初めての
湖に日記をそっと沈め、来た道を戻ります。来た時同様リッカさまと話をしたかったのですが、私は普段両手で持っている杖を片手で持ち、空いた手とリッカさまの手で視線が泳いでしまっています。
(手を、繋ぎたいと……思っているのでしょうか。私)
リッカさまと手を繋ぎたくてしょうがないのか、私は自然とリッカさまの傍まで寄り、手の振りが同じ速度になっていました。
リッカさまの体温は、少し高いようです。熱というのは体を動かすエネルギーを常に燃やしている証拠です。つまりリッカさまの体はいつでも、全力で動けるのですね。
そんな、人体の神秘に驚きが隠せません。ですがリッカさまの熱を強く感じられるのは嬉しいです。
「あわ」
リッカさまが思わずといった様子で、びくりと肩を跳ねさせました。
リッカさまの心を視るまでもありません。私の手が感じたのです。
(リッカさまの、手が……触れ……)
私の手は規則正しく、リッカさまの手に当たらないように動いています。なのに、当たったのです。
この意味に気付かない程、私は鈍感ではありません。
(リッカさま、も?)
リッカさまも、動いている、のでしょうか。手を繋ぐ為に――。
「ぁ」
私は意を決して、リッカさまの手を握りました。理由はありません。ただ、握りたいから握りました。
「……」
「……っ」
リッカさまの緊張が高まりました。少しだけ回りの空気が冷えたような、呼吸し辛くなったような気がします。
(息苦しい、場の雰囲気……のはずですが、何故でしょう――居心地が良いのです)
無言の空間で、一言も発する事無く相手の出方を窺い、手を握り続けるかもっと強く握るか、迷っているのです。ひょっとしたら、離されるかもと……心臓が爆音を立てています。
ですが私は、心のどこかで……そうならないと分かっています。リッカさまが手をもぞもぞとさせているのは……私の手を、撫でているのです。
(この先を心待ちにしている、と表現するべきでしょうか。この無言の空間には先があり、私はそこに至るのを楽しみにしている、のでしょう)
『アリスさんの手……』
リッカさまは一頻り私の掌を撫でた後、きゅっと握りました。
『手を繋いで森を歩くなんて、ピクニックみたい、かな。七花さんの時とは違う。私は今、森じゃなくてアリスさんと居る事に、楽しみを感じてる。最初からそうだったけど……今、凄い――感じる』
感じ、る――ドクン、と私の中の血潮が激しくなった気がします。リッカさまの熱を手から直接注がれたように、血が沸騰しています。この体の反応は――興奮です。私は今リッカさまに対し、劣情を抱いてしまって、いるのです。
(リッカさまが純粋に楽しんでいるというのに、ダメです、私)
私も楽しみましょう。リッカさまのころころと変わる歓喜の表情。まるで湖面に煌く光の粒の如く、同じ形がありません。
「リッカさま。私今凄く、楽しいです」
「私も楽しいよ、アリスさん。こんなに楽しい散歩、初めて」
『散歩する時はいつもボランティアしてたから、楽しいっていうより使命感みたいな? それに……外を歩くといつも見られるから、居心地が悪くて』
リッカさまが楽しんでくれています。その事で私は喜んでいます。ですが気になる点が二つ生まれました。
まずボランティアというものは、人助けをする活動らしいです。リッカさまが向こうの世界で、いつもやっていた事のようです。
人助けの中には、救済活動もあります。悪人の魔の手から人々を守るのです。リッカさまの”恐怖心”が許さないはずですが、リッカさまは何故か率先して行っていたのです。そちらの理由はまだ、分かりませんが……。
今気になっているのは、外を歩くと見られているという方です。リッカさまは美人です。可愛いですし、華があります。一歩外に出れば、注目を常に集めるでしょう。
なのにリッカさまは、その理由が分かっていないようでした。それどころか、自分の容姿がどれ程優れているかすら……?
