譲れないモノ⑫
「帰ろうか、アリスさん」
「はい、リッカさま。――お怪我がなく、よかったです」
本当に、良かったです。リッカさまだから、”風”も避ける事が出来ていましたが……当たればただの裂傷では済まなかったはずです。
常人の”風”は、良くても人の肉を断つ程度です。これでも凄い事なのですが、兄弟子さんは剣でマリスタザリアの肉を、骨を断てます。であれば……”風”にもその想いを乗せる事が可能です。切れ味でいえば、兄弟子さんの”風”は特級の中でも最高峰でしょう。
この世界で三人しか居ないであろう、剣でマリスタザリアを両断出来る者の中で、最も鋭い切れ味を出せる人という事です。
戦いは鋭い剣撃を行えれば強いという訳ではないので、イコール最強という事にはなりません。実際には踏み込みや反撃、陽動等の要素が複雑に行き交い、一撃の重さを何倍、何十倍にも跳ね上げます。
数値で示すのは愚かな行為ですが、剣を持っただけの冒険者を一とし、”風”を駆使した兄弟子さんを三とします。一と三の差は、個人でマリスタザリアを討伐出来るかどうかです。それに対し、魔法を使って全力を出したライゼさんは……十です。
剣をただ下に下ろした場合の切れ味でいえば、”風”を得意とする兄弟子さんが上ですが、技と経験が加わるとこれ程の差があります。
(リッカさまは十では収まりませんが……”風”を駆使する兄弟子さん相手では、怪我という言葉で片付けられなかった可能性があるのは、事実なのです)
先刻話したとおり、私の”治癒”では切断された部位は……治せないのです……。私の心配が尽きないのは、リッカさまの実力を疑っているというより……自身の能力不足ゆえに心配するしかない、自身の不出来さに……歯噛みしているのでしょう。
(リッカさまのお言葉で冷静になる事が出来たから、そう思えました)
改めて自身を見詰めなおせて、良かったです。切断、死が……どうにも出来ないのなら、やはり……遠くに”盾”を出せるようにするか、リッカさまを完璧に守る事が出来る”領域”、もしくは”アン・ギルィ・トァ・マシュ”を撃っても魔法を使用出来るように魔力と効率を高めるようにするべきです。
(やるべき事は変わりませんが、緊急性が高まったのは間違いありません。どれか一つでも、すぐに実現させないといけません……)
「ごめんね、心配かけちゃって。我侭も言っちゃった」
「いえ、リッカさまが怪我するかもしれないのが、嫌だっただけです。でも、ちゃんと無傷で帰ってきてくれました。それだけで……いいのです」
喧嘩は確かに、好きではありません。集落でも起きていましたが、見たい物ではありませんでした。そんな私個人の理由とは別に、リッカさまは……『恐怖心』を感じていたのです。兄弟子さんに傷つけられる可能性、これから喧嘩をする事、相手を傷つけてしまう事も当然の事ながら……私が、危険に曝される事に対して、最も……。
だから、喧嘩をしないという選択肢を失くしたのです。これは、あの晩から始まってしまった、私達の矛盾です。
これもまた、お互い譲れない想いがあるから起こってしまうのです。リッカさまは私を守る為なら、他の『恐怖心』を押し殺します。私は自身の、”巫女”としての務めを手放そうとも、貴女さまの為に動きます。
これらが複雑に絡み合い、私達は常に譲歩と妥協によって同じ道に入るのです。私達は似ているようで、似ていません。お互いを至上の存在とし、最大限優遇しているようでいて、そうではありません。
(至上の存在ではありますが、優先出来ているかといえば……現状では、出来ていません。私達は”巫女”、ですから)
「うん。アリスさんを悲しませたり、しないよ?」
「えぇ、私も、リッカさまを悲しませたりしません」
この約束もまた、同じ想いに見えて……違います。結果は同じでも、過程は大きく違うのです。お互いの事を最大限理解し、誰よりも深く繋がっている私達ですが、想いを譲る事は――どんな理由があっても、しないのです。
「いこっか」
「はい」
それでも私達は、共に歩めます。隣に立ち、肩を寄せ、笑顔で歩けるのです。過程が違うのは当たり前。そうやって、時には正反対でありながら私達は、同じ結論に至ります。それは、お互いがお互いを愛……している、証拠です。
今日のある出来事がなければ私は、リッカさまからの想いを……有耶無耶にしたでしょう。ですがきっと、リッカさまの想いは限りなく私に近い物、のはずです。
(あの現実があっても、『きっと』とか『はず』とか……曖昧な言い方しか、出来ないのですね……私は……)
リッカさまの想いが強くなればなるほど、私の”負い目”が……大きな首を、もたげます。
この”負い目”から抜け出す方法は一つです。
