冒険者④
リッカさまが、”疾風”を併用して走り出しました。”疾風”で作った風の道に入る前に、活歩という歩法を行っていたようです。見た事のない速度で風の道を通っています。距離にしても、リッカさまの等級では届かない位置まで伸びていました。
(”疾風”を越えて、いますね)
もはや風ではなく、雷のような速度です。一瞬で、背中が見えなくなってしまいました。
(……申し訳ございません、リッカさま。貴女さまが、無抵抗の人に武器を向けたくないのを、知っています。ですがこれは、お互いにとっての儀式です)
リッカさまの特性上、人に武器を向けて浄化しなけばいけません。それだけでなく、人を傷つける時も……何れ……。
(私達は覚悟していますが、それが出来るかどうかを、実践しなければいけないのです)
そして、私……。荒療治ですが、私も戦闘に参加出来るという事を見せます。この王都についてからも、リッカさまは言っていました。『自分が』と。ですから、最適解を取り続けます。
どんなに私が――どちらの処理もリッカさまにさせたくないと思っていようとも、です。リッカさまも私も、誰が相手でも戦えるように……私達の役割を全うし続けましょう。
私も”疾風”を併用し、加工場に向かいます。加工場近くから吹き荒れたと思われる”悪意”は、かなり大きいです。魔力を練りながら、極大魔法を準備します。
(動物マリスタザリアも問題ですが、人マリスタザリアも問題です。むしろ、そちらの方がずっと)
悪意が固着すればする程、浄化出来ない可能性があるとアルツィアさまは言っていました。完全に固着すれば、殺すしかないとも……。
例として、リッカさまの世界を挙げます。かの世界の”悪意”は、大災害となって出ます。ですが、人マリスタザリアという形で生まれる場合もあったのです。
(独裁者や虐殺者、突発的な殺人に走る者や思想の誇大化がそれに当たります)
過去起きた事件の中に、人マリスタザリアは確実に居ました。当然向こうで浄化は出来ないので、死刑という形で処理されています。動物マリスタザリアが居ないので、”悪意”の問題ではなく個人の問題としか認識されなかったのです。
(こちらでもきっと、ただの犯罪者として裁かれた人の中に、居たはずです。本来犯罪などに手を染める事のなかった人達が――っ)
ですが”悪意”を判別出来ないと、浄化する事もままなりません。動物マリスタザリアの討伐だけが、王都滞在の理由ではないのです。人マリスタザリアの浄化も、私達はしたいと考えています。
(これ以上、罪無き者達が道に迷わぬように、過去の”巫女”が出来なかった――救済をっ!)
あの大男が”悪意”に感染したのが昨日と考えて、今日の様子から考えると……かなり進んでいると思われます。昨日とは違い今日は、最初から闘う気で話しかけてきたのですから。
加工場のマリスタザリアも大男も、どちらも時間がありません。加工場で発生した”悪意”ですが、それに感化されて大男の感染も重篤化する可能性を捨て切れないのです。
(リッカさまの速度ならば、すでに到着している頃でしょう。こちらも、最善を)
まずは――今加工場から飛び出して来た方達を守ります。
「――月光の輝きを纏いし城壁よ、私の想いを受け聳え立て!」
今の私が出来る最高の”盾”です。範囲、厚み、硬度の最高峰。それに”拒絶”が加わっています。これならば、何とか。
「な――!?」
「”盾”!?」
逃げていた方達が”盾”を見て立ち止まりました。そのまま逃げるのではなく立ち止まったという事は、一瞬でも恐怖が和らいだという事です。ただ呆然としているだけにも見えますが、第一段階は成功です。
「ご安心を、”巫女”です」
加工場の壁を壊し、マリスタザリアが出てきました。ホルスターンですが、集落の個体よりも大きいです。成体でしょう。力と殺意を感じます。
(殺意の高い個体ですか)
であれば、後ろの方達にはそのまま逃げて貰いましょう。殺意が高い相手は、目の前の生命に執着します。自身の敵と認識すれば、それを殺す為に力を奮うのです。
(嗜虐型と殺意型、どちらが厄介かなんて量れません。ですが、この場では殺意型で良かったと思えるのです)
私を倒す事が出来ないと相手が理解すれば、後ろの者達を殺そうとするでしょう。ですがそれまでは、私を見ます。ならば調整するだけです。私を殺せるかもしれないと思わせ続ければ良いのです。
(嗜虐型はその辺りの調整が難しいです)
私が玩具に見えていなければいけないのです。その為に、多少危険になる必要があります。近接格闘が得意だったなら、その演出も可能でしょう。ですが私には、”盾”しかありません。苦悶の演技はいくらでも出来ます。ただし、壊れやすい”盾”にしなければ嗜虐型は早々に飽きるのです。
この”盾”は私の意思で横と縦に広げる事は可能です。とはいえ、上限はあります。それに……マリスタザリアの速度に”盾”が追いつけるかどうか。であれば、慎重に慎重を重ねます。
「敵から目を離さず、少しずつ後退してください。ここは私が抑えます」
「お、俺も」
(巫女様一人に任せて、良いのか?)
