花
A,C, 27/03/08
心の疲労は色濃く残るのですが、リッカさまは回復しているようにみえます。実際は見せているだけ、なのですけどね……。
「いってらっしゃいませ、リッカさま」
「うん。いってきます、アリスさん」
日課であるランニングを始めたリッカさまを見送り、私は部屋に戻ります。
(あの日もリッカさまは、翌日には普通の姿を見せてくれました)
ですが実際は……零れそうな涙と、今にも張り裂けそうな絶叫を一生懸命に押し留めていたのです。それでも私に笑顔を見せようと、只管に……我慢していました。だから――私が、泣いて、しまったのです……。
情けない話です。リッカさまの恐怖と哀しみを取り除きたかったのなら、私はリッカさまを強く抱き締めなければいけなかったというのに……あんな、縋るようにしか抱き締められませんでした。
私の、リッカさまへの深い愛に気付いてからずっと、あの日を常に思い出します。もっと出来る事があったのではないか、と。私の想いが愛……だったのなら、リッカさまにもっと、掛ける言葉……出来る事が……あったのではないか、と。
リッカさまの心労が高まり、気の休まる場所がいよいよ宿の部屋だけになってしまって…………私は何時も、遅すぎます。考えすぎて、一歩目が遅いのです。
リッカさまの最良は決まっていますが、それは現状実現出来ません。だから最悪の状況を考え、それを取り除こうとしていますが……死や、それに類する出来事を除けば……現状はかなり、最悪の状況に近いです。
国民への周知は浸透しきれておらず、マリスタザリアは強くなる一方。魔王の足跡一つ見つからず、こちらの情報は筒抜けと感じる時があるのです。
これは”巫女”として最悪の状況です。そして、リッカさまの状況は……街を歩くだけで視線に曝され、襲撃を警戒し、戦う度に『恐怖心』を溜めています。
(リッカさま……。貴女さまの性質上、それは仕方のない事なのでしょう。ですが、心も疲労し……磨耗します)
リッカさまの精神は強靭です。普段のリッカさまならば耐えられるでしょう。今までずっと、十年以上『恐怖心』を溜め続けながらも普通で居られるリッカさまならば……今もさして問題がないと、思っているはずです。
(ですが……だからこそ、不安なのです)
いつか、その緊張が切れた時……あの”蓋”が開いた時、何が起こるのか、リッカさまですら分からないのですから……。そしてあの”蓋”は、空く時は空いてしまいます。あの夜のように……っ!
(だからライゼさんに……緊張と警戒心について話しましたし、連携を取っているというのに……)
どんなに苦しくとも、耐え難い出来事が起きようとも、リッカさまは私で……安らいでくれます。ですがそれにも限界があるでしょう。もし宿の中まで緊張が続いてしまうようになったら? 今後心休まる場所が作れなくなったら? リッカさまが避ける事すら出来ない、まさに化け物が……現れたら……? そう考え、もう一箇所増やそうとしたのです。少しでも心労を取れる場所を作り、万全に近い状態で戦いに望めるように。
(なのに……ライゼさんは……兄弟子さんの事をリッカさまに丸投げしました……っ!!)
兄弟子さんが十歳の頃に別れたとはいえ、親子のように育ったはずです。それなのにあの様は、不甲斐ないにも程があります。兄弟子さんの事はライゼさんが向き合わなければいけない問題です。リッカさまに丸投げしたところで解決になんて向かいませんよ。
(…………愚痴を言いながら朝食を作ってしまうと、味が落ちるかもしれません。とりあえず置いておきましょう……)
リッカさまの安らぎの一つである私の料理。それを最高の状態で出さない事が今一番の最悪です。
ライゼさんがリッカさまの刀を作っている以上、兄弟子さんの事は後回しにならざるを得ません。何よりライゼさんが声をかけてもまともな会話が出来るとは思えないのです。そうなると、リッカさまに対し「お前を狙う」発言をしたを兄弟子さんを止める事は、刀作りの障害になりえるでしょう。
リッカさまが狙われるのを納得した訳でも、理解した訳でもありません。ですが、ライゼさんに関しては仕方なかったと……今はしておきます。
