譲れないモノ⑧
本当に、本当に残念な事です。交流会を兼ねての昼食という事もあり、手頃なお店での食事となってしまいました。リッカさまに私のスープをお出しする事が出来ないのです。本当に……残念です。
結局ライゼさんが、シーアさんに噂の全貌を話した事も。
「血まみれですカ。見てみたかったようナ、見たくないようナ」
「俺も血まみれには面食らったが、その後聞いた化けもんを投げたっつーのが気になって仕方なかったがな」
『赤髪から、赤の巫女って呼ばれるなら良いけど……たぶん、血塗れの意味合いの方が強いよねぇ……はぁ……』
ライゼさんの説明は正しく、噂が微塵も介入していないものでした。マリスタザリアを投げた技も、力ではないという事もしっかり言ってくれました。ですけど、ならばなぜ怪力娘と呼ぶのでしょう。親しみやすさというのなら、血塗れはないでしょう。よりにもよって、リッカさまに血塗れなんて……リッカさまは、自身の髪が血の色だと、気に病んでいるのですよ……?
(ライゼさんが渾名をつける理由は……分かっています。多分、その方が楽だからです)
理解出来ない技は恐怖心を呼びます。当然それはリッカさまを遠ざけるでしょう。投げる原理を一から説明しようとすれば、時間がいくらあっても足りません。だから、怪力の一言で片付けるのです。
(リッカさまは怪力と呼ばれるのを嫌がるので、しっかり否定したいのですが)
もはや、ここまで広がった噂を払拭するのは難しいでしょう……。せめて赤の意味が血ではなく、鮮烈な技と赤い髪に変わるように……願います。
(あ――ライゼさんへの苛立ちが復活してきました。やっぱりもう一度、しっかりと釘を刺すべきでしょうか)
「木の棒を使わないなラ、今日見れるのでしょうカ。武術って言うのヲ。王様も言ってて気になっていましタ」
……怪我をさせず、相手を封じる術をリッカさまは持っています。ですが、それでは折れません。押さえ込まれるだけでも屈辱でしょう。ですが足りないと、リッカさまは思っています。
もっと凄いものを見る事が出来ますよ。派手ではありませんが、呼吸すら忘れる程の――舞踊を。
「陛下が、知って?」
「えェ、相手の力を使って投げル。と言っていましたガ。噂の巫女さんの片方が肉体派とは思いませんでしタ」
「肉体派ではありますけど、力自体は平均的ですよ……?」
自身の腕力がない事を証明する為か、リッカさまは袖を捲り上げて二の腕を露出させました。肌理細やかな、陶器のような艶を持った腕を、シーアさんがツンツンと突いています。突いているだけでなく、揉み、確かめています。
「確かニ、硬さはありますけどしなやかでス」
「武術を見たいようですけど、今日は見せることはできそうにないです」
「怪我すらしないって言ってましたけド。どういうことでス?」
「まぁ、楽しみにしとけ。魔女娘。いいもんは見れるだろうよ」
(その辺にしとけ。巫女っ娘がやべぇ――って、コイツ……わざとやってんな? 巫女っ娘を弄ってんのか……腕白すぎる)
柔らかいでしょう。すべすべしているでしょう。リッカさまが力持ちではないと証明する行為ですから止めませんが、本来なら実力行使も厭いませんよ。リッカさまに触れて良いのは……。
(私だけ――)
『ライゼさんも、まさか私がここまでキレてるとは思ってないだろうなぁ。でも、仕方ないよね。自身に敵意を向けた相手であっても、慈悲を与えるアリスさん。そんなアリスさんを私は守りたい訳で』
ライゼさんも、リッカさまが何をしようとしているか分かっています。ですが――まだ完全ではありません。リッカさまがどれ程キレているのか、まだまだ甘く見ています。
リッカさまは、私が兄弟子さんに慈悲を与えていると思ってくれているようです。ですが私は、慈悲ではなく――同情しているのです。過去何があったのかまでは判りません。ですが、ライゼさんが親の顔で優しく馬鹿と呼ぶのです。つまりそれは……昔は真っ直ぐで、良い子であったという事実。
この世界で性格が歪むのは、珍しい事ではありません。何らかの原因でライゼさんの元を去った。それがいつだったかは不明ですが、子供だったのは間違いないのです。つまり、子供うちから一人で、この世界を渡り歩いたという事になります。
その過去を思えば、あの荒々しさも納得出来ます。弱者では生きていけなかったでしょう。素直では進めなかったでしょう。ですから私の感情は、同情なのです。
『だから私が――兄弟子さんを完膚なきまでに潰す』
