お嬢様と忠誠の狗
「ねぇ、貴方よ。貴方に話しかけてるの。」
これは、とある一人の希代の天才暗殺者と、強引で心の優しいお嬢様が出会うことから始まる物語。
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空を見上げれば蒼が広がり、雲1つもない晴天。心までも澄み渡るような青空の中一人の少女が街路を歩いていた。
ふんふんと鼻唄を歌いながら足取り軽く歩く少女の後ろでは、どこか不安そうに陽気な少女を見つめる侍女1名が付き従う。
少女は上等な生地を使った今流行りのデザインのドレスを纏っていることや、侍女を引き連れていることから相当の家のお嬢様だと推測された。
どうやら、いつも苦手で逃げ出してしまうマナーのお勉強を頑張ったご褒美として街へ遊びに行くことが許可されたらしい。
10歳の好奇心に溢れた少女は、大きな蒼色の眼をキラキラと輝かせ色々お店を覗いたりと自由に動き回っては侍女を振り回していた。
「ねぇ、マリア!今度はあのお店に入ってみたいわ!見たことのない食べ物があるわよ!」
「アイリスお嬢様お待ちください…!お一人で動き回られては危険です!」
「大丈夫よ!!……あ!あれが屋台という物ね!」
「お嬢様~!!」
少し離れた所にたくさん立ち並ぶ屋台を見つけたアイリスは一目散に駆け出した。
小さな体を上手く使い、人の波を潜り抜けた少女はこんがりと焼けたお肉の前で立ち止まるとスーッとお肉の香ばしい香りを胸一杯に吸い込んだ。
その食欲をそそる香りに少女のお腹が小さく鳴いた。
「お嬢ちゃん、一人でお買い物かい?」
「侍女も一緒よ。おじさん、このお肉お2つくださいな!」
屋台の主であるおじさんは、少女の言葉に「あいよ!」と気さくに返すと、串にお肉を5つ程刺した物を3組アイリスに差し出した。
2つしか頼んでないわよ?と首を傾げると、可愛いお嬢さんにおまけだよ、と茶目っ気を含ませパチンと片目を瞑ってみせた。
「ありがとう、おじさん!今度はたくさん連れて買いに来るわね。」
「楽しみに待ってるぜ、嬢ちゃん!」
屋台の主から受け取ったお肉を嬉しそうに抱えると、マリアに渡すために元来た道を引き換えそうと揚々と歩き出した。
冷めてしまっては美味しさも半減してしまうだろう、急いでマリアを探そう、と道を進んでいく。
「……あら?ここはどこかしら。」
このお嬢様。少々方向に弱い少女であった。
簡単に言えば方向音痴だったのである。
きちんと来た道を戻っていたつもりが気付けば、見たことのない路地裏へと来てしまっていた。
するとそこでとある気配がすることに気付いた。
玄人すらも気付くことが出来ないであろう小さな小さな、限りなく無に近付けられたそれ。
アイリスはその人に道を訪ねて取り合えずあの屋台のおじさんの所へ戻ろうと考えた。好奇心と度胸だけは誰にも負けないお嬢様は物怖じなどしないのである。
「私、このお肉を買った屋台の所へ戻りたいのだけれど貴方分かるかしら?」
気配のする方へ話しかけてもまるで返答もない。
アイリスは1度だけでなく、2度3度と続けて呼び掛けた。けれど、何れも答えは返ってこなかった。
そこに確かにいるのに答えのないことに痺れを切らすとみずからそちらに近付いてはっきりと目を見て呼び掛けた。
「ねぇ、貴方よ。貴方に話しかけてるの。」
「………は、やっぱり分かってたのか…。」
はっきりと自分に話しかけていると分かった少年とも青年ともつかない綺麗な男は、ポカーンと口を開けて固まったかと思うと「やべ…」と小さく呟くと一瞬にしてその場から消え去った。
「…ちょっと、なんで突然いなくなるのよ…!」
話しかけたにも関わらず無視をして消えていった男に怒りを覚えつつも、まぁ何とかなるわね。と楽観的に考えると逞しいお嬢様は、適当に道をずんずん歩き始めるのであった。
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「そういえば、あの時が貴方との初めましてだったのよね?ギス。」
「あの時はこの俺の気配が分かるやつがいるのか~ってらしくもなく驚いたっての思い出すな~」
6年の時が経ち、自室でくつろぐアイリスは傍目に見ると誰もいない空間に向かって話しかけていた。
何もないように見える空間からは一人の男の声が聞こえる。
「ギス?部屋に私しかいないのだから姿くらい見せたら?一人で話してるみたいじゃない。」
「分かりましたよ、っと。…でも主の狗がすっ飛んでくるとめんどくさいんだよな。」
音もなく姿を現したのは首までを黒で覆った男。アイリスと同じくらいの年齢にも、さらに上にも見える男だった。
その顔の右目を通って縦にクロユリの入れ墨が浮かび、瞳は漆黒。肌は透けるように白い神秘的な顔立ちをしている。
口元には緩く笑みを浮かべ、その場に跪いた。
「この俺を従えるただ一人の主よ。影となりお前の命令を、どんな希望をも叶えよう。」
「ギス!!お前!!またお嬢様のお部屋に性懲りもなく…!!!」
「ほら、主の狗がすっ飛んで来た。」
いつもの日常といつもの会話を前にお嬢様は呑気に微笑み、希代の天才暗殺者と絶対の忠義を誓う執事を前にいつまでもこの平和が続くようにと紅茶を飲むのであった。
その平和が近いうちに軋むことも今はまだ知らずに。
連載するか未定。
反応とその他諸々次第で考えるでござる。




