国⑦
市場は大賑わいを見せています。毎日こうなのでしょうか。夕飯の買い物をしている方や、仕事終わりなのかお酒を立ち飲みしている方達、そして人だかりが熱狂に包まれているようです。
(喧嘩、でしょうか。止めるべきですね)
足をそちらに向けようとしましたが、人垣を割って入って行く一団が居ました。多分、冒険者です。あちらに任せましょう。悪意は感じませんから、大丈夫だと思います。
『わぁ。海は広くなったけど、お魚は減ったんだよね。高いお魚とか、テレビでしか見た事ない魚、本当に見た事ない魚。沢山あるっ。全部生きてるのかな。貝は動いてるっぽいけど』
リッカさまは、お肉よりもお魚が好きなのでしょうか。向こうの世界では様々な理由で海面が上昇したそうです。ですが、海洋生物はむしろ減っているようです。普段食べられない物を求めているのですね。それを狙っていきましょう。
「一回りしましょうか。何処に何があるかの確認も兼ねて」
「うんっ」
端から順々に歩いていきます。大通りと違って人がひしめきあっていますが、私達の回りからは人が離れていきます。
(触れる程度では”巫女”に影響はありませんが……”巫女”に触れないようにという配慮、みたいですね)
それだけならば、申し訳ないという気持ちで一杯になります。ただでさえ狭い中、無理矢理空間を作ってくれているのですから。でも、それは一部の人だけです。殆どの人は――。
(さっき大通りで、喧嘩しそうになったらしいわよ)
(あっちの、赤い人が?)
(そう。何か男の人と睨みあってたんだって)
(男の人が巫女様にちょっかいかけたんじゃないの? それか赤い人本人に。あの二人、人間じゃないみたいに綺麗だし)
(そんな感じじゃなかったって聞いたわよ。何か、赤い人が気に食わない事言ったんだって)
既に、大通りの件が噂になっているようです。もしあのままリッカさまに言わせていたら……危なかったですね。
視線とヒソヒソ話、妙に割れる人垣に、居心地の悪さを感じます。先代派が多く居た時に似ているのです。つまり、気にしないのが一番という事です。告知されて、いくつか結果を出せば自然と落ち着くでしょう。集落の先代派も、リッカさまが見せる現実により改心したのですから。
一通り市場を回った頃には、人通りも落ち着いたようです。主婦の方や買い物客が減ったのでしょう。買うなら今ですね。
「リッカさま。気になる物がありましたか?」
「んと。香辛料とか、あのお魚屋さんかなぁ」
『あのお魚、向こうでも見た事あるっぽい。夢にまでみたあのお魚かもっ』
リッカさまの目に止まったのは、あのお魚ですか。私も、海鮮は良く分かりません。集落でお魚といえば、干物や加工品でしたから。
(香辛料が気になった理由は、やはり――)
『アリスさんのスープに使ってるのはどれかなぁ。ここでも売ってたら、毎日スープ、だよねっ』
私のスープが、王都でも作れるか心配だったようです。ご安心ください、リッカさま。私のスープですが、実は特別な香辛料は一切入っていません。どこであっても、作れますよ。
「王国の香辛料は網羅されているようです。集落の仕入先は南の街ですが、ここに全部ありますね」
「あはは、顔に出てた、かな?」
「ふふ。ええ、約束通り、毎日作りますね」
「ぅん」
チロっと舌を出すように、リッカさまは照れていました。周囲の音が遠ざかり、再び二人だけの世界に入れそうなくらい、可愛いです。早く家に帰って、二人っきりで……完全に表情を解放させたリッカさまを見たいです。集落にしろ旅中にしろ、周囲の視線を気にしていて見る事が出来ませんでしたからっ。
「リッカさま。夕飯の料理、一品ずつ作りませんか?」
「それは……大丈夫かな。一応レシピとかは覚えてるけど……」
「私も全力で支援しますから。それに、リッカさまの料理も食べてみたいですっ」
「う、うん」
ドジをするかもと思っているリッカさまは、少し乗り気ではないようです。
(一緒に一つの料理を作る中で手伝う、くらいの気持ちだったのですね)
ですが、大きな失敗はしないと思っています。体を動かす事に関して、神業的な才能とひらめきを持つリッカさまが失敗するとは、思えなかったりします。
(調味料を間違えるとか、少し焦がすとか、でしょうか)
慣れない事をすると、どうしても混乱する時があります。きっとリッカさまは、そういう時に間違えてしまうのでしょう。少なくとも、視えてしまったリッカさまの過去には、大きな失敗をした姿はありませんでした。
リッカさまの手料理を食べられる事が楽しみで、ちょっと気分が上がっていますっ。
「リッカさまがメインをお願いしますっ。私がスープと副菜を作りますね」