(リッカさまが笑顔で、あちらの世界に…………五体満足で、怪我なく帰る……事)
その時私の想いを、リッカさまの想いを、告げる暇があるかは分かりません。ですが、もし……想いを告げられるのであれば――。
(――これは、早急すぎます)
リッカさまにはリッカさまの道筋があります。ですから、私がリッカさまの想いを誘導するような事があってはなりません。確かに私はリッカさまを深く、強く、果てしなく愛して、います。そこにはブレない想いがあるのです。
私は、リッカさまさえ幸せで生きてくれるのなら、それで良いのです。長々と理由付けをしていきましたが、究極的にはこれが全てです。何れ”森”に帰りますが、そうなったら――貴女さまを永久に愛すると誓います。
「リッカさま、本日もお手伝い頑張りましょう」
「診察、私がしていい?」
『あの服だと、視線増えちゃって……アリスさんに集中し辛い……』
私も、メイド服を着たリッカさまが……男性の視線に曝されるのは我慢なりません。ですが、診察は私が行うしかなくなってしまいました。
(私の想いどうこうではなく、状況が、です)
屋内という閉ざされた場所ですから、”浄化の世界”によって大勢を浄化出来るようになったのもありますが、一番は……。
「アンネさんが言ってましたけど、リッカさまじゃなく私にして欲しいって人が多いようです」
『……殴られたいって人なんて、居ないだろうし。そうなると――自分のほうの視線は無視して、アリスさんの方に集中しておこう』
「だよ、ね」
昨日、ギルドが集めていた浄化の感想をお聞きしました。その多くが感謝の言葉でしたが、リッカさまの浄化は少し痛みがあって吃驚した、というものが少なからずあったそうです。
この声を放置してしまえば、再びリッカさまの評価が迷走してしまいます。リッカさまへの感謝も添えられていましたが、噂とは得てして、不の噂の方が盛り上がってしまうものなのです……。良い噂の風化は早いですが、悪い噂はずっと残り続けています。史実はその限りでは、ありませんが。
(それに――)
「リッカさまはどうしても近づかないといけませんから……。アルツィアさまから聞いた話ですが、世の中には美少女なり美女なりに殴られて喜ぶ方が居ると……」
「ん……どうかした?」
『小声で、聞き取れなかった……。国民に暴力女って思われてる事がショックだったからっていうのもあるけど……ちゃんとしないと、これからもっと、アリスさんを守らないと、いけないんだから』
「いえ、私に診察はお任せを」
凄く俗な理由になってしまいましたが、浄化に手抜きはないと誓います。
「無理はダメだよ?」
「はい!」
リッカさまが差し伸ばしてくれた手を取り、指を自然と絡めます。兄弟子さんがどんな態度で王宮から出て行ったかは分かりませんが、もしかしたら不穏な空気を帯びていたかもしれません。ですが私達がこうやって自然体で出て行けば、払拭出来るはずです。
「リッカさま」
「ん?」
「ウィンツェッツさん――兄弟子さんが明朝から襲ってくるかもしれません。日課の際はお気をつけ下さいね?」
「うん。襲う気が起きないくらい力の差は見せたつもりだけど、分からないもんね」
「そうですね……。リッカさまの慈悲に気付いていないでしょうし……はぁ……」
『あ。憂いを帯びた表情も、綺麗だなぁ――って、場違いな感想かな。でも、私の前だと中々見られないし』
思わず、偽りのないため息が出てしまいました。リッカさまはこんな私の表情すら綺麗と言ってくれますが、出来るだけリッカさまの前でため息をつきたくはなかったのです。
やはり、兄弟子さんとは相容れません。あの人は私の想いを侵し、怒りにも似た感情を呼び起こしますから。
(これが八つ当たりであり、お門違いなのは重々承知しております)
ですが私は、女神でもなければ聖女でもありません。むしろ人並み以上に好き嫌いの激しい人間ですから、ね。
アルレスィアがウィンツェッツの評価を更に下げていた頃、ウィンツェッツの苛立ちは頂点に達しようとしていた。
「クソが……」
ぼそりと呟いた言葉は、店主の耳に入ったようでびくりと肩を震わせている。ここは保存食売り場のようだ。ただの保存食として、有事の際に備え買う者が殆どだが、仕事帰りにつまみとして買って行く者も居る。塩気が丁度良いらしい。
「お、お客さん。何か不備が……?」
「あ゛?」
「ヒッ……」
ただ歩くだけでも威圧感がある男が、あからさまに不機嫌になっている。それだけで市場はざわめいてしまっていた。
「お。ツェッツさんじゃないっすか」
先日、とある任務の話し合いで知り合ったジーモンがウィンツェッツの肩を叩いた。しかし不機嫌さを増したウィンツェッツは無視を決め込んでいる。
「あら」
「……ツェッツと呼ぶんじゃねぇよ。阿呆」
