過ち
A,C, 27/02/26
『……』
アルツィアは眠っている二人に微笑みかけて、部屋から出て行った。向かう場所は、集落だ。
日を跨いでから数時間経っているというのに、集落では未だにリツカの壮絶な戦いぶりで盛り上がっていた。
ただのボロの剣でマリスタザリアを両断した技術についての考察。リツカが使ったと思われる魔法の種類。何故攻撃をあんなにも避けられたのか。
どれも人間が想像出来る範囲で、話し合っている。
魔力を色で見る事が来ない普通の人間達では、感覚が研ぎ澄まされていない普通の人間達では、巫女二人を量りきる事は出来ない。
そんな集落の者達を三人だけは、遠くから冷めた視線で見ていた。
「……」
「アナタ。まさか、この期に及んで……」
「そんなはず、なかろう」
「なら良いですけど」
難しい顔で下唇を噛んでいたゲルハルトに、エルタナスィアはため息を吐く。
「長、エルタナスィア様……申し訳ございませんッ! 自分が、まともな剣さえ持っていれば、まだ……ッ」
漸く体の調子が戻ったのか、オルテはしっかりと歩けていた。しかし、両膝を地面につき、項垂れている。
守護長でありながらアルレスィアに守られただけでなく、やってきたばかりのリツカを最前線に立たせてしまった。
その自責の念は、オルテの命にまで手が伸びていた。
「良い……お前が居なければ、被害はもっと広がっていたであろう」
「しかし……リツカ様はまだ魔法を……!」
「オルテ。アリスの様子から考えると、途中から魔法に目覚めていたわ」
「ですが、途中までは……」
「そうね……。でも、謝る相手が違うわ。そして、謝るべきは貴方だけじゃない」
「我々も、謝らねばならぬだろう」
三人は、アルレスィアとリツカの様子からある程度を察していた。
リツカは何も知らず、魔法すら持たずに居たことを。本来は説明されているはずの事がされていなかったのは、アルレスィアがリツカを慮っていたからという事も。
「知らないと思わねば、説明出来ぬ。マリスタザリアに石をぶつけるなど……」
「例え知っていても普通はしない。あれが出来るだけで、常人の覚悟ではないわ……」
「魔法もなく、暫くは戦えていた。アルツィア様の予言通りの方だったのだ」
三人だけは、状況を甘く見ていない。だが、リツカの見せた輝きは、冷静な思考を崩すには十分だった。
「改めて集会を開くわ。オルテ、すぐに準備をして頂戴」
「はい……。お任せ下さい」
「救世主は英雄の器であった。我等も誠心誠意、尽くす」
今集落に、リツカをただの少女と見ている者は居ない。
人という物を良く知るエルタナスィアですらこの時ばかりは――リツカの鮮やかさに、目を曇らせてしまっていたのだ。
「……」
「ねーちゃ、ねむい……」
「うん……」
そんな中で少女だけは、何故か締め付けられる胸の痛みに、苦しんでいた。
目を開けると私は、リッカさまの手を握っていました。日記を書いた後、リッカさまの傍で手を握って、そのまま眠ってしまったようです。
まだ太陽は昇っていません。今のうちに、リッカさまの衣類を整えましょう。
「リッカさま……少し、脱がしますね?」
返事はまだ返ってきませんが、黙って脱がせる訳にはいかないので……。
眠っているリッカさまから、この服を脱がす事は出来そうにありません。切ってしまいます。眠っている乙女の服を切裂くという、倒錯的な状況は、私の心に漣を立てました。
もはや私のこの感情は、友という枠組みでは説明出来ません。もっと特別な、感情です。それを自覚する事で、自然な感情として行動に移せます。
曖昧だった気持ちは、大切な人という言葉でとりあえずの落ち着きを取り戻しています。
「でも……」
リッカさまの戦闘法では、スカート部のスリットが足りなかったのでしょう。魔法を発現させた後に、剣で裂いていました。腰の辺りまで無理矢理裂かれていたからでしょうか。色香を放っていたのを、正直に告白します。
「綺麗……」
衣類を全て脱がせると、純潔を体現した肌が露わになりました。傷はありませんが、付着した土埃が目立っています。頬や首筋は昨日のうちに拭っていましたが、体の方はまだ土埃がついていました。
汚れ、ではあるのです。しかしこれは、リッカさまが私達を守る為に――。
(いえ……リッカさまはあの時、私だけを守ろうと、必死だったのですよね……)
見た事のない強大な敵に対し、リッカさまはせめて私だけはと、戦っていたのです。それだけが、リッカさまの……”恐怖心”を押し留めていました。
(だから、私は……この土埃すら、愛おしく思うのです)