「うぅ……分かっ、た。じゃあ、もう一回見て回ろっか」
『覚悟を決めよう。アリスさんに美味しいって言って貰えるの想像して―――ー―よしっ、頑張れるっ!』
「はいっ」
リッカさまが私の為に料理を。気分が上がるどころか、暴走してしまいそうですっ。
(こほんっ)
落ち着く為にまずは、リッカさまが欲していたお魚を見に行きましょう。きっとあれを食べたいはずです。なくなる前に行かないといけません。
「こ、これは――!」
『やっぱり!』
値段と一緒に商品名が書かれています。アカムツ、というお魚のようです。三千……お高い、ですね。海鮮はどれも割高ですが、これは特に高いです。
「のどぐろっ」
『わぁ、わっ! こっちで見れるなんてっ。あんなに美味しい美味しいって言ってたんだもん。絶対美味しいよ!』
向こうの世界では、のどぐろというのですね。喉が黒いから、らしいです。向こうの世界で、のどぐろ特集? というテレビがあっていたそうで、それを見たリッカさまは、いつか食べてみたいと思っていたようです。
(確かに、口の中が黒っぽいです。少し見た目が……不気味ですね。美味しいのでしょうか)
『刺身かなぁ。でも生食って出来るのかな。というより醤油……。じゃあ焼き? お鍋も良いかも。迷うなぁ――っと、お値段は、三? で良いんだよね。三千ゼル。安い!』
脂が乗っていますね。大きなお魚ですから、切り身にするべきでしょうか。リッカさまの世界ではお刺身という物が盛んのようですが、こちらの世界で出来るでしょうか。お酢を使ったカルパッチョやマリネはありますが、完全な生は出来ないので漬けるのでしたね。
高級魚のようで、三千でも安いみたいです。確かに、高たんぱくの高カロリーの特徴である脂が良く乗ったお魚です。お肉よりも扱いやすそうですね。調理という面ではなく、この世界特有の理由による扱いやすさです。
(魚のマリスタザリアも報告されていますが、陸地であるここでは能力を発揮出来ません)
なので、安心ではありますね。水場での魚のマリスタザリアは凶悪ですが……陸地ならば、ホルスターンやブタ等の、大型マリスタザリアになりかねない生物よりもずっと安全です。陸地を前提にすると、変質に悪意を使いすぎて行動に移せませんから。
「リッカさま。そのお魚はおいしいのですか?」
「うんっ。そう聞いてる。向こうだと、一万円越えるんだったかなぁ。脂に甘味があって、焼くと溶けるみたいな食感なんだって」
「甘い脂、ですか。私も興味が湧いてきました」
「じゃあこれに――――なくなって、る!?」
私達が少し目を離した隙に、なくなっていました。おかしいです、ね。私達が居るからか、このお店の前に人は近づかなかったのですが……。
『い、いつの間に……って、私達に気付かれずにこんな事出来るの、あの人しか――』
リッカさまの視線の先にはまた、あの着流しの人が居ました。手には、アカムツがあります。
「……」
表情が消えたように、ぼーっとしてしまったリッカさまですが、その瞳の奥には、本気の落胆が見えています。
(あの人、着流しの……。リッカさまと私の感知を通り抜けて?)
私達は悪意を持ったマリスタザリアだけでなく、人の気配も感知出来ます。その察知能力は正確で、今リッカさまを狙っている男性達を全て認識出来ているくらいです。そしてリッカさまの感知は、リッカさまの鋭すぎる感覚と合わさり、アルツィアさまですら驚愕する程に敏感なのです。今此処に微量の悪意が生まれようものなら、瞬時に剣を抜けるくらいに。
なのにあの着流しの人は、一瞬分かりませんでした。視界に入っている今も、希薄です。感知は出来ていますが、薄いのです。
(危険人物として認識しておきます。何よりリッカさまののどぐろを横取りしたのですから!)
商品ですから、お金を払った人が持って行く道理があるでしょう。でも、赦せないものは赦せませんっ。リッカさま、凄く落ち込んでますっ!
「あ、ああ……」
リッカさまがふらりとしたので、私が支えます。食べ物一つとはいえ、リッカさまは凄く楽しみにしていました。余程食べたかったのでしょう。
『今日のメインは私だけど、あののどぐろをアリスさんに、料理して貰いたかった……。アリスさんの味付けで、あれを食べたかったのに……』
「り、リッカさま」
リッカさまが凄く落ち込んでいる理由、私の料理が食べられないからでした。リッカさまの料理を食べたい私ですが、なんとしてもあののどぐろを取り上げ、リッカさまの為に腕を振るいたくなってしまいます。
「アリスさん、今日は……魚にしよう」
「ふふ。はい。お供します」
のどぐろはいつか、必ずリッカさまの口に運ばせてもらいます。その……食べさせ合い、で!