「すぅ…………はぁ…………。よし」
深呼吸し、一旦気持ちを切ります。私の全ては今、リッカさまの全てとなりました。リッカさまを想い、愛し、最高の料理を――。
「――――」
この状態の私は、リッカさまの感情の揺れが分かります。屋上からリッカさまの姿が見えずとも、誰かと会っていたと感じられたのはこれのお陰です。
その感覚が今、リッカさまの呆れと敵意……そして、『恐怖心』を感じ取りました。呆れは、早速来たのかという物。敵意は私の敵になりえる相手だからです。そして『恐怖心』は、始まるかもしれない戦闘に備える前兆……。
(間違いなく――兄弟子さんです)
昨日の今日で襲撃をしてくるとは、赦せません。杖を掴み、玄関に向かいます。全力で走れば、二分と掛からない距離です。この際、人相手に使いたくはなかった、あの魔法を使ってでも――。
「……?」
リッカさまの呆れが、唖然へと変わりました。戦闘が起きる訳ではなかったようです、ね。一体何のためにリッカさまの前に顔を出したのでしょう。こうやって襲っていくぞ、という顔見せでしょうか。
(やはり、心を折るべき……いえ、今はリッカさまの無事を喜びましょう)
再び怒りで我を忘れそうになってしまいました。このままでは一向に朝食を作ることが出来ません。
兄弟子さんに対しリッカさまが慈悲を与えたのは、同情だけが理由ではありません。兄弟子さんの剣術に先を見たからです。もしかしたら、凄腕の剣士になるかもしれない、と。
ですから、心を折らずに自分を見つめなおすように誘導しようとしました。ここで折れば完全にその芽は潰れます。それは、誰も幸福にしません。私個人としては赦せませんが、あの人が改心出来る可能性が少しでもあるのなら……傍観しましょう。
リッカさまに直接的な被害を与えない限りは、ですが。
(私は分かっているはずです。ライゼさんと兄弟子さんへの怒りは……裏返せば、自身への怒りでしかないと)
ただの八つ当たりなのは間違いないのです。先日のアルバイトの際、リッカさまの息抜きが一切出来なかった事で、少々怒りが先行しすぎていました。もっと自分を見つめなおさなければ、魔法の腕も上がりません。私も私の弱さを、人の所為にしたくありません。
リッカさまが、リッカさまなりのやり方で『恐怖心』を克服しようと奮闘しているように……私も、もっと人を信じる道を探す努力を、しなければ。
アルツィアさまが言っていました。博愛主義でなくても良い。ただ、もう少し人に歩み寄れる子になって欲しい、と。
兄弟子さんのような方を見てしまい、再び迷うところでした。ちゃんと、人に歩み寄れる”巫女”となるのです。リッカさまに良い格好を見せようとしているだけの嘘吐きにだけはなりたくありませんから。
(ちゃんと、自分の想いにします。選任試験後に誓った想いに偽りはありません)
さぁ、今日の朝食を作りましょう。少々立て込んでしまったので、簡単な物になってしまいそうです。瞑想も、お預けですね。スープだけは力を入れましょう。サイドメニューは……主食次第ですね。
(そろそろリッカさまに、お米を振舞いたいのですが……)
どういう訳か、流通が滞っているようです。白米がなくなっていました。あの時買っておけば……。日持ちするお米を買わなかったのは、失態でした。
(後悔しないようにって、難しいです……)
でも、こういった平和な後悔なら……リッカさまの笑顔を引き出せるかも、ですね。
「ただいま、アリスさん」
「おかえりなさいませ、リッカさま。さぁ」
「ぅん……っ」
リッカさまが帰宅したので、日課を行い朝食にしましょう。頬を染めながら、腕を広げた私の胸に静々と抱きつくリッカさまの、何て愛らしい事でしょう。
ただ……リッカさまは、兄弟子さんと遭った事は言ってくれませんでした。私に心配をかけないように、という配慮だったようです。
リッカさまが、私の気配と私に向いた負の感情を何処に居ても感じ取れるように……私も、リッカさまの感情の揺れが感じ取れるのですが……。私を想っての秘密なので、暴く事はしません。
心配そうにリッカさまを見てしまったので、私が気付いていると気付かれたでしょうけど、ね?
