外③
”神林”から出ると――体が重くなりました。
(”神林”はいわば、世界から隔離された清浄なる世界です。今私が立っているここが……本当の、世界)
世界は今、悪意が溢れ……緩やかな死へと向かっています。この重さは、世界が蝕まれている証拠なのでしょうか。
それとも単純に、”神林”とアルツィアさまから離れたからでしょうか。
(実際、後ろを向けば――”神林”に在ると感じます)
これが、保護の無い、世界の人が感じている不安なのでしょう。私も段々と、不安になってしまいます。
「大丈夫? アリスさん」
「は、はい。大丈夫です。けど、”神林”を感じない世界がこんなにも不安なものだとは」
リッカさまにまで、不安が届いていたようです。
「アリスさん、手を繋ご」
「! は、はい……では、少しだけ」
リッカさまが、傍に居てくれる。リッカさまが微笑みかけてくれる。リッカさまを感じるだけで、私の不安と体の重さが消えます。
貴女さまの笑顔はいつも……私を強くしてくれるのです。
「少しは不安、消えたかな」
「はい。安心、します」
「いつでも、いいから」
「え……?」
「寂しいって思ったら、いつでも、私を頼っていいから、ね?」
「―-―はい。リッカさま」
少しどころではありません。貴女さまが居る事で得られる安心感は、”神林”に居た頃と同じです。
「リッカさまも、私を頼って下さいね?」
「うんっ」
『何も知らない土地で、私が頼れるのはアリスさんだけ……私の方が頼る事の方が多いと思う。でも、アリスさんを守れるのは私だけっ』
本来、”拒絶”を持つ私が守りを担当すべきです。ですが、私は……リッカさまが来た日の夜に悟りました。
(護るだけでは、守れないのです)
敵を倒せるリッカさまこそが、守りの要……。悔しい。私が出来る事はあまりに少ないです。
ですが、不貞腐れたりしません。リッカさまが安全に戦えるように動くのですっ! リッカさまを不安になんて、させません!
ここからは何時、何処からマリスタザリアが襲ってくるか分かりません。人が多く住む場所で現れますが、世界の状況から考えると、ここでいきなり現れる可能性も……。
ですが、旅を楽しむという想いはもっています。
私はリッカさまと、何の変哲も無い草原を北上しています。左にはまだ”神林”が見えており、耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえます。草花が風でざわざわと音を立て、香りが漂っています。
『凄い。凄い凄い! こんな大草原、見た事ない。見た事無い花も一杯あるし、空が凄く高い! 花と土、水の匂いだけの自然の風! 緑ばっかり! この世界やっぱり凄く……素敵!』
集落を見た時以上の感動で、リッカさまは周囲を見渡しています。数センチ顔を動かすだけでは、景色が変わらない草原です。ですがリッカさまにとっては、花の咲き方、雲の形、風、揺れ、音。全てがオーケストラみたいなのでしょう。
本当はもっと、リッカさまと感動を共有したかったのですが――。
「アリスさん」
太陽がすっぽり収まりそうだったリッカさまの瞳は、木刀の原型である刀のように鋭くなっています。その鋭い視線は本当に、切れ味を持っているのかもしれません。
「……リッカさま。初戦です」
マリスタザリアが現れました。悪意の質と量は、集落に出た個体と変わりません。これが自然発生なのか、或いは――いえ、今はそれを考える時ではありません。
対象に向け走り出したリッカさまに、私は着いて行きます。初戦闘で開いてしまっていた蓋の事を思い出し、私の足は少し重くなってしまいます。ですが――並走した辺りで、リッカさまは言い難そうに、私を見ていました。
「アリスさん」
凄いです。心を読む能力を持つ私ですが、その能力を使うまでもなく、リッカさまと視線を合わせ、一声かけるだけで全て流れ込んで来ます。
アリスさんと呼ばれ、リッカさまと視線が合いました。その瞬間、能力が心を伝えるよりも先に、「私だけで戦わせて欲しい」という想いが流れ込んできたのです。
「はい……リッカさま」
もう流れ込んできて、知っています。ですがリッカさま。あえて尋ねます。それは、必要な事なのです、ね?
