冒険者③
広大な牧場に、私達は少し圧倒されています。集落にも酪農場はありましたが、ここまで大きい物ではありませんでした。何より”森”の範囲から少し出ていたので、私は近づいた事がないのです。
「牧場、初めてだけど……ちょっとくらってするくらい、現実味がないね」
「私もここまで近づいたのは、初めてです。草原の広がりと違って、圧がありますね」
「あ、私も感じたかも」
”神林”を出てすぐ、草原を見た時に似ています。ですが草原とはまた違いますね。広い牧場に、大きなホルスターンが居る光景というのは、非現実的な感じがします。旅中見た大きな動物といえば、行商の馬くらいでしたから。
「名前が違うだけで、本当に牛なんだ。ホルスターンって」
「あちらは、ミルク用のホルスターンみたいですね。殆どの生物はリッカさまの世界と変わらないと思います」
「殆どって事は――」
『マリスタザリア化する動物は、その動物の特性が色濃く出てるっぽいから、違いがあるのは気をつけた方が良いかも』
最初に見たマリスタザリアがホルスターンでしたから、リッカさまにとっては因縁深い相手です。どうしても、あの夜が思い出されてしまうのでしょう。私を守る事が出来たという、歓喜と――戦い、滅した……”恐怖”の日。
「……何種かは、少し違うようです。動物を見かけた際は、説明していきますね」
「うんっ」
動物の種類が分かれば、何処が強化されたマリスタザリアか判断出来ます。ですが、リッカさまの知らない特性を持った個体ですと、話が変わってきます。
予想外の攻撃は命の危機です。動物の特性は全てリッカさまに伝えるつもりですから、家に戻ったら王都周辺の個体だけでも教えておきましょう。どんな個体であっても、戦闘時間は短く、確実に仕留められるように。
暫く牧場を眺めながら外周を歩いていると、独特な匂いが鼻を突いてきました。
「これは、何の匂いでしょう……」
寒いはずですが、妙な熱を感じます。鼻を突くような? 草原の壮大さや爽やかな空とは違う、ベットリとした匂いです。草花の香りよりも、そういった物が先に感じられます。
「堆肥とか、牧草かな?」
『牧場の広さとか匂いとか、テレビで見てるだけじゃ絶対に感じない物を感じる。森の甘い空気とは違うけど、”生きている”。それも驚きだけど、牧場の奥に見えてる森も気になってたり』
牧場では、こういった匂いが普通みたいですね。
(生きている。私も、それを感じます)
命を感じるのです。”神林”は濃密な生命と神秘を秘めていたのだと、離れた今だからこそ分かりました。でもこの牧場は、”生きて”います。アルツィアさまの恩恵もなく、世界の秩序とは関係なく、ただただ生きているのです。ですが……。
「正直……落ち着く匂いでは、ないかもしれません」
「あはは。ちょっと癖が強いね。私も慣れるまできついかも」
リッカさまは感覚が研ぎ澄まされていますから、私よりずっと感じているはずです。それでも、これが自然なのですね。牧畜は人の手が入ったものですが、ホルスターンが群生している地域はこういった香りに包まれているのでしょう。
王都という、何処を見ても人が居て、音がして、視線が向く。そんな場所からほんの少し離れた位置にある大自然がここです。管理され、何れは屠殺される者も居ます。ですが……”生きて”いる。ここには”命”があります。しっかりと見なければいけません。感じなければいけません。私達生物は、何かの犠牲の上に成り立っているのだと。
慣れるまではこの匂いはきついですが、これもまた実体験として残る、私達の思い出です。見て、触れて、感じたモノ全てです。
(その思い出の一つとして、森に行ってみるか尋ねたいですが……)
リッカさまは、行かないでしょう、ね。冒険者試験中とはいえ、マリスタザリア討伐の為に動いているのです。つまり、仕事中です。リッカさまは仕事中に私情を挟みません。
(ですが、息抜きはしてくれるはずです)
牧場と加工場を確認後、森に入ってみましょう。”森”以外の森に入るのは、リッカさまも初めてのはずですから。
