雫を迎えて終末を
全人類を殺すことは実に容易なことだった。
3月5日16時13分、私はボタンを押した。
私がボタンを押すと、日本が機密に開発していた核弾頭ミサイル、計33発が日本各地で次々と発射された。東京には5発ほどのミサイルがあった。その5発が発射された際の光景は、ビルの隙間から見える夕焼けと重なってとても綺麗だった。
世界終末の始まりを見届けた後、首相官邸をこっそりと抜け出して彼女の元へ向かった。
ドアを開けると、僕を世界終末へと向かわせた天使の顔をした悪魔がいた。彼女の顔は夕焼けに照らされ、その美しさに息を呑むほどだった。
天使の悪魔は地上へ来る代償として、頭より下は動かなくなり、この病院で世の中を観ていた。
「お疲れさま」
彼女はこちらを向かないで独り言のように呟いた。
「そんなに夕陽が綺麗か?」
「ええ、心のカメラで写真として収めたいほどに」
一度目を閉じてから、こちらに顔を向けた。
「これで、ユメが叶いますね」
「……そうだな」
それは、私が彼女に出会ってから数日後のことだった。
『この世界は間違った方向に来てしまいました。今後、どの道を選ぼうとも元には戻れません』
と、私にしか聞こえない程の小さい声で言った。そして私に、「自分が天使であり、この世界に来たために体が動かなくなった」こと。「この世界の様子を調べるために来た」と告白した。
「それで、この世界はどうだった?」
「調査の結果、この世界は壊さなくてはいけない。壊して創り変えなくはいけない、と私は判断しました」
私は、彼女の話を疑わなかった。なぜなら、私も同じ考えを持っていたらだ。
「ただ――」
彼女の瞳が、私の老けた顔に映る。彼女の瞳はまるで水面の様だと思った。鏡のような存在だが、視点を変えれば、それはただの透明な板に過ぎない。
「最終判断はあなたに任せたいと思います」
少しだけ笑顔を見せる。
なぜ、と問う。
「それは、あなたも私と同じ考えを持っているからです」
それに、と彼女は続ける。
「私はあなたのことを愛しているからです」
彼女の瞳が微かに揺れた……。本当の水面のように――――
世界が終わりを迎える中、彼女は嬉しそうにしていた。これまでに、彼女が楽しんでいる顔を私は見たことが無かった。
「なぜ、嬉しそうなんだ?」
彼女は視線を落とす。
「それは、この世界の最後にあなたと一緒に過ごせるからです。あなたもそうは思いませんか?」
顔を上げて、質問に答えたその貌はまるで、悪魔のようだった。
「……ああ、そうだな」
その貌に見惚れてしまって、私は不愛想な返事しかできなかった。
「全く、つれない人ですね」
私は、彼女の手を握った。彼女もゆっくりと手を握り返してくれた。
「あなたは次の世界が、どのような結末を迎えると思いますか?」
彼女はオレンジ色に染まる街を眺めて言った。
「結末を迎えて欲しくはないな」
私の考えを探るように、彼女は少しの間、俯いてから答えた。
「私は……」
彼女はその先の言葉を吐き出すことは無かった。代わりに、私を見つめた。彼女の瞳には微かな光が宿っている。
「ふふ、秘密です。ほら、もうすぐですね」
世界は絶望の色に染まっていた。この病院の2人を残して。
「もしかして、夕日が沈むとともに終わるようにしました?」
「よく分かったな。いいだろ、この終わり方」
「ええ、私好みの終わり方です」
窓から、地上に向かっている一つの光が見えた。
「本当の最後ですね」
そう言って、彼女は立ち上がった。しかし、私は驚きはしなかった。そんな気がしていたんだ。
「なんだ、体動くじゃないか」
「知ってたんでしょう?」
やはり、彼女は悪魔だ。
「……ああ、そうだよ」
私は出来る限りの笑顔を彼女に向ける。すると、彼女もこれまでに見せてくれた以上の笑顔を私に向けた。
「……愛してます」
「私も、愛してる」
私は彼女を抱きしめた。
「……ちょっと、痛いです」
「ごめん」
「いいんですよ。これぐらいで。――このままでお願いします」
2人は泣いていた。
それは、この世の終わりに泣いていたのか、嬉しさに泣いていたいたのか、嘘に泣いていたのか
2人の雫の答えを知る人々は、どこにもいなくなった。
良き週末を迎えたい。
残業したくない。