一向に離れないジーモンに、ウィンツェッツの方が折れる形となった。ジーモンは笑顔になり、ウィンツェッツが見ていたつまみをいくつか買っている。
「俺も阿呆じゃなくてジーモンっすよ。ウィンツェッツさん」
「呼び捨てで良い。何の用だ。見て分かんだろ。俺ァ今機嫌が悪ぃ」
「そんな時はこれっすよ」
ジーモンが酒を見せ、暗に一緒に呑もうと提案している。
進んで近づこうと思う者等居ないウィンツェッツに、数十年来の友人の如く話しかけるジーモンにウィンツェッツは目を細め眉間に皺を刻んだ。元々騒ぐのが好きな人間ではない上に、距離感の掴み辛い相手は特に苦手だった。
「呑めたっすよね」
眉間に皺を寄せたウィンツェッツを見て、ジーモンは自身にそれが向いたのではなく、酒に向いたと思ったようだ。先日呑んでたよな? という満面の笑みで酒をズイと前に突き出した。
「今度一緒に仕事するんすから、もうちっと交流しておいて損はないっすよ。隊長も後から来るそうっすから」
「……はぁ……分ぁった。場所だけ教えろ。気が向いたら行くからよ」
「絶対っすよ。北の空き地でバーベキューっすから、煙に向かってれば着くっす」
ジーモンの押しに負けたのか、その人柄に負けたのか、ウィンツェッツは無視ではなく、適当に答えた。
「そういえば、巫女様達と任務だったんすよね」
「何で知ってんだ」
「そりゃ王都だからっすよ。それで、どうだったっすか?」
(どういう意味だよ……)
「強ぇよ。あの阿呆――ライゼルトよりもな」
ディルクからライゼルトの事は禁句とされていたジーモンは、反応に困ったのか目に見えて狼狽していた。
「ライゼさんも、自分より強いって言ってたっすね」
「だろうな」
思いの外普通に受け答え出来ているから、ジーモンは安堵しながら会話を続けた。狼狽し、変な所で気を使い、安堵したジーモンは気付かない。ウィンツェッツの目の奥にギラついた敵意が見えていた事に。
「護衛任務って話なら、言っておきてぇ事が――」
「あ。それは自分で隊長に言って欲しいっす。そうすれば来ないといけないっすよね」
「は」
「それじゃ、待ってるっすよー」
最後にまたウィンツェッツの肩を叩き、ジーモンは軽く走り出した。
「……チッ」
ウィンツェッツの野蛮な振る舞いと睨みつけるような視線には意味がある。これは――威嚇だ。獣が敵対者を追い払う為に、開戦させない為に行う最初の行動。
ウィンツェッツは過去の出来事により、人を信用出来ずに居る。だが根元は――。
(仕方ねぇ。担当から隊長に報告が行くだろうが――報告しねぇわけにもな)
アルレスィアとリツカが感じ取った通り、責任感があり、相応の配慮も出来る青年なのだ。
威嚇したにも関わらず普通に接するディルクとジーモンに関しては、そこそこ信用しても良いと思ったようで、頭を掻きながら北の空き地に向かって歩き出した。
宿に戻り、浄化とお手伝いを開始しました。浄化自体は一度で終わる人数だったので、少し方針を変える事にしましょう。
「まずは診察を行います。しかし帰らずに少々お待ちください。最後に浄化をしますので、お時間をいただけませんか」
了承を得て、診察を始めました。浄化を一度に出来るようになり、診察の時間を少し延ばせます。その時間で、”悪意”の質を見極めましょう。コツがあればそれをリッカさまと共有し、感知の基準にしてもらいます。
そのリッカさまですが――。
(やはり、警戒心が……)
先日までは少し強まった程度でしたが、兄弟子さんが襲撃してきたからでしょう。”巫女”でも襲われる可能性が明確なものとなってしまい、警戒心が色濃く、出てしまいました……。
(もはや、休憩所で息抜きは難しいかもしれません、ね……)
私が厨房に入っても、警戒心は変わらないでしょう。なにしろギルドの一件で、視界に入らずとも攻撃出来る可能性が出てきていたのですから。そして……この警戒心は、リッカさまの心を削ります。他者を疑わなければいけないこの状況自体が、あの感情を逆撫でしまうというのに……。
(早めに相談しておいて、良かったです)
恐らく、明日にでも一般依頼として出されるはずです。そこで……リッカさまに癒しの場を。彩り豊かで、心を落ち着かせる香りを楽しむ事が出来るあの場所なら、警戒心を持っていても少しは……気が安らぐ、はずですから。
さぁ、浄化をして私も厨房へ入りましょう。リッカさまに下心を持った者達が常に見続けているのを止めたいです。リッカさまがを守る為に警戒心を強めてしまっています。ならばリッカさまを守る為に私は私の感知能力の全てを使いましょう。
最近この感知能力に自信が持てなくなっていますが……ちゃんと機能しています。まだまだ使えるはずです。リッカさまを守るくらいの感知は、出来るはずなのです。