これは、私を守る為についてしまった物。汚れではありません。敬意をもって、拭かせていただきます。柔らかく、すべすべで、瑞々しい張りのある……手に吸い付くような、赤子の肌もかくやといった……
(はっ……何を……)
拭かずに、撫でてしまっていました。完全に変質者です。リッカさまは私を信頼して、無防備に眠っているのです。私自身が、自身の決意を穢すような真似をしてはいけません。
気持ちを切り替え、土埃と、憎き怨敵の血を拭い、切裂いた服をそっと抜き取り回収します。どんなに、リッカさまに付着してしまったものが……リッカさまの想いの結晶と理解していても、敵の物だけは、敬意を持てそうにありません。
「拒絶せよ」
リッカさまの結晶は拒絶しません。でも、敵の血だけは、一滴も残したくないのです。リッカさまの体と衣服から、敵の血を”拒絶”しました。
醜い潔癖でしょう。しかし私は、私の想いで動きます。リッカさまの想いを理由にしません。
リッカさまがくれた想いと機会を、私の想いが紡ぎます。
「少し、待っていて下さいね?」
私が敷いた英雄への道。それを、リッカさまだけで歩ませたりなどしません。
まずは、リッカさま専用の服を作りましょう。拭いた際採寸をしましたので、それを元に……手元は物を握り、振りやすいように。足元は足が動かしやすいように、スリットを大きく、服が邪魔になってはいけないので、全体的に小さめに――。
戦闘を第一に考えた作りになってしまいますが……リッカさまが魔法を物にするまでは、リッカさまが動きやすい作りにしないといけません。
私達がこれからも着る事になる服は、布自体は良くある物です。伸縮性に富み、破れ難く、吸水性に優れ、すぐ乾く。この世界の基本的な作業着に使われる物を、”巫女”らしく仕立てたのです。
でも、この服は特別製です。特別なのは、刺繍。背中に描かれているのはアルツィアさまの紋章。遥か昔、アルツィアさまを信奉した者達によって作られたそうです。
背中に描かれていますが、背中から袖、スカート、肩から胸、腰から下腹部へ、紋章の細部を伸ばしています。紋章に使った刺繍糸が全身に行くように描いているのは、この刺繍糸にはアルツィアさまの髪が使われているからです。
杖は核樹で出来ています。あの核樹を刺繍糸にするのは難しいからと、アルツィアさまが髪を刺繍糸に溶かし込むようにと仰ったのです。
核樹の武器が魔法の方向を決め、服が魔力の流れを補助します。
刺繍を魔力が通るイメージで練って、核樹の向けた方向に魔法を放ちます。普通の人が想うだけで良い所を、私はこうしなければいけません。
「……」
リッカさまも、服は必要です。昨夜の魔法は、この刺繍を通っていました。武器も、”光”を考慮すれば必要になるかもしれません。
それも含めて、説明しなければいけませんね。
(出来ました)
着て確かめる事は出来ないので、実際に着るまでは出来栄えが分かりません。太陽が昇り始めましたし、リッカさまの傍で待っていましょう。
きっと着た瞬間に、戦闘用の調整がされていると感じさせてしまいます。
(……いけません。私が、躊躇しては)
私が始めた戦いなのですから……。
「そろそろ食事ですし、丁度良い時間、ですね」
気持ちを切り替えて、向かいます。
部屋の前に来ると、ドアの中から気配がしました。眠っている気配ではありません。どうやら、起きているようです。
ノックをして、返事を待ちます。
「は、はい……。どうぞ」
少し……涙交じりの声が、聞こえました。数度深呼吸をして、ドアを開けます。
「リッカさま、起きました、か……?」
覚悟して開けたのに、私の声は痞えてしまいました。震えた肩を押さえ、目尻を少し赤くして、唇を震わせたリッカさまを、見てしまった、から。
「ご、ごめんなさい。呆けてしまって……。朝食の用意が出来ましたので、お呼びに……」
「はい、ありがとうございます。今準備を――」
リッカさまが自身の体を見て、きょとんとした表情をしました。そしてシーツで、露わとなっていた胸を隠して、少しだけ頬を染めたのです。
その時にはもう、震えは止まっていました――。
「あ、あのっ。汚れたままでは気持ちよく眠れないと思いましてっ」
「ありがとうございます、アリスさん。お陰でゆっくり休めたみたいです」
『み、見られちゃった……。汚れて、ないかな? お風呂以外で見られるのって、ちょっと違う意味で……。でも、アリスさんになら……はぅ……』
にこりと微笑んだリッカさまの頭が、感謝を述べるように傾ぎました。リッカさまの頭で隠れていた陽光が漏れ出し、後光の様になってリッカさまを照らしています。
