貴女さま⑩
リッカさまに、魔力が……? いえ、魔力ではありません。これは――魔法となっています。
「何の、魔法を……?」
『間違いなく、魔法だ。それを、自分の体に纏っている』
「な――っ!?」
自分に使えないはずの魔法を、自分に使っています。しかも、効果が分からないなんて初めて――もしかして、私と同じく……固有の魔法を?
圧倒的な魔力を、ドレスのように身に纏っています。本来魔法とは、魔力を使って大気中のマナへと、言葉を使って訴えかける物なのです。そうする事で、この世界に魔法が発現するのですが……。
『その言葉だが、リツカは詠唱をしていなかった』
「――え?」
そんな事、出来るはずがありません。ですが実際に……リッカさまは詠唱をしていませんでした……。リッカさまの魔法は、荒々しくも形になっています。眩い閃光の如き明滅を迸らせているのです。それは、溢れ出る想いを体現しているようでした。
これだけの魔法を、詠唱なしで……?
「――シッ!!」
「あっ――!」
私が声を上げた時にはもう、マリスタザリアの腕が斬り飛ばされていました。
”精錬”という、剣を硬くしたり、鋭くさせる魔法が篭っていない剣で傷を付けた事すら驚愕だったというのに……分厚い岩盤の様な肉と、鋼鉄の如き骨を両断していたのです。
「な、何が起きているのですか……!?」
治療を終えたオルテさん達が、私の傍にやって来ました。私は怪我をしていません。リッカさまが、受け止めてくれましたから……。
「う、腕を……アルレスィア様が”光”を使っていないのに……」
そうです。私が”拒絶”と”光”を使う事で、マリスタザリアは一時的に一部が変質前に戻ります。その時しか、斬るなんて事出来るはずが……。いいえ、出来なくはありません。王都では、それをしている人が居るではありませんか。
しかし、あのマリスタザリアは今までとは……王都に出ていた者達とは……。
『まだ生まれたばかりだ。行動に稚拙さがある。悪意の固着も甘い。しかし、悪意の総量と強さは確かに、別格だ』
(自然発生とは思えない。まさか――そうとしか思えないな。漸く出てきたと思えば、今日とはね)
まだまだ強くなる、という事ですね。このまま放っておけば、確実に……人の手に余るようです。
ここで確実に仕留めなければいけません。しかしてそれは、叶うでしょう。
「なぜ、斬れたのですか……?」
『リツカの技術は見た通りだ。それに、リツカは魔法に目覚めた。その魔法は――”強化”と”抱擁”。己の想いが届く限り、どこまでも自身を強くする魔法だ』
リッカさまの能力が、リッカさまの魔法を最大限に活かしています。敵の攻撃を予測し、敵よりも早く動いて斬る。単純な作業ですが、リッカさまのそれは圧倒的です。
リッカさまならば、あの敵も簡単に――。
「っ! あれは――」
ホルスターンが前屈姿勢を取りました。あれは、ホルスターンのマリスタザリアが行う、最後の攻撃です。二足歩行を可能にした強靭な足で地面を蹴り、何も考えずに眼前の敵への突進。角は飾りではありません。確実に相手を仕留める時にだけ使う、必殺の凶器……と、聞いています。
リッカさまならば大丈夫、そう思っていても……角に凝縮されていく悪意を見れば一目瞭然です。あれは、角を見た目よりも大きくしている。
(あんなの、知らない――)
震える体を自覚しながらも、私は再びリッカさまの前に出ようとします。お母様が杖を持ってきてくれているのが見えました。まだそれだけしか時間が経っていない事に、口の中が干上がってしまいます。時間が何倍も凝縮されているような……走馬灯を視ているような、感覚です。
「アリス!」
「っ――お母様! 投げてください!」
ひゅうと、乾燥した空気が喉を突き刺しました。でも、そんな事を気にする時間を、マリスタザリアは与えてくれないのです。
杖さえあれば、あの訳が分からない物であっても”拒絶”出来ます。だから、もう少し、後少し――。
杖を手に取るのと、突進は同時でした。時間が更にゆっくりになります。この時間の中で詠唱が出来たなら、守れたのに――。
(間に、合わな――)
