負い目
「ん……」
「気がつきましたかっリッカさまっ!」
良かった。目覚めてくれました。リッカさまの魔法は謎が多いですし、魔力が突然流れる感覚という物を、私達は知らないのです。目を見る限り、体に不調はなさそう、ですね。
「ここ、は……? つぁるなの……良い香りが……」
「私の、部屋です。リッカ、さま」
そのツァルナの香りは、私の物です。ツァルナの香水は使っていませんから……。起きてすぐ、何処か分からないという困惑の中で、私の香りで落ち着きを取り戻してくれた事を嬉しく思います。
「――! ……ぁ」
「まだ起きてはいけません。リッカさま……」
戦闘後すぐに倒れてしまった事を思い出したのでしょう。リッカさまが起き上がろうとしました。でも……痛みが走ったのか、上手く起きる事が出来なかったようです。
痛めた場所はありません。身体的な異常ではないのかもしれません。例えば、そう……詠唱なしでの魔法が影響した異常とか、です。
『……』
アルツィアさまは何も言いません。後程リッカさまに説明する際、注釈としてお願いしますよ。
「リッカさま、どうしてあのような無茶を……」
説明しなければいけない事や、言わなければいけない事は、沢山あります。でも最初に尋ねたかったのです。どうして……あのマリスタザリアに、立ち向かっていってしまったのか……。
「わかりません……。ただ、アリスさんがあの化け物にやられるかもって思ったら、体が勝手に」
「ぁ…………あり、がとう……ござぃ、ます」
泣くつもりはなかったのに、積もりに積もってしまった想いが……溢れてしまったようです。少しだけ冷たい涙が、零れてしまいました。
出会ってすぐの私の為に、命を掛けてくれたリッカさま……その強い想いが嬉しい。でもそれと同時に、説明を先延ばしにした不義を、再び後悔してしまいます。
リッカさまは今、思考を巡らせているようです。マリスタザリアや、自身の変化……私の使った、いくつかの魔法を……。
ですが今は、リッカさまの体調が芳しくありません。眠いのか瞼は閉じていっていますし、痛みを感じた事も気になります。
だから……。
「ごめんなさい、リッカさま……。ですが今は、ゆっくりお休みください。明日、必ず、お伝えいたします」
明日、リッカさまの平穏が終わってしまう……。でも私は、”巫女”として前に進む決意をしました。
貴女さまとならば、共に旅を征けると思ったから、です。
「ただ、これだけは……。リッカさま、どうか……」
決意していても、リッカさまの平穏を終わらせるのは、躊躇ってしまう……。そんな逃げてしまっている自分を叱咤するように私は、一つだけ先に、告げます。
「どうか……私たちの英雄になってください……」
私は、残酷です。戦う力と決意があろうとも、リッカさまを巻き込む事を善しとは思っていません。ですが……この世界の為に、アルツィアさまの守る世界の為に、”巫女”として、リッカさまを巻き込んでしまう。
「アリスさん」
「……はい、リッカさま」
謝罪をする権利すらない程に、私達は自己中心的です。世界の為とはいえ……っ。
「私、アリスさんと一緒なら、なんでも出来る気がするんです……」
『私、アリスさんの事……凄く大事。だから……アリスさんが望むなら、何だってしたい……アリスさんが私を求めてくれてる……だったら、私は――』
「―――」
私と、一緒なら……その言葉に篭められた想いが、流れ込んできたのです。押さえ込んでいたはずの”能力”が、暴発したかのように制御出来ません……っ。
嬉しい言葉を貰えたのに、私は能力が制御出来ずに素直に喜べません。その言葉は、リッカさまが秘めているものです。まだ、私が知るわけにはいかない言葉なのです!! まだ、喜ぶ訳には……っ!!
「アリスさん、私……なります」
『英雄に――――』
っ……私の、”拒絶”の副産物である”能力”が……リッカさまの心の声を暴いてしまいます。
だから、使いたくなかった。リッカさまの心を盗み見るなんて、不義理にも程があるからです。
(何故こんな時に、制御出来なく……っ押さえ、込めません……!)