牧場の外周を更に歩くと、入り口が見えてきました。あそこから中に入れるようです。しかし、そこには人が居ました。
「ん? お前達は」
忘れたくても忘れられない、私の神経を逆撫でする声です。この声は一生聞きたくないと思っていたのですが。
「観光か、お嬢ちゃん」
確かに、朗らかに牧場を眺めながら歩いていました。ですが、リッカさまの腰にある剣と――これから戦闘があるかもしれないと気を引き締めた、戦闘態勢を完全に整えたリッカさまの雰囲気を前に、観光か? と言えるのはおかしいです。
(完全にこちらを挑発しています。ですが、この煽り……違和感があります)
先日のいざこざを考えれば確かに、文句の一つも言いたくなるでしょう。ですが、ここまで攻撃的になる必要があるのでしょうか。私が申し上げたように、告知が出た後でも良いはずです。
「アリスさん、もっと奥いってみよう。ここからだと、もしものとき間に合わない」
リッカさまは無視を選んだようです。少々露骨な無視でしたが、リッカさまもこの人には怒っているのです。
(昨日の件は終わっています)
では何故リッカさまが怒っているのか、ですが――。
「巫女だかなんだか知らんが、それがどれほど偉いってんだ」
私を睨んでいた大男の視線に怒っていたリッカさまは、告げられた言葉に今にも、視線という刃を向けそうです。相手もそれを望んでいます。リッカさまから仕掛けたという口実が欲しいのです。リッカさまを貶める為に――っ。
(”巫女”を信奉していない方が居る事に、驚きはありません。既に”巫女”が持て囃される時代は過ぎ去っていたのですから)
今は世界の危機ゆえに、神頼みしている方が増えていっているだけなのです。なので、この男性もその一人なのだと認識しています。
(元々、王都であんなにも”巫女”が信奉されているとは思っていなかったのです)
ですから、私は気にしていません。この人と関わる事でリッカさまの心が乱れる事の方が、嫌なのです。
「リッカさま、あちらのほうに加工場があるようです。参りましょう」
どうやらこの人も試験を受けている人のようです。同じ場所を探しても意味がありません。私達が加工場に向かい、私達を嫌っているこの人は別の方に行ってもらいましょう。
「ハッ。ごっこ遊びしたけりゃ勝手にしな。ここが戦場にならねぇようせいぜい祈ってろ」
”巫女”が祈るだけだったのは、先代までです。祈るだけで戦場にならないのなら、そうしたいと思っています。
(そんな事、ありえませんけど)
「あの人、なんであんなに挑発的なんだろ」
リッカさまが、離れていく大男を見ながら首を傾げています。もちろん、私達が相手を煽った事も理解しています。ですが、それを置いても憤慨しすぎなのです。
「……思い過ごしなら、いいのですが。しかし――」
「どうしたの? アリスさん」
感知はしました。しっかりと相手の中を見ました。ですが……何も感じなかったのです。私達は、”悪意”を見ます。当然あの人の悪意は感じられました。ですが、動物マリスタザリアのような感じではなかったので、違うと思ったのです。
”悪意”と……悪意……。
「リッカさま。マリスタザリアは動物だけではないのを、覚えていますか?」
「うん。憑依、だっけ――もしかして、あの人……」
リッカさまも、可能性に行きついたようです。
「でも、”悪意”を感じなかったよ」
「人間憑依のマリスタザリアを見るのは初めてですから、わかりませんけれど……」
憑依、人マリスタザリアは理性を壊し、悪意を増幅させます。ですから、悪意がなければ人マリスタザリアにはなりません。ですが、悪意を持たない人間等居ません。あの大男が私達を気に食わないと思っているのも、私があの大男を嫌いと感じるのも、悪意です。
「人間は少なからず、最初から悪意をもっております。だから……私たちでは、マリスタザリアかどうかを、判別できないのではないでしょうか」