肩に掛かっていた髪が、はらりと胸の前に落ちました。その豊麗な光景に心を奪われ、私は頬を染めてしまいます。
(そしてやはり……能力は、暴走したままです、か……)
押さえ込もうと思っても、リッカさまの想いが流れ込んで来ます。あの蓋の向こうは読めませんが、リッカさまの想いは完全に、無条件で読めます。心を読む能力は……アルツィアさまの傍でしか……使えない能力だったはずなのですが……。
そんな”能力”とは関係なく、リッカさまの変化に……私は、気付きました。
笑顔が少し、柔らかくなっていたのです。出逢ったばかりの時みたいな……天真爛漫さは陰を潜め、笑顔に大人の翳りが出ています。
それは決して、悪い変化ではありません。多分その笑顔が、リッカさまが普段している笑顔なのです。その笑顔になってしまった理由は、分かっています。
(これから英雄を目指すという覚悟の顕れ……なのですね)
想いを遂げるまで剥げる事のない仮面が、リッカさまの顔にはついていました。私もきっと、同じです。
(笑顔を取り戻す旅、でも良いですよ、ね……)
リッカさまの、あの笑顔を取り戻すのは、旅の成功と同義です。私の覚悟を読み取り、リッカさまは真剣に取り組もうとしてくれています。
私はリッカさまを神格化していました。でもそれが全て間違いであった訳ではありません。間違えたのは、私が過度な期待をした事です。リッカさまは本当に、鮮烈で凄烈で、純潔なのです。
(共に旅をする事への覚悟の甘さが、期待という形で出てしまいました。ありのままのリッカさまを見て、判断を――)
「ぁ……」
「っリッカさま!」
リッカさまが立ち上がろうとしたところ、力が入らずに前のめりに倒れそうになりました。
「ご、ごめんなさい。少し力が抜けて――」
『また、震えが……っ止めないと……アリスさんを、困らせちゃう……』
リッカさまの服を落としてしまう事になってしまいましたが、必死に駆け寄ったから、間に合いました。支えた体は、病人のように力のないものでした……。
魔力が流れた事で、初日ような希薄さはありません。でも、こんなにも……華奢な……っ体で……っ。まだ、私の心配を――。
「ぅ……」
「アリス、さん……?」
『何で、泣いて……。ダメだよ……アリスさんを、泣かせたく、ない……』
泣いてはいけない、泣きたいのはリッカさま。そう考えて、押さえ込んでいました。でも、いざリッカさまの体に触れ、温もりを感じると……耐え切れませんでした。
私は、リッカさまに残酷なお願いをしてしまいました。なのにこんなにも優しく、声をかけてくれます。覚悟を決めて、その瞳に闘志を燃やしてくれます。でも……でも……っ! 体は、震えています……!
これから再び、リッカさまの覚悟を問わなければいけません。なのに、こんな事で私は――。
「あらあらぁ……帰りが遅いから様子を見に来たら。朝からダメよ? アリス?」
ずっと、集落の方で準備をしていたお母様が、家に戻ってきていました。帰りが遅いのは、お母様なのですが……って、見られて、しまいました。でも違います。あれは勘違いを、しています。
それもそのはずで、私は……裸のリッカさまを、抱き締めているのです。
「―――っお母様! これはちがっ!」
『私、アリスさんと、裸で――』
「はぅ……」
「リッカさまっ!」
お母様に弁明しようとしましたが、リッカさまが羞恥で力を抜いてしまいました。元々、疲労がまだ残っている状態でした。なのに少し……刺激が強すぎたようです。再びベッドへ、倒れこんでしまったのです。その際私は不覚にも、共に倒れこんでしまいました。
『アリスさんの、む、むね……』
「……はぁ、程ほどになさいね?」
リッカさまの顔に、胸を押し付けるように抱き締めてしまいました。お母様は私が押し倒したと思ったようで、呆れながら階段を下りていきます。
先程まで固い決意でリッカさまを支えると考えていたのに、私は……リッカさまとの、こういった触れ合いに安堵と喜悦を感じています。
これで、良いのです。リッカさまもこんな関係を望んでいるのですから。だからこれを、私達の日常にしましょう。
リッカさまが私を、また……救ってくれた気がしました。
そう冷静に考えられていますが、私は一向に――リッカさまから離れることが出来ません。だって……リッカさま、可愛いんですもの……。
(そういえば、お母様の心は読めませんでした、ね……)
リッカさま限定の、暴走なのでしょうか……。
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