた。
(あの細腕で? あんなにも短い、重さもない剣で? 傷はこの、切断面だけ。つまりは、二撃で殺っちまったのか。腕を落とされ、強敵と判断したこいつが魔法を使ったってとこだろうが、どっちにしろこの個体は特別だったって事だな。どうやって斬った? 魔法じゃねぇ。魔法でこんな傷を付けられるのは”風”の特級だが、こんな傷にはならん。”風”よりも鋭い傷だ)
ライゼルトは思考を巡らせる。
「あ、あの。ライゼさん?」
「ん? あ、ああ。すまん。燃やして良いぞ」
口元を抑え死体の切断面をじっと見ていたライゼルトだが、自身が笑っていた事に今気付いたようだ。この傷は剣による物。しかも腕前は自身を越えているとさえ思える。
この国に二人しか居ない剣士であるライゼルトにとって、その事実が何よりも嬉しい。
マリスタザリアを、剣で傷を付ける事は誰にでも出来る。致命傷を与え、命を奪える者も居るだろう。だが、切断出来るのは自分だけだと思っていた。それは誇りでもあり、驕りだった。
リツカが作った傷は、あの細腕ではありえない破壊力だったのだから。
(何の魔法だ。何を纏わせた剣を使っとる。あの剣が業物って事もあんだろが、それだけじゃこれは出来ん)
燃える死体を見ながら、ライゼルトは再び考え込む。
(いかんな。楽しくなってきた。早く話してみてぇと思っちまう)
「俺は帰る。ギルドへの報告は済んでんだろ?」
「はい。巫女様達は試験中だったらしく、職員の方がやってきました」
「そうか。そんじゃ、気ぃつけろよ」
酪農家に一声掛け、ライゼルトは戻っていく。その途中大きな窪みに目をやる。自身の体もすっぽりと収まりそうな大きさだ。
(これを、あの娘っ子がねぇ)
ライゼルトの、リツカに対する興味は膨れていく。直接声を掛けるのも、そう遠くないだろう。