「このマリスタザリアは、私だけでやらせて?」
「――必要な、ことなのですね?」
「うん、ここで一人で戦えないと。アリスさんを守るなんて絶対できない」
想いと心に、一切の偽り、澱み、なしです。やはり貴女さまは……強いです。その精神力はすでに、人では至れない位置に到達しています。
「分かりました。ですが、危ないと判断したら、介入します。これは絶対です」
これが、私が出来る最大限の譲歩です。
「うん。わかった」
リッカさまは短く応えると――走る速度を速めました。
「私に鋭き剣と強さを……!」
馬が変質したマリスタザリアを目視するのと、リッカさまが魔法を発動させたのは同時でした。今まさにマリスタザリアは、行商と思われる方に攻撃をしようとしていたのです。リッカさまは素早く、敵を倒すために動きました。”強化”と”精錬”を発動させたリッカさまは――地面を、踏み抜いたのです。
(え?)
私と並走していたはずのリッカさまが、ぱっと消えました。
(”疾風”……?)
では、ありません。詠唱に組み込まれていませんでした。
私が考えを巡らせるより先に、リッカさまはもう、マリスタザリアと行商の間に入っていました。
チラッと、リッカさまが踏み抜いた地面に視線を送ります。なんと、地面が深々と抉れていました。ただ地面を強く蹴った、という訳ではありません。まるで、地面に何か重たい物が落ちたような……衝撃により、深い穴があいていたのです。
何より……地面を強く蹴ったからといって、”疾風”よりも早く動ける、のでしょうか。詠唱がない分、リッカさまの方が早いくらいです。
走る速度は、私と同じくらいでした。ですが、先ほどの一歩は……この世界の誰よりも、いえ……どんな者よりも、速い。
(あれも、武術でしょうか)
ありえない速度でマリスタザリアと行商の間に入ったリッカさまは、ただ移動しただけではなく……移動の勢いそのままに、行商に向けられていた敵の蹴り足を切裂いていました。
回避と攻撃が両立しているだけでなく、移動と攻撃も両立しているのです。誰よりも早く、誰よりも鋭く、誰よりも正確に、相手を攻撃する術……あのマリスタザリアがもし、理性を持っていたら、逃げたでしょう。
「大丈夫ですか」
「あ、ああ。大丈夫だ……あんた、達は?」
「今は、集中を。”盾”を張りますので、その内側に居て下さい」
私が”盾”を張るのと、勝負がつくのとでは、勝負がつく方が早かったです。
退く事なく、眼前に現れた自身の足を斬りつけたリッカさまを、マリスタザリアは睨んでいました。マリスタザリアは立ち上がろうとしましたが、リッカさまはすでに、真横まで来ていました。再び先程の技術を使って、瞬間移動のような速度で動いたのです。
「――シッ!!」
リッカさまは短く息を吐くと地面を踏みつけ、マリスタザリアの脇腹から肩へ、ケーキを切るような軽さで――両断しました。
実際は渾身の一撃でしたが、そう見えるくらい簡単に斬ったのです。やはり……リッカさまの身体能力は、高すぎます。
「なぁ……え?」
絶命を確認していたリッカさまの横から、悪意が高まりました。それを感じるや否や、リッカさまが行商を抱え飛び退きました。リッカさまが居た場所は大きく抉れています。ほんの一瞬の差で、リッカさまはあの地面のように――。
「――――っ!!」
「二体、目!?」
「リッカさまっ!」
「アリスさん! この人たちお願い!」
予想外の強襲を受けたにも関わらず、リッカさまはまだ、私の戦闘介入を拒んでいました。確かに、初撃を避け、睨みあっている状況です。ですが、私は貴女さまを傷つけようとした、あの相手が――。
「ひ、ひぃ……」
「っ……」
すぐにでも参加したかったのですが、私の後ろに居る行商達の表情を見て、止まるしかありませんでした。
