譲れないモノ⑤
『なんのつもりか知らないけど、私はアリスさんへの脅威を見逃さないと、言ったはずですけど』
(何です? これ。木刀が岩に突き刺さってるんですけど。魔法って訳じゃないんですよね。体の強化くらいしか、まともに扱えないと言ってましたし。自身に魔法を掛けられるという特異性もそうですけど、謎が多すぎて興味が尽きませんね)
溢れそうになる殺意を押し殺すように、兄弟子さんを睨むのをやめたリッカさまですが……完全に無茶な体勢、状況で木刀を投げたのでしょう。壁に追い遣られています。
「リッカさま!」
クマに悟られないように気配を殺し、”光の剣”を小声で詠唱し撃ち出しました。狙いはクマの首と腰。リッカさまが斬る場所と、体の基点です。
『ドンピシャ――!?』
回避に見せかけた攻撃用回転で、リッカさまはクマの首を狙っていました。ですが――途中で回転を止め、回避だけに戻ったのです。
「!?」
その直後クマは――まるで、インパス戦で見せたリッカさまのように……回転して私の”光の剣”を避けたのです。しかもそのまま、リッカさまの顔目掛けて拳を振るいました。
(何て、運動性能……っでも、それだけじゃないです……!)
完全に、急所を狙ってきました。何処に当てても問題ないからと、急所を狙うなんてしなかったマリスタザリアが……!
(とはいえ、リッカさまの方が上です)
予感していたリッカさまは既に回避行動を取って――。
「――」
私が変に、”光の剣”を撃ち込んだから……リッカさまの回避が、遅れたようです。リッカさまの頬がまた、裂けています……。
(落ち、着いて。後悔と反省は、後です)
怨敵は……拳の勢いを殺しきれずに岩に深々と拳を埋め込んでいました。リッカさまはその隙にもう、壁際から離脱しています。
マリスタザリアの筋力ならば、無理矢理リッカさまの真似事が出来ます。ですが、それにしたって……見様見真似の適当な動きで出来るものではありません。あれには、技術が必要――。
「もう……?」
『剣が通らない体毛に加えて……』
リッカさまの呟きが、全てを物語って居ます。もう出てしまったのです。リッカさまやライゼさんに対応出来る、戦闘技術を持った個体が……っ。
「リッカさま!」
一先ず体勢を立て直しましょう。惹き付けるのはもう大丈夫ですから……治療を、させてください。
「ありがと。アリスさん」
「いえ、お礼を言うのは私のほう……ですけど」
リッカさまが治療を受けている間、マリスタザリアはこちらを見ながら壁から腕を抜いていました。腹立たしい程に、理性的な姿です。圧倒的な力に歓喜する事なく、殺意に酔いしれる事なく、こちらを窺う姿。完全に、戦士です。
私の判断ミスと焦りが、リッカさまの負傷を招きました。この敵に対し、不用意に攻撃を仕掛けるべきではなかったのです。……ですが、リッカさま……。
「こちらを。――無理、しましたね?」
「兄弟子さんが、アリスさんに向かって行ってたから」
木刀を渡しながら、少しだけ怒ってしまいます。自身のミスを棚上げするようで気が引けますが……あの状況で木刀を投げるのだけは、頂けません。いくら私を守る為であったとしても、です。
「どうやればあんな状況で投げられるんでス? 剣士ってあんな感じなんですカ?」
「俺にはできねぇよ、あの阿呆なら出来るんじゃねぇか」
あの阿呆とはライゼさんでしょう。ですが、一番の阿呆はあなたではないでしょうか。ライゼさんの事となると、私情が前面に出すぎです。私も大概……戦闘慣れしなさすぎですが……。もっと経験を積んで、咄嗟の判断を磨くしかないでしょうね……。
(こればっかりは、瞑想だけでは培えません……)
「リッカさまの気持ちは嬉しいですけど、怪我をしない範囲でお願いします……」
「うん、気をつける」
お互い、反省会は帰ってからにしましょう。最後の一体、強敵が残っています。
「シーアさん。もう一度”棺”を」
「はイ」
こちらを窺っているクマに対し、シーアさんの”炎の棺”から攻撃を再開させます。拘束と同時に”光の剣”が当たるようにしたのですが――。
「ン、ダメですネ」
敵はシーアさんの”炎の棺”を振り払い、私の”光の剣”を避けてしまいました。本当に、元動物なのでしょうか。そんな疑問が浮ぶくらい、正答を選択し続けています。
(避けられるという事は――制御に大部分の思考を割いているのか、”拒絶”が難しいのか。追尾ではなく座標による射撃のようですね)