「私たちは、あの人が怒りやすい、挑発的と理解はできるし、悪意も感じ取れるけど。それがマリスタザリア化しているからだとは、わからない?」
「その可能性が、高まりました」
”悪意”を感じ取る私達の感知では、マリスタザリアかどうかを判断出来ないのではないか、と私達は考えました。
マリスタザリアを作り出す”悪意”は、人の悪意が大元なのです。ですから……人に入ると区別がつかなくなるのでしょう。それくらい、考えれば分かる事だったはずです。思い至りませんでした。
「もしかしたら、本当にただ怒りやすいだけの方なのかもしれません。ですが……」
私は、思い過ごしではいけないと……躊躇しました。もしかしたら私の考えすぎで、人マリスタザリアでは無いのではないか、と。
「アリスさん、私はあの人に”光”を打ち込むよ」
ですがリッカさまは、真っ直ぐに大男が向かった方向を見て告げたのです。
「ただの、怒りやすい人なら、それで怒られて終わり。マリスタザリアなら、治せる。今なら、まだ――!」
「リッカ、さま」
そうです。リッカさまの、言う通りです。
(怒られるのは癪ですが……しっかりと事情を説明すれば、聞いてくれるはずです)
むしろ説明を聞く余裕があるのなら、治せる可能性がぐっと上がります。行動に躊躇は必要ありません。浄化が必要なのだと思ったのなら、すぐに動くべきです。リッカさまの即断即決こそが、世界を照らす鍵に――。
「分か――」
「――っ!?」
私の一瞬の躊躇が、どちらに転んだのかは分かりません。ですが――突如吹き荒れた”悪意”は……マリスタザリアの誕生を、告げていたのです。
場所は、加工場です。大男とは真逆――。
『タイミング、悪すぎ……っ! アリスさんに、男側に行ってもらう……? 男側なら、アリスさんの光の槍ですぐしょう。しかし……無抵抗で、まだ疑惑段階の人に、攻撃させる? そんなことさせられ――』
リッカさまは即断即決です。ですがそれは、自身だけが関わっている場合のみです。私が関われば、私が傷つかない方向に思考が向いてしまうようです。
(確かに、私が大男に行くのが最適に思えます。ですが、この場合は違います)
「リッカさま」
「っ」
私の声音で、リッカさまは全てを悟ったようです。もうすでに――リッカさまは首を横に振っていました。
「私が、加工場へ行きます。リッカさまは、リッカさまの思うままに」
「それも、ダメ。アリスさん一人で行くなんて、ダメだよ」
私の言葉に重ねるように、リッカさまは否定しました。私が最も危険に曝される選択だからです。
「リッカさま。私は、盾です。加工場側には人が居ます。守るための盾が必要です」
マリスタザリアが相手ですと、私が最初に向かうべきです。”盾”で守り、安心感を与えなければいけません。まずは落ち着かせ、連鎖的なマリスタザリア化を防ぎます。リッカさまの一撃で倒せれば問題ないようにも思えますが……人の心は残酷です。
一撃でマリスタザリアを倒したリッカさまに対し、恐怖を抱く人は居ないと、断言出来ないのです。本当に悔しい事ですが……今の王都で、リッカさまを正しく見てくれる人は、居ません。まだ『六花立花』を知って貰えていません。
「私がいきます」
「っ……!」
下唇を噛み、リッカさまは今にも俯きそうです。私の言い分が正しい事を、リッカさまが誰よりも理解していますから。
「ご安心ください。リッカさま。私は死にません」
だから、伝えます。少々ズルいですが……本音の言葉を告げます。
「私は、リッカさまに守られているのですから」
「――っ分かった。私が行くまで、持ちこたえてて」
『最速最短で、確実にやる。迷う暇があるなら、足を動かす!!!』
私も、誰よりもリッカさまを理解しています。信頼しています。ですから、リッカさま――迷わないでください。貴女さまは私の、道標ですから。
(でも、もし迷いそうなら)
私の手を握ってください。元の道に戻してみせます。貴女さまは私の…………言葉に表す事が出来ませんが、大切な人なのですから。