完全に恐怖しているのです。であれば、まだまだマリスタザリアが増える可能性があります。ここを動けば、この人達が狙われるかもしれません……っ。
私の焦燥と葛藤とは裏腹に、リッカさまとマリスタザリアの戦闘は続いていました。
リッカさまが先程よりも遅い突進にて、マリスタザリアに近づいています。もしマリスタザリアが先手を打っても対応出来るように、ですね。
しかしマリスタザリアは、攻撃をしませんでした。
(一体目の戦闘から得た経験、ですね。リッカさまの力量を考えての行動です)
これが出来る相手は、殺意が高いのです。もしリッカさまに勝てないとなれば、少しでも多くを殺そうと、私の後ろに居る方達を狙い始めます。
リッカさまは、冷静に距離を取ろうとしたマリスタザリアに警戒心を高めました。ですが、リッカさまの動きはそれを上回ります。再び地面を強く踏むと、回転しました。その回転でリッカさまは、避けたマリスタザリアの目の前に移動したのです。ダンスのステップみたいに、するっと移動したリッカさまは、その回転のまま相手の肩から腹へ――。
『深く鋭く速く激しくっ!!』
「――シッ!」
剣を、振り下ろしました。
腹の途中まで剣がいった所で、リッカさまは斬った勢いを利用して飛び退きました。肩から腹にかけてバックリと裂かれたマリスタザリアを見ながら、リッカさまの視線は鋭さが増して行きます。動けば再び斬る、という視線です。
「……」
ですが、その奥底では――自身の手に残る、肉を裂いた感触に……恐れを、感じていたのです。
倒すべき敵と理解しているから、躊躇はありません。ですが、命を奪うという行為をリッカさまは……嫌っているのですから。
『っ……!?』
相手の反撃がない事を確認したリッカさまは、剣を納めてこちらに――向かう前に、マリスタザリアに驚いた表情を、向けていました。
終わってみれば、危なげない戦闘でした。
「リッカさま。お怪我はありませんか?」
「う、うん。ないよ」
『さっき、マリスタザリアが喋ったような……』
(マリスタザリアが、喋……? 気になりますが、それは後程確認を取りましょう)
リッカさまの魔法と戦闘技術が合わさると、あんなにも強力な攻撃性能を見せるのですね。どんな攻撃魔法よりも殺傷力が高く、どんな魔法よりも素早く動け、どんな魔法よりも消耗が少ないのです。
「次は、私の”光の拒絶”と共に戦いましょう。タイミングが合えば、もっと楽に斬れるようになりますから」
「うんっ」
一撃一撃が渾身でした。それなのに、隙が全く無いように思えたのです。でも、相手がもっと強ければ、危ないかもしれません。ですから、もっと楽に勝てるように、私の”拒絶”を頼って下さい。
「皆、無事?」
「はい。怪我らしい怪我もなく、全員無事のようです」
逃げる際に転けたのかもしれません。擦り傷を作った人が居ましたが、私の”治癒”で問題なく治せました。リッカさまに使う時よりも質は落ちますが、集落の方達くらいには、魔法が通っています。
(何とか、”巫女”としての務めが果たせそうですね)
ただの称号ではなく、”治癒”を持った”巫女”として、多くの人を治せる存在で居たいと思っております。
「マリスタザリアって、あんな、立て続けに出るものなの……?」
「最初の一体は、悪意が塵の様に積もっていった結果生まれる事が殆どです。ですが、二体目からはあっさりと生まれます。マリスタザリアが出た事にきょ……負の感情が高まりますから、連鎖的にどんどんと」
恐怖という言葉を使う事に、思わず躊躇してしまいました。ここまで露骨では、逆にリッカさまを不安にさせてしまいます。自然な会話を、心がけましょう……。
マリスタザリアが一体生まれれば、周囲の人間は恐怖します。マリスタザリアが現れるのは常に、人が居る場所ですから。その後人々が恐怖すると、マリスタザリアが生まれる為に必要な負の感情が高まり、悪意となります。