シーアさんが少し考えていますが、その理由は分かっています。私の魔法が追尾型ではない理由ですね。リッカさまと出逢ってすぐ考えていたのは、心を読む能力を使って、相手の行動を先読みするという物でした。ですから、追尾型ではなく座標型を初手に選んでいるのです。
短い時間で詠唱しようと思ったら、杖や視線を向けるだけで良い座標型の方が速いのです。追尾型はどうしても、言葉にしないといけませんから、リッカさまの速度に追いつけません。
ですが心を読む能力は、諸事情により発揮出来ていません。私が確実に心を読む事が出来るリッカさまの行動に仕込む方が、確実なのです。リッカさまが敵の足止めをしている中で撃ち込み、当たった隙にリッカさまが止めを差す戦法です。
本当は”麻痺”等も使って相手の動きを封じる策も考えていたのですが……マリスタザリアに”麻痺”が入りません。なので追尾型も場合によっては使いますが、初手で倒せるのならと、確実な手法を取っています。
そして今回の敵を撃ち抜こうと思えば、追尾型より座標型。それでいて強力な”拒絶”を込めたいと考えています。”拒絶”に集中しなければいけません。リッカさまの剣が通らない程の”悪意”を持つ敵に”拒絶”を通すには、”光”も強力にしなければいけませんから……。
「私の”光の剣”が当たりさえすれば、貫けます。だから避けてるのでしょう。そのための拘束が必要です」
「機動性も力も段違いですネ。もっと強い拘束が必要でス。ですガ、それには時間がかかりまス」
リッカさまの攻撃を通すには、私の”剥離”しかありません。そうするにはシーアさんが拘束した敵に、相手を貫くと強く想った”拒絶の槍”を放つしかありません。
(速度も欲しいと”剣”でしたが、貫通力だけに特化しなければ……!)
「俺が止めてやるよ、斬り甲斐がありそうだ」
(だから実力見えてなさすぎって言ってるんです。リツカお姉さんはライゼルトさん級と自身で言っていたでしょう。そんなリツカお姉さんで無理って話をしてるんですけどね)
「私では掠り傷すらつけられませんでした。あの毛皮、鉄のように硬いです」
リッカさまですら斬れないのですから、兄弟子さんでは無理です。ライゼさんが言っていました。斬鉄は出来ないと。リッカさまは刀さえあれば出来るようですが……無い物ねだりは、出来ないのです。現状の戦力でやれる事を。
「一つだけ楽な方法がありまス。ガ、洞窟が必要ですネ」
”剥離”も拘束も必要の無い、楽な方法ですか。洞窟を探そうにも……移動を許してくれるでしょうか。そうなるとまた、リッカさまが時間稼ぎをしないといけなく……。
「兄弟子さん。この辺り一帯に風を吹かせてください。アリスさん、少しの間”盾”、お願いできるかな」
少し言い辛そうでしたが、漸く……漸く、リッカさまから”盾”で守って欲しいとお願いされました!
「はいっ! お任せください!」
リッカさまには何か考えがあるようです。ならば私が時間を稼ぎます。お任せ下さい。動かなくて良いのなら、最高の”盾”があるのです!
「私たちを包む強き水の盾よ!」
(これは、”水”の? 中級の四段ギリギリの”水”みたいですけど、”拒絶”が入っているのでしょう。これは中々壊れそうにありませんね)
”水”で衝撃を吸収し、それでもダメなら”拒絶の盾”が弾きます。単純な二段階ですが、流動的なイメージをしやすい”水”だからこそ、私達を包み込む”盾”が作れるのです。
『私が初めてお願いするから、張り切ってくれてる。私も、私の仕事を――』
「さっきの話は終わってねぇんだが、赤いの」
「あれは、兄弟子さんがアリスさんを襲おうとしたからです。謝りませんよ。むしろ赦してすらいません」
リッカさまの一線である私への殺意。私の所為で兄弟子さんが怒ってしまったのですが、事情を知らないリッカさまにとっては、ただただ襲おうとしていたようにしか見えなかったのでしょう。完全に、兄弟子さんにキレています。合流してから一度も兄弟子さんを見ていないのが、怒りの大きさを証明してしまっています。
「襲っとったわけじゃねぇ! 聞き捨てならんこと言われただけだ!」
(怒るような事、巫女さん言ってましたっけ。ライゼさんとは違うとしか言ってませんでしたが。ライゼさんって、英雄ライゼルトですよね。リツカお姉さんのカタナ? を作ってるという)
ライゼさんのような訛りが、出ましたね。親子のような師弟という感じでしたから、一緒に住んでいた期間が長く、移ったとかでしょうか。それか、住んでいた地区が一緒だったかです。