(こんな美人――女の子一人に任せて逃げる訳には)
「助力は必要ありません。その震える足では、逃げる事で精一杯でしょう」
女の子一人に戦わせたくないという想いで発奮しているのでしょう。しかしこのマリスタザリアを相手取るには弱すぎます。覚悟なく立てば、一瞬にして命を取られる。それが――マリスタザリアとの戦いです。
(それに、あなた方の想いは他者に引っ張られたものです。少女をそのまま戦わせるのはよろしくない。良い格好をしよう。そんな、体裁を取り繕うような想いなのですよ)
リッカさまが見せたあの輝きとは、違います。他者への、無償の奉公。そこにあるのは、”自身の覚悟”です。誰にも左右されない……冒す事の出来ない想い。
(しかし…………強い、ですね。これで生まれたてですか……)
おかしいです。マリスタザリアが明らかに、成長しています。変質直後は然程強くないというのが、通説です。ですが、それに当て嵌まらない個体に出会う事が増えてきました。この個体も――。
こちらを観察しているマリスタザリアですが、いつ襲ってきてもおかしくありません。
「戦える者だけが戦えば良いのです。ここは退いて下さい」
「分かり、ました……」
戦えない者を戦場に駆り出す必要はありません。その為の冒険者制度。戦える者はいます。
「慌てず、一歩ずつ、敵の動向を見て下さい。敵は恐ろしいでしょう。ですが、この”盾”があなた方を守ります。ゆっくり、柵の外まで行って下さい。そこまで下がったのち、急ぎ南門へ――――っ!」
ラッシュ、というのでしょうか。マリスタザリアの棍棒が私の”盾”を叩き出しました。私を敵と認識し、殺す為に動き出したのです。後ろに居る方達も殺したいでしょうから、真っ直ぐこちらを突破しようとするでしょう。
(しかし――っ)
強い事は、悪意と所作から分かっていました。リッカさまのような洗練されたものではなく、暴力的なまでの力です。私の”盾”が、揺れています。
(この”盾”は、今の私が出来る最強の盾……っ)
リッカさまが私に任せてくれたのです。その想いを遂げる為の”盾”が、揺れています。杖を持ち、万全なのに、少し押し込まれそうになっているのです。
(硬さを求めたのが間違いでした……っ!)
耐えられますが、衝撃が大きいです。”盾”に意識を向けすぎました。”拒絶”をもっと強く、今からでも――。
「――っ」
私は一瞬だけ、顔を歪めました。それは”盾”の選択を間違えた事による後悔によるものです。最善を尽くせなかったからです。ですが、人から見たらどうだったでしょう。
”盾”を叩き続けるマリスタザリアの圧は、一歩ずつ下がっている方達の恐怖を再発させる程に迫真です。叩き付けた棍棒は自壊し、飛び散った破片ですら肉を裂けるだけの威力を秘めています。皆の恐怖心を煽るには充分です。
ですが私は圧されていません。まだ耐えられます。私が耐え続ければ、後続が出るだけの”悪意”は澱まないはずです。この世界の方なら、余裕がある今ならば問題ありません。でも――。
「――」
「リッ――」
『――潰す』
リッカさまから見たら、どう映ったでしょう。
私の”盾”に沿うように疾走したリッカさまは、”盾”とそれを殴っているマリスタザリアの間に入り込みました。すでに”強化”をオルイグナスで発動させ、周囲はどこまでも綺麗な赤が支配しています。その光景はまるで――あの日の夜の再現。しかしあの日と決定的に違うのは、リッカさまが明確な……殺意を抱いているという事、でしょうか。
(何を――掌に、”光”を纏って? 何故木刀ではなく――)
敵の攻撃は激しさを増し、棍棒が何本にも増えているように見えます。そんな間にリッカさまは、木刀を口に咥え、両手を空けた状態で入っていったのです。いくらリッカさまといえども――。
「!?」
そんな考え、意味はありませんでした。リッカさまはいつだって、私の想像を超えます。
削れた棍棒ではなく拳を選択したマリスタザリアは、リッカさまの顔に向けて放ちました。巨石のような拳が矢よりも早く加速していきます。リッカさまはそれを軽々と避けました。しかしその回避は、いつもの物とは違います。まるで、拳を撫でる様に避けたのです
(な、にを!?)