一体出れば連鎖的に生まれる可能性がある。それが、マリスタザリアの恐ろしいところです。一体倒しても、次々生まれるかもしれないのですから……。
「気を抜くのは、ちゃんと周囲を警戒してから、だね」
「はい。私も、徹底します」
一瞬の油断が死に繋がります。リッカさまの死なんて、考えたくありませんが……前衛で戦うリッカさまはどうしても、死の危険が……。
「皆さん、もう大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます……」
リッカさまは、行商の方達に安全を伝えています。負の感情が高まらないように、まずは安心感を与えているのでしょう。
(美人さんなのに、おっかねぇ……なんの魔法だ……? こんなの、ライゼさんくらいしか……)
(護衛、何やってたんだ……やっぱりケチるもんじゃないな……後で社長に提案しよう……。にしても、美人な二人組みだなー。お近づきになれねぇもんかな)
リッカさまに恐怖心を抱くのは止めて欲しいものですが……劣情はもっと止めて欲しいです。
リッカさまの、刀のように鋭かった視線はなりを潜め、完全に柔らかい女性の物になっています。おっとりとしているような、柔和な雰囲気は、二体のマリスタザリアの死体が気にならない程に、場を和らげてくれている、のですが……。
(リッカさまの戦いは、鮮烈すぎました。行商の方達には、リッカさまの姿に靄が掛かっているように見えているのでしょう)
その所為で、楽観している若者以外は、一歩引いています。嘆かわしい事ですが、リッカさまが気にしていないので私が事を荒げる事は、しません。
(文句の一つくらいは言いたいですが、マリスタザリアに襲われて気持ちが落ち込んでいる状態ですし、冷静とは程遠いのです)
冷静な時であればきっと、こんな態度は出ないはず……ですから今は、他に怪我人が居ないか診ておきましょう。
(銀色の髪に赤い目の、絶世の美女……って事は……しかし森から出てくるはずが……)
「まさかとは思いますが……巫女様、ですか?」
「はい。アルレスィア・ソレ・クレイドルです」
少々厳かに、”巫女”で在る事を告げます。私達は怪しい者ではなく、この世界の”巫女”としてここに居ると、しっかりと理解してもらわないといけません。
何故”森”から出ているのか、という疑問に答えるのは簡単ですが、話せる事は少ないのです。世界の真実を知る人は、少ない方が良いのですから。
(本物、みたいだ。しかしこっちは……?)
私の事はそれなりに噂となっているようです。ですが、リッカさまについては何一つ伝わっていません。何しろリッカさまが本当に来るまで、真実ではなかったのですから。集落の中だけでしか、語られていなかったはずです。
「あの、”巫女”様……。では、こちらの方は?」
「この方は私のパートナーであり、同じく”巫女”を務めております。ともに”お役目”につき、旅を始めた所です」
「おぉ、そうでしたか……。あなた様もありがとうございます。お陰で誰一人死ぬことなく事なきを得ました」
(巫女はアルレスィア様だけでは……)
信じて、いませんね。私の言葉が丸っきり嘘とは思えていないけど、”巫女”が二人とは聞いた事がない、という事実の所為です。
ここで立ち止まるのは、どちらにとっても得策ではありません。すぐにでも移動すべきでしょう。
(やはりまずは、リッカさまの事を知らせる事から始めた方が良さそうですね)
本当は静かに動きたいところですが、私達の容姿ではどうしても目立ってしまいます。それならば、期待させすぎないように、リッカさまが”巫女”という事だけは、周知させたいです。
何より、リッカさまが軽んじられるのは……許せないのです。