何で私はこんなにも弱いのでしょう。所詮私は、”森”に飼われていただけでした。出来る気になっていただけの……子供でした。
「――シッ!!」
私の停滞は、一瞬でした。リッカさまの呼気が、魔力となって私を包み込んだ気がしたのです。
再び地面を踏みつけたリッカさまは、黒い魔力により造られた角を正確に読みきり、避けました。そして力強い斬撃を、マリスタザリアの首へと見舞ったのです。それは私の後悔すらも、切裂いてくれたようでした。
「グ――モ゛――」
刎ね飛ばされた首が地面に落ちて漸く、大きな体は倒れました。それまで、自身が死んだ事すら気付いていなかったかのようです。
マリスタザリアといえども、首を落とされて生きているはずがないのですが……それでも、その存在感と悪意には、警戒せざるを得なかったのです。
「……ぁ…………」
「リッカさまっ!」
ゆっくりになっていた時が動き出し、私はリッカさまの元に駆け寄りました。初めての魔力と魔法により、リッカさまの疲労が限界を超えてしまったのでしょう。意識を手放してしまったようです。
何とか、倒れる前に支える事が出来ました。それしか……出来ませんでした……。
「アリス……リツカさんは……」
「……眠っただけです。怪我一つ、ありません」
剣は、折れてしまいました。しかしマリスタザリアも、沈黙しています。敵の絶命を感じ取るまで、リッカさまは敵を見ていました。極度の疲労で意識が遠のいていたはずなのに……最後まで戦士であろうとしたのです……。
『残心と呼ばれる、武術の心得。相手が戦闘不能になるまで、剣士は気を抜かないんだ』
「武道……それが、リッカさまの……」
単独で、ホルスターンのマリスタザリアを倒しきったのですね。”強化”と”抱擁”という、攻撃魔法ではない、身体強化の魔法のみで……己の、技術のみで――立ち向かったのです……っ。その姿は、戦士でも剣士でもありません……!
何も知らされていないのに、何処だか分からない場所に飛ばされて、訳の分からない期待と祈りを受けたのに……リッカさまは私達の為に……。その気高き想いは、ただの戦う者では出せません。あの姿はまさに――”巫女”でした。
「あのマリスタザリアの首を……”精錬”を使っていない剣で?」
「こんな刃で、どうやればこの切り口になるのだ……」
「本物の近接戦闘とは、あれの事を言うのか……我々は剣を使えていなかった……」
(リッカ、さま……凄い……。貴女さまならば……本当に……)
今度からは、私も居ます。私の”拒絶”を最大限活用し、貴女さまを支える。当初の計画通りに、動くしかないという事ですね……。
リッカさまは戦う技術を持っているというだけでなく、戦う覚悟まで出来ていました。私だけが、なかった……っ!
(杖を手放すという失態を犯し、戦闘で一切役に立つ事が出来ず、リッカさまの戦闘を眺める事しか出来なかった……。最初から説明していれば……リッカさまに下がって貰う事も出来たはず。もっといえば、リッカさまが魔力に目覚める時間を取れたはずなのです)
『それは後悔でしかない。結果は今だよ。アルレスィア』
「しかし……っ!」
(私が、自分勝手に先延ばしにしたから……っ)
「アリス……。リツカさんを、休ませに行くのが先よ」
私の腕の中で眠るリッカさまの命を、感じます。そうです。まずは、休んでもらわないと……こんな硬い地面に寝かせたままなんて、ダメです。
自身の失態は、次で返します。言葉だけの謝罪に意味はありません。私は、務めを果たさねば……。
「ここは私達が収めておくわ」
「ありがとうございます。お母様」
リッカさまのお陰で、犠牲は出ていません。確かに、リッカさまが決断してくれたから、この結果があります。
アルツィアさまの言う事も尤もです。後悔に囚われる事なく、次に活かすのです。
「オルテよ、家まで――」
「私が運びます」
「しかし、アルレスィア様――」
「私が運びます」
「オルテ、アリスにやらせてあげて」
「ハッ……」
抱え上げたリッカさまは予想通り、羽の様に軽いです。この小さい体で、これ程の偉業を……。
オルテさんの治療を再度私が行い、集落の事を両親に任せた私は、自宅へ戻ってきました。リッカさまの介抱を申し出た際、少し魔力を練って威圧してしまったので……謝らないといけません、ね。