リッカさまが私に視線で確認を取っています。私はそれに頷き、私が失言した事を伝えました。ですが――リッカさまは関係ないと、兄弟子さんへの怒りを解く様子がありません。
「チッ――分かったよ。やってやる。後で覚えてろよ。赤いの」
『もう忘れました、何て返し文句があるけど――私は一生忘れないから』
確執を生まないようにと気をつけていたはずが……私が作ってしまいました。これ以上拗れないように、更に気をつけないと――っ……クマの攻撃が、激しさを増してきましたね。リッカさまが集中しているのを感じ取ったのでしょう。何かしてくると、潰しに掛かったようです。
「左のほうに、何かあるみたいです。とりあえずそっちに誘導します。先行して捜索お願いします」
言うやいなや、リッカさまは私の”盾”から飛び出しました。この四人の中で最も注意すべきが私の”光”です。しかし、それを避けるのは簡単。であれば次の脅威であるリッカさまを追いかけるのは、必然でした。
リッカさまに言われた通り……左側を探します。兄弟子さんに”風”を吹かせて、耳を澄ませていましたが――。
「リツカお姉さんありましタ。お願いしまス。”火”と”風”でド派手なのいきまス」
(どうやって見つけたんでしょう。マリスタザリアの位置が分かったり、色々と規格外ですね。このお二人)
どうやら、”風”の流れや舞い上がった砂の音を聞いていたようです。左側に洞窟がありました。
『狭い空間、火、風……まさか?』
「分かりました。アリスさん”盾”で蓋お願い」
二人は、これから何が起こるか知っているようです。面白くない展開ですが――私情は、捨てます。
(いつでも準備は出来ています、リッカさま)
『――どうしよ。警戒して入って来ない。アリスさんの準備は出来てるのに……っ』
私の準備は出来ていますが、クマが洞窟に入りません。いつものように投げる事は出来るかもしれませんが――クマの体術の底が見えていません。リッカさまの技術でも投げられなかったら、大怪我で済まないでしょうから……何か策を――。
「どいてろ赤いの――風を纏いて、吹き飛ばす!!」
「っ!?」
横合いからとはいえ、あのクマを兄弟子さんが蹴り飛ばしました。技術や力ではありませんね。あれは、”風”を靴と衣類に”纏”っているのです。蹴り飛ばしたというより、吹き飛ばしたのでしょう。
『魔法って自分を対象にはできないんじゃ……っ。それよりっ』
「アリスさんっ!」
リッカさまの合図で、私は”盾”で洞窟の入り口を塞ぎます。ただ閉じ込めただけですが、これで良いのでしょうか――。
「巫女さン。こっちからの攻撃は通りますカ。普通の”盾”は通りませんけド」
普通であれば、リッカさま以外は弾きますが……今回は一応、シーアさんも対象外にしています。問題ありません。
「”盾”は”盾”でも、私の物は”拒絶”です。私が拒絶しない限り通ります」
「拒絶、やはり気になりまス。が、今は――業炎吹き荒れヨ!」
「っ……」
流石、”火”が特級です。鉄すら蒸発しそうな、高温。ドルラームの時ですら抑えていたようです。
「グガル゛ア゛ァァァ゛ァァ!!」
こんな地獄のような洞窟で、あのクマはまだ生きています。逃げ場はなく、身動きも殆ど取れず、”盾”を叩く音と絶叫だけが、響いています。
「じゃあ、兄弟子さン。そろそろ”風”入れちゃってくださイ。同時に巫女さンも”盾”解除お願いしまス。ちょっと威力ありますかラ」
「あ゛?」
結局何が起きるのか分かりませんが……言うとおりにします。
「やっぱり、バックドラフト――」
リッカさまの声は……王都まで聞こえたのではないかという爆発音に掻き消されました。ですが、この爆発が何なのかは……分かりました。こんな現象が、あるのですか。
炎に酸素が送り込まれれば勢いを増します。ですが、ある一定の条件が整えば……整ってしまえば、こんなにも強力な爆発に、なるのですね。
「……」
汗を拭う仕草をしているシーアさんや、つまらないといった表情の兄弟子さん。様々な仕草で戦闘終了を告げています。そんな中リッカさまはただじっと、燃え続ける洞窟内に……視線を向けていました。
――炎が爆ぜる音だけが響く場で、クマの絶命を確認しました。死体を見た訳ではありませんが、それだけで十分な程……辺りには、クマが燃えた事で発生した臭いが、漂ってきましたから。
「……」
『本当なら、一酸化炭素中毒や、酸素の燃焼で窒息が先……それでも苦しい死だけど、焼死は、もっと……』