何故見られているのか。何故注目されるのか。何故声をかけられるのか……。そのどれも、リッカさまは……赤い髪が珍しいから、くらいの物と思っているのです。
(何故、そんな事になっているのでしょう)
リッカさまの鋭さならば、気付いて当然の事なのです。
(思えば最初から、何処か引っ掛かりを感じていました)
集落の人達を観察していた時、リッカさまは自身に向いている視線が……興味だけと思っていたそうです。実際は、劣情を向けられていたのに、です。その後劣情に気付いても、この世界の衣服と関連付け、自分の格好が露出している所為と思っていました。
それに、男性に対しての距離感が少しおかしかったのです。香りすら感じられる距離に、簡単に近づいていたのです。
(もしかして……)
リッカさまは、疎いのでしょうか。事、男性の事に関して……いいえ、もっといえば、そういった知識について。
妖精という逸話があります。純真無垢な少女にのみ見えるという、”巫女”を告げる、アルツィアさまの使いというものです。そして、妖精自身も純真無垢なのです。
(リッカさまはまさに、妖精ですね)
気高き魂を持ち、その精神と体は純真を体現しています。もはや妖精という逸話ではなく……天使、です。侵す事の出来ない――聖域。
(私が、守らないといけません)
リッカさまを手に入れようとする者は、必ず出てきます。私はそれを許せないのです。それにリッカさまは、直接手を出されたとしても……反撃しません。
再びリッカさまと、何の障害もない世界で……笑顔を見せ合えるように、私がリッカさまを守らなければ! 誰一人、リッカさまに触れさせません!
「明日からは”森”の外ですが、こうやって歩けるでしょうか」
「うん。もっと楽しいものになるよ」
『アリスさんと、一緒なら』
手を繋いで、もっと触れ合って……再び”森”を歩きたいです。
ここが、私達の帰るべき場所、なのです。帰ってきましょう。この、全てが始まった、場所へ――。
”神林”の入り口にあるツァルナが真っ赤になる時間です。丁度良い時間に、またここに来る事が出来ました。
「リッカさま。ツァルナの木を見て行きませんか?」
「んと」
私の手を撫でながら、リッカさまはツァルナがある方向を見ています。
「見て、行こうかな」
『またここに、帰ってこれるか――』
(っ……)
大丈夫。また、見る事が出来ます。何度でも、リッカさまが望むのなら――。
道から外れ、ツァルナの所に向かいます。
リッカさまの世界にはないツァルナの果実ですが、近しい物はあるでしょう。例えばザクロやモモという物が当て嵌まります。ですが、ツァルナの果実は深紅です。リンゴと比べる方も居ますが、皮の艶と丸みは、果物と呼ぶには均整が取れています。だから、宝石と呼ばれているのです。
「うわぁ」
リッカさまの赤い瞳が、ツァルナの果実を捉えました。赤と赤で、深みが増したように感じます。
「リッカさまの髪と同じ、ワインレッドです」
「私のよりずっと――」
「リッカさまと同じく、綺麗な赤です」
もっとツァルナと夕陽が彩る世界を見て欲しいのですが、リッカさまは私を見ていました。
リッカさまが自身の髪色を、血の色と思っているのは知っています。ですがリッカさま。貴女さまがどんなに血の色と思っていようとも、綺麗である事に変わりはないのです。
「どちらかといえば、アリスさんの、瞳みたいな、赤だよ? 深みがあって、艶があって、きらきらしてる、綺麗な赤」
私も、リッカさまの瞳に釘付けになりました。
ここのツァルナが見せる赤が、この世界で一番綺麗な赤だと思っていました。ですがそれは、一昨日までの話です。
(私、リッカさまの赤……大好きです)
「でしたら……私の瞳とリッカさまの髪は、似ているのかも、しれませんね」
「そう、かな。そうだったら嬉しいな」
リッカさまのツァルナ観賞の邪魔になってしまいました。ツァルナに視線を戻して欲しくて、私は少し離れようとしたのですが――リッカさまは私の腰をそっと抱き寄せたのです。そして私の頬に手を当て、そのまま手を滑らせて顎をくいと持ち上げました。
身長は微妙に私の方が高いのですが、リッカさまに抱き付いた私は、リッカさまを見上げるような体勢となっていたようです。
「……ご、ごめん。体が勝手に」
「私達の事を見ているのは、”森”だけです。ですから、もう少しだけ」
「良い、の?」
