貴女さま⑤
「はぅ……気持ちいですね」
「お気に召したようで、良かったです」
リッカさまが手を組み、ぐぐっと背伸びをしています。背伸びを終えると、声が漏れるような吐息を吐き、脱力をしました。その姿に私は、釘付けになるのです。
視線が、リッカさまの表情、うなじ、腕、腋、胸――へと移動してしまいます。幼い頃、お母様と入った事はあります。時間短縮の為に、同世代の女の子と入った事も、あります。
しかし……こんな風に凝視した事はありません。むしろ見られる側でした。
(リッカさまの一挙手一投足に、注目してしまいます……)
鮮烈な容姿と美しい所作、それに反して可愛らしい性格……人を魅了して止まなかった事でしょう。当然私も、魅了されています。
淑女としての教育は、お母様から受けました。貴族的という訳ではなく、シスターのような、静々とした所作です。ですがリッカさまの所作は、貴族的でもなければ淑女という訳でもありません。
何か、力を感じる……凛とした所作なのです。
リッカさまが一歩歩くだけで、周りの空気が引き締まるような、そんな―ー絶対的なカリスマ性を持った王の凱旋の如く、周囲の視線を釘付けにします。
小柄ともいえるリッカさまの姿からは想像出来ない程の存在感を、隣で歩いていた時に感じました。
「アリスさんは、その、誰かと入った事があるんですか?」
「え――は、はい。何度か、時間短縮の為に」
リッカさまが少し、反応に困っているような笑みを浮かべました。でもそれは、私の発言で困っているというより、自身の感情に困っているような? 私が、リッカさまが誰かと一緒に入った事があると聞いた時と、同じような表情です。
「これだけ広いと、三,四組くらい一気に入れそうですね」
「そうですね。私が最後に誰かと入ったのは、もう随分と昔ですが、今でも混雑時は七組くらいは一緒に入っているのではないかと」
この浴場は時間制ですが、規則という訳ではないのです。仲が良かったり、時間的余裕がなければ誰でも入れます。だからわざわざ”施錠”と”拒絶”を――って……な、なぜでしょう。リッカさまの今の姿を、誰にも見られたくないと思ったのは確かですが……その感情は何処から……?
「私も、中学に入ってからは一人で――あ、中学っていうのは……学校の事、です」
「――確か、小学校、中学校、高等学校でしたね。六歳から十六歳を義務教育として小学、中学と学ぶ場、とお聞きしております」
リッカさまも、共にお風呂に入ったのは幼い時までのようです。良かった――ああ、私の思考なのに、私の事が分かりません。
「神さま、沢山教えてたみたいですね」
リッカさまがクスリと微笑みました。濡れた髪は上で纏められていますが、少し垂れた髪が艶かしくリッカさまの頬に張り付いています。優しい微笑みなのに、どこか妖艶に見えてしまって、呼吸が荒くなってしまいます。
「中学の後は高校か専門学校に行って、そこから大学って感じで進学していくんです。私は今高校生ですけど、勉強はちょっと苦手で」
「そうなのですか? リッカさまならば、勉強も良く出来たと思いますが……」
「お恥ずかしながら、とある理由で勉強に意味を見出せなかったんですよ、ね」
とある理由とは恐らく、”巫女”関係ですね。考えられるのは……”森”に住もうとして、勉強に必要性を感じなかった、というところでしょうか。向こうの世界での勉学は、各種職業に就く為の勉強と聞いていますから、熱意を向ける事が出来なかったのも納得です。
こちらでは、政治家やギルド職員になろうとしない限りは最低限の勉強さえ出来れば良いという風潮ですから、リッカさまはこちらの世界寄りと言えます。
リッカさまの理解力と判断力があれば、少し教えるだけで大丈夫と思うので、教師としては楽だったと思います、が……教師側がリッカさまの興味を引き出せなかった結果と、私は思ってしまうのです。
「っと、お風呂の話でした。こんなに大きいお風呂初めてなのですけど、手足をこんなに伸ばせるって、良いですね」
「ふふ。ゆっくり浸かってください。少し温度は低めですから」
「私には丁度良いですよ。でも、お言葉に甘えさせていただきます」