リッカさまも薄々、兄弟子さんが厳しい人生を歩んでいたと感じ取っています。ですが、リッカさまは止まりません。むしろ感じ取ったからこそ、一度折ろうとさえ思っているかもしれません。そうすればきっと――ライゼさんともう一度、話し合う機会が生まれるかもしれませんから。私に慈悲があったというのなら、その一点だけでしょう。
「リッカさま?」
私を想っていたからか、シーアさんとの触れ合いが終わったらしいリッカさまは私を見ていました。ただ私の顔ではなく、私が食べているサンドイッチを、ですけど。
「んーん、なんでもない。おいしいね、これ」
誤魔化すように、リッカさまもサンドイッチを頬張りました。分かっております。リッカさまが私を見ていた時、丁度私はサンドイッチを食べている最中でした。ですからリッカさまが気になっていたのは、サンドイッチではなく――。
「ふふ、そうですね。私のは卵サンドですよ」
分かっているからといって、それを直視するのは恥ずかしいです。だって、それは……リッカさまが私のそれに見惚れていた、という事です。その事実だけで、心臓が跳ね上がります。
『こぅくるあ、だっけ。集落で食べた卵焼き、おいしかったなぁ』
「まだ、一月もたってないのに、なんか懐かしいよ」
リッカさまが、集落の頃を思い出しています。過酷な旅と聞かされ、緊張していっていましたが……私の料理に心の安らぎを覚えていた頃を――。
『今でも思い出すなぁ。初めて食べたアリスさんの料理。味も、食感も――ゲルハルト様、怒ってたなぁ……』
「食べますか?」
お父様の事、今は思い出さなくて良いのです。次会う時はしっかりとした親の顔を見せてくれるはずですから。なので今は、サンドイッチを食べましょう。こちらの卵サンドも美味しいですよ、リッカさま。
「ありがとう、アリスさん」
「はい、あーん」
私が差し出した卵サンドに、リッカさまの手が伸びてきました。当然、そのまま受け取って貰っても良かったのですが――リッカさまが追想していたように、私も追想していました。リッカの夢を。
「う、うん」
ですから、そのまま食べて下さい。あーんっていうの、やってみたかったんです!
恥ずかしそうに、それでも着実にリッカさまの唇が私のサンドイッチに近づいています。髪を当たらない様に、耳に掛けながら――さり気無いそんな仕草が、こんなにも妖艶……。
はむっと、リッカさまの口がサンドイッチを捉えました。妖艶だったのも束の間。もぐもぐと食べているリッカさまは可愛らしいです。しかしこの……あーんって凄いです。これがもし、私の料理だったら……もっと――。
「うんっおいしいねっ! 私のも、食べる?」
お返しに、と。リッカさまもサンドイッチを差し出してくれました。夢にまで見た――夢を見たのはリッカさまですが、私の夢でもあった食べさせ合いです!
「はいっ! あーん」
リッカさまのサンドイッチに近づく途中で、私は気付きました。この場合気付いてしまったというべきでしょうか。リッカさまは、その……食べかけの方を向けてしまっていました。
こ、これではその――関節…………。
「んー! おいしいですねっ!」
「そうだね。じゅーしー、って言うのかな」
私は、食べる事を選びました。あの場で指摘するのは、リッカさまに失礼です――なんて、言い訳はしません。リッカさまが気付く前に、いただきました。火照ってないでしょうか。心臓破裂しないでしょうか。リッカさまと少しだけ深く、触れ合ってしまいました。
これからリッカさまが決闘をするというのに、私は今の時間が終わらないで欲しいと思っています。
(こ、今度は私も……食べ掛けの方を…………いえ、それは流石に……)
ただの、食べさせ合い。そんな素敵な時間が、更に。本当にリッカさまは……無自覚に私を幸福にします。
(次は私の料理で。そしてリッカさまも、関節…………に、気付いてから、食べて欲しいです)
私だけこの気持ちを味わうのは、不公平です。リッカさまにも体験して欲しいです。でも一つだけ、問題があります。料理の味が……殆ど判りませんでした。
「ねェ。お師匠さン。今リツカお姉さんのカツサンド、口をつけたほうを」
「魔女娘、野暮なこたぁ言うな。店員。この魔女娘にアイス頼む」
「かしこまりましたー」
(魔女娘って、その子? ライゼさんがせっかくこのお店に来てくれたのに、女の子ばっかり連れて……。はぁ……アンネだけじゃなく……)
ライゼさんとシーアさんが何か話していますが、私は暫くそちらに反応出来ません。食べさせ合いで起きる、料理の味が判らなくなる問題を解決する為に考えなければいけませんから!