必死で押さえようとしますが、リッカさまの想いがどんどん流れ込んできます。
リッカさまは目を閉じ、眠りにつこうとしているようです。しかし、それまでの間に想いが流れ込んでしまいます。普段は意識しなければ深層まで読めないのに、今日に限って深く……それこそ、全てを視れてしまったのです。
そうでもなければ……リッカさまのこれを知る事は出来なかったでしょう。リッカさまの心は完璧でした。その防壁は、私の能力から守りきれたでしょう。
そんなリッカさまの深層が、視えたのです。
『でも、私は、本当は……アリスさんと、居たいだけで……戦いたくなんて、なくて……っ……私、怖い……戦いたく、ない、よ……。でも、アリスさんが、こんなにも覚悟してるんだから……私抜きでも、行ってしまう。私が守れるなら……行かなきゃ……っ! わたしが、まもる……ぜったいに、だから……こわがって、なんて、でも、でも、でも――』
「あ、ああ……ああっ……!!」
そして私は――――絶望しました。
『怖い、こわい、こわい、こわい、こわい……っ。しにかけた……あんなばけもののあいて、しないといけないのかな……なんでみんな、にげないの? はやく、にげて、わたしもにげたい』
「っ……ぁ……ぅううう……」
これ、は……戦いの中での気持ち……? 何で、まだ……私が読めるのは心であって、記憶じゃ――。
『ここ、どこ? かみのもりじゃない。なんできゅうにばしょがかわったの? あのひと――きれい――』
「ま、さ……か……」
『あのふりょう、わたしのがっこうのせいとにからんでる。こわいけど……あのせいとはもっと、こわがってる。わたしが、やるしか……わたしはみこ、なんだから、ひとのために、ならないと……うまれてきた、いみが――』
あ、ああ……まさか、まさか、まさか……。
「今までの、恐怖、全部……?」
『……』
後ろに居たはずのアルツィアさまがいつの間にか、私の前に居ました。そして私の背には、扉があったのです。
私、逃げているのですか? リッカさまの、これから……? 私がリッカさまから、逃げて――。
「っ――!!!」
そう考えると私の頭は沸騰しました。そしてそのまま、アルツィアさまに掴みかかったのです。ただの八つ当たりと、冷静な部分が言っているのにも関わらず、です。
「記憶じゃなく……恐怖心をそのまま……感情のまま、留めているのですか……」
『そう。リツカは、恐怖を思い出に出来ない』
思い出に出来れば、克服出来る時がくるかもしれません。ですが、感情のまま、渦巻いていたら、苛まれるだけです。ニ、三日ではありません。リッカさまは……恐怖心を抱いた瞬間からずっと、抱え続けているのです。
「三歳の頃からずっと、恐怖心を感じる度に」
『リツカは恐怖心に蓋をする。そうする事で、リツカはリツカで居られた』
その蓋の、なんと強固な事でしょう。リッカさまはもう、自身の恐怖心に再度蓋を掛けていました。もう私の”能力”でも、確認出来ません。
暴発した私の”能力”は、昔の様に視線を向けるだけで心を完全に読めるようになっています。
この能力から逃れられるのは、アルツィアさまだけと思っていました。でもリッカさまの蓋は、私の”能力”を跳ね返しています。こんなにも、強固な精神力を持つリッカさまですが――。
「恐怖心だけは、別」
『そう。リツカは三歳の時、祖父――』
「っ!!」
私は、アルツィアさまを掴んだ手に力を込めて、止めました。これ以上、リッカさまを暴かないで、ください。
もう全部知ってしまいましたが……私にこれ以上、逃げ道を与えないでください。
リッカさまの根源を知ってしまえば、それを理由に逃げてしまうでしょう。私の心は、弱いからです。そんなの、許せません。私だけ逃げるなんて、赦されません。
私は、私は――――!!
「リッカさまの、恐怖心は……私が、包みます」
『分かった。私からはもう、何も言わないでおこう』
もう、後悔すら出来ない所に来てしまいました。私の決意とか、”お役目”の事とか関係ありません。
私は頼んでしまいました。リッカさまに、英雄になって欲しいと。そしてリッカさまは、なると言ってくれました。
しかしリッカさまの恐怖心は言っていました。本当は嫌だと。でも、私が一人でも行くだろうから、自分も行くと。私が大切な人だから、守りたい、と……!!