広い浴場ですけど、私とリッカさまはいつのまにか、近づいて――肩が触れ合う距離でした。
リッカさまが広いお風呂を堪能しているのですから、私は離れた方が良いのかもしれません。でも……ちょっと、離れ難い魔力が、あるんです。
(まるで、”接着”の魔法にかかってしまったみたいです)
リッカさまから嫌という気配はありませんし、もう暫くこのままで……居ても良いでしょうか。
流石に時間を使いすぎたので、上がる事にしました。上気したリッカさまを凝視してしまいましたが、私は先に着替えなければいけないので急ぎます。
少し急いでいる私をリッカさまが見ていました。服が無い事に困っているのかもしれません。
「今乾かしているので、少し待って下さいね」
「は、ひゃい」
頬を染めて、俯いてしまいました。急かせてしまったと、思ったのでしょうか……。
「申し訳ございません。代わりの服をリッカさまに着せなければいけませんので、少し急いでしまいました」
「い、いえ! お気に、なさらず…………着せ?」
「はい。こちらを」
取り出したのは、私と同じ『巫女の服』です。普段私が着ているものですが、これしか持っていないものですから、仕方ないですよね。
「少々癖の強い服ですから、最初着るのに苦労するかと思いまして」
「な、なるほど。それじゃあ……」
間違っては、いないのです。この服はローブ型なので、着方を間違えると一向に腕が出せなかったり、裾を踏んで転びそうになったりします。
リッカさまが転ぶというのは想像出来ませんけれど、もしもがありますから。
ボタンを外して、良く開きます。そこに足を入れて貰い――はわ……。
(め、目の前に――い、いけません。集中して)
膝をついている私の正面には、純白の物が見えていました。しかしそれで手が震えようものなら、私はもう、リッカさまに触れてはいけないくらいの変質者となってしまうでしょう。
しっかりと足が通ったのを確認したら、上に上げていきます。途中で袖に腕を通してもらい、前のボタンを閉めます。いつもここで一番苦労するのですが、すんなりと留めれました。
最後のマフラーのような、余裕のある襟の部分に頭を通してもらえば完成です。
「リッカさま。出来ましたよ」
「ありがとうございます。アリスさん――」
笑顔でお礼を言ってくれたリッカさまですが、途中で自身の体を見て固まってしまいました。その視線を追うと――。
(胸の部分に、余裕が出来てしまっています、ね)
普通の方ならだぼっとした印象を受けるそれさえも、リッカさまは着こなしています。ですが、その……リッカさまも女性です。育ち盛りの乙女としては、気になるようです。
「やはり、改めて用意を……」
「私は、アリスさんと同じ服が良いです」
「は、はゃい!」
お揃い、という物ですね。まず”巫女”以外が着る事のない服ですし、私はこの服以外を着ません。お揃いという事に縁がなかったのです。嬉しい、ですね。
それが単純に、お揃いという、普通の友人のような戯れが嬉しいのか……リッカさまとお揃いだから嬉しいのか、今の私には理解が出来ませんでした。
ただただ、今という時間を私は――”お役目”とは全く関係なく、楽しんでいました。
その後適当に町を案内しました。リッカさまはまだ文字が読めないので、基本的に私と共に行動する事になります。ですから、追々教えれば良いと思ったのです。
とにかく今は、奇異の視線に晒されてしまっているリッカさまを、いち早く知ってもらう必要があります。
ですから、集会場へ急ぎましょう。
丘の上が気になっていたようですが……それ以上にリッカさまは、私が狙われているかもしれないという事に、怒っているようでした。
リッカさまの怒りを鎮めるのが専決と思いながらも、私は嬉しさを感じています。
もっとリッカさまを知りたい。私はそう強く、思っています。
集会場には既に何人か集まっていました。先代派の方は一人も居ませんが、いつもの事なので気にはしていません。
リッカさまは――優しい笑みで私を見ていました。生暖かいというか、慈愛の篭った表情です。それだけならば恥ずかしいという気持ちでそわそわしたでしょうけど……。
(リッカさま……何か――寂し、そうに……?)