今日は緊急性のある依頼がない限りは、一般依頼というお願いをしています。この事はリッカさまには内緒です。変に気を使われると感じてしまうと、リッカさまの緊張や負い目が息抜きの妨げになってしまうかもしれませんから。
「おはようございまス。巫女さン、リツカお姉さン」
「おはよう、シーアさん」
「おはようございます」
シーアさんが私達より少し遅れてギルドに入りました。目を擦っているので、欠伸をしたのでしょう。まだ眠いようですね。私達の魔法や技術を目の当たりにしたので、文書に纏めていたのかもしれませんが。
「ところデ、野蛮お兄さんがずっと睨んでますヨ」
野蛮さん辺りで落ち着きそうな渾名ですね。もちろん気付いていますが、私達は極力、兄弟子さんに関わらないという事で一致しています。
「十八歳は超えてるんですよネ。大人げないでス」
単純計算だとそうなります。ライゼさんが拾って十年育てたそうですが、何歳で拾ったかで二、三年は前後するでしょう。体調を診るに、お酒を嗜んでいる様子。一応法律では二十歳からと決まっていますが――兄弟子さんが守るとは思えません。
「お二人は何歳なんでス?」
「私は十六歳だよ」
『そういえば、アリスさんの年齢聞いてないや。なんで聞こうって思わなかったんだろう。歳気にする余裕なかったのかな』
余裕がなかったのは、事実ですね……。年齢を聞いた気になっていましたが、”巫女”になった時期が同じくらいという事を聞いて、それで納得してしまった部分があるのでしょう。実際、リッカさまが十六歳というのは初めてしりました。まさか、同じだったとは。
「私も十六です。リッカさまと一緒だったのですね」
「一緒だったんだね」
同じという事で、嬉しさで微笑み合ってしまいます。
リッカさまはもう少し上だと思っていました。幼い部分を残しては居ますが、大人っぽく、思慮深く、相手の気持ちを察して行動出来る方ですから、十八歳くらいかと。
『十八歳くらいって勝手に思っちゃってた。でも、アリスさんの無邪気な部分を見ると、納得かも?』
リッカさまも、私と同じ事を考えていました。十八歳という年齢は、微妙な境です。大人になる一歩手前であり、大人になれる年齢でもあります。当然大人になりたくない、なれない人も居ます。ですから、十六歳と十八歳の違いを明確にするのなら、親の庇護下に居られるかどうかの差だと思います。
十八歳はもう、自分で責任を取らなければいけない年齢です。リッカさまを見ていると、兄弟子さんの方が大人気ないと思うのも仕方ありません。リッカさまは自身の行動によって起こる責任をしっかりと理解してから、行動を決めようとしていますから。
(リッカさまと同じ年齢という事は)
一緒の年齢で”巫女”となったという事ですね。また一つ共通点が増えました。長い歴史の中で、こんな事があったのでしょうか。もはや奇跡のような合致です。これも運命なのでしょうか。
「お互イ、知らなかったんですカ」
リッカさまと出逢って、十日を越えました。確かに、これだけ長く一緒に過ごしていて、お互いの年齢を知らなかったのは……おかしいですね。シーアさんが表情を引き攣らせるのも無理はないでしょう。
「何度か歳を知る機会はあったような気がするのですが……その都度何か―っ」
『アリスさんの言うとおり何かあったような――っ』
「どうしましタ?」
シーアさんに尋ねられますが、一体何の事でしょう……。何かを考えていたような気はしますが、良く思い出せません。
頭に走った急な痛みに顔を顰めていたら、リッカさまも同じように頭を押さえていました。
「大丈夫?」
「はい、リッカさまも大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫みたい」
リッカさまが無事ならば、問題ありません。頭痛は一瞬で、体調に響くようなものではないようですから。
「シーアさんは何歳なの?」
「エ? えェ。十二歳でス」
困惑しながら、シーアさんがリッカさまの質問に応えました。年齢の話題でしたから、シーアさんに質問がいくのも流れとしては自然だと思いますけれど……何か疑問があるようです。
「十二歳で共和国のために」
リッカさまの中で、シーアさんへの尊敬の念が膨れ上がりました。
年齢の話の続きでいえば、十二歳とはまだまだ学ぶ年齢です。自分で物事を考えて生活していた子供達が、責任について意識し始める時期です。本来、自分の為に生きている時期なのですが……シーアさんはもう、共和国の為に動いています。確かに、敬意を持つ事に些かの躊躇もありません。
とはいえリッカさまも、その一年後には”巫女”となり……知らなかったとはいえ世界の為になっていたという事は、今言う事ではありませんね。
『私も今……賭けているんだよね。命……っを。平和になったこの世界はきっと、綺麗なんだろうなぁ。この目で、見届けたいけど……』
(……っ)
常に付き纏う、問題です。リッカさまと私の、避け様のない未来……。リッカさまに、平和になったこの世界を見せる時間くらいは……あっても、良いですよね。アルツィアさま。
「平和になったら、共和国にも行ってみたいな」
『事を成してすぐ帰るってこともないだろうし、少しくらい我侭を言っても、大丈夫だよね』
そうです。リッカさまには権利があります。私達が勝手に巻き込んだのに……帰える時までこちらの都合なんて……我侭というのなら、こちらの話です。