なまじ、生命力が強すぎたのです。クマの死因は焼死でした。最期の最期まで、炎が弱くなるその時まで、クマの断末魔は響いていたのです。
同じ死であっても、苦しむ形でしかなかった事に……リッカさまはそっと、黙祷を捧げていました。
「リッカさま」
ただの自己満足でしかないのかもしれません。ですが、同じ命なのです。リッカさまに声をかけ、私は祈りを捧げました。
「ありがとう、アリスさん」
「敵である事に変わりなく、犠牲者が出たかもしれない程の強敵でした。ですが、死は平等です」
リッカさまが首を落とすのは、苦しませないようにという……殺し以外の手段が取れない相手への、リッカさまが出来る唯一の――慈悲なのです。
「遠くの森で静かに暮らしていたであろう命が、”悪意”によってこのような結果となってしまいました。せめて魂がアルツィアさまの元にいけるよう、祈りましょう」
「うん……」
選任冒険者で戦士。”悪意”を赦さぬ”巫女”。ですが私達は、アルツィアさまの想いを遂げる者でもあります。全ての命が平等に、アルツィアさまの愛を受けられるように――。
「リツカお姉さんは何が起きるか分かってたみたいですネ」
「元の世界で火災が起きたとき、あれが起きてたんです。今じゃ解明されて起きないけど、昔はよく起きてたみたいですよ」
こちらの世界では、火事になる事がまずありません。火は魔法で制御されていますし、もし間違えて燃えたとしても、魔法で消火出来ますから。
ですが向こうの世界では、消火器という消火剤を散布する物や、スプリンクラーという煙や熱を感知して水を出す道具があるそうです。ですがそれで消せるのは種火程度で、本格的な消火は専門家を待つしかないとの事です。
そういった時間のロスや、建物の密閉化が重なって、バックドラフトと呼ばれる現象が出来てしまったそうです。
「なるほド、そちらの世界の興味もつきませんネ」
そういった現象が起きたからといって、黙ってないのが向こうの世界の方達です。何故起きたのかを徹底的に調べ上げ、再発防止に全力を出します。その為の道具や技術を生み出し、周知させ、救命する。一人一人の安全意識は、こちらの世界の比ではありません。
道具や機械、技術。どれも興味が尽きないという気持ち、理解出来ます。もし叶うのなら、リッカさまの世界にも行ってみたいものです。私は、世界への興味だけが理由ではありませんが……。
「そういえば、アリスさん。兄弟子さんが”風”を足に纏って蹴ってたけど……自分には出来ないんじゃ」
魔法世界において、リッカさまは特別です。確かにアルツィアさまの予想が外れる事も多くなってきて、世界の常識が変わりつつあります。ですけど、リッカさまだけが自身に魔法を掛けられるというのは、変わらないと思っております。
「それはです――」
「それは足ではなく服を対象にしているのでス!」
「……」
リッカさまは私に尋ねたのですけど。シーアさん、まだ諦めていなかったんですか? 私にはもう効きませんよ。
『魔法研究者としてのプライドとか、あるのかな? 魔法と言えばシーアさん、みたいな。でも私に体を寄せるのは何でだろう』
効きませんけど、体を寄せるのは違いますよね。結構私情でリッカさまに近づいてませんか? シーアさんかなり、リッカさまの事気に入ってますよね。
(リッカさまが鈍感さんですから気にしてませんけど……けど!)
「えっと、自分じゃないから出来るってことでしょうか。”纏”ってそういうことなんだ。シーアさん、ありがとうございます」
『服なら出来るんだ。そういえば、”甲冑”とかあるんだっけ。鎧みたいな、体以外ならいけるんだ』
”甲冑”はオルテさんが使える魔法の一つです。多分オルテさんから教えられていたのでしょう。多分、近接戦を主とするリッカさまの為に教えてくれていたのでしょうけど……残念ながらリッカさまは、自身を守る魔法を使う事が出来ませんでした。
「はイ。物に纏わせる力を増幅させるのが”纏”でス。お兄さンの”風”を纏った蹴りは中々でしタ」
呼び方、試行錯誤中なのでしょうか。もしくは魔法の腕前を認めてのお兄さん呼びなのかもしれませんけど。
兄弟子さんの蹴りは、リッカさまのような洗練された蹴りではなく、何と言うのでしょう……壁を蹴破るような、そんな蹴り方でした。リッカさま風に言うなら、腰の入っていない蹴り、です。
「チッ……俺のことはどうでもいいんだよ。さっさと村行って報告すっぞ」
先程から、不気味なくらい静かです。シーアさんの発言にも余り突っかかりませんし、何か……不穏です。