「食ったか」
(本当は全然足りませんけど、まァ後で良いでしょう)
「はイ。ごちそうさまでした」
シーアさんがアイスを食べ終わったので、お店を出ましょう。兄弟子さんを待たせる事に躊躇いはありませんが、お昼すぎとはいえ結構人の出入りが多い人気店のようですから。
「そんじゃ、連絡は俺がやっとくぞ」
「お願いします。私はちょっと宿に寄ってから行くので」
「あん? そんじゃ、王宮前に来い」
王宮前、ですか。戦える広場まで、そこから案内するのでしょうか。
「私も着いて行きますかネ。巫女さん達の自宅は知っておいた方が良いでしょうシ」
「そうですね。後でシーアさんの宿も教えてください。アリスさん、それで良いかな」
「はい。異論ありません」
「こちらも構いませン」
何かあった時、お互いの家を知っておいた方が良いのは言うまでもありません。一度ギルドに集まるでしょうし、集合場所もそこになりますが、家すら知らないのでは連携も何も無いです。
「集合は三十分後にしとくか。家の確認が終わったら来い」
「ライゼさんの家は良いんですか」
「俺は今武器屋で過ごしとる。用があったらそっち来い」
「あ、はい」
『家に帰る暇も惜しんで……。そんなライゼさんを私闘に巻き込んで……』
リッカさま、安心して下さい。その私闘、ライゼさんの所為でもあるのです。弟子の不祥事は師匠の責任でもあるでしょう。
「ま、気にすんな。あの馬鹿弟子をボコボコにしてやれ」
「ですから、ボコボコにはしませんって。ライゼさんは分かってるでしょう」
「精神的にだ。精神的に」
はぁ……とりあえず、宿に向かいますよ。多分、リッカさまはアレを取りに行くのでしょうから。
「ここですカ」
宿の外観を見て、シーアさんがほうと息を吐きました。数ヶ月、場合によっては数日程度の宿泊ですが、それにしては大きい宿です。かなり優遇されているので、それを見せるのは少々恥ずかしいですね。
「いっその事王宮に住めば良かったのではないでしょうカ。”巫女”を住まわせるならそれくらいした方が良いと思うのですけド」
(正直、冒険者をやっている事も驚きだったんですけどね)
そう、思ったのですけど……シーアさんからすればこの宿でも足りないそうです。リッカさまも私も、高待遇になりすぎると気後れしてしまうので……これ以上はやっぱり、恥ずかしいのです。
「ここも、凄いですよ? 厨房つきだったり、充実してます」
『それに、冒険者業をしながら自立した生活をって決めてたから』
シーアさんの基準で言えば足りないのかもしれませんが、私達の基準では充分すぎるのです。何より、王宮暮らしにしろ、何処かの宿にしろ、私達は税金暮らしとなります。なので最初は安めの宿で、冒険者の給金が入ってから――という流れだったのですが……この宿となったのです。
コルメンス陛下が色々と根回ししていたようですけど、宿の為になるお手伝いも出来ていますし、冒険者としても働けていると思っています。一先ずは、コルメンス陛下の期待に応えられているはずです。
(まァ、そういうと思ってましたけど。リツカお姉さん的には厨房の有無が重要なんでしょうか。お師匠さんが腹ペコ娘とか言ってましたし、私と同類? 食べ物談義とか出来るんでしょうかね)
宿に入り、部屋に向かいます。部屋の前に着きましたが――。
「シーアさん、先に一つ」
「はイ」
「奥の個室には入らないようにしてくださいね」
「ん、分かりましタ」
好奇心旺盛で悪戯好きのシーアさんですが、王室育ちです。私達よりずっと高度な教育を受けているので、勝手に部屋に入るといった行動はしないと思っています。ですが、念には念を、です。もしもがあってはいけません。奥の個室――リッカさまの部屋は、私も入った事がないのです。何しろあそこには……リッカさまの、秘密があるのですから……。
「確かニ、二人で暮らすのなら充分な部屋ですネ」
(元々個室に入るつもりはありませんでしたけど、止められると入りたくなりますよね。まァ、止めた時の巫女さん本気でしたし、入りませんけど)
リッカさまが個室に戻っていきました。おかしい、ですね。私達が普段着ている衣服は、”巫女”のローブや寝間着含め、広間のクローゼットに入れているのですけど……。
(個室にあるのは、リッカさまの――)
「私は準備出来たよ」
ああ――ライゼさんの事を言えませんね。私も、リッカさまの怒りを見誤っていました。本当に、まさか――ここまでとは。
宿を出て、シーアさんの宿にも行きました。王都北の一角にある、寝泊り出来るだけの宿です。シーアさん曰く、古本屋の近くなら何処でも良かったとの事です。食事も、王都内を歩き回るついでに食べるから必要なかったと。
「少々早いですガ、王宮前に行きますカ」
「はい」