「何故……何故!!」
分かっています。リッカさまが居なければいけない事は、分かっています。私一人では、マリスタザリアを倒せない事は重々分かりました。
「リッカさまは、戦士であり、剣士であり、”巫女”です。でも……」
『ああ。ただの女の子だ』
「ただの、では……ないでしょう……」
アルツィアさまを責めるのは、間違っています。私が勝手に、リッカさまという存在を神格化してしまいました。起きた出来事に浮かれ続けて、冷静さを欠いていました。
出会いが鮮烈で、戦いは凄烈で、想いは純潔で……だから、私は……先走ってしまった……っ!! でも、言わずには……居られないのです!!
「リッカさまは、戦える方ではありません!! 戦いからは最も遠い位置にいる!!」
『それでも、リツカ以外に居ないんだ。きみと共に歩めるのは』
「っ……う、ぅううううぅぅっ……っ」
泣きたいのは、リッカさまです。私が、泣いて良いはずがありません。なのにリッカさまは、涙を流しませんでした。祈りの時に見せたはずの涙を、先ほどの宣言では見せなかったのです。
祈りの時、何故涙を流したのか……今は分かっています。
感じ取ったのです。”巫女”となった時、自身の自由が完全に奪われた事を感じ取ったリッカさまは、その恐怖に涙を流したのです。
それと同じ空気を感じ取り、祈りの時も涙を……。
なのに、リッカさまは先ほど涙を流しませんでした。自由を奪われるのは同じなのに、です。
それも全ては、私という存在が関係してきます。
私が居るから、リッカさまは恐怖心を感じながらも、頷いたのです。
「最初から、説明していれば……」
『……変わらなかったよ。リツカはきっと、きみの為に頷いたさ』
嫌という言葉を聞けたかも、そんな事を考えました。でも、私のお願いに嫌と答えるリッカさまを、想像出来ません。
それと同時に、こうも思ったのです。もし最初から説明していたら、リッカさまの秘密に気付く事は一生、なかっただろうと――。
『……』
「……」
掴んでいた手を離し、私は……リッカさまに近づき、へたり込んでしまいました。触れて良いのか、迷ってしまったのです。
『触れて上げると良い。その方が、落ち着くだろう』
「……」
私は……触れました。分かっています。アルツィアさまが言った、落ち着くというのは……リッカさまが落ち着くという意味です。でも私は……自分の心が落ち着いて行くのを自覚しました。
もう後戻り出来ません。こんな自分勝手な私ですが……リッカさまが大事と言ってくれた私を全て、リッカさまに捧げましょう。私の人生を全て、リッカさまに捧げます。
「リッカさま……私も、誓います」
リッカさまの頬を撫で、手を取り、目を閉じました。
「本日より私は、貴女さまだけのアリスとなりましょう」
貴女さまとの”お役目”を終えるその時まで……いいえ、貴女さまの心に平穏が戻るその時まで、私の全てを貴女さまの為に使います。
「守らせてください。貴女さまの全てを」
私も貴女さまの事が、この世の何よりも――大切、ですから――。
”神林”から遠い、遠い場所にある城にて、一つの影が蠢いた。
「どうした」
「……やられた」
「巫女とは、それ程までにお強いと?」
男と思われる影達は三人居るようだ。
「生まれたばっかなら、そんなに強ぇ化け物になっとらんだろ」
「化け物ではありませんよ。マリスタザリアです」
「長ぇ名前だな。面倒臭ぇ」
椅子に座っている男と、その横で頷いている男、自身よりも大きな岩を片手で持ち上げている男が、それぞれの反応を示している。
「やったのは巫女ではない」
「ほら見ろ。ただの人間にやれるんなら、強ぇはずが」
「王都で出ていた奴よりは強いのを造った」
「……」
当てが外された、岩を持っていた男は舌打ちをして、岩を握り潰し、消した。いいや、良く見ると――岩は、砂になっていた。
「誰だ。そいつは」
「赤い髪の女だ」
「女ァ? 男は何しとったんだ」
再び、三者三様の反応を示す。岩を消した男は首を鳴らし呆れ、頷いていた男は思考を巡らせている。
そして、椅子に座った男は――。
「もう少し様子を見るとしよう」
自身から溢れ出ていた、闇よりも濃い黒を更に濃くさせていく。
「漸く届いたのだ。始まりの刻は近い」
闇は広がり、男達の存在を隠していく。その者達の姿は何処か――人からは外れていた。