避けたリッカさまは、マリスタザリアの手を掴みました。そしてリッカさまは――マリスタザリアを浮かせたのです。
「は……?」
浮いたマリスタザリア自身も、それを見ていた私と酪農家達も、その場に居る者達全員、何が起きたのかを理解出来ていません。脳が、追いついていないのです。
「――シッ!」
浮かせたマリスタザリアの手を、リッカさまはまだ掴んでいました。ですがそれを引くと――轟音と共に地面が大きく凹んだのです。それが、マリスタザリアが地面に叩きつけられた事で出来た物だと気づいたのは、リッカさまが私の横に飛び退いた後でした。
何が起きたのか理解するよりも、リッカさまの動きに目が行きました。マリスタザリアを叩き付けた勢いを利用して、空中をくるくる回りながら飛び退いたのです。その動きはいつものように流麗で、舞のようでした。
(何が起きたのですか。リッカさまの動きは全部見えていましたが、考えが追いつかない、です)
「リッカさま、こんなに力……。っ」
私は、自身の前に飛び散っていた血に漸く気付きました。二メートル前にある凹みが、そこでリッカさまが絶技を行った事を示しています。なのに、何故ここに血痕が。それにこの血は、マリスタザリアの物ではありません。
「相手の力で投げたから、私はほとんど、力使ってないよ」
『まだ許せない。あのマリスタザリア、アリスさんを――蹂躙しようとしたっ!!』
「リッカさま、頬に――っ」
リッカさまの、頬が、大きく削れていました。それもそうでしょう。リッカさまは、相手の拳を撫でるような距離で避けたのですから。
目の前でリッカさまが起こした現象に、私も目を奪われていたようです。早く治療をしなければ。気付かなかった自分が恨めしい。
「……私の魔法は、防御力は上がらないから」
自身の頬が傷ついている事に、リッカさまも今気付いたようです。自嘲気味に、眉が下がりました。
防御力がないのは、最初から分かっていました……っ! だから、気をつけていたはずです! なのになぜ、あんなにも接近して……っ。
(いえ、それも……分かっています。リッカさまの激情が、私に流れ込んでくるのですから。私を殺そうとしたマリスタザリアに、キレているのです)
「アリスさん、皆の避難を」
「治療が先ですっ!」
優先順位を間違えないように――。
「アリスさん、今は……ダメ」
「っ……」
マリスタザリアはまだ生きています。そして、相手はリッカさまに狙いをつけ、今にも攻撃してきそうです。私の”盾”はまだありますが、リッカさまの鮮烈な光景によって作られた静寂が解け始めています。また皆が、恐怖するでしょう。
このままここに居られては、第二第三のマリスタザリアが生まれます。私が守りながら後退するのが最適解です。
(自分が言った事に責任を持たなければいけません。間違えてはいけません。今ここの最適解は……後退……っ)
ですが、怪我を治すくらいは――。
「ま、まだ生きてる……」
「こっちに、来てる!!」
「っ――わかりました。すぐ戻ります!」
治療の暇すら、ないのですね……。
「皆さん、着いて来てください。このまま後退します」
「あ、あの」
(あの化け物に、一人……)
「行きます」
リッカさま一人置いて行くのか。そう言いたいのでしょう。「一人で良いのか」と。「一人であれと戦えるのか」と。私とは違った心配事をしているのでしょう。
リッカさまの重傷と逼迫した状況が、私を極限にまで集中させています。今ならば視線を向けるだけで、全員の心が読めます。
「心配せず、ここから離脱する事だけを考えてください」
どんな思いを持っていようとも、私達が守らなければいけない無辜の民です。落ち着いて、行動を完遂します。リッカさまを守りたいのなら、落ち着いて……落ち、ついて……っ。
後退を開始した私の後ろから、地面を蹴る音が、聞こえました――。