「世界一の赤を見ようと思って……ここに来ましたから。リッカさまも、ちゃんと見てくださいね」
横顔であってもリッカさまの瞳を見続けていたいのです。リッカさまに抱き寄せられて見れるなんて、嬉しすぎます。
夕飯の時間は過ぎていますが、夕陽が沈みきるまで……このままでも、良いと思います。
「えと、リッカさま?」
「うん?」
「ツァルナは、あちら」
「世界一の赤を、見てて良いんだよ、ね?」
明言は避けていましたが、リッカさまは私の瞳から視線を外しませんでした。
ツァルナの傍で、夕陽を浴びながら私達は、お互いの瞳を見たままじっとしています。
体が触れる程度の距離でしかありませんが、気持ちの昂ぶりと共に溢れていた私達の白銀と深紅の魔力は――絡み合うように、周囲を照らしていました。
ただの鑑賞会という面が強かったので、赤面はしませんでした。お母様がにやにやしながら出迎えてくれましたけど、赤面なんてしてませんでした。
帰って来るまで”神林”はお預けですが、リッカさまはしっかり堪能出来たようです。普通の森や、草花は何処にでもありますから、リッカさまが楽しめる風景は多くあるとは思います。
そうやって、”神林”の時間を多くとりましたが、一つだけ後悔があります。スープを作ることが出来ませんでした。
リッカさまも心なしか落ち込んでいるように、見えます。
「その、これからは毎日作れますからっ」
リッカさまが落ち込んでいると感じた私は、少し大きな声で言ってしまいました。
毎日スープを作るという、そのままの意味なのですが、お母様が頬に手を当てため息を吐いていたので……別の意味で聞こえた、のでしょうか。
”毎日ミソ汁”は、この世界には無い概念なのですが……。
食事を終えると、お風呂の時間になります。リッカさまの時間となったので、私は”領域”を作りだし周囲の警戒を始めました。
『徹底してるね』
「当然です」
『今日ずっと集落を見ていたが、リツカに不埒を働く者はもう居ないようだけどね』
「”巫女”として見ているからに過ぎません。お風呂場で遭遇でもしようものなら、どうなる事か。それにリッカさまは、疎いのでしょう?」
『気付いたか』
どうやら、私の考えは正解のようです。
『男が危険という事は理解しているよ。警戒もしている』
「そのようですね。ですが、本質を理解していないように、感じました」
『うん。リツカの知識は極端だ』
本来であれば、劣情を抱かせないように振舞うべきなのでしょう。ですがリッカさまに関しては、それだけでは足りません。”巫女”としての姿を強調させるのが、最も効果的です。
「リッカさまは私が守ります」
(んー。リツカに教えるのが一番なんだけど、アルレスィアに任せるか)
さて、”領域”の強度は十分ですし、周囲に人は居ません。私も入りましょう。リッカさまはもう、上がっているでしょうから。
(本当は一緒に入りたかったのですけど、今頃になってツァルナの件が……今リッカさまの裸を見てしまうと、抑えが――)
「あれ……」
リッカさま、上がってませんね。
「……」
ここまで来て、戻るのは……しっかりと自分を持って、理性を手放さないように……私は服を脱いで、扉を開けました。
「……」
丁度浴槽から上がる所だったようで、縁に手をつき上がろうとしていたリッカさまと目が合いました。
濡れた体と髪。落ちる水滴は朝露の如き透明感があり、紅潮した肩や胸――。
「あぅ……」
「リッカさま!?」
頭から湯気が出たと思えてしまうくらい、リッカさまはくたっと倒れてしまったのです。
『逆上せたようだね』
「そうですね――――って、出ていてください!」
『早くしないと、リツカが完全に茹だってしまうよ』
ですから、アルツィアさまには出ていて欲しいのですが……致し方ありません。リッカさまを引き上げ、”治癒”をかけました。その後水をタオルに染みこませ唇に当て、水分補給を施します。冷水で濡らしたタオルで少し冷やして、治療は終了です。
「大事には、至っていませんね」
ただ逆上せただけ、です。良かった……。ですが、昨日の今日で二度も……。ちゃんと見ておくべきでした。
くたっと、頬を紅潮させたまま、少しだけ息を荒く吐いているリッカさまは未だ目覚めていません。
『きみも今のうちに入っておくと良い。リツカは私が見ておくよ』
「はい…………タオルを捲らないでくださいよ?」
『私は変態じゃないよ』
リッカさまと私に悪戯したくて仕方ないと、顔に書いていますが?