自室の、自分のベッドにリッカさまを寝かせます。何故でしょう。リッカさまが自分のベッドに寝ているという状況だけで私は……興奮? しているようです。
(何を変な事を考えているのですか、私は……リッカさまがぐったりしているのに……)
自身の頭を殴りたい衝動に駆り立てられましたが、リッカさまの身体検査を優先させます。力が一切入っていない、無防備な姿です。ここに来るまで、身動ぎ一つしませんでした……。
でも、傷はありません。あんなに近くで戦っていたのに、掠り傷が一つもないのです。私の能力とはまた別の、戦闘で優位に立てる物を持っていると感じました。
『リツカは悪意や人の気配を感じ取れる。それはきみと同じだ。だけど、より鋭い。更に――自身に起こり得る凶兆を感じ取れる』
「凶兆……?」
『数秒後、或いは数時間後、自身に起こり得る不都合な事を感じ取れる。第六感、というそうだ』
「それは……」
つまり、未来予知が出来るという事、ですか? それならば納得です。リッカさまのあの回避能力は、それ由来の物なのですね。
『未来予知ではないよ。悪意や人々の視線、大気の揺れや自然のざわめきから考察するんだ。未来予知のようだけど、あくまで――嫌な予感がする、といった物。余りにも正確だから、未来予知っぽいって、私も思うけどね』
起きるかどうかは分からない曖昧なものですが、アルツィアさまが自嘲的な笑みを浮かべるくらい、正確な感覚のようです。
(私の自嘲は……このリツカの能力が、どんな理由で生まれたか分かっているから、だけどね……。きみの能力と同様、人の身では起こりえない奇跡だけに、心が痛む)
嫌な予感、それだけであそこまでの正確な回避は出来ません。アルツィアさまの言い分から考えるに、リッカさまの洞察力が常人離れしているのです。
『そうだね。例えば、敵がぴくりと指を動かした。アルレスィアなら、そこから何を感じ取る?』
「攻撃が来る、でしょうか」
『上出来だ。それが実践出来るきみも、充分強者の器だろう。だけどリツカは更に、深く分かる』
今回のマリスタザリアもそうですが、攻撃を行う際に予兆があります。肩が動いたとか、指が動いたとかです。それを読み取る事で、戦闘を有利に出来ると……アルツィアさまに訓練をつけてもらいました。
でもリッカさまは、更に……深く出来るようです。
『指が動いたという情報だけでリツカは、上段からの振り下ろしなのか、切上なのか、はたまた突きなのか、そこまで分かる』
「能力の派生、ですか?」
『そうだね。能力に肉付けしているようなものだ』
曖昧な予兆という能力だった物は、リッカさまの努力によって予知と呼ばれるまでに昇華されました。単純な話リッカさまは……攻撃に当たらないのです。
『かといって、リツカの想像よりも速い攻撃や、理解出来ない攻撃は避ける事が出来ない。常に最悪の事態を考えられるリツカだが、向こうの最悪とこちらの最悪は違う』
「はい。その辺りも……説明、します」
説明責任を果たす。その気持ちをしっかりと、再認識しました。先送りせず、リッカさまの体調が戻り次第行います。
もう、友達ではいられません。これからは共に戦う仲間として……。
『友達でも良い。そこまで思い詰める必要はないよ』
「しかし……」
『私はいつも言っていただろう? 役目は大事だが、楽しむ事を止めないって』
旅ならば、旅を楽しむ。王都での出会いや食べ物、風景。アルツィアさまはそれらを楽しむ事を止めないと言っていました。
ですが、それと……私達の関係は……別物、ではないでしょうか……。
『リツカはアルレスィアと、友達として旅をしたがると思うんだけどね』
「……そう、でしょうか」
『本人に聞いてみたらどうかな?』
「そんな、恥ずかしい質問……っ」
(能力は閉じてるし、聞くしかないと思うんだけどね。涙目になるくらい嫌な事なんだから、しっかり確認するべきだ)
リッカさまに戦いを強いる私が、友達など……。でも、リッカさまと友人関係で居たいというのも事実です。
ですが、一向に目覚めないリッカさまを見ていると……っ私は、どうすれば……。