1 嫌だよ!
4月の初め。春休みも終盤に差し掛かったある日。俺は、部屋で勉強をしていた。
一応、始業式翌日に実力テストがあるからという名目なんだが、俺の場合、別にしてもしなくても結果に影響がある訳じゃない。ただ、とある事から逃げたくて、勉強してるだけなんだ。
「兄ちゃん。ちょっと来て。お母ちゃんが、話があるんじゃと」
「話?すぐ行く」
俺が、部屋から出てくると、テテテとひなが寄ってきた。
そして、ひなが俺の手をギュッと握ってくる。
左手には、連れて歩かなくなった筈のぬいぐるみのみーちゃんを抱っこしてる。
もうすぐ小学生だから、みーちゃんを連れて歩かないと、宣言したのは一年半程前だった筈だ。だけど、あえてみーちゃんを抱っこしてるのは、色々と不安なんだと思う。
茶の間に入ると、母さんが正座して待っていた。
いつもなら、ニコニコと笑顔の母さんだけど、今日の表情は、怒ってるとも悲しそうともとれる表情だ。
話の内容は、かなり真面目な内容だな。
「母さん、話って何なん?」
「まぁ座りなさい」
「あぁ、うん」
母さんに促されるまま、母さんの正面に腰を下ろす。ひなも脇にぺたんと座る。手には、みーちゃんを抱えたままだ。
「で、話って何なん?」
「うん、あのね。お父さんと去年離婚したじゃない。今更だけど、どっちについて行くのかなって、思ってね」
やっぱりきたか。両親が離婚したのは、去年の夏だ。事の発端は、親父が家族へ相談無しに、総選挙に立候補した事からだ。
なんでも民自党の総選挙の候補者の一般公募に応募したら、通ったんだな。それが分かった途端に、我が家は毎日親父と、ばあちゃんや母さんによる会議が、繰り返され、選挙が終わり次第離婚という事になってしまった。
ちなみに親父は、選挙戦を勝ち抜き、今は国会議員をやってて、東京と広島を行ったり来たりしてるみたいだ。
でも今更なんで、親父と母さん選べって言うんだ?
「母さん。なんで今更、そんな事言うん?て言うか、俺、母さんについてくって言ったよな」
「そうなんじゃけど、茂、来年受験じゃろ。もしかして、政治さんみたいに、政治家になりたいとか思ってないかなって、考えたん。そんなら、東京の大学行くんなら、政治さんの所にいた方が、ええんかなってね」
なんでそうなるんだろう?去年もだけど、中3から俺の進路は伝えてあるはずなんだけどな。もう一度、説明しなきゃ駄目か。
「あんな。母さん。なんべんも、言うとるけど、俺は服部家の力を使うつもりは、ない。うちの会社を継ぐ気もないし、ましてや将来、親父の地盤引き継いで、政治家になろうなんて考えはない!
俺は、俺の道を歩かしてもらう。会社の跡取りなら、ひなを指名するなり、母さんが適任だと思う人間を選べばいい!母さんには悪いけど、俺が欲しいのは、ごく普通の生活なんだ。ぶっちゃけ、まだ福祉関係か普通の会社を選ぶかは、わからんけどな」
母さんが、ポカンと俺を見つめてる。なんて言って返したらいいのか、わからないみたいだ。
しばらく、沈黙が続く。五分か十分近くたった時、ずっと黙ってたひなが、口を開いた。
「嫌よ!お母ちゃんとも、兄ちゃんとも離れのじゃけぇ!ウチは、兄ちゃんもお母ちゃんも好きなんじゃけ!」
今度は、俺も呆気に取られてしまう。
が、母さんがクスクス笑い始めた。
「フフフ。ひーちゃんに一本取られたわね。兄ちゃんもお母ちゃんも好きか。フフ」
「ほうじゃね。ハハ」
「何笑いようるん。ウチ真剣に言うとんよ!笑わんといてぇや!もう〜」
ふくれっ面をして、ひなは、もう〜、もう〜と言いながら、ペシペシと俺や母さんを叩く。ひなは、本気で怒ってるのに対し、母さんも俺も笑っていた。
『お母ちゃんも兄ちゃんも好き』という一言がきっかけになり、母さんは親父とこへ行くなんて訊かなくなったのだった。