いよいよですね。まさかこんな時に――もう一つの夢が叶うとは思いませんでした。また見る事が出来るなんて……。
「……」
「久しぶりだな、馬鹿弟子」
王宮前に着くと、すでに兄弟子さんとライゼさんが居ました。当然ながら、睨み合っています。リッカさまはライゼさんの前座。本来はこの光景が正しいのです。
「これから喧嘩するのっテ、お二人でしたっケ」
「喧嘩で済みそうにないですけど」
リッカさまのため息が全てを物語っています。王宮前で、なんて物騒な殺気を纏っているのでしょう。二人共。
「相手を間違えんな」
「チッ……赤ぇのの次はてめぇだ」
これも一つの親子の形なのでしょうか。
「アンネちゃんから聴いとると思うが」
「ハッ。ライゼ様がやって来たら通すようにと。その……何が始まるんですか?」
「気になるわな。だがまァ気にすんな。ちょっとした遊びだからな」
他人に見せられる物ではありません。多分今の王都で、一番話題になっている五人ですから、気になるのも無理はないと思いますが……。しかし、どうして王宮に入るのでしょうか。
「訓練場ではないのですか?」
「訓練場は常に埋まっててな。アンネちゃんに、人の視線が少なく程よく広いっつー条件でお願いしたら、ここをってな」
(あー……)
そんな特殊な条件ですと、ここ以外ありませんね。リッカさまは何処に居ても目で追ってしまう、太陽の様なお方。王宮の広場でもない限り、視線は常にありますから。
「さて、どうすんだ」
「あ゛?」
「喧嘩に決まりもなんもねぇが、終わりは必要だろう」
ライゼさんに話しておいて良かったですね。リッカさまならば問題はありませんが、決まり事があれば行き過ぎる事はありません。お互い納得した範囲を超えた時、ライゼさんが止めに入りやすいです。
「兄弟子さんが決めてください」
後ろ手を組み、余裕の態度を崩さないリッカさまが兄弟子さんに決定権を渡しました。どんな決まりであろうとも、一切問題はないと見せ付けているようです。
「そんじゃ――」
「待て、兄弟子って呼んでんのか」
笑いを堪えるように、ライゼさんがリッカさまの「兄弟子さん」発言に食いつきました。
「なんでそんな風に……あぁ、そうか。あんさん、舌っ足らずだったな」
「うぐ」
「お前の名前、呼びにくいもんなぁ。カカカッ」
ライゼさんと兄弟子さんの関係性が、少し滲み出ましたね。兄弟子さんの怒りは本物。凄く歪んでいます。ですが、ライゼさんは結構無理しているのでしょう。本当は今でも、心配で心配で仕方ないのです。
「そういうライゼさんは、兄弟子さんのことはお前呼びなんですね」
リッカさまの舌足らずを弄るからです。ライゼさんも学習しませんね。
「無理してませんか、ライゼさん。そっちが素でしょ」
『本当は兄弟子さんとはあんな関係なんだろうなぁ。まったく、難儀な』
「剣士娘に難儀とか思われたかねぇ……」
「んん?」
「あぁ、やっぱり無自覚か。巫女ってやつぁ」
私は一応、自身の気持ちを自覚していますよ。難儀ではあると、思いますけど……。
「それじゃ、兄弟子さん。決めてください」
「ったく。ざまぁねぇな、ライゼ。こんな小娘相手に手玉に取られるとはな――気絶するか、降参するまでだ。武器は用意してきた」
ライゼさんに悪態を吐いて、リッカさまに刃の潰れた剣を見せてきました。多分武器屋に頼んで粗悪品を用意して貰ったのでしょう。経緯は解ります。ですが――。
「待ってください。刃を潰しているとはいえ、危険です」
「アリスさん、大丈夫。本当は潰してない剣使いたいはずだから、最大限の譲歩だよ」
それは譲歩なのでしょうか。リッカさまが納得しているなら、これ以上は言いませんが……。せめて木剣を用意してくださいよ……。
「……分かりました。気をつけてください、リッカさま」
「うん、ありがとう」
兄弟子さんの武器が何であれ、リッカさまがやる事に変更はありません。私は、見守るだけです……。
「ちょっと待っていてください」
私の手を取り、リッカさまが空き部屋を探して歩き出しました。兄弟子さんの興味はリッカさまとライゼさんだけですが……一度襲い掛かった相手の前に、私を置いて行く訳はない、という事ですね。
適当な部屋を用意して貰い、リッカさまは着替え始めました。だぼっとした、激しい動きをするようには作られていない上着。足を極端に露出させたズボン。機能性よりもお洒落を重視した靴。
「リッカさま、それは……」
「大丈夫。もう襲わないって絶対に言わせて見せるから」
『兄弟子さんの歪な自信。叩き折る』
こんな時とはいえ、またそれを見ることが出来るなんて……嬉しいです。
ただ――。
(ライゼさんと兄弟子さんの前でその服は……)
余り、着て欲しくなかった、ですね。朝練用の服で戦うと思っていたのですが、確かにそちらの方がずっと……兄弟子さんの心を折れるでしょうから。