「リッカさま、お待たせして申し訳ございません。どうか、なさいましたか……?」
「いえ、少し物思いに耽っていました」
何か心配事、でしょうか。つい”能力”に頼ってしまいそうに、なってしまいます。それだけはダメです。
普段であれば、使う事に忌避感や躊躇はありません。必要ならばいくらでも使います。しかし……リッカさまを騙すような、ものです。リッカさまにだけは……知られたくありません……。
(リツカとは、健全な関係で居たいんだね。アルレスィア。きみならばリツカ本人の口から聞けるだろう。きみの想いを尊重しよう)
どうやらアルツィアさまは、集会場で待っていたようです。リッカさまとはまた別の、生暖かい視線で私を見ていました。
「ちょっと、家の事を思い出していました」
家……そう、ですね。いきなりこんな場所に連れて来られて……家の事を心配し、寂しさを感じるのも当然です……。心細いはず、です。私がリッカさまの寂しさを紛らわせる事が出来れば良いのですが……。
「ごめんなさい……」
まだ家に、帰す事は出来ません。もっといえば……リッカさまにはこれから――。
「いえ、アリスさんが謝ることでは……。そうだ、アリスさん。私の帰りが遅いと、祖母と母が私を探して”神の森”に入っていくと思うんですが、大丈夫なのでしょうか」
「は、はい。先代”巫女”様の方々ですよね。そうであるなら、まったくの他人が入るよりは、被害が少ないはずです。あまりお勧めはできませんけれど……ただちに影響が出るわけでは無いはずです」
先代の”巫女”ならば、何とかなるはずです。リッカさまが関係した時のアルツィアさまは少し抜けている所があるようですが、その当たりはしっかりしているでしょう。
してますよね?
『流石に大丈夫だよ。アルレスィア』
それならば、良いです。リッカさまの心配事を減らせたのなら、それで構いません。
寂しさを呑み込み、私の為に笑顔を向けてくれたリッカさまを、これ以上追い詰めたくありません。せめて日常くらいは、新しい出会いだけを楽しんで欲しいと思っております。
「よかった。それなら、大丈夫ですね。ありがとうございます」
「――はいっ」
周囲の方達を放置してしまいましたが、私はリッカさまとの交流を優先させます。もはや私の日常は――リッカさまで彩られているのですから。
全員集まったようなので、まずは祈りから始めます。アルツィアさまの名前を言う事になるので、リッカさまにノイズが走ってしまうでしょう。しかし、これだけはしっかりしなければいけません。
「リッカさま、祈りでは神さまの名前を言う事になりますので……」
「大丈夫です。気にせず、お願いします」
「ありがとうございます。リッカさま……」
どれ程の痛みが、走っているのか……表情からは読み取れません。遠目からリッカさまを観察出来たのは、お風呂前の少しの間だけでしたが、リッカさまは凛とした表情のまま、周囲を観察していただけでした。集落の姿に、あんなにも無邪気な笑みを浮かべていたのに、人前で見せる事はなかったのです。
そんなリッカさまが私には、隠す事無く表情を見せてくれます。でも、痛みや悲しみは極力隠そうとするようです。つまりそれは、私を慮っているのです。
(アルツィアさまが言うには、魔力が馴染むまでの辛抱との事ですが……)
「それでは――我等が神、アルツィアさま」
心の底から祈りながらも私は、隅で……リッカさまを想います。苦難が待ち受けているのは確実。そこに私は……私達は、独善で旅を始めます。それも、リッカさまを巻き込んで。
躊躇が溢れそうになります。出会う前までは……いえ、今もですが……リッカさまとの旅を望んでいます。
なのに私の決意は、崩れそうになりました。
だって、リッカさまが……泣いていたから――。