リッカさまが選んだお魚は、メアブラス。向こうの世界でいう所の、タイです。それと調理用のお酒と酸味のあるソースです。私達は実年齢より上に見られるので、お酒も問題なく買えました、ね。
(飲む事はしませんが、匂いは大丈夫でしょうか)
アルツィアさまが、「お酒に弱い」という事を覚えておくと良いと言っていました。今までの経験上、リッカさまの事を言っているのだと思います。未成年でお酒を飲んだ事のないリッカさまがお酒に弱いというのは、余り良く分かりませんが……。
「じゃあ、私がメインを作るね。出来てからのお楽しみ、で?」
「はいっ」
リッカさまがエプロンを着け、背中で結んでいます。白いエプロンが自ら発光してると思えるくらい、眩しい光景です。
(何か、良いですね。この感覚。もう少し浸りたいですから、お酒の問題は……匂いだけ”拒絶”しておきましょう)
言葉に出来ないですが、凄くふわふわする感覚です。
このままリッカさまに心を奪われていたいですが、私もスープを作らないといけません。昨夜のスープは、少し時間が掛かりましたが凍らせる事が出来ました。これを解凍し、少し手を加えましょう。
(”風”と”水”の応用である”氷”ですが……どちらも適性が低い私では、腐らせないようにするだけで精一杯でした。もっと瞬時に冷凍出来れば、使い勝手が良いのですけど……)
世界には、一瞬で氷の大地を作れる方が居るそうです。英雄ライゼルトさん含め、世界は広いですね。魔法を極めていると思われる、まだ見ぬ強者ですか。
(協力関係を築きたいですが、そう簡単な話ではないでしょう、ね)
せめて私達が魔王を倒すまで、王都や他の国や町を、守り続けて欲しいです。
少々考え事をしてしまいましたが、スープの解凍は終わりました。リッカさまは――。
「よっ、と」
包丁を手に取ると、鱗を取り、お魚のお腹を捌いて内臓を取り出しました。魔法は一切、使っていないのです。
(何て、包丁捌きなのでしょう)
刃物の扱いが得意なのは知っていました。ですが、包丁の扱いまで天才的です。切られた断面は、一切崩れていません。切れ味の良い包丁とは言えない物で行われているはずの下処理は、見惚れる程に淀みのないものでした。
『順調っぽい。暫くしない間にドジが消えたのかな。このまま最後まで出来れば良いけど』
「リッカさま、どうですか?」
捌き終わったリッカさまに声を掛けます。切り身にせずに、そのまま使うようです。アクアパッツァやブイヤベースにするのでしょうか。それですと、材料が足りないように感じます。
「うん、大丈夫、っぽ――ふわ!?」
「リッカさまっ!?」
包丁を置いて、私の方を向いてくれようとしたリッカさまの肘が、お酒のボトルに当たりました。私が声をかけてから、何処か動きがぎこちなくなったように感じたので、多分それが原因です。
お酒を落とさないように必死で掴んだものの、いつものようなキレのある動きが出来ていないリッカさまは、そのまま倒れそうになっていました。私はリッカさまが倒れない様に支えましたが、支えきれずに共に倒れ込んでしまいます。
(もしかして、リッカさまのドジは――)
極度の緊張状態により、体を上手く動かせなくなるのでしょう。料理という慣れない行動で張り詰めていた緊張が、あるきっかけで切れてしまうのです。
リッカさまが怪我をしないように、しっかりと抱き込み倒れ込みました。途中椅子を倒してしまいましたが、お互い怪我もなく無事です。柔らかいカーペットのお陰ですね。
(調理場にこのカーペットは、不釣合いと思うのですが……)
この調理場、実は飾りなのでしょうか。殆ど使われていないのかもしれませんね。
少々、いえ、かなり焦りましたが……リッカさまが無事で良かったです。
『いたた……痛く、ない? あれ、柔らかい……』
「ご、ごめんアリスさんっ」
抱き締める体勢になっていたので、リッカさまは私の胸に顔を埋めていました。
「い、いえ。リッカさまが無事でよかったです」
私と抱き合う事は何度かありましたが、胸に顔を埋めるというのは余りありませんでした。リッカさまが眠っている時はいつもそうなっているのですが、リッカさまは当然の事ながら覚えていません。
『や、柔らかかった……。何度か、抱き締めてもらった事は、あるけど……こ、こんなドジでやっちゃうのは恥ずかしいっ』
「あ、ありがと。アリスさんのお陰で怪我してないよ。アリスさんは大丈夫?」
「私も大丈夫です、リッカさま」
リッカさまが気にしないように、平静を装います。私としても、そうしたいです。
「では私はスープのほうを確認してきますね。っ」
だって、リッカさま……顔を埋めるだけでなく、胸に触れて……。
(思い出すと、体の芯が痺れます、ね)
平静を装っていないと、私の理性が何処かにいってしまいそうなんです。このまま暫くは、料理に没頭します。私がこれ以上、乱れないようにっ。
(でも、リッカさまなら――)
もう、充分すぎる程に……私は乱れているのかもしれませんね……。
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