リッカさまが見たい場所、景色、人や物。何でも言って下さい。私も全力でお手伝いいたします。
「えェ、案内しますヨ」
案内は私がしたいのですが……残念ながら、私も……案内される側、です。ですからお手伝いとしか……。
「雪も見れるのでしょうか。昨日北のほうにいけましたけれど、見れませんでしたから」
「巫女さんは雪を見たいのですカ?」
もし仮に、アルツィアさまが身勝手であっても……雪だけは、絶対に……見たいです。一人で、ではありません。
「はい。リッカさまと、見たいのです」
「私も、見たいな。アリスさんと一緒に」
リッカさまだけは、分かってくれています。というより、リッカさま以外が知る由もないのですが。私は、様々な景色の中で雪への想いが最も強いです。だって、雪は……リッカさま、ですから。
本物の雪を見て、ちゃんと……六花に触れるのです。そして、雪のように儚い物ではなく……永遠の物として心に刻み込みたいと思っております。
(何か二人で約束でもしているんですかね。特別な思い入れがあるようですが)
「共和国の北側は雪山ですかラ。行けばみれますヨ」
シーアさんは故郷の景色を思い出しているのでしょう。少ししんみりとしています。いくら英雄的なシーアさんでも、十二歳の少女。妹好きで有名なエルヴィエール陛下同様、シーアさんも姉の為なら何でもすると言われている方です。きっと、寂しいのです。
でもこの場の雰囲気は、とても優しい。慌しいギルドの一角で、私達は少しだけ、未だ見ぬ平和な雪山に――思いを馳せていました。
「お待たせしました」
「おい、担当。今日は急ぎのはあるのか」
アンネさんが出てくるや否や、兄弟子さんが口を開きました。すぐにでも此処を出て行きたいと、顔に書いています。
「いえ、本日はありません」
「じゃあ俺はもう行く」
「緊急で入るかもしれませんので、”伝言”を受けれるようにしていてください」
チラリとアンネさんの方を見て、兄弟子さんは足早にギルドを去りました。知っていますか。視線を送るだけで返事になるのは、リッカさまと私のように心を通わせている二人だけの特権なのですよ。
「あれで返事したつもりなんですかネ」
アンネさんに伝わっていなかった場合を想定し、シーアさんがフォローを入れています。本当に、兄弟子さんとシーアさん。どちらが年上か分かりません。
「でハ、私も自由にさせてもらいまス」
ぴょんと椅子から跳ねるように降り、シーアさんもギルドから出て行こうとしています。ギルドの慌しさは日に日に激しさを増しているようです。用事がない者はすぐに出て行った方が良いのは、間違いではありません。
「今日も宿のお手伝いあるのですカ?」
「はい。緊急任務がなければ入るつもりです」
「それでハ、その時に行きまス。また後ほド」
元々、”巫女”が手伝っている宿の休憩所に興味津々でしたから、非番の時に来ると思っていました。ですがシーアさん。一体何をしに行くのか、表情から駄々漏れです。私達の情報を集めに行くのでしょう?
『シーアさんに連絡入れた方が良いのかな。私は”伝言”、全然出来ないけど』
「私がシーアさんに連絡を取りますので、ご安心を」
「ありがとう。アリスさん」
リッカさまは”伝言”を一切出来ませんでした。出来るには出来るのですが……私の耳元で囁くような距離でしか発動しなかったのです。正直に告白します。凄く、ぞくぞくとして……気持ちよかったので、もう一度リッカさまの”伝言”を――こほん。
リッカさまが”伝言”を特に苦手としているのは、すまーとふぉん? という物が理由です。その機械でしか遠くの人と連絡手段がない上に、生活に欠かせない物となっているので、特に想像しにくいのでしょう。
火や水は、想おうと想えば思えるはずです。恐らく、ライターという道具の、形だけ真似た物を持って魔法を使うだけで、使えるようになると思います。
「いえ、その必要はないかと。お二人が働きだしましたら、宿から”告知”が出されますので」
(告知……?)
「告知?」
「宿のサービスと契約致しますと、宿のほうから小さい黒板を渡されます。その黒板に告知が浮かびあがるのです」
なる程。”転写”と”伝言”の応用ですね。黒板に書かれた文字を”転写”として記録し、伝言紙を組み込んだ黒板に”伝言”するのでしょう。中々面白い魔法です。
人の数だけ想いが生まれ、新たな魔法が出来上がります。何れ、アルツィアさまの知らない魔法も増えていくでしょう。アルツィアさまはきっと、そういう世界を楽しむのでしょうね。人の成長こそ、無限の時を生きる神の楽しみと、言っていましたから。
『そんなサービスがあるって、私達聞いてないんだけど……』
と……リッカさまの困惑も当然です。私もこのサービスは知りませんでした。
「それにお二人が働き始めると、告知より先に周囲に知れ渡るそうですから。心配はいらないかと思います」
『噂好き、極まれり……かな? 私達の一挙手一投足、見られてるって事、だよね』
確かに、プライバシーの欠片もないサービスと国民性です。ですが、私はそれでも良いと思っているのです。
「平和な証拠ですね。ふふ」
『んー……ちょっと納得出来ないけど、確かに平和なのかな。こんな些細な日常で盛り上がって、カフェに行こうとするって、平和じゃないと出来ないもん』
色々な問題が増えている、マリスタザリア事情。ですが、国民達は平和な日常を謳歌しています。
それで良いのです。ちょっと困惑し、苦笑いが出そうな状況でも……平和なのが一番なのですから。