『流石に今はしないよ』
「……」
手早く浴室に入り、体を清めていきます。どうしても髪に時間が掛かってしまいますが、浴槽に浸かる時間を削り、手早くです。
『早かったね』
「リッカさまをこのまま寝かせておく事は出来ません。すぐに私の部屋に連れて行かないといけませんから」
リッカさまの体を、ふ……拭いて、寝間着用の服を何枚か重ねてしっかりと包みます。素肌が見えていない事を確認して……。
「今なら、誰にも見られません」
『私は結界の様子を見てくるから、はしゃぎすぎないようにね』
「大丈夫です」
感知しながら、人が居ない方を通ります。誰の目にも映らない様に、少し駆け足で自宅への道を急ぎました。
それにしても……アルツィアさまは私が変態? とでも思っているのでしょうか。私がリッカさまを傷つけるような真似をするはずがないでしょう。
家の中に気配がありません。お父様とお母様はまだ、集会所に居るようです。明日の事を、重役達と話しているのでしょう。
自室のベッドにリッカさまを寝かせ、寝間着を着せます。眠っているリッカさまに着せられるのは、これしかないのです。巫女の服も頑張れば着せられますが……ちょっと、無茶をしないといけないので。
(リッカさまが起きる前に、農場を見ておきましょう)
庭から見えるので、坂を降りる必要はありません。ここから見る限り、問題はなさそうです、が……やはり数が減っています、ね。数頭巻き込まれてしまったのでしょう。
(悪意はなさそうです。変質しそうな者も居ませんし、魔王は様子見しているようですね)
どういった方法で関与したのか、アルツィアさまにも分かっていません。魔王の陰に怯える必要はありませんが、常に頭の隅に置いておきます。
(農場の壁、もう少し頑強な物にするべきでしょうか。ですが、閉塞感を与えると、ストレスが高まります)
魔王が関係してなければ、まだまだ集落にマリスタザリアは出ないようです。ですが、もしもを考えて……ホルスターンの数は現状維持で、コゥクルァを増やしましょう。マリスタザリアになっても、コゥクルァの方が対処しやすいでしょうから。
(リッカさまが気になるので、戻りましょう)
リッカさまが起きたようです。部屋の中から、衣擦れの音が聞こえます。
「リッカさま? お加減は」
「アリスさん。ありがとう、お陰で助かったよ」
「いえ……無事で、よかったです」
少し体に力が入っていない様に感じます。
起きてすぐだから、という訳ではなさそうです。私に迷惑をかけてしまったと思っているようでした。
私がもう少し気をつけて入れば、と思ってしまいます。
今日はもう、休んだ方が良さそうです。ですから……私はリッカさまに、一つ提案をします。
「リッカさま、もしよろしければ……一緒に、ねませんか?」
一人用のベッドですが、私達ならば二人でも寝れると、思います。
「その、明日から一緒に寝ることもあるかと思いますので……その練習に」
場合によっては、二人で狭い場所に寝ることも、あるでしょう。その際、興ふ……緊張して眠れなかったらいけないので、慣れるために、一緒に。
リッカさまの了承を得たので、隣にもぐりこみます。思っていたよりも窮屈ですが、その理由は……ちょっと離れているから、です。もう少し近づきたいのですが、心音が大きすぎて、恥ずかしくて近づけません。
『アリスさんの……つぁるなの香り、すごい。お風呂上りだから、かな。ふあ……しあわせぇ……』
ああ、リッカさま。そんな、耳元で囁くような想いを流し込んできては……耐え切れる、でしょうか。これでは、アルツィアさまに変態と言われても、仕方ないかも、しれないですね……。
ブクマ評価ありがとうございます!




